NOVEL

週末は命懸け5「抱擁」 -9-

 クリスタル・ホテルの角を曲がる。裏通り、三本目を左折。……あった、喫茶『時雨』。入ると、まだ中原は来てなかった。奥の席に座る。
「……お飲物は?」
「……『連れ』がいるので、また後でお願いします」
「かしこまりました」
 それ程待たされなかった。……カラン、と音がして息を切らせて入ってくる長髪の男。合図したりしなくても、真っ直ぐに俺の方へ歩いてくる。俺の目の前、座った。手にはB5サイズのノートPC、パッケージごと。それと細かい物が入ったパソコンショップの袋。脇に下ろしていきなり俺の目の前で、ごそごそと中身を取り出し、梱包剤を外しビニールを引きちぎり、テーブルに置く。『取説』を椅子の上放り出して、同封のFDやらCD-ROMやら保証書やら取り出して、全部携帯用バッグへ詰めると、ゴミだけを箱に詰める。やって来たウェイトレスに、涼しい顔で言う。
「……すみませんコレ、捨てといて貰えますか?」
 ウェイトレスは明らかに困惑した顔をした。
「……それは『迷惑』だぞ?」
 俺は忠告した。
「……だってどうすれば良いんです? コレ」
「後で捨てりゃ済む話だ」
「珈琲で良いですか?」
 俺は頷く。
「……珈琲二つ」
 ウェイトレスは復唱して、立ち去った。
「OSその他インストール済みです」
「……OK」
「……何なんです?」
 俺は笑った。中原は顔を強張らせた。
「……『頭』は誰だ?」
 中原は硬い表情で訊く。
「……それを知ってどうするつもりです?」
 俺は声をひそめた。
「……『犯罪』にはしない」
 中原は、眉根を寄せる。
「……要は『後悔』させれば良いのさ。自分達のしでかした事を」
「……何があったんです?」
「……反吐が出る」
 俺は吐き捨てた。
「俺を本気で怒らせた事、『後悔』させてやる」
「……郁也様?」
「……『関係ない』人間を巻き込んだ事、取り返しのつかない『傷』を負わせた事……絶対に、『後悔』させてやる……」
 中原は眉をひそめた。
「……もしや……」
「……中原。お前、協力する気、あるか?」
「……『させる』気でしょう? 俺を呼び出すくらいなんだから。『用件』教えて下さい。抽象的な事ばかり言われたって困ります」
「……具体的に?」
 頷かれる。俺は冷笑した。
「……『破滅』させる」
 中原は硬直した。
「……は?」
 俺はもう一度、小声で言った。
「『肉体的』にじゃない。『精神的』に『社会的』に『破滅』させてやる」
「……何言ってるんですか?」
 訳が判らない、とでも言いたげだ。
「……そんなに長い時間掛けるつもりもない。速攻で終わらせる。ただ、『下準備』が必要だ」
「……郁也様……!?」
「……どうせ、ろくな事して無いんだろう? そこら中にばらまいてやる。……プログラミング得意なんだよな? ウィルスは作れるんだろう?」
「……それ、十分『犯罪』ですよ」
 呆れたように、中原は言う。
「一般人に『被害』もたらしてどうする。そんな事しても意味無いだろう? 『被害届』出せないトコに送ってやるんだよ」
 中原は苦笑した。
「……確かに、今コンピューターの入ってない『業界』なんて少ないくらいですけど……だからって……」
「……『時限性』の奴だ。一斉に同時多発させたい。手の付けられない程度に」
「……こういう場所でする話じゃありませんね?」
「場所を変えるか? 訊いてきたのはお前だ」
 中原は苦笑した。
「俺のせいにしないで下さいよ。俺は内容知らなかったんですから。その『構想』っていつ考えたんです?」
「……つい、さっき」
「……それで? 具体的に出来てるんですか?」
「……具体的かどうかは知らないが、大体は。ま、俺の頭の中の、机上の空論で実際『使える』かどうかは判らない。検討して煮詰める必要はあるだろうな」
「……あなた、本当にとんでもない人ですね。可愛い顔して」
「好きでこんな顔してるんじゃない。出来るだけ早く済ませたいんだ。……それと、ボディーガード回せるか?」
「……何人ほど?」
「そっちに関しては、任せる。お前、専門だろ? ケリが付くまでガードして欲しい。じゃないと、安心できない」
「……各二人ほど、回しておきますか? 『三人』しておいた方が良いんでしょう?」
「……頼む」
 中原は苦笑した。
「……本当、甘いんですね」
「……どうだかな」
 俺は苦笑した。
「……ただの『自己嫌悪』って気もする」
「……そうですか」
「それで、暇あったらプログラミング、教えてくれ。『基本』くらいしか知らないんだ」
