Cufflinks
第一話・焔 第一章・2
「社から連絡があった」
「え……」
「再来週あたりから、お前に少しずつ客をつけたいそうだ」
「そんな……まっ、て」
高岡が春樹を見下ろしている。この男本来の、危険な兆候を感じた。
高岡に背を向けて逃げようとした。難なくつかまる。アンダーシャツごとめくりあげられる。下もズボンと下着を一緒に下ろされた。
「いやだ! 無理やりはいやです! いやだ、いやだっ!」
手足をばたつかせる。ソファのアーム部分にしがみつく。
「春樹。薬箱はあるか」
「あり、あります」
「どこだ」
「テレビボードの中です。ガラスの扉の内側……」
高岡は春樹の体から手を離し、テレビボードのガラス戸をあけた。薬箱の中を物色している。てっきり家捜しをしてこの部屋の様子を知っているかと思っていたが、どうやらそうではないらしい。ソファからもよく見える薬箱に気付かないとは。
ますます高岡という男がわからなくなった。
「じっとしていろ」
傷薬の軟膏を指に取った高岡が、春樹の背中を押さえつけた。
(やられる……!)
尻に力を入れていたが、触れた感触がしたのは背中だけだった。
きのう脱衣所で鞭打ちされたところに軟膏が塗られる。絆創膏が貼られた。
「ここは無事か? 出血はなかったか」
高岡が春樹の尻たぶをぺちんと叩いた。
「大丈夫、です。出血もしてません」
偽りではない。念のためと渡された座薬も使わなかった。眠りにつくころには、痛みもひいていたのだ。
高岡は先ほどと同じように、素っ気ない態度で玄関に向かった。
玄関の壁にもたれ、煙草を一本取り出す。
「今のお前を客の前に出すのは我慢ならん」
煙草に火をつけるでもなく、口にくわえたままだ。睨むように春樹を見る。
「……ごめんなさい……」
言われなくてもわかっている。高岡は恥をかかされるのがいやなのだ。危機管理能力のキの字もないために罰を余計に受け、自分を縛る材料として荷造りテープを用意するような、間抜けな男娼を育てたと思われたくないのだ。
「ごめんなさい……気をつけます」
「簡単に謝るくらいなら努力をしろ」
「は……」
はい、が、最後まで言えなかった。
何の涙かわからないが、次から次へと目から液体が落ちていく。
胸が、というか、胸と腹の間が絞られるような──この感覚は……。
高岡に初めて抱かれた日の翌日。高岡の車の助手席で、自分の間抜けさを叱責されたときのものだ。
「……う、ひっく」
涙も拭わずに高岡を見る。
春樹はソファを離れた。ふらふらと、吸い寄せられるように高岡に近づいていく。
「ごめ、ごめんなさい。ごめんなさい」
高岡の二の腕をつかんだ。両手でつかみ、自分のシャツの袖で涙を拭く。
理由などわからない。わからないが、つかんだ手を離せなかった。
「挨拶が違う」
問い返す間も与えられず、廊下に土下座をさせられた。
「本日はありがとうございました、高岡様」
高岡が、抑揚のない声で言った。同じことを言うようにと、光る目が言っている。
「本日は……ありがとうございました、高岡様」
「よろしい」
春樹の中で炎が燃えた。抱かれるときのものではない。
怒りだった。
理由もなくこの男に甘えようとした、自分に対する怒りだ。
高岡が靴をはこうとする。
春樹はスリッパ立てにある靴べらを、両手で高岡に差し出した。
「お使いください」
高岡は無言で受け取り、使い、春樹に返した。
「俺は今夜から日曜の夜まで、泊りがけで仕事だ。週末は新田と楽しめ」
「お気遣い、ありがとうございます」
煙草の香りがした。ドアをあける音がする。春樹は顔を上げた。
「礼儀正しいのは結構だが、そんなに怖い顔では興醒めだ」
半開の玄関ドアを背に、高岡が鷹揚に笑った。
「仔犬ちゃん。もう一度新田としたようなキスをしろ」
「はい」
春樹は立ち上がり、高岡に抱きついた。背伸びをしてささやく。
「……好き」
一度とじた高岡の目がひらく。
春樹は構わず、口づけをした。やはり数秒で離す。
「修一とするときは、いつもこうです」
お前とは違うのだ、という念は引っ込めた。無心に徹した。
「本当に……この仔犬ちゃんは」
高岡が目を伏せる。ドアノブに手をかけた。
「見かけによらず、強情だ」
ドアがしまる。高岡の香りも消えた。
春樹はベランダに出た。足に柔らかいものが当たった。夜の闇を背負う桜の葉だった。強くなってきた風で飛ばされたのだろう。
新田は進学先を、桜の大木を見て決めた。
植物が好きで、優しくて聡明な男。人混みで手をつないでくれた。春樹の借りた本を追い、いい加減な気持ちじゃないと言った。
闇に溶ける桜を見る。この一週間で姿を変えても、しなやかにしなっている。
「再来週から僕は本当に変わるけど……修一が好きだって気持ちは、変わらないからね」
春樹は桜に決心を告げ、ベランダの窓をしめた。
< 第一章・3へ続く >
【 あとがき 】
読んでいただき、ありがとうございました!
続きは第1章・3のupまでお待ちください。
何とか連載2回目をupできました。
新田と春樹の仲良いシーンを書くのが楽しいです。
入力して校正するだけなのですが、ニヤニヤしています。
今回のように、たまにSMプレイもどきが出てきますが、
「桜の庭」よりは随分ソフトになりました。
こんな感じでの更新ですが、どうぞよろしくお願い致します。
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