Cufflinks
第一話・焔 第一章・4
狂犬は自分の寝床で、窓の方を向いて横になっていた。
クローゼットとベッドの間に折りたたみ式のライティングデスクがあり、やはり折りたたみのスツールがある。高岡は脱いだ衣類をすべてスツールに引っかけたようだ。春樹も自分にかけられたジャケットをそこに重ねる。人には衣類のたたみ方がなっていないと言いながら、自分は何なんだ。
フロアライトは消されていて、フットライトだけになっていた。春樹は静かにベッドに入った。入るとき、無意識に「失礼します」と言ってしまうのが情けない。
高岡は本当に眠っていた。二十代に見える顔で警戒するような目もとは変わりないが、寝息は本物だった。
最悪な就寝条件だ。眠れないのを覚悟した。今夜眠れなくても、あす、というか日付ではきょうだが、とにかく祝日だ。一睡もできなくても、大した問題ではない。
春樹はキキョウのハンドタオルを握った。とじた状態の携帯電話を見る。
高岡はどうして春樹の携帯電話を持ってきたのだろう。贖罪なのかもしれない。あの苦痛と恐怖への代償にしては安すぎるが、ホテル代も惜しむ男だ。何か期待するのが間違っている。
背後から聞こえる寝息のリズムが眠気を誘った。春樹のまぶたは、見えない重りで引き下ろされた。
テレビの音がする。
このシチュエーションは経験済みだ。高岡に初めて抱かれた日の翌朝と同じだ。
がば、とは起きなかった。昨夜の仕打ちによるダメージが怖い。大人の男の手を入れられ、犯されたのだ。
体は傷付けないと狂犬は言っていたが、素直に信じるほどばかではない。
そっと起きて横座りになる。トランクスの上からそこに触れても、変化は感じられなかった。手で直接触ってみる。自分が知っている形状のままだった。きちんととじている。傷もないようだ。滲むものもない。痛みもわずかであった。
春樹の唇の端が上がった。T大に合格したのに、こんなことの研究ばかりしていたのか。親もさぞ嘆いたことだろう。
ハンドタオルと携帯電話を持った。寒くはなかったが高岡のジャケットを羽織る。寝室の扉をあけた。
「お早うございます」
キッチンカウンターで新聞を広げていた高岡がこちらを見た。
仕立ての良さそうなワイシャツとスラックス。服装だけはサラリーマンと変わらない。
「よく眠れたか。痛みはどうだ」
「眠れました。痛みは鈍い痛みが、少しだけです」
「そうか。朝食を食べたら服を買いにいくぞ」
「……僕が一緒に行って、役に立ちますか?」
何を言っている、という顔で高岡が新聞をたたむ。
「高岡さんに似合う服なんて、僕にはわかりません」
高岡が膝を手で打って笑った。今までで一番明るい笑い声だった。
「買うのはお前の服だ。俺はドケチなひとでなしだが、それくらいの金は出せる」
春樹の顔から血が引いた。「ドケチ」も「ひとでなし」も、昨夜拷問部屋で後片付けをしたときに、大声で高岡を罵った言葉だったからだ。
「ぼ、防音室だって」
「上下と隣室に聞こえにくいようにしてあるだけだ。何しろケチだからな」
笑いながら高岡がスツールから下りる。丸めた新聞で肩を叩きながらソファに向かう。春樹は走って洗面所に入った。
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