NOVEL

週末は命懸け10「恩讐」 -6-

 全てにおいて万全で、必ず成功する策や案、などというものはない。全ての事柄に、成功と不成功の両方の確率がある。が、入念や事前準備などによって、その確率を上げる事は可能だ。爆発の数分後には、人員を集中させた箇所と、最低限の人員を残す箇所の采配・移動が完了した。笹原の病室から一度廊下に出て、中原への連絡を済ませてしまう。
「俺は、こっちで全体の指揮・采配をするから、お前はそこで志賀といてくれないか? 何か新しい情報が入ったら連絡してくれ」
[なっ……郁也様!?]
「心配するな。こちらには笹原の他に、高木、篠原、市村、横川がいる。まさか志賀を作戦本部に置いておけるわけないだろう? お前なら、志賀を確保しておけると見込んで頼んでるんだ。できるだろう?」
[……まさか、あなた最初から俺をここに置き去りにする気で……]
「欲しいというなら、後で個人的にご褒美してやるよ。……それでも嫌か?」
 小声で囁く。
[……あなたという人は]
 中原は溜息をつく。
[俺が嫌だと言っても……戻って来る気はないんじゃないですか?]
「悪いとは思ってるよ」
[どうだか。……あなたがそうであるように、俺だって、志賀と二人きりでなんかいたくないんですよ? どうせ二人きりなら、あなたと一緒に……]
「中原。俺は、お前の怪我が完治していたら、絶対にお前を置き去りになんかしないぞ」
[…………]
「心配するな。危険な事なんかしないよ。俺も命は惜しいからな。……だから、安心して待ってろ。有力な情報が入ったら連絡してくれ。俺はこれから忙しくなるけど、お前からのメールや電話は、ちゃんと受けるから」
[……郁也様……]
「そういうわけだから、頼む。じゃあな、中原」
 そう告げて、切る。……もしかしたら、文句の電話かメールが来るかも知れないけど。笹原の病室の扉を開けて、顔だけ覗き込んで、言う。
「じゃ、俺、行って来るから。何か動きがあったら連絡してくれ」
「本当に一人で大丈夫ですか?」
 笹原が尋ねる。
「大丈夫。……本当に俺一人ってわけじゃないし、こっちに割ける人員もいないだろ? 心配するな。ガチの勝負じゃ自信ないけど、そうでなけりゃ、少しは心得もある。相手を倒すことなんかは無理だけど、最低限自分の身を守ることと、逃げ回ったり、かく乱することくらいだったら、どうにかなるから。こんな大掛かりなのは初めてだけど、荒事や面倒事には慣れてるからさ。ヤバイ時はSOS出しながら必死で逃げるよ」
 そう言って、襟裏や胸ポケットなどに取り付けてある発信器や盗聴器の装着や、ポケットの中の爆竹や小型の警報ブザー、催涙スプレー内蔵スタンガンや、病院の見取り図などのデータが入力されたPDA等の装備を確認し直す。銃やナイフ等が無いのは、あっても俺には使いこなせないからだ。相手がケンカや犯罪のプロじゃ、木刀や竹刀なんかも、重くてかさばり、邪魔になるだけだ。
「それじゃ、行ってくる」
 そう告げて、廊下へ出る。
「スタンガン、一度で良いから使ってみたかったんだよな」
 そんな台詞はあまり堂々と言えたものではないが。笹原から簡単なレクチャーを受けた。普通のスタンガンだと、操作や格闘などに慣れていないと、意外と使いにくく実践的ではないが、催涙スプレーであればある程度離れていたり、ピンポイントで狙わなくても攻撃できる。相手を倒すほどの出力は無い小型・軽量な代物だが、攪乱し逃げ回るだけなら十分だ。無論、この手の防犯グッズは、自らでは避けられないある程度予想される危険から自分の身を守るためにあるのであって、避けようと思えば避けられ、しかも自分が殺されるかもしれない状況だと判っているのに、自ら危険の中に飛び込んで使用するものではない。本来の使い方からすれば、かなり間違った使い方なのだが。
「だからと言って、素直に守られて、高みの見物ってのは趣味じゃねぇんだよ」
 狙われているのが、中原龍也だと知っているなら、尚更だ。自分でも無茶だという自覚はある。あるけど……これで、この春からの原因が一気に掃除できるんならせいせいする。どんな理由があろうと、犯罪は犯罪だし、人殺しは人殺しだ。情状酌量の余地なんて無い。法律が許しても、俺が絶対許さない。
「……ケンカ売った相手が俺だったことを後悔させてやるよ」
