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第一話・焔 第一章・2
二日後の木曜日。春樹は駅ビルの、時計台の前にいた。
放課後にここで会おうと、新田からのメールがあったためだ。
人の往来を見る。もうきてもいいころだ。
携帯電話が震えた。着信を知らせている。
画面上を「T」の文字がスクロールしていく。
出なければ。
腹を括り、通話ボタンを押す寸前だった。
「丹羽! 待ったか?」
新田が走ってくる。春樹は電源ボタンを押した。
「全然待ってません。早かったですね。無理したんじゃないですか」
「無理なんかしてない。コピー機が頑張ってくれただけだ」
新田が片目をつぶってみせる。クラス委員でもある新田は、何かと雑用が多い。補習用プリントの手配などをするためだ。
「お前が言ってた店、東口のだろ。割引券持ってる奴がいたから、分けてもらった」
「先輩、きょうも二個食べるの?」
「どうかな」
爽やかな笑顔につられて、春樹は新田の袖をつかんだ。
手をつなぎたい。
節操のない願望に気づき、慌てて手を引っ込める。
「手、つなぐか」
新田が前を見たまま言った。
さ迷う春樹の手が、あっという間にさらわれた。
「せんぱ……」
「別に、おかしくないだろ」
おかしくないわけがない。
人通りの多い駅ビルで、ここは一番人気の待ち合わせスポットだ。
男同士で手をつなぐふたりが、目につかないはずがない。
「だめ。誤解される。修一が」
「されてもいい」
新田は春樹を引っ張るように歩いた。
百六十センチに満たない春樹と、百七十二センチの新田が往来を突っ切る。
人の目が、ふたりの歩みに合わせて動くようだった。
「だめ、だめ。修一。新田先輩」
春樹の抗議は受け入れられなかった。
ハンバーガーショップは盛況だった。春樹は耳まで熱くなっていた。
「どれにする?」
店員が持ってきたメニューを見る段になり、ようやく手が自由になった。
ここはチェーン店ではないらしい。通常の飲食店同様、水とおしぼりが置かれた。
「わ、割引券使えるので、酸っぱいの入ってないのが、いい、です」
新田とつないだ手も、そうじゃない手も震えている。水も飲めなかった。
「酸っぱいの? ピクルス?」
春樹はこくこくとうなずいた。新田が微笑む。
新田が店員を呼び、ピクルス抜きのプレーンバーガーを注文してくれた。
アイスティーをミルクティーで、とも言った。
「お前レモンティーも、ストレートティーも好きじゃないだろ」
「え……どうして」
「学食でお前の顔ばかり見てるわけじゃないんだぞ」
春樹の顔が、ますます熱くなった。
(修一を好きになってよかった)
水が喉を通るころには、おいしそうな湯気をたてたプレーンバーガーが運ばれた。ほとんどの工程を手作りでしているというだけあり、味はとても良かった。
「うまいな」
「はい」
「お前のひと口くれよ」
「……じゃ、先輩のも」
「だーめ。俺の、ピクルス入りだから」
「ずるい!」
笑った春樹の口もとを、新田の親指が拭った。
指についたケチャップを舐める。
「だれもいなかったら、そのまま舐めてた」
新田が静かに言った。真っ直ぐこちらを見る。
春樹の言葉を、あの日の続きを待っているのだ。
高岡にすべてを奪われた日に、新田としたかったこと──
体に触れて、キスをもっと重ねて、ひとつになるはずだった。新田と。
きょう、一緒に帰りたい。
体の奥深くがくすぶりだした。新田も食べる手をとめている。
携帯電話が、震えた。
「ごめんね修一! ちょっと待ってて。すぐくるから」
春樹は店外に出た。柱の影で尻ポケットを探る。
携帯電話の画面をスクロールする文字は、やはり「T」だった。
「……何ですか」
「電話を折り返すの意味がわからないのか」
当然だが、高岡の声だった。
「ごめんなさい。電波がよくないみたいで……」
「そうか? ここはよく通っているが。店内は違うのかもな」
息をのんだ。
これは超能力でも何でもない。四方八方に目をやる。
時計台の脇に、長身の、ラフなスーツを着た男がいた。
切れ長の大きな目の光が、ここからでも見えるようだった。
春樹は一度、店内の新田を見た。あの凶暴な男を知られたくない。
新田が見ているのは春樹だけだった。春樹の様子に異変を感じたのか、眉を寄せて心配そうな顔をしている。春樹は新田に背を向けた。
「仔犬ちゃん。残念だがデートはおあずけだ」
「さ、最初から見てたんですか。見てて、修一と会う直前に電話したんですか」
「その質問は仕事に必要か?」
春樹は言葉を失った。高岡の声には、笑みなど含まれていなかった。
「返事を」
「必要じゃ、ないです」
「部屋で待っている。すぐに帰宅するように」
「はい……あのっ、竹下さんがいるかもしれません」
「部屋にはすでに電話をしてある。家政婦がいないのは確認済みだ」
電話が切れた。
春樹は震える手で携帯電話をとじた。
(また、あの男に奪われる)
すべてを。唇も、体も、声も、意識も。
店内に入る前にもう一度時計台の脇を見た。高岡の姿は消えていた。
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