Cufflinks

第一話・焔 第一章・1


「新田修一に操立て(みさおだて)でもしているのか」
「なにっ」
「父親が勤めている企業を忘れたか」
 忘れるわけがない。足を運んだのが金曜が初めてだというだけだ。
 国内はもとより、主要諸外国でもよく知られている大企業だ。
「し、調べたってこと? 先輩のことまで」
「客と濃密に接触する仕事だ。毛色くらいは調べる。高い犬ならもっとしっかりと調べられるがな」
 犬だと?
 何か武器になるものはないか。春樹は洗剤などが入るトイレラックに目をやった。高岡に両手をつかまれる。便座の上に腰を下ろさせられた。
「その様子では朝の髭剃りも必要ないか。残念だな。手近に剃刀もないとは」
 春樹は高岡を睨みつけた。
「わかったよ。好きにすればいいだろ。無理矢理やって、使いものにならないようにしろよ。犬呼ばわりして、いいようにして、肛門も精神もおかしくしてみろよ!」
 高岡の喉の奥が、クッと鳴った。
「犬に犬と言って悪いとは知らなかったな。ひとつ利口になった」
「僕を不機嫌にさせて何の得があるのか知らないけど、さっさと始めたら」
「そうだな」
 高岡の手がジーンズにかけられる。春樹は腰を引いた。
「どうした、わんちゃん。俺は味見をするときはコンドームをしない。リスクを回避するために、ケツの穴を洗わせてくれないか。まあそれでも完璧ではないが」
 春樹の目に、光るものが浮かんだ。
「見かけは可愛い仔犬ちゃんでも、中が清潔なのは一匹もいないからな」
 下を向くと同時に落涙した。
 高岡がトイレの壁にもたれる。
「その涙は何だ? 犬にプライドがあるのか?」
「……ない」
「聞こえるように話せ」
「犬じゃない」
 そうか、と言いながら、高岡が春樹の顔をつかんだ。
「こんなに頭の弱い犬は久方ぶりだ。俺がお前なら、相手の顔色を見て質問に即答する」
 高岡に唾を吐きかけようとしてみるが、唾液はまったくわいてこなかった。
「俺が手ひどくお前を犯しても、お前はちゃんと仕事ができる。きれいに治してくれる病院があるからな。治療費は俺がもってやる」
 精神は。心をとざした人間など、抱いて楽しいものなのか。
「体を売って今の生活を維持し、新田修一と付き合ったらどうだ」
 ふざけている。アルバイト感覚でいるのか。
「軽々しく、修一の名前を口にするな」
「新田がお前の人生に必要ないと思うなら、廊下のバッグを持って警察にでも行けばいい」
 高岡の顔からは笑みが消えていた。
「きつい仕事だが、お前は特別待遇だ。ここから私立高校に通い、進学の可能性もある。好きな相手との交際を禁止されもしない。客をとるのは主に週末で、学校の行事にも参加できる。フリーで売るわけではないから、客も精査される。健康診断や性病の検査、各種体のメンテナンス、身だしなみにかかる金を捻出する必要もない。本当にいやになったら、いつでもやめることができる。生活レベルは落ち、新田と過ごす時間も減るがな」
「やめることが……できる」
「新田に知られることが怖いか。新田の前から消えるか? 悩みもなくなるぞ」
 わからない。
 金曜の会議室で、新田といたいために、変わらない生活をしたいために、仕事の内容を知ろうとした自分がいた。売春と聞いて無理だと思ったが、新田と離れるのはそれ以上に無理だと思ったことも確かだった。
 高岡が春樹を立たせた。ジーンズの腰部分を持ち、トイレの壁に両手をつかせる。
「やめて! やめろっ!」
 やはり無理だ。好きでもない男を受け入れるなんて、正気の沙汰ではない。
「無理だ、無理だよこんなこと! 絶対無理だっ」
「最初の男が新田ならいいのか」
 背中が震えた。新田とつながる姿が浮かぶ。
「事故があっても治療をする。慣れない新田が多少失敗しても何の問題もない。数日以内に新田を落として本懐を遂げると約束できるなら、俺はこのまま帰る。どうする?」
「そんな……それは」
 高岡が春樹の耳もとに口を近づけた。
「肉体にダメージが少ない順でいくと、俺と合意でする。次に新田と合意。その次が俺との非合意で、最後が新田との非合意だ」
「どうして修一とが最後なの」
「暴走した素人ほど危ないものはない」
 新田の顔が、優しい声が頭から離れない。
 このおかしな男や父の会社の言いなりにならなくても、新田がいなくなるわけではない。
 それでも……それでも──
 春樹は床に落とすように言葉を発した。
「売春してる奴と一緒にいて、修一は汚れないのかな」
「お前次第だ」
 高岡が春樹の手を取る。トイレの壁を背に、高岡と向かい合った。
「目をとじろ」
 言うとおりにした。高岡の唇が、ゆっくりと春樹の唇に重ねられた。


次のページへ