繁華街の小路を奥へ奥へと入り、雑居ビルが集まる地帯で停車した。
「稲見さん、ここは」
停車すると同時にかけた電話を切る。稲見が見上げた箇所に灯りがついた。
「身分証なしで即時換金できる店がある。目利きだよ」
「稲見さ……」
「盗品は扱わない。それでも警官が見回りにくるから、口外しないことが取引の条件だ。車を長く停めることも嫌う。金にしたいなら降りなさい」
シートベルトを外すユウに手を差し出した。ユウは初めて稲見の手を握った。
海を望むユウの手に、百万近い現金が入った茶封筒がある。
稲見はユウと共に埠頭に来ていた。ヨットクラブが開催しているイルミネーションに加え、アウトレットモールの外灯も多い。桟橋にはフットライトがあり、寒さに耐えられればなかなかの場所だ。
肩を寄せ合う男女にまじり、稲見は桟橋の手すりにもたれた。手がかじかみ、ライターの火を覆うのもひと苦労する。ようやく吸った煙草の煙もまたたく間にちぎれていく。
換金後に帰ろうとしたユウを引きとめたのは稲見だ。必要ないと言うユウを受診させ、行きたいところがあるなら連れていくと言ってしまった。その結果が冬の海だ。
ユウは自殺や自傷に走るタイプではない。海が見たいと言うだけなら同行しなかった。
薄い茶封筒に入った現金をコートにおさめない点が引っかかる。
ユウと客は初対面だった。ユウは社が客のために選んだ『贈り物』にすぎない。華やかな時季だから客も相手の顔を知らないままプレゼントを用意した。
面識のない、入れ揚げてもいない男娼が粗相をしても百万円前後の腕時計をくれてやることができる男が客で、街も港も無駄にきらびやかだ。
尻まで舐めた側としては自分自身をあざ笑い、やけになる条件は整っている。
(ばらまくなよ)
煙がしみるため、ユウから目を離した隙だった。
ユウが茶封筒に手を入れる。火のついた煙草が桟橋に落ち、封筒が吹き飛ばされた。
「捨てるくらいなら使っちまえ!」
驚愕したのはユウと、両隣にいた男女のカップルだった。
若い男の右手を両手で握りしめる中年男、転がる煙草、いきなりの怒声。
クリスマスシーズンのために用意された場所には似つかわしくない。
離れていく男女たちにはかまわず、稲見はユウの手を握ったまま怒鳴った。
「全部使え! 好きな物を飲んで食って買いまくれ! あんな男のものでも、金は金だ。消費して経済に貢献させろ。死に金にするな!」
ユウの目が丸くなっている。横を向いて吹き出し、腹を抱えて大声で笑う。
「ハ、稲見さん、ハハ! 人がよすぎる。おれ、もう一度、数えようとしただけで。アハハハ!」
ひとしきり笑ったユウは稲見に一礼し、現金をコートの内に入れた。
「……海にまくつもりじゃなかったのか」
冗談でしょう、と言いながらユウが目尻をぬぐう。
「一銭たりとも無駄にしませんよ。体張って稼いだ金です」
「それじゃあなんで」
「換金した金をぶらぶら持って、海に来たかって?」
稲見がうなずくとユウは片手を手すりに乗せ、七色に光るヨットを見やった。
「時々、想像はしてました。札束バラまいたら気分いいだろうなって」
でもね、とユウが笑う。
「一度やったら、きっとまたやる。他にも仕事はあるのに、この仕事を選ぶおれです。ばかなのはわかってますから、思うだけにしてます。ここに来たのは夜景のためですよ」
膝から力が抜け、しゃがみ込みそうになった。手すりをつかんで海を見る。水面に映る無数の光が踊っているようで、意味もなく笑いたくなってきた。
妻が言ったとおり、女衒だ。米つきバッタのようにぺこぺこし、経済観念のある男娼を心配する。
てんてこ舞いすることが似合っているのだろう。
「ありがとうございました」
隣からユウの声がする。目をしばたいた先に、意志の強そうな横顔があった。
「客を悪く言う人はいる。でも、稲見さんの言葉は本物でした」
うなずくわけにもいかず、吹きつける風にちぢみあがる。
「使ってください」
手渡されたものは使い捨てカイロで、駐車場の警備員に差し入れたものと同じ商品だった。
カイロの袋を破って眺めたイルミネーションは、気のせいか一層鮮やかに見えた。
< 了 >