Cufflinks
第一話・焔 第一章・4
「新田からの贈り物はこれでよかったか」
高岡がキキョウのハンドタオルを広げた。春樹は小さく「はい」とだけ答える。
大切なハンドタオルが、春樹の右手に握らされた。キキョウの刺繍が春樹に見えるようになっている。
「春樹。お前はだれのために体を売る?」
「修一のためです」
高岡は意外そうな顔をした。唇の端が上がる。
「言葉に詰まるかと思ったが。見所があるな」
高岡が右手に薄い手袋をはめる。肌がほんのり透ける程度に薄いものだ。
ベッドの四隅を囲っていた柵の一辺、春樹の足側にあるものが音をたてた。柵を固定するロックが外され、垂直に下ろされたのだ。高岡が大小ふたつのチューブを手に、ベッドに上がる。穴に入っているものに手が添えられた。
「ゆっくり出していく。内臓が引きずり出されそうな気がするだろうが、体は傷付けない。約束する」
「うっ……あ!」
小さくしてから出すものと思っていた。高岡は手袋をはめた手で入り口の周囲を揉みほぐしながら、膨らんだゴムの棒を静かに引き抜いていく。
「い、た! 痛い!」
「体を反らせるな。背中をベッドに沈めるようにイメージして息を吐け」
「うう……っ!」
本当に内臓が出そうだった。怖い。骨盤への響きが尋常ではない。強烈な吐き気もある。
「痛……い。怖い。き、気持ち悪い」
「この部屋は防音室だ。叫びたければ叫んでいい。吐くなら横を向いて吐け」
冷や汗だけではない。脂汗も滲んできた。呼吸など構っていられる状態ではない。
背中がどうの、息がどうのと言われても、今回ばかりはどうにもならない。
やめてと叫ぼうとしたら、異物がすべて出た感覚がした。大きく息をつく。
何もなくなったばかりの入り口に、冷たいゼリーが注入された。ゴムの棒を入れるときに使ったものに違いない。同じようにローションも入る。
今度は何を入れるつもりだ。
目隠しを希望すればよかったと、激しく後悔した。
高岡は手袋をした手にローションを垂らしていた。手首までたっぷりとかけている。
「やめ、やめて! 何するの?!」
「自分の右手にあるものを見ていろ」
「やめて……!! 無理ですそんな、入るわけない!!」
「だれもがそう思う」
指が二本入れられた。恐怖にかられ、腕を強く引く。
腕を上げれば鎖が外れるだろうと頭ではわかっているのに、体がいうことをきかない。
「いやだっ! いや、いやだ! 助けて! 許して!!」
下腹部があたたかくなった。高岡の左手が春樹の下腹を押さえている。
顔面蒼白であろう春樹の顔を見て「沈め」と言った。
「沈め、深く。背中をベッドに押し付けろ。口をあけて息を吐け」
「無理です!! こんなの無理、絶対無理!! もうやめてっ!!」
とうとう落涙した。指が三本入っているのがわかる。直径何センチになったのかわからないが、相当太くなっていたゴムの棒を抜かれた直後の挿入で、実際痛みはほとんどない。痛みはないが、今までに感じたことのない恐怖が襲う。
「いやだ、怖いよ……修一……!」
下腹から手が離れた。頬をつかまれて右を向かされる。新田にもらったハンドタオルが視界に入る。
「新田のことだけ考えていろ」
「しゅう、いち……アアッ!!」
指が四本になり、鎖が何度も鳴った。高岡の左手がふたたび下腹部を押さえる。反射で呼気が出て、背中がベッドを押した。沈むイメージというものが少しわかった。
高岡にも春樹の小さな把握が伝わったのか、春樹が息を吐くタイミングに合わせて下腹部を軽く押してくる。
体を拘束している金属の音が、徐々に小さくなった。
「うう、あ! いた……いぃ……っ!!」
四本だった指に親指が添えられた。鎖が大きな音をたてる。
内臓が押されるという、はっきりしない感覚ではない。もっと明確な重圧がかかる。
体が中から壊されるのではないか、メリメリと裂けてしまうのではないかという、強い恐怖がよみがえる。
「やめてお願い! もういや……怖い……!」
「その刺繍はキキョウか」
下腹を押さえる高岡が訊く。春樹は自分が握りしめているハンドタオルを見た。
とまらない涙のために、花が大きく揺れている。
「……かわ、変わらぬ……愛」
侵略する手が一瞬とまった。ような気がした。
「キキョウの、花言葉……ううッ!! 修一、修一! たすけて────!!」
穴の入り口が、人の手首らしき形状を感知した。高岡の左手が腹を撫でる。
「一番きついところは過ぎた。後は抜くだけだ。これが終われば新田と話せる」
「修一と……話せる……」
「嘘は言わない。もう少しだ、耐えろ」
「修一と、話せ……る」
「好きなだけ話していい。ベッドに沈め。息を吐け」
修一、と繰り返しながら呼吸をした。
内蔵が抜かれる感じも、骨盤が破壊されそうなきしみもある。
だがそれも新田の名を呼び、高岡に押されるまま沈むうちに、潮が引くように遠ざかっていった。
次のページへ