NOVEL

光の当たる場所2 緋色の妄執 -1-

「さあ、行こうか?」
 奴は笑った。
「叔父の葬式なんだ」
 何故俺がそんなものに付き合わされなきゃならないんだ。
「君は僕の知人、九頭竜久人[くずりゅう・ひさと]の息子、久遠[くおん]。久人は十年前に亡くなってる。君は天涯孤独だ。つい最近まで施設にいた。内向的で自閉症的。やりやすいだろ?」
 勝手に決めるな。

 いつも、いつも人の都合を考えない、最低最悪な鬼畜極悪野郎。穏やかな笑顔で人当たり好さげなツラしてやがるけど、人の言うことなんてまるで聞いちゃいない。大体、俺の本当の名は『中原龍也』だって覚えてるんだろうか? 俺はこの男に、まともに本名で呼ばれた事が殆どない。ていうか、固有名詞としてならともかく、三人称代名詞として実の名で呼ばれた事が一度でもあったか?と疑問に思う。こいつはきっと俺の名前が『中原龍也』だろうが『九頭竜久遠』だろうが『寿下無寿下無後光のすり切れ、以下略』だろうが、絶対気にしないだろう。冗談じゃない。
 絶対こんな奴、信用しちゃ駄目だ。骨の髄までしゃぶられて、利用し尽くされて殺される。……なのに、何故か俺はこいつの思惑通りに行動してる。……原因、は。
「何? 人の顔じろじろ見て。あまりに色男だから見惚れちゃった?」
 ……こんな事を平気で真顔で言うような奴なのに。深い溜息をついた。メルセデスの後部座席、久本貴明の隣のシート。……なんで俺、のこのこと着いて来てんだろうな。我ながら呆れる。
「黙ってるって事は図星?」
 本当腹立つ!!
「呆れてんだよっ!! 察しろよ!! バカ野郎!!」
 確かにたぶん、俺はこの顔が嫌いになれない。だからと言ってこいつが好きだなんてのは絶対に認めない。そんな事言ったりしようものなら、こいつに何をどうされるか判ったものじゃない。俺はこいつが嫌いだ。大嫌いだ。俺はこいつに酷い目に遭わされてる。この、久本貴明という男は、人を利用すること、人を騙すことに良心の呵責を全く覚えない鬼畜体質だ。原因なんて判ってる。こいつのペースは俺のペースを崩すんだ。崩して無理矢理引きずり込む。厭だと抵抗しようが何しようが、この男は俺を自分の思い通りに振り回す。こいつにとって、人の心なんてやつは利用できる道具の一つでしかない。人の心を踏みにじる事が平気でやれる。大体、踏みにじっているという認識すらないんじゃないか、と思う。
 こいつの心は一体何処にあるんだろう?
「……お前、傷付くって事あるのか?」
 疑問に思ったからそう聞いた。
「あるよ。人間だからね」
 即答。
「君にはいつも傷付けられてるよ」
 笑いながら奴は言った。……嘘臭ぇ。
 無言で睨んだ。久本はくすくす楽しそうに笑った。
「ところで『久遠』君」
 早速かい!って言うかもう始まってんのか!? おい!!
「滞在先は四条本家になるけど、それで構わないかい?」
 ……すげぇ厭。
 駄目モトで目で訴えてみる。
[たかし]兄が『是非我が家へ』と言うのでね」
 ……ソレ、ひょっとしてアンタを嫌ってるとかいう人じゃなかったか? 確か煙草押し付けられそうになったとかアンタ本人が言ってた気がするのは、俺の気のせい?
「……『奥さん』は?」
「僕の? それとも隆兄の?」
 この場合、アンタの『奥さん』だけど。
「……両方」
 久本は笑った。
「由美子は今風邪で寝込んでいる、という事になっているけど実は今別荘に行ってるんだよ。でも、風邪を引いているという事で口裏を合わせて欲しいんだ。よろしく」
「…………」
「で、隆兄は現在独身だ」
「え?」
 だって息子が……あ、そうか。
「死別?」
 久本は苦笑した。
「違うけど似たようなものかな? ……取り敢えず、向こうでは口に出さない方が賢明だ」
 違うけど似たようなもの?
