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第一話・焔 第一章・3


「高岡さん、怒らないでくださいね。問い返しをしますけど」
「すがすがしい予防線だな。何だ」
「僕と一緒に食事してて、楽しいですか?」
 口もとを拭く高岡の眉が上がった。
「正直なところを聞きたいか?」
「う、はい」
 高岡がナプキンを置く。荒々しい所作ではなかった。
「あまり楽しくはない。理由が知りたいか」
「はい」
「俺のことを気にかけないからだ」
 春樹は面食らった。たったひとつの質問に答えられないうえ、肉を切らせる春樹を疎ましく思うならわかる。そのために楽しくないのではないかと春樹は考えたのだ。
「もうわかったと思うが、この店はカジュアル店だ。俺はここをよく使う。料理も気に入っている。お前はここをどう思う」
「いいお店だと思います。ナイフやフォークもずらっと並んでないし、料理、おいしかったです。お腹いっぱいになりました。あの……ありがとうございます」
「何故それを食べているときに言わない」
 言葉を失った。
 高岡がよく使う店ではないかと、薄々わかっていた。料理はどれも真実おいしかった。
 質問の答えがわからない。人前で頬をつねられて頭を叩かれた。食べにくい骨付き肉を出させるなんて。そもそも狂犬といるのが嫌だ──
 すべて春樹の都合だ。相手が高岡なら心など要らないと思っていた。

  これが客なら──?

「僕の客……お客様は、自分の都合だけで食事する店を決めるのかな」
 ひとり言になってしまい、春樹は口を手で押さえた。
「続けなさい。おかしいと思うことでも言ってみろ。質問でもいい」
「はい……高岡さんは、最初から今夜はここで食事をするつもりだったんですか?」
「特に決めていなかった」
「僕に食事のマナーを教え込むつもりはないんですよね? どうしてここにしたんですか? 食事がおいしいから? 僕でも入りやすい店だから?」
「マナーを教え込む気はない。味の良さと入りやすさ、両方だ」
「それはつまり、僕のためですか」
「そうだ」
 春樹の席にホットミルクティーが運ばれる。春樹は口をあけて高岡を見た。
「……僕、紅茶はミルクティーが好きです」
「そうか。よかったな」
「どうしてわかったんですか……?」
 高岡は何も入れないホットコーヒーを飲んだ。伏せていた目をあける。
「勘だ」
 春樹はカップを持った。ミルクティーの湯気の向こうにいるのは高岡だ。風変わりな男。風変わりではあるが、春樹を見ている。注意深く。
 考えろ。十六歳の少年を買おうとする客でも、相手は人だ。感情があるのだ。
「僕がお客様なら、今の僕は一度で結構と思います」カップを置いて高岡の顔を見る。
「今の僕はどこに行っても同じです。食事のマナーが問われるような店でも、そうでなくても。自分のことに手一杯で、すぐに下を向く。会話もしない。外食じゃなくてホテルの部屋なんかでも、そう変わらないと思います」
「珍しく正しい見解だな」
「肉が上手に切れなくても、少しは食べることができたはずです。食べて、おいしいって言うこともできた。羊の肉は初めて食べたけど、おいしかったです。本当に。食事のマナーは人に対しての礼儀ですよね。僕は高岡さんに失礼なことをしました。相手がお客様だったら大きな失態です。失態の結果お客様を失って今の生活が維持できなくなっても、お客様に向き合おうとしない僕が悪い。これが、質問に対する僕の答えです」
 コーヒーカップを置く音がした。春樹はびくりとしたが、下は向かないようにした。
「おおむね合っている。仔犬ちゃんにしてはよく考えた。褒美をやろう」
 高岡が給仕人を見る。木製のジュエリーケースのようなものと、革製のレシートホルダーを持った給仕人がテーブルの脇に立った。
 木箱の中はさいの目で区切られており、ひとつの区切りにひとつずつチョコレートが入っている。どれもバレンタイン商戦のときに見るような、高価そうなものだった。
「好きなものをひとつ選びなさい。ケーキと同様に嫌いなら下げていただくが」
 高岡は言い、ホルダー内の勘定書きにクレジットカードを重ねた。二つ折りのホルダーをとじてテーブルに置く高岡を、春樹は凝視した。
(こいつ……この狂犬、僕がケーキを嫌いだと覚えてる)
「どうした。要らないか」
「い、いただきます」
 春樹はチョコレートをひとつ選び、またしても高岡を見た。
「高岡さんはどれがいいですか?」
 高岡が水の入ったグラスを取り落としかける。給仕人は春樹に対しても高岡に対しても瞠目した。春樹の顔が熱くなった。下を向きかけるが、だめだとかぶりを振る。
「すみません。僕、おかしなこと言ったみたいです。取り消します」
「取り消さなくていい。たまにはいただこう」
 高岡がチョコレートを選ぶ。先に置かれていた小さな皿の上に、チョコレートがふたつ並んだ。春樹は自分が選んだチョコレートを口に入れた。苦味と甘味とわずかな洋酒の香りが、口中で解けていく。すべてが喉を滑り落ちていった後、言葉が勝手に出ていた。
「おいしい……」
「それは何より」
「あの、ごめんなさい。よく来るお店で変なこと言って。高岡さんはシャーベットも頼んでなかったし、甘いもの要らないんだってすぐわかるのに……」
「気にするな。カジュアル店ではこういったサービスはあまりない。オーナーの趣味で取り入れている。何故だかわかるか」
 春樹はいいえ、と言いながら椅子に少し深く座った。考えることを放棄したわけではないが、チョコレートの甘さで緊張がほぐれてしまった。
「今の仔犬ちゃんのような顔が見たいからだそうだ」
 春樹は窓を見た。ガラスの板に映る卵型の顔が、ぽうっとしている。両手で頬を覆う。何というか、いつも以上に女顔だ。丸い目の目尻がゆるんでいる。唇もぽってりしていた。生まれつき上がっている口角と相まって、女の子が笑っているような表情だった。濃い栗色の髪も適度に厚みのある直毛のため、幼い印象にさせている。
「お前は外見を含め、体には何ひとつ異常はない。特別でもない」
「でも……自分じゃないみたいになります。焔が……」
「今言ったはずだ。特別ではない。あすだが、学校は半日で終わるはずだな」
 春樹は眉を寄せて高岡を見た。高岡は以前、春樹の時間割を確認している。だが、あすの半日授業は春樹もこの間の金曜に知ったばかりだ。
 何を言いたいのか察したのだろう、高岡が言葉を続けた。
「先日新田が落としたプリントに書いてあったと思うが」
 高岡の速読力と記憶力を忘れていた。


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