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第一話・焔 第一章・1
高岡の車は、迷うことなく春樹が通う高校を目指した。
車中はほぼ無言だったが、学校が近づくにつれて春樹の声は小さくなった。
本当に、自分の外見は正常だろうか。隣に座る男につけられた卑猥な印を、見落としているのではないか。
きのうまでの自分を知っている人に会いたくない。
(こんな体で修一に会って……何を話せばいい)
高岡がルームミラーを通して春樹を見る。淡い色のサングラスが隠す目は、感情がよくわからない。
「昨夜は楽しめたか?」
高岡の声は笑みを含んでいた。春樹は拳を握る。
「よく……わかりません」
「最初はそんなものだ」
今ここで交通事故でも起きないものか。
こいつがこの世からいなくなるなら、道連れになっても構わない。
「そんなに怖い顔をするな、仔犬ちゃん」
春樹は視線を動かさずに言った。
「お願いがあります」
「言ってみろ」
「学校に行きたくありません」
「そうか。それで?」
「それで……って」
高岡がステアリングを切った。少々強引とも思える運転で車線変更を繰り返す。
抗議のクラクションを浴びながら、車は学校から遠のく道に入っていった。
「高岡さん、あぶな、危ないです」
「糞詰まりの下道(したみち)でか? 冗談だろう」
高岡が笑顔でサングラスを外す。二十代半ばにも見える、若々しい顔つきだった。
「仔犬ちゃん。ダッシュボードをあけてシガレットケースを出せ」
「は、はい」
春樹はあまり車に乗らない。ダッシュボードをあけるのにまごつく。シガレットケースも見当たらない。そもそもどんなケースなのかがわからない。
「グズはアレルギーが出るほど苦手だ。急ぐふりもできないのか」
「ごっ、ごめんなさい」
シートベルトが邪魔に思えた春樹は、無意識にベルトを外そうとした。
「春樹! 外すな!!」
大きな声だった。金曜からきょうまで、一度も聞いたことのない声だった。
「ごめんなさい……!」
胸と腹の間が絞られる。胃痛かと思ったら、鼻の奥がつんとした。
「……あ」
涙が頬を伝った。
(なに? 何だよこれ)
目の前に高岡の手が伸びた。手の甲と指で、涙が拭われる。
「シガレットケースは左の銀の奴だ。あけて一本出して、火をつけろ」
「はい」
銀のシガレットケースの中身は、少々いびつな紙巻煙草だった。個人が手で巻いたものなのかもしれない。高岡が今朝吸った煙草とは違う香りがしている。
車にはシガーライターがあって、それで火をつけられることは春樹も知っていた。
だが、知っているのと実行できるのとでは違う。
高岡にもそれがわかっていたのだろう、最初から春樹にライターをよこした。
指で持っただけの煙草を火であぶっていると、左隣から小さな舌打ちの音がした。
「仔犬ちゃん。煙草は吸わないと火がつかないものだ」
「あっ、は、はい」
葉の少ないほうをくわえて火をつける。少しだけ吸うと、高岡が取り上げた。
咳き込んでしまうかと用心したが、変わった香りと辛味が口中に少し残っただけだった。
「おめでとう、仔犬ちゃん」
「え?」
「マリファナデビューだ」
「マリファナ……? 大麻ってことですか?!」
「そうだ」
フロントガラスを見た。前方に高速への入り口がある。
「だめです! とめて、とめてください!」
目前に加速レーンが迫る。
「だめっ! こんなのいやだ。もうやめて!!」
「サボるのではないのか」
「学校行きます。何でもするから高速には乗らないで……!」
今までの運転と同様、強引に車列を外れる。分離帯ぎりぎりで一時的に並走することになった軽自動車の窓があき、大きな罵声が飛んできた。
高岡は会釈をしながら微笑み、意に介するふうもない。
(死ななくてよかった)
だれが……?
春樹は高岡を見た。
何事もなかったように煙をくゆらしている口から、元凶を取って灰皿に入れる。
「堪忍袋の緒が切れたか」
高岡の唇の端は、柔らかく上がっていた。
また平手打ちでもくらうかと思っていた春樹は、下を向いて口ごもるしかなかった。
「いいか春樹。何でもするは禁句だ。何があっても客の前では言うな」
「どうして」
「お前はまだ何もできない。生身の体を預ける仕事だ。用心に用心を重ねろ。だれも信じるな。俺のこともだ」
「高岡さん……」
高岡が窓をあける。マリファナの香りが消えていった。
「お前が取り上げたものはマリファナではない」
春樹は高岡と灰皿とを交互に見た。ダッシュボードにも目を泳がせる。
「ただの外国製紙巻煙草だ。十代や二十代のころはともかく、今は運転中にそういうものに酔う自信はない。商品を乗せているとなれば、尚更だ」
「……商品……」
「そうだ。商品だ」
春樹はうなずいた。
自分で選んだことだ。高岡に力ずくで犯されたわけではない。
新田と少しでも長く一緒にいるために、進むと決めた道だ。
「……うっ」
こらえていた涙が春樹の手の甲に落ちる。
高岡は、もう涙を拭おうとはしなかった。
< 第一章・2へ続く >
【 あとがき 】
読んでいただき、ありがとうございました!
続きは第1章・2のupまでお待ちください。
10年以上前に書いた「桜の庭」という話を、違う話として書き直しているものです。
「桜の庭」は個人誌で頒布済ですので、どこかで目にされた方もいらっしゃるかも…(汗)
とにかく主人公である春樹が暗かったので、前向きに…と思って書き直しています。
今の春樹は書きやすくて気に入っています。情も移ってきました。
どこかに「桜の庭」の名残が欲しくて、春樹の姓を「ニワ」にしました。
「桜の庭」の高岡は根っからの鬼畜で、モデルがいました。
今の話の高岡は、かなりお節介な人物になっています。モデルはいません。
高岡姓はよく使い回してしまうので、BLじゃない作品で
高岡の名前を見かけてお気を悪くされましたら、申し訳ありません。
この本編第1話は5章立てで、20回の連載を予定しています。
1ヶ月に1、2回はupしたいと思っております。つまり亀更新ですね(汗)
第1話の第1稿(校正前の原稿)はできているのですが、校正と入力が遅いので…。
本編が何話立てになるのかは、ナイショです。
のんびりお付き合いいただければ…と思っております。
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