Cufflinks

第一話・焔 第一章・2


「高岡さ……ごめんなさい!」
「動くな」
 春樹の背の、傷がない箇所に高岡の手が添えられる。
 縁から下ろしていた両脚を抱えられ、体の向きが反転した。湯の張られた浴槽に体が入る。傷にしみたので片目をとじた。
「我慢しろ。目は覚めたか」
「はっ、はい」
 高岡はひとり、浴室から出た。浴室の扉をしめずに体を拭く。
 凶暴な男の体が、脱衣所の窓から入る西日の中に浮き上がった。
 彫像のような体だ。
 隠されていた筋肉の陰影が、オレンジ色の光で明瞭になる。
 春樹は高岡の肉体美と共に、その所作に驚いた。
 上から下へ。同じところは二度と拭かない。無駄のない、それでいて無機質ではない動きだった。
 頑健なだけだと思っていた体は、柔軟さも備えている。
 服を身に着け、髪を整えた高岡が春樹を振り返った。春樹が脱いだズボン持ち上げ、こちらに見せる。
「衣類のたたみ方がなっていない」
「……すみません」
 知らず、見惚れた自分がばかに思えた。
 高岡は一度脱衣所を出たが、すぐに戻ってきた。廊下に脱いだ春樹の制服を持ってきたのだ。春樹は浴槽に身を隠す。
「長湯もよくない。出たくなったら出ろ」
「は、はい」
「話の続きをする。あまり時間がない。黙って聞くように」
 高岡が春樹の衣類を一枚ずつ手に取る。前立てや背中心、袖をパンと張る。しわを伸ばしているようだった。ブレザーをハンガーにかけ、シャツは平だたみにしていく。
「客についてしばらく経つと、親しい客を紹介したいと打診されることがある。少しでもおかしいと感じたら、だれかに相談しろ。無論、相談相手も無条件に信じてはいけない」
 高岡は下着にも手を出した。無表情のまま、手際よくたたんでいく。
「用心を重ねても罠にかかることはある。自力で逃げ帰るためには現金も必要だが、隠し持ってもこのように衣類に触れられたらすぐにわかる。靴の中を見る客もいる」
 靴の中も見る……。
 春樹の背を寒いものが走った。乗り出していた体を湯に沈める。水音がたち、高岡がこちらを見る。
「身ぐるみ剥がされたら恥は捨てろ。裸で街中を走っても灸を据えられるだけだ。大怪我をしたり命を落とすよりはいい」
「命を落とす?!」
 高岡が腕組みをする。春樹は青くなった。
「ごめんなさい。もうしゃべりません」
「寒くなければそろそろ出ろ」
「はい」
 ぎくしゃくと浴槽から出る。高岡の目の前で体を拭くのは気恥ずかしかった。無駄のない所作を見たあとだ。適当に拭いて、バスローブを着た。
 高岡が鞭を手に取る。春樹は頭を抱えて目をつぶった。
「仔犬ちゃん。脚をひらけ」
「い、いや」
「脚をひらけ」
 春樹は蚊の鳴くような声ではいと言い、脚をひらいた。
「今ひとつ色気がない。バスローブの裾を広げて、太腿の内側が見えるようにしろ」
「はい……」
 何が気に障ったのだろうか。
 ここで考えることは危険だ。春樹は言うとおりにした。
「肌のきめは悪くない。外見でこれといった欠点はない」
 鞭の先端が、くるぶしの内側から膝の裏、膝頭、太腿の内側へと上がっていく。
 何度か往復しただけなのに、春樹は息があがりかけた。
「感度も悪くない。となると」
 春樹の頭部に鞭が置かれた。一度離れたので、春樹は身をすくめた。
「足らないのは、やはりここか」
 鞭でぺしぺしと頭をはたかれた。
「仔犬ちゃん。上着のポケットを見てみろ」
「えっ、はいっ」
 春樹は制服のブレザーのポケットに手を入れた。
 左のポケットには何も入っていない。
 右には──
 取り出して広げたものは、一枚の一万円札だった。
 高岡の冷ややかな視線が突き刺さる。違う、と、かぶりを振った。
「ちがう、違います。僕じゃない!」
「それを悪意ある客の前で言えるか」
 春樹は悟った。
 高岡が何を言おうとしているのか。
 自分がどういう世界に足を踏み入れようとしているのか。
 脱衣所の床に膝をつく。涙を抑えるため、唇を噛んだ。
「噛むな。そこも商売道具だ」
 噛みやまない春樹の頬を、高岡がつかむ。
 唇を舐められた。歯で切れたのか、わずかにしみた。
 血がとまるまで、高岡は春樹の唇を舐め続けた。


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