「……何出来るんです?」
「……笑うなよ? 高校の『教科書』程度だ」
「……使えないですね。やめた方が良いですよ」
「『無駄』か?」
「『高校』の『教科書』がどの程度か知りませんが、『勉強』するならもっと時間を掛けてやった方が良いですよ。せめて自分でゲームプログラミングくらい出来るようなら、救いありますけど」
「……出来るかよ、普通」
「……上、行きましょうか? どうもヤバそうな話みたいだし」
「何か紙あるか?」
「……部屋にありましたよ」
 支払い済ませて、外に出る。ゴミと化した箱も持って。ビジネスホテル三階へ向かう。鍵を開けて、中に入る。
「……それで?」
「……まず、『頭』の名前訊かせろ」
 中原は肩をすくめた。
「……鷹森兼継[たかもりかねつぐ]。鷹森不動産、鷹森海運、鷹森商事社長。まだ三十三ですが、切れ者と誉れ高い男です。その父、隆継[たかつぐ]は取締役会長として現役です」
「……その『切れ者』ってのはどういう意味だ? まさか、頭の神経が『切れてる』って意味じゃないだろうな?」
「……鷹森兼継には、二歳下の妹が一人いましてね。これはあまり知られてない事ですが、二十六年前に、隆継と離婚した母親が堀内彰一[ほりうちしょういち]と結婚してるんです」
「……『堀内』?」
「『久本暁穂』殿の『旧姓』です」
「……つまり、その妹ってのは、うちの『後妻』なんだな?」
「そういう事です」
 どうしてコイツは、そういう回りくどい言い方するんだ。はっきり言えば一言で済む話だろう。
「勿論それは表向きの話で、『鷹森』の実質はマフィア。言い方を変えればヤクザです。まあ、厳密に言えばヤクザとも違いますが。企業としての体裁は、実質を隠す為の方便で……実際に働いてる社員の半数以上は『民間人』ですが、中にはうようよと怪しげなのが混じっているという……」
「……つまり、正面切っての殴り込みは、こっちには『不利』って事だ」
「『荒事』や『揉み消し』『隠蔽』なんかはお手の物ですよ。……あなたが何を企んでるのかは知りませんが……一筋縄では行かない相手です」
「……それであの『親父』が動かない?」
「……あの人が何を企んでるかなんて、俺ごときには到底理解不能ですよ」
 中原は冷笑した。
「……本当は、細かい処はどうだって良いんだ。詳しい情報は確かに有益なのは認める。……けど、俺には『保身』なんてどうだって良い」
「……『破滅的』ですよ、それ」
「俺はただ、やられた事は『倍返し』するだけだ」
「……郁也様?」
 俺は笑った。
「俺は本来、穏和でも博愛でも何でも無い。気に食わない物は気に食わないし、腹が立つ事は腹が立つ。……あんまりバカにされた事されると、ぶっ殺したくもなるさ。……けど、それ以上に腹が立つと、殺すだけじゃ飽き足りなくなる」
「……郁也様……一体……?」
「細かい事は、訊くな。悪いけど、最初に言っておく。俺はただ、腹を立ててるだけだ。腑が煮えくり返って、このまま胃に収めておく事が出来ない。……これで泣き寝入りしたら、俺は一生自分が許せない」
「…………」
 中原は無言で俺を見た。
「……一生『後悔』させてやる。二度と、俺に喧嘩売ろうなんて思えないように」
 ぞくりとしたように、中原は俺を見た。俺は冷笑した。
「……先に手を出してきたのは、あいつらだ。だから連中が悪い。だからといって『暴力』に『暴力』で返すのは、ただのバカだ。もっと頭使わなきゃ、何のための『脳味噌』か判らないよな?」
「……何考えてるんです?」
 呆然としたように、中原が俺を見る。
「『破滅』させてやる。……『裏社会』でしか生きられない『身体』にしてやるんだ」
 冷笑すると、中原はそっと自分の身体を抱く。
「……『そっくり』ですよ。あなた方は」
「……『誰』に『そっくり』だって?」
「……言ったら怒るクセに」
「だったら言うなよ」
 俺は笑った。中原は溜息ついて、首を振った。
「……俺なんかより、絶対タチ悪いですって。『保証』します」
「お前なんかに言われたくない。五歳の幼児に『性欲』抱く、『鬼畜』のクセに」
「……そういう事、言います?」
「俺だから言える台詞だろ?」
 溜息つかれた。
「……あなたみたいな人に惚れた、俺の性質の悪さに呆れ果てますよ」
「厭なら逃げても良いぞ」
「……俺にそんな事出来ないって知ってて、良く言いますね? そういうのこそ、『鬼畜』って言うんですよ」
「……『強制』は出来ない」
「……あなたの口から出た瞬間、それは『絶対命令』です。……俺には抗えない」
