NOVEL

週末は命懸け9「血」 -12-

 愛があれば、なんだって許されるだろうか? 愛さえあれば、どんな障害も乗り越えられるだろうか? 応えは『否』だ。許せないものは何だって許せないし、越えられない障害は絶対越えられない。
「郁也様! 郁也様ったら!!」
 俺は中原の声を無視して、早足で歩く。俺が競歩並の早足で歩いてるつもりなのに、中原が余裕でついてくるという辺り、更に怒りに拍車をかけているかもしれないが、俺が怒っているのは、無論それとは別物だ。
「そんなに怒らないでくださいよ」
 その言葉に、ぴたっと、足を止めた。
「……怒るな? お前、自分が何をしたか判ってて、それを言ってる?」
「別に良いじゃありませんか。野木は気付かずに行ってしまったんだから」
「……本当に、お前、そう思ってるのか?」
「え? どういう意味です? あいつ、鈍いから大丈夫ですよ。それにバレててもちゃんと口止めしておきますし。それに、郁也様も興奮して、気持ちよさそうだったじゃないですか」
「……中原」
 怒りで、声が掠れる。
「はい」
「……お前、暫く絶対安静。入院中は俺に触るな」
「え!?」
「……お前はろくなことしないからな。少しは良い薬だろう。大体、シモのことばっかり考えてるみたいだしな。気分を変えて、たまには高尚なことを考えてみたらどうだ?」
「ちょっ……待っ……い、郁也様!?」
「お前みたいなバカに油断して甘い顔した俺がバカだった。……お前に常識がないことも、際限がないことも、知っていたはずだったのに。お前が、一般良識と常識身につけるまでは、俺はお前を甘やかさないことにした。それが、俺の身のためでもあるということが、良く判ったからな」
「いっ……郁也様……っ」
「お前を調子に乗らせると、ろくなことにならないってのは、良く理解できたよ。本当にお前というやつは、油断がならない上に、ろくでもないよ」
「……だって喜んで……」
「黙れ」
 びしりと言い放った。中原はぴたりと黙る。
「今日のことは、忘れろ。お前が良識を身につけるまでだ。……それまでに思い出して、あのことについて言及したら、許さない」
「いっ……郁也様ぁ!?」
 中原は情けない悲鳴を上げた。だが、俺は容赦しない。……本当に、俺は苦しかった。声をあげまいとして、声を噛み殺し、死にそうな思いをした。中原は好きだけど、だからと言って、野木にやってるとこ見られたり聞かれたりしたいと思えるほど、好きだとは言えない。
「以上だ。弁明と抗議は受け付けない。判ったな」
 そう言い放ち、歩き出す。中原は呆然として、立ちつくす。溜息をつきながら、それでも歩調はゆるめない。甘い顔したら、今度は何をされるか判らない。……それはごめんだ。いくら好きでも、愛していても、許せることと許せないことがある。たぶん、しょんぼりとした顔をしてるのだろうけど。……胸が痛い。くそ。なんで……なんで俺は、ああいう質の悪い男が好きなんだろうな。本当、どうしようもない。好きだけど……だからといって、四六時中あんなことされたら、俺の身が保たない。
「郁也」
 ぎくり、とした。社長の声だ。慌てて顔を上げると、そこに、久本貴明とそのボディーガード、そして、志賀秀一が立っていた。
「え!?」
 志賀は、拘束されていなかった。
「ど……っ!!」
 どうして、と尋ねる前に、社長は笑って言った。
「志賀君は我々に有益な情報を流してくれてね」
「え?」
「おかげで棗と楠木の居場所が特定できた」
「…………」
 つまり、こいつは、仲間を売ったということだ。
「それと、彼、志賀君は、武芸の心得があるらしい。それと、T大学の法学部を卒業していてね。また、教免を持ち、塾の講師をしていたこともあるのだそうだ。君の家庭教師として雇うことにした」
「なんですって!?」
 俺は思わず、悲鳴を上げた。
「ちょっ……待ってください!! その男は……っ!!」
「たぶん、彼は君の良い教師になると思うよ? さっき、軽く手合わせしてもらったが、かなりの達人のようだ。剣道・柔道・空手・合気道に弓道、だったかな?」
「ええ。それとアーチェリーや乗馬にライフル、爆発物も扱えます。乗り物は、車・バイクの他に、戦車やヘリコ、小型飛行機もイケます。あと、船舶免許は二級を持っています」
「……だ、そうだ。色々参考になることも多いだろうから、彼に師事して勉強すると良いだろう」
「まっ……待ってください!! その男は……敵ですよ!? 信用できるんですか!?」
「大丈夫だよ。さっき話してみたが、彼はなかなか話の判る人だ。それに、君をとても気に入ったそうでね。ぜひ、教師となって、色々教えたいと。君は彼を投げ飛ばしたそうだが、彼はそんな君の能力をもっと伸ばしたいと言っている。ちょうど楠木の後任を探していたところだからね。彼は適任だろう。僕は君に武術の達人としての能力ではなく、総合的な能力や、基本的な護身術を身につけて欲しいと願っているからね。彼は、サバイバル体験もしているから、実に勉強になるだろう」
「と、いうわけだ。よろしく、郁也」
「……っ!! お、俺は……俺は厭です!! 絶対厭です!! 別に俺に付けなくても良いでしょう!? どうしても雇うというのなら、別の……っ!!」
「おや、郁也。君は彼が気に入らないのかい?」
 社長は軽く目を瞠った。
「ああ、それは、俺がさっき彼を怒らせるようなことをしたからでしょう。それで、彼は俺に腹を立ててるんですよ」
「そうなのかい? 郁也、どうしても、彼に師事するのは厭かね? 君にはとても勉強になるし、後々役立つと思うのだけど」
「あー、どうしてもイヤだってんならしょーがないですよ。俺、もう、自宅へ帰ります」
「自宅ってどこへだい?」
「そりゃあ勿論、サンフランシスコですよ。ナリの野郎もいますが、まあ、俺がいれば、ヤツも油断するだろうし。俺がとっつかまったことは、きっと既に連絡行ってるでしょうが、別に俺は、情報洩らしたとか言いませんよ。自力で逃げ出したことにしておきます」
「……しかし、大丈夫かね?」
「あー、平気ですよ。俺としては、もっとそちらに協力したかったとこですが、郁也がイヤだって言うなら、仕方ないですよ。俺も、嫌がる子供相手に無理強いしたくありませんし」