 本当の標的が俺じゃないとしても。中原と俺と、俺の友人・知人達に危害を加え、巻き込んだことだけは事実だから。俺は、ある程度故意に作られた警備の穴を縫って、一階搬入口へと向かう。だいぶ数は減ったが避難する者、それを誘導する者や、侵入者や爆発物などに警戒の目を光らせる者たちが混在している。俺は忍者の真似なんかできないから、警戒の厳しいところは避けてみたり、わざと音などを立てて、そこへ人間を集めたりしながら、階下へと降りて行く。人目を忍ぶなら、忍者・隠密ものやスパイ映画みたいに、天井にぶら下がったり、ダストシューターや避難用の階段などを通ったりするより、普通に使われている通路や階段の方が楽だと俺は思う。誰がどういう経路で、どのように歩き回っているか、全て手持ちのPDAに入力さえている。たまに、そのデータと多少の誤差がある場合もあるが、七割ほどは信用できるため、今のところは何とかなりそうだ。このデータ無しに警戒網をかいくぐるのは無理だけど。無事一階までたどり着いたところで、携帯が振動する。俺は周囲に人目がないことを確認して、電話を取り出す。……発信者は中原。
「……もしもし?」
 幾分声をひそめて、応える。
[志賀の電話にメールが届きました。そちらに転送したんですが……]
「まだ届いてないみたいだ。後で確認する。……迎えの連絡か?」
[今から二十秒後に突入すると。気を付けてください。どこに仕掛けられているかは不明ですが、多数の爆弾が仕掛けられていると……]
 その時、轟音と共に灼熱の光線が俺の寄りかかっていた壁を破壊し、声を出せないまま破片と共にリノリウムの床に叩きつけられた。
 目の前が一瞬真っ白になる。……気絶はしなかった。激しい痛みに襲われ、俺は呻いたが、自分の声が全く聞こえない。視界も閃光にやられて、何も見えない。……痛みがあるって事は、感覚は麻痺していないということで、怪我の具合にもよるが、動かそうと思えば動かせるはずだ。手に握っていたはずの携帯電話の感覚は何故か無い。放り投げ出されたか、手の感覚がなくなってしまったかのいずれかだが、そっと指を動かしてみると、ちゃんと動く感じがしたから、どこかに飛ばしてしまったのだろう。吐息をついて、両手をついて、身体を起こす。こんな事なら耳栓とサングラスでもしてくるんだった、と思うけれど、時既に遅し、だ。
 俺も迂闊だよな、と自嘲する。策士策に溺れる、というやつだ。今、襲われたら、何の防御も出来ない。だって、俺は、自分の目と耳が同時に使えなくなった時の訓練なんて受けてない。今、危害を加えられたら、間違いなく俺は死ぬ。逃げることも、抵抗することもできずに。……冗談じゃない、と思う。聴力と視力は回復しなかったが、誰かが走ってくる気配は感じた。相手が敵か味方が判らない場合は、姿を隠した方が得策だが、この状況じゃ下手に逃げ隠れする方が、より危険だ。だから、ポケットの中で、スタンガンを握りしめる。相手が敵か味方かを判断する方法は、視界が閉ざされる直前に見た光景と記憶、それと勘だ。人間の気配が段々と近付いて来る。今だ、と本能が教えるその瞬間に、スタンガンを取り出し、スイッチを押そうとした瞬間、抱きすくめられる。
「!?」
 違う!! 中原だ!! 慌ててスタンガンを放り出した。
「……っくや様っ……!!」
 じわり、と聴力を回復してきた耳を、中原の声が打つ。
「……どうして……こんな無茶な……っ……本当にあなたって人は……っ!!」
「……ごめん」
 手を伸ばして、中原の顔を探り、撫でる。
「ドジった。閃光にやられて目が見えない。……その内回復すると思うけど……それまで足手まといになりそうだ。これが終わったら、真面目に特訓することにするよ」
「そんな事言ってる場合じゃないでしょう。死ぬかと思いましたよ」
「……判ってる。俺がお前を守ってやるつもりだったのに」
 言うと、中原は溜息をつくように言う。
「そんなこと、あなたはしなくて良いんですよ」
「どうして? 迷惑か?」
「迷惑とかそういうんじゃない。あなたに何かあったら、俺は死にます。だから、自分の身を大事にしてください。じゃないと、心臓がいくつあっても足りない。苦しくて死にそうな気分になる。こんな思いはもうたくさんだ。俺の心臓は弱いんです。俺のこと好きなら、無茶なことや無謀なことは絶対しないでください。俺を殺す気ですか?」
「……ひどい言い方だな」
 俺は苦笑した。