「……バカだな」
「……バカですよ。そんな事はとうの昔に判ってる」
 中原は苦笑する。
「……具体的に何をするか、考えてあるんですか? 郁也様」
「『具体的』って程の事でも無い。言ったろ? ついさっき考えたばかりの、机上の空論だって」
「……それで?」
「ぶっちゃけて言えば、『殴り込み』なんだけど、別に重火器持って、なんて奴じゃない。そんなのは俺に向いてない」
「……でしょうね」
「『組織』一つブッ壊す、なんてのは俺には到底無理だ。そんなのが出来るくらいなら、とうの昔にやってる。『久本』にな。『頭』を潰せば良い。『物理的』じゃなくて良い。『精神的』『社会的』にだ。けど俺は執念深いから、『実行犯』にもやっときたい。……色々とな」
「……『実行犯』は全員『留置所』で連日取調中ですよ」
「知ってる。だから、『連中』は後回しで良いんだ。『無実』にさえならなけりゃな。だから最初は『頭』だ。それが『最優先』」
「……それで?」
「……まず、頼みたいのは『情報』を盗む事。絶対にバレないように。……出来るか?」
「……時間はどのくらい頂けるんで?」
「……どのくらい掛かる?」
「……程度によりますよ。大体、『情報』ったって、何をどのくらいなのか聞かないと、俺だって困ります。……もっと絞っていただかないと」
「『連中』を少なくとも何十年もムショに叩き込めるくらいの『罪状』、それと『鷹森』の不正……コレはちょっとで良い。家宅捜索される程度の。それと鷹森兼継自身の『犯罪』。コレが『最重要』な。希望を言えば、知らぬ存ぜぬフリが出来ない『証拠』があれば良いんだが、そこまでは言わない。……とにかく『連中』の『拘留期間』が終わるまでには、全て『決着』つけたいんだ」
「……『無茶』言いますね。俺一人でそれ、全部やれと?」
「『他』に人間使って、『社長』にも誰にもバレないよう出来るってなら、構わないけど? 俺も手伝ってやりたいのは山々だが、俺は所詮『素人』だからな」
「……『素人』がそんな事考えないで下さいよ」
「……お前が教えてくれるなら、自分でやっても良いぜ?」
「……恐い事言わないで下さい。一朝一夕で、そんな警戒強そうな『極秘情報』手に入れられる訳無いでしょう?」
「……プログラムの方は、打ち込みだけなら俺、やれるぜ?」
「……俺はプログラム文、いちいち紙に書いたりしませんよ。フローチャート作って分岐考えたら、即入力しますから」
「……お前、まさか『言語』全て記憶してる?」
「……『全て』なんて事ありませんよ。大体です。大体、いちいちコマンド調べてたりしたら、幾ら時間あっても足りないでしょう?」
「……お前、何処でそんな事覚えた?」
「貴明様の『教育』の賜物ですよ。別に有り難くもないけど。……そんな事より……」
 すげぇ。物凄く感心した。コイツ、思ってたより頭良い。いや、プログラミング得意なのは、知ってたけど。
「……お前、『職業』に出来るよ」
「ヤですよ。こんな事、朝から晩までやるの。神経疲れるんですから」
「……お前な」
 折角褒めてやったのに。
「『殴り込み』って何です?」
 真顔で訊かれる。
「大した事無い。『陣地』行って『挨拶』して、『脅し』入れてくるだけ」
 中原の顔が一瞬、強張る。
「……は!?」
「……聞こえなかったか?」
 聞き返すと、中原は滅茶苦茶厭そうな顔になった。
「……あの、それってどの『程度』のどういう『意味』だか詳しく教えていただけます?」
「言葉通りの『意味』だよ」
「……それが俺には良く判りかねるから、お聞きしてるんでしょう?」
 ますます厭な顔になる。
「……それ以外の何の『意味』もある筈無いだろう?」
「……ヤな事言いますね。何処が『暴力』じゃないんですか?」
「『暴力』なんか使わないさ。お前、そういう考え方しか出来ないか? 奴のいる『建物』正面から行って、受付通って出来得る限り『穏便』に会って『お話』すれば良いだけだろう?」
「……あなた、自分の顔見せて差し上げましょうか? 物凄く『凶悪』ですよ」
「勿論、後日奴の処に行ったかどうか訊かれても、俺は『知らない』と答えるから、そのつもりで」
「……物凄く『凶悪』じゃありませんか?」
「なぁに、茶髪で身長一七五cmの男子高生なんて世の中には腐るほどいる。その中に包帯巻いて『非常識』な事する奴だって、一人くらいはいるだろ?」
「……あなたね。『知らない』で済んだら、この世は『犯罪天国』『やった者勝ち』でしょうが」
