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第一話・焔 第一章・4
高岡の部屋のリビングは、春樹の部屋よりも少し手狭なようだった。
春樹の部屋と同程度に見えるのは、家具が極端に少ないためだろう。高岡が座るカウチソファの前にはテーブルもなく、大判のバスタオルが敷かれているだけだ。高岡がバスタオルを指し示す。
「四つ這いになれ」
「は……い」
高岡の前で四つ這いになる。ソファの上にあるものを見て、春樹の顔が凍りついた。
厚めのビニール袋に入っている黒いものは、一見短い鞭に見えた。だが、よく見ると直径二センチ、長さは二十センチほどの黒いゴムの棒に、手で持つ部分なのだろう、ウレタンのような取っ手がつながる。
春樹が恐怖したのは、ウレタンの端から伸びるチューブだ。黒いゴムのチューブの先に、手で握って空気を送り込むポンプが付いている。昔ながらの血圧測定器に付いているポンプそっくりだった。
だれが見てもわかる。ゴムの棒を後ろの穴に入れ、その棒を内部で膨らますのだと。
「い、い……いや……!」
「お前に発言権はない」
春樹の背中に高岡が片足を乗せた。同じ人間にオットマンのように扱われ、抵抗する気持ちが一気に喪失した。
「怖がるくらいならあきらめろ。力を入れて泣きをみるのはお前だ」
高岡が小さなチューブを手に取る。軟膏が入っているようなチューブの蓋をあけ、春樹の尻を広げる。穴の入り口に直接チューブの先端が触れたようだった。少量のゼリー状のものが中に入る。高岡は入り口周辺にもそれを塗り広げ、ビニールの中身を出した。
春樹はうな垂れて目をとじた。ふたたび穴の入り口が広げられ、ローションが垂らされる。春樹の部屋のものよりも濃度があるようだ。尻の上部に手が置かれた。背中の上の足は下ろされていた。
「楽にしていろ」
棒そのものにもローションが塗られたのだろう、ぬるっとした異物が挿入された。
先が細くなっていないので入るときに若干の抵抗があったが、一度入れば後はじりじりと進んでくるだけだった。
何センチぐらい入ったのか。どのくらい膨らますのか。そんなことを考えると胃が痛くなった。
「向こうを向いて横になれ」
テレビがある方を向いて横たわった。床暖房がされているのか、全裸で床に寝ても寒くない。
ポンプを握る音がした。少しの間をおいて、中の棒が膨らむ。最初の状態の倍程度には膨張した気がする。入り口が張る感覚があるだけで、中は思っていたより苦しくなかった。内臓が圧迫される異物感は避けられないが、吐き気をもよおすほどではない。
パチン、と、金属音がした。ポンプとウレタンをつなぐチューブを金具でとじたのだろう。
「テレビでも見るか」
高岡が立ち上がった。手を洗い、冷蔵庫から水の入ったペットボトルを持ってくる。蓋をあけて春樹の目の前に置いた。
「好きに飲め。ただし飲みすぎは苦痛の原因になる」
「あ……りがとう、ございます」
夢とは違った。水ももらえないだろうと覚悟していたので、焔の気配はなかったが冷たさが心地よく、おいしかった。
春樹の体に、温もりのある布地がかけられた。高岡が着ていたジャケットだった。
「あのっ、汚れる……かも」
「俺の服だ。どうしようが俺の勝手だ」
高岡がソファの上にあるリモコンを取る。テレビがつけられた。
次々にチャンネルが替わり、コメディタッチの海外ドラマに合わせられた。
「お前はどういう番組が好きだ。テレビは好きか?」
「歌番組とか、こういう、楽に見れるドラマとかが好きです。テレビは……嫌いじゃない、という感じです」
「そうか。俺はテレビが好きだ」
煙草に火をつける音がした。チャンネルを替える素振りはない。春樹がこの手のドラマが好きだと言ったことを考慮しているのかと思い、高岡を仰ぎ見る。煙草をふかす高岡は、割合楽しそうに画面を見ていた。
「俺の家にはテレビがなかった。母親は家にいることが少なく、電気やガスがとめられることも多い。細い道を一本隔てて須堂の家があったので、食事どきを狙って遊びにいく。テレビを見せてもらうことが楽しみだった」
高岡の手がペットボトルに伸びる。ひと口飲んで元に戻された。
「見るのは野球中継が多かったな。チャンネル権は須堂の親父が握っていたから」
「う……っ」
いつの間にか、新たな空気が送り込まれていた。引きつれる痛みも多少あるが、圧迫感が嫌だ。
体は不快感を訴えるが、嫌いではないドラマと高岡の話で、少しだけだが気が紛れた。
高岡から「親父」という単語を聞くのも初めてだし、チャンネル権というものが新鮮に聞こえた。
春樹にとって、テレビは備え付けの家具だ。
物心ついたときにはもうあったし、最新型に買い換えられるのも早かった。今使っている液晶テレビも、それまで使っていたものがどこも悪くなっていないのに購入された。テレビを見る目的も、寂しさを紛らわせるのが主だった。
最初から身近にあり、番組を巡ってだれかと争うこともなく、何となくつけておく家具。
チューブをとめる金属音がした。我に返る。
「尿意はあるか? 用を足すなら今しかないぞ」
「いいえ」
途中から見ていた三十分ものの海外ドラマが終わった。
奇妙な感じだった。一泊旅行だと思っていたものが、こんなところに連れてこられた。
狂犬の巣の床で、あさましい姿で横になっている。その姿を隠すものは狂犬の服だ。
体に足を乗せられ、発言権はないと言われた。そんなことをされても、泣きたいとまでは思わない。
つらいのは、新田の声が聞けないことだ。携帯電話を持ってくることを禁じられた。
新田は今、何をしているのだろう。居間の座卓を家族と囲んでいるのかもしれない。夕飯のおかずは何だろう。新田の好きなハンバーグだといい。新田の家にもテレビのチャンネル権はあるのだろうか。
新田からの連絡を待っていたと、春樹は新田に訴えた。
いつまでたっても携帯電話を電源切れにさせている春樹に、新田は愛想を尽かすだろうか。
「修一……ごめんね」
涙が鼻の付け根を伝った。自分の後ろにどんな人物がいるのか、一瞬だが忘れてしまった。
春樹の鼻先にボックスティッシュが置かれる。
「泣くのは程々にしないと体に負担がかかる」
「は、はい」
春樹はティッシュで涙を拭いた。高岡がチャンネルを替える。旅番組になった。観光地を芸能人が紹介している。高岡も春樹も、画面をぼんやりと眺めるだけだ。
旅番組が終わり、テレビが消された。ジャケットが取り去られる。
高岡が春樹の前に片膝をついた。
「抱き上げる。暴れるな」
体の下にあるバスタオルごと抱き上げられた。小さいころならともかく、俗にいうお姫様抱っこなどされたことはない。
高岡がよろけたりすることはなかったが、落下の恐怖から高岡にしがみついた。
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