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第一話・焔 第一章・2


 用具倉庫に来てほしい。
 メールの文面はそれだけだった。
 春樹は用具倉庫の前で立ちつくした。
 会いたい。話がしたい。抱きしめてほしい。そう思うのに、足がすくんで動けない。
 もう、きのうまでの自分ではないのだ。
 何かが決定的に変わってしまった。
 きょう一日振り切れずにいる、体の芯でくすぶるこれは────疼きだ。
 高岡という男に、たやすく開拓された感覚だ。排泄するためのところを探られ、攻められ、唇をもて遊ばれた。それだけの行為に、自我が崩壊するような快楽を感じた。
 意識を手放す直前に聞いた、高岡の少しかすれた声。

 『焔持ちか』

 あれが意味のある言葉なのかもわからないまま、朝を迎えた。
(会えないよ……修一)
 春樹は用具倉庫の前でしゃがみ込んだ。視界の端に入る花が、風のせいだけではなくて揺れている。
 用具倉庫の扉がひらいた。新田が目を丸くしている。
「丹羽……? 春樹!」
 だめ、と言おうとした。
 触れてはだめ。汚れるから。
 新田の抱擁が春樹の言葉に勝った。
「春樹、どうしたんだ。体熱いぞ。保健室行こう!」
「……いや」
「何がいやだ。すごく熱……!」
 新田の言葉は、春樹の唇でさえぎられた。勢いに押された新田が尻餅をつく。
 広い校庭の向こうでは、部活動をしている生徒が何人もいた。
(見られればいい。修一を汚すくらいなら、一緒にいないほうがいい)
 新田から唇と体を離す。
 不躾で身勝手な行為に、簡単に解放されると思った。
 だが、新田の手は春樹を逃しはしなかった。
「許さない」新田が低い声で言った。
「俺がお前を好きだって知ってて、いきなりこんなキスでごまかすな」
「修一……」
「手、引っ張れ。先輩の命令だ」
 新田が微笑む。春樹の手につかまり、体を起こす。
「中に入れ。話そう」
 春樹は促されるまま用具倉庫に入った。いつもの土の匂いがする。未使用のプランターなどを置く棚板が、きれいに拭かれてあった。ふたりで腰を下ろす。
「熱があるんじゃないのか。体調が悪いなら正直に言ってくれ」
「この熱は……病気じゃない」
「気持ち乱したのは、俺のせいか」
「ちが、う」
 春樹の頭が、新田の胸に抱かれた。
 ふたりはしばらくの間、何も言わずにそうしていた。
「きのうは悪かった」
 新田の胸に耳をつけたまま聞いた声は、少し震えていた。
 春樹が顔を上げ、首を横に振る。
「悪いなんて言わないで」
 春樹は新田の目の奥を見た。
 新田の聡明な瞳に、影があるように思う。
 新田にすべてを話したらどうなるだろう。
 父のこと。新田と長く過ごすためには、体を売らなくてはならないこと。
 新田なら間違いなく、春樹が保護されるよう奮闘するだろう。学校や警察や新田の両親などを総動員して、春樹を救うに違いない。その過程でふたりの関係を知られ、揶揄されたとしても。
(だめだ。できない)
 新田に知られるのは怖い。
 怖いが、それ以上に、新田の澄んだ瞳に影など作ってほしくなかった。
 自分のような者のために、心を煩わせてほしくない。


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