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第一話・焔 第二章・1


 翌朝は七時に学校の通用門を通った。
 きょうから新田は父親の実家に行く。校内の花を枯らしたりしたら申し訳が立たない。
「あれ! 丹羽あ、おはよー!」
「森本。お早う。どうしたの?」
 ホースを手繰る手を休める。級友の森本が駆け寄ってきた。
「忘れ物。教科書置いてったからさ。お前、テスト勉強してる?」
「あ……してない」
 だよなー、と言いながら、森本が手伝ってくれた。
 新田なら苦もなくリールを使ってホースを片付けるのだが、春樹は近くまで手繰らないとできなかった。校庭の掃き掃除もしたいが、水を撒く箇所はここだけではない。これでは日が暮れそうだ。
 春樹は森本の顔を見た。上目遣いに見られたので他意を感じたのか、森本の笑顔が引きつる。
「あの、今、時間ある?」
「あるけど?」
「ごめん! お願い! もうちょっとだけ手伝って。朝ご飯おごるから」
 春樹が顔の前で手を合わせる。森本は頭をかいて「仕方ねーな」と言った。


 駅ビルのハンバーガー屋は、祝日の朝でも混んでいた。
 森本はチーズバーガー、春樹はプレーンバーガーのピクルス抜きにかぶりつく。
 プレーンバーガーはきょうもおいしく、春樹はいつもより速いペースで食べ終わった。
 昨夜、結局夕食をとらずに寝てしまったのと、この席が偶然にも新田と座った席だからだ。
「お前人使い荒いなー。つーか、何でリールで巻き取らないんだよ、リールで」
「ごめんね。リールうまく使えないんだ。手伝ってくれて、すごく助かった。ありがと」
「そのカオなんだよな。何かやばいんだ、その笑顔が。頼まれると嫌って言えないっていうか、放っとけないっていうか」
 笑顔を褒められることはこれまでにもあったが、慣れるものではない。気恥ずかしくなった。
 顔の火照りを冷まそうとアイスミルクティーに手を伸ばしかけた春樹は、立ち上がって叫んだ。
「た! 高岡っ! さん!!」
 春樹の斜向かい、森本の隣に高岡が座っている。
 いつからいたのだ。
 ラフなスーツを着た高岡は携帯電話を片手で持ち、もう片方の手で頬杖をついている。
 高岡の向かい側、春樹の隣には二十歳前後に見えるきれいな女性が座っていた。狂犬と美女が互いの携帯電話を向け合っている。赤外線通信で情報をやり取りしているようだ。
 つまりは、高岡がこの女性をナンパしたのだろう。
「おいっ。どうしたんだよ」
 森本が顔を赤くしている。店じゅうの視線が春樹に集まっていた。
「ご、ごめん。何でもない」
 春樹も森本以上に真っ赤になり、腰を下ろした。
 隣の美女を盗み見る。清楚な女性だった。黒いストレートヘアが揺れると、光の輪が毛先まですり抜けていった。
 節操のない狂犬め。こんなに大人しそうな人を毒牙にかけるのか。
 それより、こいつは男色家ではなかったのか。
 考えてみればこの男はSMクラブ経営者だ。女性も相手にするのかもしれない。
 女性の情報を得たのか、高岡がこちらを向いた。春樹は目を逸らす。
「お早う春樹。よく眠れたか。そちらの子は?」
 春樹と森本が高岡を見た。女性は春樹を見ている。春樹の口もとがひくりとした。
「お、お早うございます。眠れました。この子は森本くんです。同じクラスなんです」
 そうか、と言ったきり、高岡は女性に向き直った。春樹の前では見せたことのない、害のない微笑みを披露している。高岡と女性の前には飲み物しかなかった。ハンバーガーを食べないのなら、普通の喫茶店に入ればいいものを。
「おい。だれだよ」
「遠い親戚の人。僕が父と一緒に住んでないから、干渉……アドバイスしてくれるんだ」
「へー。全然似てないな、お前と」
「遠い親戚だからね」
 朝から嫌な顔を見た。森本を追い立てるようにして店を出る。
 女性は春樹を何度か見たが、高岡はこちらを一瞥もしなかった。


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