「何だよ? それ」
「うん、つまり……家を出た後で自殺したから」
 ……何となく厭な予感がする。
「……それに関わり合いがあるとか言わないよな?」
「どうだと思う?」
 久本はにっこり笑った。……この男。
「そうなんだな?」
「『自殺』は僕のせいじゃないよ。……隆兄は人を追い詰める性癖があるから」
 ……そういう問題か? ていうか『人を追いつめる性癖』って何だよ? そんなもんあるのか? おい。
「どうせアンタが火種を放り込んだんだろう」
 笑って答えない。
「久本」
「……さあ、そろそろ着くよ」
「おい」
「……後でね」
「…………」
 車は立派な門構えの家の前で一時停車した。運転手がインターホンで短い言葉を交わし、ゲートが開く。車はやたら広い庭を突っ切って、玄関前に横付けした。
「さあ、行こうか?」
 魅力的な笑顔。一瞬、くらりと眩暈がした。

「こちらの部屋でございます」
「有り難う」
 俺達は離れの客室へ案内された。俺と久本は壁一枚隔てた隣り部屋。ドアの前で、久本は案内役の執事に笑いかけた。
邦雄[くにお]は帰っているの?」
「はい。昨日より戻っております」
 初老の執事は答えた。……クニオ?
「後で電話するように伝えてくれるかい? 米崎」
「了解致しました」
 執事は一礼する。
「それでは、ごゆっくりおくつろぎ下さいませ」
 と立ち去った。
「……久本」
「何?」
 きょとん、とした顔で久本が俺を見る。
「クニオって……」
「ああ」
 くすり、と久本は笑った。
「嫉妬かい?」
「誰がだ!!」
 思わず叫んだ。くすくすと久本は笑う。
「邦雄は幼なじみだよ。執事の米崎の息子でね。そのうち紹介してあげるよ」
「……いらねーよ」
 吐き捨てた。久本はくすくすと笑った。
「邦雄と君は、丁度正反対の性格かな? でもまぁ時折反応が似ていると思うよ」
「反応?」
 久本は笑った。
「たぶん、邦雄も君を紹介すると言ったら『必要ありません』って言うんだ」
 嬉しそうに久本は言った。俺は眉を顰めた。
「お前、本当悪趣味だな?」
「何故?」
「判ってるなら言うなよ。最初から」
「それは愛情だよ。愛。君のことを愛してるからだよ。判っていても君の全てを見たいじゃないか」
「気色悪い事言うな!!」
 この男、本当ろくでもない!!
「つれないなぁ」
 くすくすと楽しそうに笑うけど。この笑顔に騙されると、酷い目に遭う。大体、なんでそうふざけた事ばっかり抜かすんだ。俺の事なんとも思ってないくせに。どうでもいい相手にこんな事へらっと言う辺りが気に食わない。その上、俺の反応を面白がって楽しんでる点も。
「すげぇ悪趣味なんだよ。お前」
「でも、僕の事好きでしょう?」
 ガン、ときた。ひでぇ。こんな事言うか? 普通。真顔で。平然と。
「好きじゃねぇよ。勘違いすんな、バカ」
「照れ屋なんだから」
 くすくすと笑う。……畜生。遊ばれてる、俺。
 その時、ドアが開いた。
「……お前がそんな風に笑ってるところを、この家で見るとはな」
 現れた壮年の男に、どきりとした。眉間に深い皺が何本も刻まれている。苦虫を噛み潰したような顔、ってやつだ。
「隆兄さん」
「お前に兄呼ばわりされる謂われは無いがな」
 不機嫌そうに男は吐き捨てた。
「その子供は?」
 じろり、と睨まれた。
「九頭竜久遠君です。久人の息子の」
 久本の言葉に四条隆は目をむいた。
「……あの放蕩者の恥知らずの私生児か!?」
 俺は眉を顰めた。……こいつの反応って誰かに似てないか? つーかアンタ何様だよって感じの……。
「隆兄さん。籍に入ってる場合には私生児とは言いませんよ。訂正してください」
「何処の馬の骨ともつかぬようなのは私生児同然だ!!」
 どういう理屈だよ?
