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第一話・焔 第一章・2


 終業時刻になり、教室は明るいざわめきに包まれた。
 遅刻必至だと思っていたが、一時限目の授業から間に合った。高岡の、強引かつ自己中心的な運転のためだ。
 春樹は鞄に教科書をしまうと、椅子に腰を下ろした。
 体の奥深くが熱を持ち、脈を打つような感覚が続いている。
 春樹はきょう一日、昨夜の出来事から逃れられずにいた。
 廊下を歩いていても、午後の体育で着替えるときにも、授業中も、ふとしたことでよみがえった。
 高岡に愛撫され、キスをされ、楔のようなもので貫かれた、あの感覚。
 ブレザーのポケットに入れてある、自宅の鍵を手に取る。
 高岡はこれと同じ鍵を持っていた。
 父が横領した金を父が返すのは当然だ。だが、父の返済とは無関係に、春樹が今の生活を維持するためには売春をしなければならない。しかも客は男。
 客の前で粗相をしないように、高岡が部屋にきて春樹の躾をする。
 高岡も高岡なら、鍵をあの男にあっさりと渡す会社も会社だ。
 これでは父の借金のカタと何ら変わりないではないか。
「丹羽。きょうヒマか?」
「森本くん」
「くん付けやめろって。気持ち悪ぃだろ」
 白い歯を見せて笑うのは、級友の森本だった。ホームルーム活動で同じ班になり、以来よく話している。快活で笑顔の絶えないところが新田と似ていた。
「駅ビルの東口に、新しいハンバーガー屋できたろ。あそこ、結構うまいらしいぜ」
 言いながら、春樹の隣の席に腰かける。
 春樹は下を向き、首を横に振った。
「割引券あるんだ。他にも二、三人行くってよ」
 ハンバーガーは新田の好物だ。学校帰りに一度、古参のチェーン店に寄ったことがある。ひとりでふたつ食べる新田と、会話が弾んだ。
「……ごめん。きょうはちょっと」
 森本を見ることなく、つぶやくように返答する。
「そっか。お前元気ねーからさ。体育の、着替えのとき。体、さすってたろ。寒気がしてんのかなって。顔も赤いし」
 見られていたのか。また昨夜の感覚を思い出し、腕を抱え込む。
「風邪かもな。学食でもほとんど食ってなかったろ」
「うん、何だか食欲なくて……ごめん、ほんと」
「いいって。具合悪いのにハンバーガーは重いかもな。おれなんかヘーキだけど」
 森本の笑顔に、新田の笑顔が重なる。
 春樹は、さらに下を向いた。森本が席を立つ。
「ほんとにごめん。いつか、必ず一緒に行くから」
「謝られるよーなことじゃねーよ。早く寝て治せよ」
「ありがとう。森本」
 おおらかな、愛嬌のある笑顔を残して森本が去った。
 春樹は両手で顔を覆った。
 自分を心配してくれる人がいる。
 こんな、男相手の売春をしようとしている自分を。
(修一、助けて)
 鞄に顔を伏せたとき、尻ポケットが震えた。振動が短い。
 新田からのメールだった。


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