「でも、ごめん。ドジった件については謝る。……でも、俺はお前を自分の手で守りたいと思ったことだけは、謝らないぞ。間違ってるとは思わないからな。だから、お前の言葉に全面的にYesとは言えない。悪く思うなよ」
「あなたを悪く思ったりなんかしません。だけど、あなたを失うんじゃないかと思ったら、恐くて死にそうな気分になりました。文句くらいは言わせてください」
「うん。でもまあ、ほどほどに頼むよ、中原」
 そう言って口付けた。
「で。現在の状況は?」
 ぼんやりと見えてきた気がするが、まだ視界がしっかりしない。目を擦ってみるけど、まるで効果はない。まあ、当然だけど。でも、目の前にある中原の顔の輪郭くらいなら判るようになってきた。俺は中原の肩に手を置いてゆっくりと立ち上がり、周囲に耳を澄ます。銃撃や争いの音が遠くの方で聞こえる。
「……爆破されたのはどこだ?」
 俺が尋ねると、中原は答えた。
「一階搬入口近くの男子トイレ、です」
「……それって、志賀が待ってろと支持された場所じゃないか? ってことは志賀は切られたのか?」
「そうかもしれないし、裏切った、あるいは情報が漏れていると見ての措置の可能性があります」
 俺は苦笑した。
「志賀はどういう反応するかな?」
 俺が言うと、中原は不機嫌そうな声で言う。
「知りませんよ、あんなやつ。……もしや、普通にショックを受けるんじゃないかと心配してるんじゃないでしょうね?」
「どうかな。あれは、恋人や肉親が死んでも、物が壊れたのと大差ない反応しかしない男だぞ? 普通の反応はしねぇだろ」
「じゃあ、何を期待してるんです?」
「期待? そういうものじゃないさ。ただ、俺は……俺が一歩間違えばああいう人間になってたかも知れないと思って、それが恐いんだよ」
「郁也様はなりませんよ」
 妙にきっぱりとした口調だった。
「え?」
「郁也様と志賀は全然似ていません。長年あなたを見てきた俺が保証します。あなたは、まかり間違っても、あんな人間にはなりません。あなたはもっとずっとキレイで、それにとても優しい」
「俺が優しい? 嘘だろ? 俺はずっと他人に無関心で、相手の気持ちも考えずに、言動して、そのために自覚なく相手を傷付けたり、泣かせたりして──いつだって後悔することばっかりだ。俺は何一つ、まともにできない役立たずで、どうしようもない人間だ。せめて一つ身体張って何かやろうとしてみてもこの様だ。お前がいなくちゃ、何一つまともにできない。……今ほど自分という人間が腹立たしいと思うことはねぇよ」
「……だから。志賀になくて、あなたにあるのは、それですよ、郁也様」
「え?」
「あの男は、他人の気持ちどころか、自分の過去や犯した罪を顧みない。後悔せずに生きてるんです」
「……後悔……しない?」
「俺は以前あなたに、後悔は、結果がどうあれ、必ずするものだと言いましたよね。今、訂正します。少なくとも、あの志賀秀一は、後悔というものを全くしない。自分の言動が原因で、その結果何があっても、反省しない、顧みない、その意味や理由・原因を追求しない、思考しない──そんなものはまさしく人間以下、獣にも劣る外道の生き物ですが、それでもあれが人間ではないとは言い切れない。でも、あれが人間の本質ではないということだけは、はっきり言える。……志賀秀一は、人が生まれついて持っている『自分の過去を反省し、後悔する』という事ができない欠陥人間ですよ。たまにああいうのがいるんです。でも、それはあなたのせいではないし、誰のせいでもない。だから、妙なのにぶつかったと思って諦めて、二度と関わらないことです」
「……中原」
「じゃないと、あなたが傷付く。俺は、それが許せない。あなたは、あんなやつにまで情けをかけてやる必要はない。あんなのは放置しておくべきです。あなたはきっと、あの男によって傷付けられるかも知れない、未来の被害者のことなどを心配しているのかもしれませんが、そんなことは余計なお世話ですよ。俺の本音だけ言えば、あんな男のことなど忘れて、俺だけ見てくださいってところですが、それとは関係なしに、俺はあなたを心配しているんですよ」
「……うん……言いたいことは判る」
「だったら……」
「でも、俺は、志賀のような人間にもなりたくないし、久本貴明のような人間にもなりたくないんだ。俺は、いつだって負けたくないと思ってる。特に、弱い自分自身に、だ。別に俺は、見知らぬ誰かを救おうとか、世界の平和を守りたいとか、そういうことは考えてない。目の届く範囲にいる、俺が大切に思っている人間が、誰かに、何かによって、傷付けられるのが許せないだけだ。……理屈じゃない」