「あなたの法律ではそうかも知れませんが、日本の法律では違いますから。名誉毀損で訴えますよ」
「ふん、証拠でもあるのか?」
 無かったら何言ってもいいって法律もねぇだろ。
「無かったら言いませんよ」
 久本はそう言ってテープレコーダーを取り出した。いつの間にそんなもののスイッチ入れてたんだ?久本。
「貴様……っ!!」
 激昂する四条隆に、久本は笑った。
「まあ、これは単なる脅しですけど」
 単なる脅しって……そういう事言うか? 普通。
「……貴様、何を考えてる」
「この家を無事に出るための『保険』の一つですよ。勿論、無事に出してくださいますよね?」
 にっこりと笑う久本の顔は、一見善良そうだが悪魔のようだ。
「……まあ、今回の事は許しておいてやる」
 こほん、と四条隆は咳払いした。……この男、いちいち偉そうで気に食わない。すげぇムカつく。イライラする。
「本題に入ろう」
 そう言って、四条隆は俺達の向かいに腰掛けた。
正樹[まさき]叔父の通夜・葬式、本邸で執り行われるが、ここに滞在する三日間、通夜と葬式以外の理由でこの外出するのは控えて欲しい。俺が指示するまで部屋から一歩も出ないように。何かあれば内線で執事の米崎に連絡すること。……決して人目に付くな。良いな?」
 って命令かよ? 一体どういう了見だ。ふざけてんのか?
「それはあなたの弟としての僕に言ってるんですか? それとも、『久本当主』としての僕に?」
 久本はにっこり微笑んでそう言った。悪戯を考えてる子供のような、好奇心と期待に満ちた瞳で。
 四条隆は眉を顰めた。久本はにやにや笑っている。目がきらきらと楽しそうに光ってる辺りが……性格が悪い。
「……問題は起こすな」
 四条隆は苦虫を噛み潰したような顔で言った。
「質問に答えていませんよ? 隆兄さん」
「お前の母親がこの屋敷に来てからというもの、どれだけこの『四条』に迷惑かけてきたか判ってるのか!? こと、お前と来たら恥知らずな醜聞ばかり引き起こして!! 俺達『四条家』がお前のためにどれだけ労力と尻拭いをさせられてきたか、判って言ってるんだろうな!? 貴明!! この薄汚い淫売の血を引く下郎が!! 養ってやった恩も忘れて……っ!!」
 醜悪な男だ。赤黒い顔で怒鳴る、身長百八十五cmの恰幅の良い初老の男が、横に潰れかけたヒキガエルに見えた。
「……あなたに言われる筋合いはありませんが」
 久本は薄く笑んだ。久本は平気な顔してるけど──俺は、我慢できなかった。誰かに似ている──そう思ったのは、久本由美子だ。あの、胸クソ悪い女。それより更にタチが悪い。吐き気がする。
[かなめ]を殺したのも、皐月[さつき]さんを殺したのも、全てあなたですよ。あなたは僕のせいだと思いたいだけだ」
 冷静な声で、静かに久本は言った。
「何!?」
 四条隆は、相手を殺しかねない目つきで睨み付けた。
[なつめ]を大切にしてあげなくちゃ駄目ですよ、隆兄さん。今となってはたった一人のあなたの家族なんですから」
「……だっ……!!」
 四条隆は顔を怒りで赤く染めた。憤怒の形相で睨み付ける。
「誰のせいだと思ってるんだ!!」
 四条隆が右手を振り上げた。その右手が強く握られ、上から振り下ろされようとするのを見た瞬間、カッと血の気が上った。理性の糸が切れた。考えるまでもなく体が動いていた。
「たっ……つやくん!?」
 四条隆の拳が腹を掠めた。けど、その瞬間には俺の正拳突きが相手の腹に入っていた。
「ぐぉっ!!」
 踏み潰されたヒキガエルみたいな声を上げて、ソファに沈み込んでうずくまった。それを見て、久本は大仰な溜息をついた。四条隆はまともにダメージ食らって立ち上がれない。腹を抱えて呻いている。更に殴ろうとした俺の腕が、掴まれる。
「……本当、困った子だね。『久遠』君」
「離せ!! 離せよ!!」
 涙が出そうだった。体が熱くて。瞳が熱くて。あのクソ女の時もそうだけど、なんで我慢してるんだよ!! どうしてそんな風にやられっぱなしで平気なツラできるんだよ!! 悔しくないのか!? プライドないのかよ!? 冗談じゃねぇだろ!? アンタはやられてにこにこ笑ってるタイプじゃない。先のユミコの時に思い知らされた事だけど、アンタはプライド高くて、卑屈な態度取りながら、相手の動向伺って何か物騒な事企んでるタイプだ。そのためになら何だって利用する。人の心だって平気で傷付ける。欲しいもののためならなんだってする。そんな事は知ってる。そんなの十分思い知らされた。それでも!! それでも黙って見過ごせない。俺は絶対我慢なんかできやしない!! だってアンタが殴られて笑ってにこにこしてるようなタマじゃないって知っているから。黙って見てなんかいられない!!
