Cufflinks

第一話・焔 第一章・3


「今のはなかなか良かった」
 高岡が春樹の指からコンドームを取り、ティッシュと共に捨てた。導かれるまま体を仰向けにする。高岡の腕を強くつかんだ。焼け始めた喉が痛い。
「欲しい……高岡さんの、が」
 春樹は子どもがするように高岡の腕を引いた。
「も、もう火がついてる。入れてっ、早く!」
「腰を上げろ」
 高岡の言っていることがわからない。自分の言うことはもっと不明瞭だ。
 他人の手が腰に触れた。腰が持ち上げられる。枕のようなものが腰の下に入る。
 欲しい。男の、雄の硬いものが欲しい。早く欲しい。
 命じられたのかどうかわからないが、春樹は脚をひらいていた。
 目をとじても闇はなく、オレンジ色の光が点滅していた。目をあける。見慣れたはずの寝室がおかしい。天井のシーリングライトが歪んでいる。カーテンがはためいている。窓はしまっているはずだ。自分の上にいる男にも見覚えがない。
 何も聞こえない。本物の炎が燃え盛るときのような、ごうごうという音しかしない。

  早く入れて。早くここから救い出して──

 入れてお願い! という大きな声がした。雄の棒が入ってきた。待っていた感触に体がのけぞる。脊椎が見えない炎で舐められ、熱さは耐えがたいものになった。
「熱……い……! たすけ、助けて!」
 目尻から涙がこぼれた。痛みはほんの少ししかない。体が、この男とは初めてではないと告げている。力ずくの行為でもない。知らない男に犯されているのではない。
 それでは、この恐怖は何だ。

