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第一話・焔 第一章・4
窓の外には小さな中庭があった。
アーチ状のポールにバラやツタが這い、常緑樹の葉を日光がきらめかせている。どの庭にもありそうな花木と草花が、新田の庭を思い出させた。柔らかそうな芝生とレンガ調に舗装された小道が、出ておいでと言っているようだった。
「あちらの扉から出られますよ」
服を入れた袋を渡された。店員に礼を言い、中庭につづく扉に向かう。そっと扉をあける。
どこにいたのか、高岡がそばに来た。袋の持ち手を取られる。
「庭に出ていいですか……?」
「好きにしろ」
レンガの小道をゆっくり歩く。草花が朝露を浴びた後の、独特の香りがする。土の匂いもした。
常緑樹が生い茂る庭はうっそうとしており、晴天の陽射しにベールをかけている。もしも霧が出たりしたら、空気が淡い緑色に染まりそうな庭だった。
二段になった小さな石垣に、春樹の目が吸い寄せられた。白いシバザクラが咲いている。
塀の手前、庭の隅にある小さな花の群れ。
校庭と同じだった。目立つところに咲かない、控えめな、それでいてたくましい花たちだ。
振り返る。店の外壁から細い格子状の屋根が出ていた。ツタが絡まった屋根は天然のひさしで、その下にベンチがある。春樹はベンチに座る高岡に近づいていった。
「来てください」
言うと同時に高岡の腕を引いていた。
何をしている、と、腹の底が叫ぶ。
今さら離すのもおかしいので、春樹は無言で高岡を引いたまま庭の隅に進んだ。
「シバザクラです。園芸クラブで、自分で初めて苗を植えました。僕が植えたものは、まだ咲いてません」
妙な物言いだった。勢いでここまで引っ張ってきたものの言うことがなく、仕方なく絞り出した言葉だった。
「咲くのが楽しみだな」
春樹は高岡を見た。「そうか」だけだと思っていたからだ。
「俺は何か変なことを言ったか」
苦笑した高岡が春樹の頭を小突く。春樹は、店の袋を提げて歩き出す高岡の前に出た。
「どうして。どうしてなんですか。ひどいことしたり、優しくしたり。こんなことされると、こんがらがります。いざというときに助けてくれるお店を教えてくれたり、僕が好きな筑前煮を用意してくれたり。ポケットの少ない服を、こんなにきれいな庭のあるお店で買ってくれた。それでも今度会えば、またひどいことをするんでしょう? 僕があんまり味噌っかすだから、頭にきて手を入れたりしたんでしょう?」
自分の言葉で苦しさが再現された。高岡に叱責されると出る涙が、頬を転がり落ちる。胸と胃の間が痛い。
自分で作った痛みに対処できない。それが恥ずかしくて、新しい涙が落ちる。
「か、考えろって、今は言わないでください。すごくこんがらがってて、無理です」
高岡が溜め息をついた。また叱責される。突き放される────────
手をとられた。性的な接触ではない。そのまま手を引かれ、たくさんのツタが絡まるポーチの裏に入った。
ふたりして隠れるような格好だった。
「使え」
高岡が胸ポケットからハンカチを出した。しゃくりあげる春樹は首を横に振る。高岡は子どものように顔をこする春樹の手を強引に下ろさせ、ハンカチで拭いてきた。滑らかな布地から高岡の香りがして、春樹は抵抗をやめた。
「俺はお前を味噌っかすだと言ったことがあるか」
「ない……です」
「お前の最も愚かなところは、自分を過小評価するところだ」
味噌っかすも犬呼ばわりも同じではないのか。高岡の評価の基準がわからない。
ハンカチを渡される。いくら拭いても涙はとまりそうになかった。
「先日も教えたはずだ。お前は自分の内面に構ってばかりで、同席した俺への礼を欠いた。だがお前は自分の欠点を悟り、俺にもチョコレートを勧めるほどに改善できた」
「だって……あれは、ヒントをくれたから」
「そんなものは関係ない。昨夜はヒントなどなかったが、俺にジャケットをかけただろう」
「う、あれ、あれは、あれ、は」
唇に、高岡の香りをつけられたときの感触がした。
そっと押し当てるだけのキス。習慣で目をとじても、涙は落ちてこなかった。
「春樹。お前を試着室に案内した店員をどう思う」
「え……や、優しそうな人です。花の香りが似合ってて……押し付けがましくなくて。でも僕の言いたいこと、すぐに察してくれました。あ、あの人が何?」
「彼は昔、お前と同じ商品だった」
春樹の手からハンカチが落ちた。芝生に着地した白い布を高岡が拾う。
「援助を受けながらではあるが、彼は身ひとつでこの店を手に入れた。お前に同じようになれとは言わん。彼には彼の、お前にはお前の人生がある。開店まで時間がある。彼の承諾もとってある。少し話してこい」
ツタの陰から店を見る。春樹が庭に出た扉をあけて、商品だったという店員が出てきた。手には洋風のトレイを持っており、飲み物が乗っていた。
高岡に背中を押された。店員は微笑み、こちらへどうぞと誘っている。
春樹は中庭の最奥に向かって歩いた。
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