 アンタが笑顔の裏で、笑ってないから。なのに俺が黙ってそれを見てなくちゃならないのか!? プライド高いアンタが踏みにじられる姿を!!
「駄目だよ」
 そう言うと、背後から抱きすくめられた。
「!?」
 耳元に、甘く囁かれた。
「もういいから」
 その途端、膝から力が抜けて、がくりと倒れ込みそうになった。久本はそれを抱き留め、強く抱きしめた。不意に目頭が熱くなって、涙がこぼれ落ちる。久本の指が涙の粒をすくい上げ、そのまま髪に絡められた。
「泣くような事じゃないよ」
 その声がひどく優しく甘く響いて。俺の喉から声が突いて洩れた。……情けなくも、号泣していた。声を上げて。
「困ったな」
 そう呟くと、俺を解放し、着ていた上着を脱いで俺の頭と顔を覆うように被せた。それから部屋の電話の受話器を取り上げる。上着の隙間から俺は久本を見上げた。
「もしもし? 隆兄さんの迎えに来て欲しいんだけど。人手を何人か。少々トラブルがあったんだ。力のある人間を頼むよ」
 そう言うと切った。
「奥の部屋に行ってなさい」
 久本は言った。
「お前は?」
 鼻声だった。……情けない。
「後で行くよ」
 そう言って、柔らかく笑った。穏やかに。優しい顔で。甘い声で。だまされそうに。
「だけど……」
「僕は大丈夫だから」
 俺は、促されるままに奥の、寝室になってる部屋へのドアを開けた。

 暫く経つと、落ち着いてきた。良く考えたら、俺が怒る筋合いも、心配してやる必要なんかも無かった。そんな事は最初から知ってる。あんな奴心配してやるだけ無駄でバカらしいって。
 戻ってきた久本は笑って言った。
「……乱暴はいけないよ。年寄りを虐めちゃ駄目だろう? 『久遠』君」
 五十代の男を年寄りか。確かにクソジジイだが。
「殴られそうになったのにか?」
 俺は久本を睨み上げた。
「気にする必要無いんだよ」
 にっこりと久本は笑った。
「年寄りに殴られたってダメージ無いから」
 そういう事言うか? 笑うな。ムカつく。あのユミコって女の時も腹立ったけど、あのジジイ相手だと更にムカつく。
「黙って殴られてやるつもりだったのか?」
 眉を顰めると、久本は笑った。
「僕は相手に殴らせておいて、三倍に返すのが好きなんだ」
「悪趣味だな。やり返すんだったらその場でやり返した方がてっとり早いだろう。大体お前、三倍程度で済むのかよ?」
 久本はくすくす笑った。
「すぐにやり返したんじゃ、相手に思う存分殴って貰えないじゃないか」
「…………」
 呆れて物が言えない。 それじゃ、望んで殴られようとしてるようにしか聞こえないぞ?
「……久本……お前……?」
「少しずつ地道に返すより、相手が油断しきったところでタコ殴りの方が実際効果的でしょう? そういう訳だから心配ご無用。いいかげん僕のやり方理解してよ? 猫被ってないんだから」
「…………っ!!」
 この男はっ!!