  焼き殺される。

 得体の知れない炎に巻かれて、自分ではなくなる。触れている男の体温もわからない。
 いつの間にかすすり泣いていた。男は激しく動いているわけではない。体は理解しているのに、脳が間違った変換をしていた。炎の鎖で自由を奪われ、果てることのない罰を与えられている。許してと言おうとすると、余計なことを言うな、楽しませろ、という声がする。
 自分がどんな姿で何をされているのかわからない。男の腕に爪を立てる。首を反らせて息をつめる。呼吸をすると喉が焼かれると経験で知っていた。男の手が頬を軽く叩く。口をあけさせられ、熱風がなだれ込んできた。
 男が何か言っている。よく聞こえない。口をとじる。少し強く頬を張られた。
「息をしろ。気を失いたいのか」
 聞き覚えのある声がした。男らしい、少し低い声。この声の主は、確か──
「……香りを……嗅がせて……」
 男が自分の首筋を春樹の顔に近づけてきた。春樹は男の耳の下を嗅いだ。少ししかひらかなかった目が、大きくひらく。男の顔を見る。
「高岡さん……だったんだ……」
 高岡がこちらを見据えて動き始めた。春樹はいきむような声を出して呼吸をとめる。
「春樹。俺の名を呼べ」
「ど……して」
「どうしてもだ」
 高岡さん、と、呼気に乗せて口にした。名を呼ぶためには息を吐かなくてはならない。吐くためには吸う必要がある。
 何度か呼ぶうちに、頭を包んでいた炎の音が小さくなった。呼吸をしているので喉は痛い。それでも錯覚の世界でもがくより、混乱が解かれることのほうが救いだった。
 高岡が春樹の腰を抱えた。枕を少し上にずらし、春樹の脚の下に自分の膝を入れてくる。結合が深くなる予感がした。
「あ! 入れて、奥……もっと、もっと奥」
 男の棒が奥に入るとき、一番弱いところを強くえぐっていく。それがわかっていたから春樹は要求を伝えた。達することができればこの熱さも終わりだ。
 希望に応えたくないのか、高岡は少しずつしか入ってこない。早く引き込もうと動く春樹の腰が平手で叩かれた。
「入れて……入れてよ……!」
「電話を取れ」
 高岡が前髪をかき上げながら言った。春樹は高岡の携帯電話を取った。手渡そうとする前に取り上げられる。高岡はそのまま片手で電話をひらき、あろうことか電話をかけた。呼び出し音が春樹の耳にも届く。
 相手が電話に出た直後、高岡が腰を動かした。春樹は両手で口を押さえた。
「仕事中に悪い。俺だ。こちらも仕事だが頼みがある。ハンズフリーなら解除しろ」
 電話の相手は声の大きい人物だった。命令すんな、とか、お前の仕事はいいよなあ、という言葉が丸々聞こえる。
 会話の間も高岡は動き続けた。先ほどとはうって変わって逃げ腰の春樹を押さえ込み、浅く深く自慢の商売道具を抜き差しする。春樹は何度も頭を横に振った。
「お前のストライクゾーンからは若い。十六だ。違う、商品だ」
 嫌な予感がした。高岡の顔には笑みが浮かんでいる。
「ご挨拶をしなさい」
 高岡は春樹の両手首を片手で持ち、携帯電話を突き付けてきた。
「しっかり持ってこう言えばいい。『丹羽春樹です。声を聞いてください』わかったか」
 わかるも何もない。春樹は左手で携帯電話を、右手で体の下の枕をつかんだ。案の定、高岡が春樹を追い上げるように動き出す。
「や、め……に、丹羽、春樹です。こえ、声を……きいてっ」
 突き上げてほしいときに何もせず、こんなときには弱いところを攻めてくる。春樹がいくら目で訴えても、解放される雰囲気はない。
「もうやめて……! そこだめ、あっだめ! やめ、やめて!」
 声は聞かせた。歯を喰いしばる。電話の向こうで咳払いの音がした。
「あー、わかった。乗っかってる変態に代われ」
 春樹は高岡に電話を差し戻した。
「このとおりの仔犬だが、どうだ。……そうか、わかった。悪いな」
 高岡が電話を切った。枕が取り去られ、脚がさらに広げられる。春樹は夢中でシーツを引っかいた。
「高岡さん、助けて! ここから救って!」
 何の返答もなく、高岡が一番深いところまで入ってきた。自分の歯の間から漏れる乾いた悲鳴を、春樹は意識を保ったまま聞いた。
 二、三度強く突かれ、体の奥で猛々しいものが終息した感覚がした。高岡の体が離れる。初めて知った、高岡の終わりだった。わずかに乱れた呼吸も、中から去っていく感触も、三度目にしてようやく認識した。
「俺はお前を救えない」
 後始末をしながら高岡が言った。ファンヒーターをつけ、全裸のまま寝室を出ていく。戻ってきた高岡の手には水の入ったコップがあった。春樹が一気に飲み干すと、コップを持ってまた寝室を出る。二杯目の水はコップに少し残った。
「僕が……焔持ちだからですか? おかしな体だから?」
 高岡が人差し指を自分の頭の横でくるくると回す。
「足りないところはここだと言ったはずだが。少しは考えたらどうだ」
「待って! 何でいつもそうなんですか? 考えろ考えろって。お金もらって僕を躾けてるんですよね。教えてくれないとわかりません!」
 言ってしまってから頭を手で覆った。ただの鉄拳制裁で済む相手ではないのに。
 寝室を出ていこうとしていた高岡が、扉にもたれて春樹を見る。春樹は大慌てで毛布に潜り込んだ。「仔犬ちゃん」という声が聞こえた。春樹が毛布から顔だけを出す。
「腹は減っていないか」
「……あんまり減ってません」
「そうか。俺は減っている」
 高岡がベッドの上から携帯電話を取る。春樹は亀の甲羅のように毛布を被った。
「今のお前に足りないものを教える。食べながら教えるので外出の支度をしなさい」
 それだけ言うと、高岡は携帯電話をひらいた。春樹を手で追い払う仕草をする。
 こんなとき、だれの家だなどと思うのは危険だ。春樹は素直に寝室を出た。


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