Cufflinks
第一話・焔 第一章・1
他人によって直腸洗浄をされるのが、どれだけ打ちのめされるものか初めて知った。
冷や汗と脂汗が交互に出るのも、腹が痛くなるのも、体が震えて気持ちが悪くなるのも、腰が打たれたように重くなるのも、肛門が痛痒くなるのも、他人に汚物や汚水を見られることに比べたら、どうということはない。
あさましいセックスのためにするのだ。
互いに愛情などカケラもない。相手は頭のおかしな男。後悔しても遅いとわかっている。
だが、寝室のベッドに全裸で腰かける高岡を見ると、春樹は一歩も進めなくなった。
「仰向けになれ。電気はつけたままだ」
拒めばきっとこの男は「合意」の口約束など、反古にするだろう。
春樹はバスローブの前をしっかりと合わせたまま、ベッドに乗った。
脚を伸ばしたとき、思ったより強張っていることに気がついた。
高岡がバスローブの紐を解く。目をとじようとしても、まぶたが動かない。
「スポーツは」
「……え?」
「日常的にスポーツをしているかと聞いている」
「と、特に何も」
高岡は無言のまま体を触っていく。性的な触り方とは思えなかった。
「悪くない。骨格の細さは諸刃の剣だな。一定の年齢を過ぎると見られたものではなくなることが多いが、今から数年間は売りにできる。水泳でもするといい」
春樹は高岡の体を盗み見た。
美術史の資料で見た、彫像に似た体だった。筋肉は確かにあるのだが、強く主張するような凹凸があるわけではない。力を入れると皮膚の下にある筋肉が盛り上がる、そんな肉体だった。着痩せするのだろう、金曜に見たときより肩も背中も広い気がする。
この男も水泳をして鍛えたのだろうか。
「何を見ている」
春樹は目をそらせた。すぐに顔をつかまれる。
「同じ質問をするのは、有益な行動ではない」
低い声だった。春樹は唇を舐め、声を絞り出した。
「あんた……あなたも、水泳したのかな、って」
「泳ぎは好きでも嫌いでもない」
「そう、ですか」
高岡は本当にプロなのだろうか。およそ人を楽にさせようなどと思わないらしい。
「……怖い」
言うつもりはなかった。呼気と一緒に出てしまったのだ。
高岡は春樹の言葉など、露ほども気にかける様子がない。ベッドの宮棚に置いたワセリンを指に取り、春樹の隣に横たわる。
「俺は昔、港の近くに住んでいた」
問い返そうとしたら、唇をついばまれた。耳の下や首も、同じようにくすぐられる。
「んっ」
いつの間にか高岡の指が肛門に触れていた。すでに二本、第二関節くらいまで差し込まれているような感じだった。痛みはまったくなかった。
「バラック小屋だの、アバラ屋だの呼ばれていた。母子家庭のうえ、母親は遊び好きだ。漁港市場のアルバイトは、奪い合いだったな。競りの下準備や魚の仕分け、後片付けだ。朝は早いし疲れるが、時給は悪くなかった。中学生でも雇ってもらえた」
母子家庭──?
あの金曜日、中央に座る男は確か「父君とは旧知の仲」と言っていなかったか。
頭に浮かぶ疑問を口にしようとするたびに、高岡に唇をふさがれる。
玄関でされたようなキスではない。
電流を生む場所を避け、唇を重ね、かすめ、優しく吸われた。
息があがりそうになると、首筋や鎖骨、肩、胸をそっと吸われる。
肛門は指の根元まで侵入を許していた。
「体を動かしたのはそれくらいだ。お前と同じ、スポーツ経験は取り立ててない。水泳は学校の授業程度しかしていない。疑問は解消したか?」
春樹は頭を縦に振った。さして解消してはいないが、体の感覚に気がいってしまう。
別の言い方をすれば、考えることができなくなりつつあった。
「あ……!」
二本の指が出入りする穴から、何かが滲み出ている気がする。
指が動くと、滲むもののために音がした。
「ちょっと待って……何か、音が、音がする」
「腸液だ。あとは洗ったときの水の残りだが、気にすることはない」
高岡にとっては日常的な現象なのかもしれないが、春樹には違う。
「い……やだ……!」
顔に火がついた。
新田とつながる日がきたら、これを新田にも聞かれるのだろうか。
「いや。いやだ」
「音に反応したか。喜ばしいな」
何が喜ばしいのかさっぱりわからない。
差し込まれる指がもう一本増えた。今まで感じなかった痛みを覚える。
「いたっ」
高岡は何の慰めも与えてくれない。ただ静かに指を入れてくるだけだ。
春樹は目をひらいた。知らず知らずのうちに、高岡のキスという愛撫を待っていたのだ。
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