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第一話・焔 第二章・1


「ご、ごめんなさ……い……う、ん」
 冷たく甘いものが口の端に触れた。濡れた紙のようなものが唇を撫でる。
 目の焦点が合った春樹が見たものは、佐伯が手にしたティッシュだった。水のしずくが落ちている。
「きみはもしかして、焔持ちかな」
 春樹が首を縦に振った。佐伯が再度ティッシュを濡らす。
 ペットボトルの水を含ませた紙が、春樹の唇にあてがわれた。
「んう、う」
 須堂と同じで佐伯にも焔のある妻がいるのかと思ったが、仰向けの人間に水を飲ませる行為には慣れていない様子だった。少しずつ、湿らす程度に水が与えられる。
 少量の水でも春樹には何よりの恵みだ。冷静でいようという意思が戻る。
「う、ごめ、ごめ……なさ」
「謝ることはない。話には聞いていたが、お相手するのは初めてだ。起きて飲むかい?」
「大丈夫、です。佐伯様、お願い……入れて……」
 佐伯が春樹を見据えたまま、春樹の腰の下に枕を入れた。
 いつだったか、相手が高岡かどうかわからなくなったときも、高岡はこういう目をしていた。
 冷徹なように見えて、注意深く観察する目。
 高岡の目が肉食獣の目だとしたら、佐伯の目は猛禽類の目だった。
「あっ、う!」
 先ほどまで佐伯を含んでいた穴は、ずるりと男の部分を引き入れた。
 佐伯は目を細めて腰を進める。唇の端が上がる感じも高岡に似ていた。間違いない。同じ人種だ。
「そこ……あっ……そ、そこ……!」
 佐伯の本性を警戒する緊張感が、炎の熱を適度に抑えた。
 体で感じる電流は強い。だが、見えない炎が鎖となって巻き付く感覚は消えた。
 蛇に似た炎の舌が、ちろちろと春樹の肌を這う。春樹は身をよじり、快感を訴える言葉を口にする。
 焔に後押しされて奔放な反応をしても、意識はつなぎとめておけそうだった。
 佐伯に導いてもらいたい。自我を焼く熱波と炎ではなく、生きた人の熱で高みを見たい。
「さ、佐伯様。も……だめ……もう、ああ!」
 片脚だけが担がれた。佐伯の熱い棒が今までとは違う角度で往復する。
 浅いところにある弱点と、奥の弱点が同時にこすられた。
 ぞっとするほど鋭い快感が走り抜ける。春樹は射精しないよう、唇を強く噛んだ。
「く、う……ッ!」
「痛みは?」
「んく、んうっ、ない、ないです」
「いい子だ。好きに散らしていいからね」
「ひ、あ! いっ」
 片脚を抱えられ、熱いものが深く中をえぐる。有無をいわせない抱き方だった。
 腰が跳ね上がりそうになり、春樹は佐伯の腕を強くつかんだ。
「だ……め! いく! いくっ、いっちゃう……ああっ!」
 まぶたの裏が白く光ったとき、新田の顔が浮かんだ。涙の到達を防ぐため、目の奥に力を入れる。
 心とは裏腹の体は弓なりに反った。佐伯がこの姿を見て楽しんでいると、目をとじていてもわかる。
 ホテルの一室で客に抱かれる自分の姿と、新田の真っ直ぐな眼差しが頭の中で交錯する。
 知らず、体の芯に力が入った。
「ああ。いい、これはいい」
 佐伯のものを、春樹は絞るように締め付けていた。
 クッ、と短くうめいて佐伯が達しても、すぐには脱力できなかった。
 佐伯もすぐに抜こうとはせず、春樹のひたいの汗を拭った。
「焔のある子は初めて抱いたが、きみの良さは焔とは無関係だね」
「え……」
「きみはだれに仕込まれたのかな」
 佐伯の熱が去った。枕も外される。佐伯は春樹にも数枚のティッシュを渡してきた。
「あ……た、高岡、さん、です」
「高岡? 高岡彰? 『An entrance 』の」
「そう、です」
 An entrance とは、高岡が経営しているSMクラブの店名だ。
「そうか。どうりで」
 何が「どうりで」なのだろう。佐伯は目を細め、窓の向こうの夜景を眺める。
 気に入られなかったのではないと思いたいが、よくわからない。
「あ、あの。もう一度、しますか……?」
 バスローブを羽織った佐伯が眉をひそめた。
「きみ。きみは生身の人だよ。安売りするものじゃない」
 佐伯の声が低い。謝罪するべきか。下手なことを言って、関係を悪いものにしたくない。
 言葉が出てこない春樹の胸に、佐伯の指が触れた。胸まで飛んだ春樹の飛沫がすくい取られる。
 佐伯は指ですくった白い液体を舐めた。
「高岡くんも勝負好きだ。焔持ちは、天下を取るか堕ちるところまで堕ちるか。どちらかしかないと聞いている。将来が楽しみだな」
「堕ちるところまで、堕ちる……」

 『くそ、焔持ちか』

 高岡に最初に抱かれたとき、意識を失う寸前で聞いた言葉。
 春樹は胸から腹にかけて散る白いものを拭い、佐伯に向かって叫ぶように言った。


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