「俺は『怪我人』で『か弱く』て『可哀相』な『犯罪被害者』で、『久本財閥』御曹司だぞ? そんな『乱暴』な事、すると思うか?普通」
「…………」
「……俺は相手の『同情』買う事には『自信』あるぞ? ……とっても」
「…………『最悪』ですね、あなた」
「『今回』だけだよ」
「……どうだか。判ったもんじゃありませんよ。『血筋』ですからね」
「……中原」
 睨むと、中原は肩をすくめた。
「……俺の睡眠時間、減りますね」
「……少なくても『平気』なんだろ?」
 中原は苦笑した。
「……それで『ご褒美』は?」
「……何が良い?」
 中原はにやりと笑った。
「……聞きますか? その口で」
 俺は眉をひそめた。
「……お前……」
 不意に、引き寄せられてキスされる。そのままベッドに押し倒されて。
「……そういう事しか考えられないのか!?」
「……口で嫌がったフリしてみせても、顔は喜んでますよ。郁也様」
「喜ぶか!! ボケ!!」
「……喜んでるようにしか見えませんって。……それに……」
 喉元に、口づけられる。中原の指が、俺の胸を走り、股間へと触れる。
「……身体は、喜んでるようですし?」
「……中原……っ!!」
 俺の、抗議なんてお構いなしに、撫でさすられる。濃厚なキスで唇塞がれて、反論もできない。……『最悪』なのは、お前の方だ。
 呼吸困難に陥りそうな激しいキスの後で、やっと解放される。
「……喜んでるでしょう?」
「……バカ野郎……っ」
  中原は、満足そうに笑った。
「……口だけなら、何とだって言えますよ」
「……お前……っ!!」
「……『世間知らず』で済まされる『言い訳』なんて通りませんよ? あなたって人は、本当とんでもない人ですね。……放ってなんて置ける筈も無い。俺が付き合いきれないって言ったら、どうするつもりです?」
「……別に」
 中原は深い溜息をつく。
「……そういう冷たい事言います?」
「……俺にどう言えと言うんだ?」
「……『天然』は判ってますけど……俺はもう、『駄目』ですよ。……本当、救いがたい」
 自嘲的に笑って。
「……犯したくなるでしょう?」
 Tシャツめくり上げられて、ズボン引きずり下ろされて。
「……あのなぁっ……!!」
 俺の怒声なんて気にもしないで、俺の股間に顔を埋めて。思わず俺は呻いた。中原の舌がぴちゃぴちゃと厭な音を立てる。ぞくりとして、背中反らした。ぎっちりと抑え込まれて、抵抗一つ出来ない。どろりと、身体の奥が溶けていく。段々に息が、荒くなっていく。俺の呼吸と、中原の呼吸が重なって、部屋にこだまする。
「……っ……!!」
 声にならない絶叫が、俺の喉からほとばしる。中原が満足そうに俺を覗き込んだ。
「……お前……本当……最悪……っ」
「あなたに言われたくありませんよ」
 けろりとした顔で。それから、騙されそうに優しい顔になって。
「……ぞくぞくするくらい、イイ顔ですよ」
「……くそったれ」
 吐き捨てると、中原が唇重ねてくる。触れ合う唇の感触が、滑り込んでくる舌の感覚が、ひどく気持ち良くて。思わず呻いた。中原の指が、俺の顎を撫でる。……俺、滅茶苦茶流されてる。絶対俺、中原の『玩具』だ。羞恥で、身が熱くなる。
「……あなたは俺に、『楔』になりたいって言いましたよね?」
「……中原?」
「……『楔』どころかあなたは……」
 口づけられる。
「……俺の『心臓』ですよ」
 何が言いたいのか良く判らない。
「……『心臓』失くして、何処にも行けないでしょう? 俺を試す必要、有りません。……俺は、あなたがいないと、何処にも行けないんですから」
「……中原……」
「……それがあなたの決めた事なら、どんな事でも俺はそれを叶える。俺の全身全霊でもって。喩え他の連中に、『狂人』扱いされたって。……命に代えても、あなたを護る。それが俺の、『存在意義』だから」
「……中原……っ」
「……キスして下さいませんか?」
 にいっと笑って。俺は苦笑しながら、それでも中原の唇にキスする。触れ合うだけ、の。
「……それだけですか? 冷たいですね」
 ……この男。仕方ないから、もう少しきちんとキスしてやる。唇重ねて、舌を絡ませて、唇を強く吸って。……中原の顔が、嬉しそうに笑み崩れる。『無邪気』とすら言える程に。
「……お前、実は『単純』だろ?」
「……はい?」
 怪訝な顔で、中原は聞き返した。俺は溜息ついた。……『自覚』無いらしい。
「……お前、普段『無理』してないか?」
「……してませんよ。何言ってるんですか?」
 ……嘘つき。それとも『自覚』してないだけか? だとしたら、そっちの方が質悪くないか?
