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そこつ者のクリスマス


  クリスマスには贈り物を多く運ぶ。
  実際に運ぶのは十二月二十五日前後の数日間で、今日もクリスマス前の日曜だ。
  未成年の、あるいは二十歳そこそこの男女を着飾らせてホテルに送る。社が用意した豪勢な部屋で待つのは稟議書に印を押す社長であったり、名ばかりの会長職などである。
  二十四日や二十五日は家族と過ごす社長らへの贈り物が、美しい若者たちなのだ。
  稲見はコーヒーの空き缶とコンビニの小袋を持って車外に出た。寒気団がきているというだけあり、地下駐車場でも身震いしてしまう。
「冷えますねえ。夜の運転が多いから大変だ」
  十万近い金で月極契約しているためか、たまに差し入れをするためか、巡回警備員が気さくに声をかけてきた。稲見はコンビニの袋を振りながら掲げた。
「寒気団、居座るようですよ。よかったら使ってください」
  袋のなかを見た警備員の頬がゆるむ。使い捨てカイロの下に、警備員が好む煙草を見たからだろう。警備員は煙草だけをズボンのポケットに入れて、稲見から空き缶を取り上げる。
「捨てときますよ」
  悪いと言いかける稲見に警備員が片手を上げ、なつっこい笑顔で言った。
「ゴミ箱は詰め所のそばですから」
「いつもすみません」
  警備員に礼をして車に入り、大きく伸びをした。

 『女衒じゃないの!』

  こんなとき、頭の奥に妻だった女の声がよみがえる。
  仕事を偽っての結婚だった。子どもには恵まれなかったが慰謝料は毎月振り込んでいる。
  職務内容を知った妻と別れるまで、相当なエネルギーを要した。それは妻も同じで、離婚届を渡した日に見た彼女の頬はこけ、時計が手首から甲に滑っていた。
  ハンドルに置いた左手に視線がいく。薬指には何の跡もない。
  金属アレルギーがあると嘘をつき、結婚指輪をしなかった。稲見が社用車で運ぶ者には若い女や少女もいる。男女の差なく幸せな家庭と無縁な彼らに、指輪を見せる必要はない。
  カーラジオをつけて目を閉じる。聞きなれた局が流す愉快な話で妻の声を押し流した。








  十時を過ぎたころ、稲見はサイドミラーに今夜の贈り物を見た。
  が、足もとがおぼつかない。スーツも歪んでいる。コンクリートの壁にぶつかりそうになった姿を見た稲見は、ラジオを切って運転席のドアを開けた。
「ユウくん! しっかりしなさい!」
  青年が顔を上げる。こめかみに汗が見えた。唇の端が切れているようだ。肩で息をして、ずり落ちそうになっていたコートを抱えなおす。
「すみません、お願いが……」
「病院へ行きたいのか? とにかく車に」
  ユウは後部座席に乗り込み、座席に横倒しになった。
「何があったのか言える範囲で聞かせてもらえないと、きみの頼みも聞けないよ」
  トランクから出した毛布をかけようとしても、ユウは脚を折り曲げて逃げる。
  この青年は余計なことを話さない。社員との接触も嫌うところがあった。
  稲見は座席の隅に毛布を置き、静かにドアを閉める。ユウが自分で服装と髪を整え、姿勢を正して座るまで運転席で待った。ルームミラーも極力見ないようにする。
  ユウは毛布に触ることなく、コートを膝にかけて深々と頭を下げた。
「お客様の聖水をこぼしました」
  客は巨漢のサディストだ。聖水とは尿をさす。ユウはサディストやスカトロ好みの客も断らない。飲尿プレイも初めてではないはずだ。そのユウが粗相をするということは、飲尿前に痛めつけられていた可能性が高い。
「病院へは? 保険証や金の心配は不要だよ」
  ミラーに映るユウが首を横に振る。ユウは専属契約の男娼ではない。老舗に属するボーイだ。出勤できなくなるほどのダメージを受けて黙っているボーイはいない。
  とりあえず安堵してルームミラーを見る。ユウの顔色はよくないものの、目には力がある。妙なにおいもしない。薬物やアルコールの心配はなさそうだ。
「今からでも換金できるところに……行ってもらえませんか」
  振り返ってユウを直視した。
「リサイクルショップとか、質屋のことを言っているのかい」
「はい」
  と答えたユウは小さな紙袋を出した。袋からブランド名の入った巾着を出し、巾着からは黒い革張りの箱が出てきた。大きさから見て腕時計だろう。
「お客様からいただきました」
  体を売る理由は様々だ。生きるため、大金を貯めて独立するため、流されるまま。
  なかにはセックス依存や自傷行為の延長という場合もある。
  どんな理由にせよ、金や物を欲しがらない者はいない。ユウも例外ではなく、貯金額は数千万だと小耳に挟んでいる。客からのプレゼントを現金にしたいのだ。
  仕事上での損得勘定が始まった。ユウが飲尿プレイで失敗したのは事実であり、後日であれ今すぐであれ、代わりを用意しなくてはならない。時間は一秒でも惜しい。
  しかしユウは稼いでくれる。社の専属にと頼んだこともある。凛々しいルックスで体も丈夫だ。口数が少ないところもいい。よく働く男娼の望みをかなえてやれば先々の仕事が楽になる。
  稲見の天秤は上客の機嫌をとることを重んじた。ユウの説得を試みる言葉が喉まできたとき、稲見の携帯電話が振動した。
「悪いね。すぐ終わるから」
  震えながら車の外に出る。電話の相手はユウの客だった。こちらが謝罪する前に、体つきとはかけ離れた甲高い声で話す。
「年明けに代替品を。接待シーズンであぶれているような犬を押しつけられてはたまらんからね。ああ、治療費が必要なら遠慮なく。彼の誠意は理解しているつもりだよ」
「誠意、でございますか」
「詫びだと言って私の尻を舐めてくれたよ。奥まで丁寧にね。彼はテクニシャンだねえ。たまには半野良も悪くない」
  謝罪と礼を繰り返した稲見は、客が受話器を置く音を確認して電源ボタンを強く押した。携帯電話を閉じる音が駐車場に響く。
  接待用の若者を犬と呼ぶサディストは少なくない。プレイ内容をこと細かく聞かせる客も然り。これも仕事だ。態度に出すほどのことではない。
  待たせたねと言って車に乗る。客の言ったことを悟ったのか、ユウは目を伏せた。
「無理を言って申し訳ありません。今夜は帰ります」
  稲見は無言でシートベルトをした。ユウにもベルトをするよう促し、アクセルを踏んだ。

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