「……あなたは、本当に優しすぎる。あなたが優しいのは俺に対してだけで良いのに」
 俺は苦笑した。
「それはお前の都合だろ。でもまあ、そういうお前も嫌いじゃないからな」
 頬を寄せた。中原が俺を抱きすくめる。
「俺は全然優しくないよ。自分勝手なだけなんだ。……だから、やりたいことを、やりたいようにやる。ごめんな、中原。でも、お前の言うことを軽んじてるわけじゃない。……考えもしなかったけど、お前の言うとおり、志賀は、後悔しないで生きてる人間なのかもしれない。でも、そんな人間でも、後悔することを教えてやったら、少しは変われるんじゃないか? 俺は、甘いかな」
「……甘い、ですよ。俺は到底、あの男が誰かの言葉などで変われるとは思えません。あいつは、人の話をまともに聞いていない。すべて聞き流している。だから、きっと届かない。あなたはきっと泣くことになる。俺はそんなの、見たくありません」
「それでも、俺は、後悔して泣くのだとしても、何もしないで諦めるようなことだけはしたくないんだ。それだけは嫌なんだ。俺が、俺じゃなくなる。……だから、思うとおりさせてくれ」
「あなたは、いつだって自由ですよ。俺には眩しくて、憧れで、いつも心臓を高鳴らせながら、あなたを見ている。あなたという存在そのものが奇跡ですよ。俺にはもう、あなた以外の人間は愛せない。それくらい、あなたは俺の心を捕らえている。俺はあなたの下僕ですよ。だから、あなたは俺に、傲慢に命令して良い。俺は、それがあなたの花のような唇からもたらされる言葉であれば、どんな言葉でも命令でも、従います。そうすることで、俺は喜びを感じるのですから」
 さすがにそれはないだろう、と苦笑する。
「勘弁してくれよ、中原。お前はもっと自分を大事にしろよ。そんな下僕宣言されても、俺は困る。俺はお前と対等な人間になりたいんだ。できることならな。……だから、そういうことは言うな」
「でも、俺の正直な気持ちです」
「嫌いになるぞ?」
「……っ!」
「なあ、中原。お前は本当は、俺よりずっと自由に生きられるはずなんだ。俺の都合で、俺のそばにいろなんて言ったけど、お前が嫌だと思ったら、すぐにでも離れて行っていいんだ。そりゃ、そうなったら俺はたぶん傷ついたり悲しんだりするかもしれないけど、それは俺の都合で、お前とは関係ない事だ。俺は、苦しそうなお前は見たくないんだよ。……だから、もっと自由に、幸せになってくれ。俺も可能な限りは努力する。お前は、自分という人間を、自分で作った枷で、拘束しすぎだ。卑屈になるな、誇りを持て。俺は、もっと自信と誇りに満ちたお前の目を見たい」
「……難しいですよ」
 晴れてきた視界の中で、中原が困惑した顔で言う。それが、迷子の子犬みたいに見えて──ああ、俺もそうとう病気だ──思わず抱きしめていた。
「……えっ、な? い、郁也様?」
 口づけ、その熱い唇を吸うと、強く抱きしめ返された。
「……お前が好きだ」
「郁也様……っ」
 中原の声が、少し、かすれた。
「だから、一緒に幸せになろう。な?」
 そう言って薬指を差し出す。中原は困惑した表情を浮かべながら、それでも同じように薬指を差し出してくれた。そうして、二人で指切りする。
「じゃ、行くか。視力も回復したし」
 俺が言うと、中原は憮然とした顔になる。
「どこへ行く気ですか」
「とりあえず現在の状況を把握したいな。行動はそれからになる。でも、いつまでもここにいたって仕様がないだろ?」
「……あなたという人は」
 そう言って、中原はため息をついたが、ゆっくり頷いた。
「俺は、あなたの行くところであれば、どこにでも着いて行きますよ。あなたを守るのが、俺の仕事だ」
「悪いな、中原。怪我人こき使って」
「気にしないでください。俺はあなたに気にされたくありません」
「ひどいな」
 笑いながら、中原の手を握った。
「え?」
「ちょっとだけな」
「……どういう意味です?」
 きょとんとした顔で尋ねる中原に、俺は笑った。
「内緒」
 ただ、単に手を繋ぎたかっただけだなんて、そんな理由──言えるもんか。

To be continued...
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