「……お前さ、俺なんかの何処が良い訳?」
 中原は苦笑した。
「……あなたが自分の良さ自覚してて、それを完全に『武器』にしてるような人間なら、こんなに好きになんてなってませんでしたよ」
「……俺にはどうも判らねぇよ」
「別に判って貰おうなんて、思ってませんよ。暫くは『現状』で何とか『済みそう』ですから」
  ……は!? ……今、果てしなく厭な事聞かなかったか?
「……中原?」
「……郁也様。このまま『続き』をします? それとも『お話』の方が宜しいですか?」
「……なっ……!!」
 血の気が、昇った。それを見て、中原が嬉しそうに笑った。奴が何を考えたか、一瞬で判った俺はその腕から逃れようとして……失敗した。
 お前!! 限度という物知らないのかよ!! 俺はお前みたいな『化け物』じゃないんだぞ!? バカ野郎!!


〜エピローグ〜

「……どうした!! 藤岡!! 集中力無いぞ!?」
「すみません!!」
 藤岡昭彦はさっと頭を下げる。男子バレーボール部長は、溜息をつく。
「……お前、今日睡眠不足だろ? そんな体で部活来んな。怪我するぞ? ……もう、良い。帰れ。かえって迷惑だ。体調整えて、明日又出て来い」
「……部長……っ!!」
「怪我されたり、ミスで他の奴怪我させられたら、たまらないからな。……良いか? 遊んだりするなよ?ちゃんとまともに寝ろ。明日そんな顔で出て来たりしてみろ。簀巻きにして川放り込んでやる。……良いな?」
「すみませんっ!!」
「家帰ってゆっくり休め、藤岡。頭冷やして来い」
「すみませんっ!!」
「……帰れ」
「……すみませんっ!! 部長!! 俺……っ!!」
 縋るような目で、昭彦は部長を見上げる。
「筋トレメニューフルセット三百回やらされたいか? 藤岡」
 軽く睨まれて、昭彦は肩を落とす。
「……帰って寝ます」
「それで良い」
 部長はぶっきらぼうに頷いた。昭彦は深い溜息をついた。
「……お先に失礼します」
「……お疲れ!」
 そう言って、部長は昭彦に背を向ける。
「……おーしっ、工藤!! 次レシーブだ!! 入れ!!」
 その声を背に部室へ入って、服を着替える。部屋を出ると、中西聡美が立っていた。
「……中西?」
 聡美は軽く頷く。昭彦は歩み寄る。苦い顔で。
「……見てた?」
 こくん、と聡美は頷く。昭彦はバツの悪そうな顔になる。二人、並んで廊下を歩く。校舎はしんと静まり返っている。足音だけが、廊下に響く。
「……ね、藤岡君」
「うん?」
 何気なく、促して。
「……『強姦』ってどう思う?」
 不意に言われて、昭彦は激しく動揺する。
「……なっ……中西!?」
 思わず立ち止まる。聡美は真顔で昭彦を見ている。聡美の顔は殆ど無表情だ。昭彦は戸惑い、それから溜息一つついて、聡美を見返す。
「……絶対、やるべきじゃないと思う」
「……そう思う?」
 不思議そうに聡美は訊く。昭彦は顔を赤らめる。
「……だってそれ、『同意』じゃないだろ?」
「……藤岡君は、そう思うんだ」
 ぽつり、と聡美は言った。昭彦は戸惑うような顔になる。
「……そういう事、考える男は確かにいるけど……現実には、やるべきじゃ無い。『道徳的』にはそうなんだ。そうじゃなきゃ、いけないんだよ」
「……そう」
 ぽつり、と聡美は呟いた。また、歩き始める。
「…………あのね?」
「うん?」
「……私、小学三年生の時、されたの」
 ぎくり、として昭彦は足を止めた。聡美はあくまで真顔だった。何の表情も、そこには無い。