「お前どうしてそういう男なんだ!?」
「大体、自分の手で殴ると僕の手が汚れるから好きじゃないんだけどね」
「…………」
「素手で人を殴るのは実際あまり良くないんだよ。相手を殴って自分の手に傷が付いたり返り血を浴びるんじゃ、割に合わないじゃないか」
  ……どうせ、俺がバカなんだろう。何を考えたって、俺が単にバカなだけなんだろう。判ってる。判ってるつもりだ。知ってたつもりで──なのに、ショックを受けたりする俺は、たぶん大バカ野郎なんだろう。学習能力が無い、というか。
「……自分が汚れたり傷付くのが厭?」
 苦い想いでそう言うと、久本はけろりとした顔で言った。
「そうだね。無駄な事をするのは僕本来の『主義』じゃないから」
 ……俺のしたことは単なる『無駄』かよ。怒る気にもなれない。あまりにも自分がバカすぎて。
「だから、君がそんなに怒る必要は無いんだよ」
 そう言うと、久本は俺の額をそっと撫でた。どきん、と心臓が跳ねた。
「なっ……!?」
 ぎし、とベッドが軋んだ。久本が膝を、シーツの上につき、両手を俺の両脇に置いた。
「な……に……?」
 声が上擦り、語尾が掠れた。
「何、怖がってるの?」
 笑って久本は言った。
「こっ……怖がってなんか……っ!!」
「そう」
 久本は目を細めた。俺の上にまたがるように覆い被さって、真正面から俺を見つめて。左手は俺の腰のすぐ近くに、右手を俺の顎に伸ばしてきた。
「なに……してんだよ……?」
「何って」
 久本はくすりと笑った。
「判らない?」
「判るか!!」
 後じさろうとして、そのための距離が背後に無い事に気付いて、ぞくりとする。形の良い指が、俺の顎を捕らえた。
「なんなんだよ……?」
 じりじりと、久本の顔が寄せられてきて、俺は逃れる事も視線を逸らす事も出来なくて、呆然と見つめていた。かあっと耳まで熱くなって、頭がぼうっとして、俺は魅入られたように固まっていた。不意に、耳元に息を吹きかけられて、思わず呻いた。久本の右手が顎から離され、俺の右耳へと伸ばされた。次の瞬間、耳元でぐしゃり、と金属質な音を立てて、何かが潰された。
「……?」
 久本はにっこりと満足そうに笑った。
「……は?」
 そのまま久本は何事も無かったかのように顔を上げた。
「じゃ、寝てていいから」
 何っ!?
 俺は両目を見開いた。久本はさっさとベッドから降りて、すたすたと続き間に向かおうとする。
「ちょっと待て!! 久本!!」
「なんだい? 『久遠』君」
 けろりとした顔で振り返る。
「今のは一体何だ?」
 久本は笑った。
「盗聴器。もう潰したから暫くは平気」
「平気ってお前……っ!!」
「僕は用事があるから。子供は寝なさい」
「子供扱いすんなっ!!」
「義務教育も済んでない子供のくせに」
 ……たっ……確かにまだ肩書きは中学生で、そのくせ学校行ってないけど!!
「子供は十時過ぎたら寝た方が良いよ。身長伸び悩んでも知らないよ?」
「…………」
 そのガキに今一体何をしたんだよ。
「……ああいう事普通するか?」
「何? 発情した?」
「がっ……だっ……!!」
 なんて事言いやがるんだ!! 青少年に!!
「久本!!」
「でも僕は稚児趣味は無いから。悪いけど」
「だったらああいう事すんなっ!!」
 激昂した。
「うわ、真っ赤。純情だなぁ。そういう反応新鮮だよ。要を思い出しちゃうね」
 カナメ。
 胸がずきり、と痛んだ。
「何なんだよ? アンタ」
 俺のこと、玩具にしか思ってない男。極悪で最低で鬼畜で悪魔で。
「誰にでもこんな事してんのかよ?」
 腹の底からこみ上げてくる、ねっとりとした熱いもの。
「まさか」
 久本は笑って言った。
「俺を何だと思ってんだよ?」
「拗ねているの? 子供扱いしたから?」
 どうしてこの男は!! 人の気持ちって奴を考えないんだ!! 呆れるくらい鈍感で冷酷で、酷薄で!!
「俺に触るな!! 近寄るなよ!!」
 そんな事はとうの昔に判ってるのに。それでも泣きそうな気持ちになったりする俺は、ただのバカなんだろう。
「行くんならさっさと行けよ!! 俺に構うな!! 放っとけよ!! もう!!」
「何、怒っているの?」
 きょとん、とした顔で。
「俺に殺されたくなかったら、今すぐ出てけ!! お前の顔なんか見たくない!!」
 見たくなかった。本気で見たくなかった。決して俺を愛したりしない男。俺の事を人間だと思わない男。自分と対等だとは絶対に思わない男。こいつは絶対に俺を理解する筈が無かった。俺は絶対この男を理解出来る筈が無かった。そんなのは幻想だ。
 俺を傷付けても、俺が傷付けられても、全然平気な男。絶望的に。
「出てけ!!」
 久本は困ったように笑った。
「龍也君」
「出てけよ!!」
 じゃないと本気で殺したくなるから。許せなくて。苦しくて。本気で怖くて。自分を止められなくなりそうで。
「一つだけ、覚えておいて」
 久本が言った。
「どれだけ君に嫌われようと、僕は君が好きだから」
 その一言を告げると、背中を向けて出て行った。呆然と、見送った。その背中が妙に淋しげに見えて。
「……久本……?」
 返事は、無かった。

To be continued...
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