「そうかね。困ったな。……郁也、どうしても厭かね?」
 ……嘘だろ? 結託してるのか? なんで協力? どういう経緯で? っていつの間にだよ!!
「ま、でも俺の情報が正しかったのは確認できたんでしょう? だったら、後は俺がいなくても平気なんじゃないですか? 俺はもう抜けるし、後は棗本人が自分で動けば、すぐ判るでしょう? あー、俺は棗にそんな信用されてなかったんで、使い走りっきゃしてないんで、詳しいことは判らないんですよ。あいつ、俺なんか、中学時代からのダチだってことで、ろくろく給料出さないクセに人使い荒いですし。俺も、楠木くらいのボーナス出してもらってたら、寝返りなんか打たないですけど、スズメの涙っすからねー」
「……俺は、信用できません」
「そうなのかい?」
「絶対、信用できません」
「俺は郁也のこと、気に入ったから、情報回したんです。今更どちらの味方もしませんよ。もうこれ以上、冷遇されてるとは言え、友人を裏切りたくはないですしね」
 自分に求められてることは、判ってる。でも、この男を受け入れたくない一番の理由は。
「キスしたからって、そんなに怒ることないだろ? 郁也。心狭いなー」
 思わず、キレる。
「心が狭いだと!? 男が男にキスされて、黙ってられるか!! この変態!!」
 すると、社長は苦笑した。
「それは駄目だよ、志賀君。郁也はとても真面目なんだから。彼の意志を無視して、二度とそんなことはしないって約束してもらえないか? そうしたら、郁也も君を受け入れてくれるだろう」
「判りました。二度としません」
 絶対、嘘だ。
「そうか、有り難う。さて、郁也。これならどうだい?」
 拒否するのは簡単だ。簡単だけど……久本貴明の目は、これ以上何か言うことがあるか、と尋ねている。……俺は、観念した。
「……判りました」
 ものすごく、厭な気分だった。志賀はにやりと笑みを浮かべた、
「では、志賀君。日本で住むところはあるかね?」
「いいえ。俺、棗のところに住まわせて貰ってたんで」
「じゃあ、早速手配しよう。希望はあるかね?」
「そうだな。俺、夜景が好きなんですよ。だから、夜景がキレイに見えるところが良いですね」
「そうか。では、探させよう。部屋の数や大きさの希望は?」
「特にありません。一人暮らしですからね。ああ、でも、寝室はキングサイズのベッドが入る大きさが欲しいですね。俺、寝相悪いので」
 ……とても、厭な予感。この場に中原がいないことが、とても不安だった。
「……あの」
 話の途中なのは判っていたが、俺は社長に声をかけた。
「うん? 何だい?」
「中原の退院ですけど、早めにはできないんですか?」
「え? 龍也君の退院か。どうだろう。彼は無茶をしやすい子だからね。少なくとも傷が塞がるまでは、入院したままの方が安心なんだが。……郁也は不安なのかい?」
「……すみません」
「まあ、仕方ないだろうね。君とは幼い頃からの付き合いだし。君が不安がるのならば、仕方ない。彼を退院させよう。本人に言っても無駄だろうが、無理しないよう、君も注意してもらえないか?」
「はい、有り難うございます」
「いや、別に構わないよ。彼も早く出たがっていたからね。それに、郁也が我が儘を言うことは滅多にないからね。父親として、息子の我が儘を聞くのは嬉しいよ」
「…………」
「話はそれだけかな?」
「はい。お話中、すみませんでした」
「いや、構わないよ。僕はまだ用件があるから、ここに残るけど……郁也はどうする?」
 今は……ここにはいたくない。でも、さっき、あんなに冷たく突き放したのに、中原のところへ行くこともできない。
「家に帰ります」
「そうかね。では、野木君に声をかけて、送らせよう」
「有り難うございます」
 俺は頭を下げた。……中原の顔が、無性に見たかった。でも、今はまだ会いたくなかった。少なくとも、中原のいないところで、志賀秀一と二人きりになる気は毛頭なかった。今度は何をされるか判らなかったし、それ以上に、俺は中原が好きで、中原以外の男と、キスもそれ以上のことも、する気がまるでなかった。……まだ、この件は終わっていない。それどころか、まだ始まったばかりだ。
 久本貴明の甥だという四条棗という男。どういう男かは知らないが、あの社長の親戚であるということだけで、ろくなやつじゃないことは軽く想像がつく。それに、その友人だという男があれだ。今ほど、血のつながりというものが疎ましいと思うことはない。あの男、久本貴明を憎めば憎むほど、おぞましいと思えば思うほど、それは自分に跳ね返ってくる。望もうと、望まなかろうと、俺はあの男の息子で、あの血を引いているのだ。……俺は自分が、あの男のような鬼畜で冷酷な人間ではないと思っている。だが、本当にそうだろうか? 俺自身がそう思っているだけで、実際はそう大差ないのでは? 中原は、『苦しい』と言った。好きな男一人、満足に幸せにできない人間が、一体何を、誰を救えるというのだろう。別に、俺は誰かを何かを救おうなどとは思っていない。だが、俺は、中原を幸せにしてやりたいとは思っている。あいつは、ああいう男だから、それはなかなか難しいし、俺の希望するところとは、必ずしもそぐわなくて、そのために、俺はあいつの全てを受け入れることもできないのだけれど。
 さて、久本貴明は何を企んでいるのだろう。それは、四条棗や楠木成明が何を企んでいるのかということより重要だ。まさか、志賀をけしかけ、俺を襲わせるつもりは毛頭無いだろう。だが、中原の気をそらし、牽制したり、脅したりするのは有効かも知れない。……そう考えて、ぞくりとした。自分の身は、自分で守れなければ、ならない。誰も何も、信用などできない。藤岡昭彦と、中原龍也以外は。中原だって、ある意味では完全に信用はできないのだが、それ以外のことに関しては、完全に信頼している。もし、中原に裏切られたら、俺は間違いなく中原を殺すだろう。言い訳なんか聞かない。俺は中原龍也を愛している。だが、その全てを許せるわけじゃない。俺は、そんなにも心の広い人間には、なれない。
 中原はいつ、退院できるだろう? 早く会いたいような、会いたくないような、複雑な気分。会ってしまったら、また求めてしまう気がする。……なんとなく、恐かった。


