Cufflinks
第一話・焔 第一章・2
「暴れると脚を痛める」
高岡は自分のベルトを二つ折りにして手に持った。輪を外側にして、短く持つ。そうしてソファに片膝をついた。
ベルトが振り上げられる。
一度目は風切り音もなく体を打った。二度目も、三度目も、するのは打撃音のみである。あきらかに手加減されている。肉の薄い、腰骨の上あたりを打つときなど、ベルトで数回撫でてから振り下ろされた。今からここを打つよ、仔犬ちゃん、とでも言っているようだった。
「残念なことに、お前は高い接待道具ではない」
たまに強く打たれて横に逃げる腰を、たしなめるように元の位置に戻される。
「この程度の素人プレイには黙って従うしかない。わかるか?」
「は、はい」
春樹はうなずきながら返答した。これなら耐えられるという、妙な自信があった。
「怖いのは知ったかぶりの素人だが、それは自分で経験するしかない。とにかく」
高岡は太腿の外を強めに打ってから、春樹に馬乗りになった。犯される恐怖に強張る体を、折ったままのベルトが這っていく。ベルトが喉もとに到達した。春樹の喉を、横一文字にされたベルトが押さえつける。
「いやなことをされたくなければ、プレイと客を選べるようになれ」
返答の声が出せない。かすかに頭を上下にさせてうなずく。
「新田としたようなキスをしろ」
高岡が、春樹の唇に触れるか触れないかの位置に口を寄せた。
春樹は目をとじた。目の奥がカッとしたが、平静を装う。
唇を重ねた。少しだけ押しつけるようにして、数秒で離した。
「これだけか?」
「これだけです」
春樹は目をとじたまま答えた。
この狂犬の表情など見たくもない。笑っているに違いないからだ。
「見かけによらず強情だな」
案の定、含み笑いのある声がした。
高岡が春樹の上から下りる。春樹の顔の横に何かが投げられた。刃をしまったカッターナイフが、顔のすぐそばに無造作にあった。
「縛られると思ったら、縛り方を見ておくか、切れるものを隠し持て」
高岡は自分の服装の乱れを正している。
「仔犬ちゃん。手首を解いてみろ」
春樹は自分の手首を見た。手首の少し下で縛られている。整然とした緊縛だった。遠目に見たら、手錠のように見えるのかもしれない。
手首をひねったり歯をたててみるが、一定以上は決してゆるまない。高岡は簡単に縛っていたように思ったのだが。
再度歯をたてようとした春樹の頬を、高岡がつねるようにつまんだ。
「よく見ておけ。一度しか教えない」
手錠のようなふたつの輪の中央の結び目を、高岡が揺すりながらつかんだ。
「手首を交差させろ。手の甲を上にしてだ」
これ以上動くわけがないと思っていた手首は、思いのほか簡単に交差できた。交差したことによってなのか、輪と肌の隙間が少し広がった。
「手の平側を覗き込め。紐の動きがわかる」
交差したままの状態で、自分の手首を胸に近づけた。首を傾けて覗き込む。高岡は結び目を引くように揺すっているだけだ。一分もしないうちに、手の平側で巻き込まれていたネクタイの端が現れた。
一度端が現れると、あとは一気にゆるんだ。完全に解けなくても手首を抜けるようになるのに、高岡が手をかけてからは数分とかからなかった。
「万人がこれと同じ縛り方をするわけではない。なめしの甘い縄を使われると、短時間で皮膚が傷付く。そんな状態で手首から外そうとすれば、見えるところに痕を残すことになる。それ以前に、まず縛るところは見られないと思っておけ」
高岡がダイニングテーブルに向かった。椅子にかけてあるスーツを着る。
「待って、待ってください。脚が痛い」
打たれている間、暴れはしなかった。しかし春樹が選んだナイロン製荷造りテープは、わずかな時間で皮膚に食い込み、じくじくと痛んだ。服地の上から縛られたのに、痛みが強い。
「顔の横にあるものは何だ」
呆れたというように言うと、高岡はもう廊下に移動している。
春樹はカッターナイフの刃を長く出し、脚を拘束するテープを見た。両脚とも腿の内側から見てH型の形状で結ばれている。輪は片脚に四つずつで、結び目はふたつずつだ。きつく締まった結び目はテープが幾重にも折り重なり、どう結んであるのかわからない。
春樹は結び目近くにカッターの刃を入れた。刃を上にして、むやみに引き上げる。
勢い余った刃が、目の横をかすめた。
「まったく、この仔犬ちゃんは」
高岡の声が頭上でした。カッターナイフを取り上げられる。刃を縮め、テープの重なりが少ないところを数箇所切られた。脚が自由になった。
「客がお前と一緒に荷造りをすると思うか」
「……いいえ」
「縛られた状態で長時間放置されたら事故の元だ。気をつけるように」
「はい……」
春樹は下を向いて顔を覆った。泣きたいわけではない。顔が赤くなるのを見られたくなかった。
クラスの全員ができた逆上がりを、ひとりだけできないときのようだった。小学生のころだ。女の子も軽々とこなす技を、春樹だけができなかった。
ぱっとしないのは成績だけではない。春樹はいつも、何をしても味噌っかすだった。
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