〜エピローグ〜

「……楽しそうですね、社長。何か良いことでも、ありましたか?」
 社長秘書の土橋がお茶を机に置きながら言うと、久本貴明はにっこり笑って答える。
「うん? いや、仕事には関係ないよ。ただ、今日は郁也にお願い事をされてね」
「そうだったんですか」
「うん。郁也は本当に可愛いよ。もっと図々しく振る舞ってくれても良いくらいなのに、とても謙虚で控えめでね。でも、無理していて、いっぱいいっぱいなのは、目に見えてるんだ。もっとはっきり言いたいことを言ってくれれば良いのに、言わないんだよね。でも、頑張って自分の言いたいことを伝えようとしてくれてるのは判るから、そういうところがとても可愛いんだ。まだ十六歳なんだから、もっと我が儘でも良いのに。だが、そういうシャイなところも好きだからね。だから、つい、本当に言いたい事が判っていても、気付かないふりしてしまいたくなるんだよね。……これって意地が悪いかな?」
「さあ。私には何とも言えません」
 土橋は曖昧に微笑んだ。
「まあ、とりあえず、手配はしておいたけれどね。郁也の喜ぶ顔は見たいけど、ちょっぴり意地悪もしたい気分なんだ。何故か判るかい?」
「何故なんです?」
「それはね、おいしいところをトンビに全てかっさらわれた気分だからさ。だってねぇ? 考えてもごらんよ。ずっと可愛がっていた子供二人が、保護者役のあずかり知らぬところで、勝手に仲良くなって、こっそり結託して何か企んでるだなんて、ちょっぴり腹立たしくなると思わないかい? 二人とも、僕が引き合わせなかったら、出会えなかったことを忘れてるようだからね。だから、ちょっとくらいの意地悪は許されるよね?」
 社長の言葉に、土橋は返答に困り、苦笑する。
「僕を仲間はずれにしないでくれたら、ちょっとは許してあげても良いんだけどね……」
 久本貴明は微笑した。

The End.
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