「母さんの恋人。……私が『ふしだら』で『淫売』だからだって、折檻されたわ。……私、もう少しで死ぬとこだったの」
「…………中西……っ!!」
 昭彦は驚愕に目を見開く。
「……知子が助けてくれたの。血みどろになって、一人で倒れてる私を、知子が救急車呼んで、助けてくれたの。私……知子がいなかったら、今頃きっと生きてなかった」
「……中西……」
 半ば呆然として、昭彦は聡美を見た。聡美は無表情のままだった。
「……私は知子に助けて貰ったのに……私は何も出来ない。何の役にも立たない。役立たずなの」
「中西……っ!!」
 昭彦は、聡美の肩を掴んだ。ぼんやりした目で、聡美は昭彦を見上げる。昭彦は両肩に手を置き、向かい合って聡美を見つめる。真剣な目で。
「……良いか? 中西。世の中に、役立たずな人間なんていない。不必要な物なんて、何も無いんだ。皆が、それぞれ関わり合って生きてる。それが『社会』なんだ」
「……だって……」
「自分を卑下しないで。……役に立たないなんて事絶対無い。俺は中西に話し掛けられて、嬉しいと思うし、太田さんだってそうだよ。口に出さなくても、きっとそう思ってる」
「……でも……」
「中西の想いは、きっと通じてるよ。そりゃ、人間だから、たまには行き違いや勘違い、ぶつかり合いだってある。それは仕方ないさ。何があったかは知らない。けど、ケンカなんてある程度、相手を信頼し合えてないと、成立しないだろ?信頼も好意も何も無かったら、ケンカなんて言わない。ただのいがみ合いだ。そこに愛情がなかったら、ケンカになんてならないんだよ」
「……藤岡君」
「……どうする? 家に送る? それとも今日はバイト?」
「…………」
 聡美は暫し、黙り込む。
「……藤岡君の家、行っても良い?」
「……俺の家?」
 昭彦はきょとん、とする。
「……ついでに泊まっても良い?」
 聡美の言葉に、昭彦は一瞬硬直する。聡美はあくまで真顔だ。昭彦は顔を赤らめる。
「……えっと、確かに俺の家、家族はいるけど……駄目だよ。女の子がそんな事言っちゃ。変な勘違い、されるだろう?」
「今日は家に帰りたくない。……知子の家にも行けない。……ね、泊まっちゃ駄目?」
 真っ直ぐに見上げられて、昭彦は当惑する。
「……中西、どうしても?」
「一人でいたくないの」
 昭彦は困惑する。
「……悪いけど、女の子泊めるとなると俺の一存では決められない」
「どうして?」
 真顔で。
「……ほら、寝床の準備とか色々あるだろ?」
「藤岡君の部屋は駄目なの? 久本君は良く泊まってるんでしょ?」
 昭彦は真っ赤になる。
「冗談言うなよ!! 郁也と中西、一緒に出来る訳ないだろ!?」
「……どうして?」
「……どうしてって……」
 途方に暮れた顔で、昭彦は聡美を見る。聡美は真顔で平静だ。何を考えてるのか、表情からは読み取れない。
「……だって……男と女だろ? 一応」
「私が『汚い』から『泊める』の厭?」
「誰もそんな事言ってないだろう!!」
 昭彦は真っ赤になる。
「……そうじゃなくて、その……」
 言いにくそうに、昭彦は聡美を見る。
「……問題あるの?」
「……あるだろ?」
 聡美は真顔で、昭彦の顔を覗き込む。
「……厭? 私と『寝る』の」
 一瞬、昭彦は絶句した。
「中西!!」
 真っ赤になって叫ぶ。
「……厭なら、無理に言わない」
 昭彦は溜息ついた。
「……良いよ、判った。説得する。……ただ、同室は駄目。それだけは絶対駄目。中西の事厭とかじゃなくて……『大事』だから。判った?」
 聡美は真顔で昭彦を見ている。
「……『大切』にしたいんだ。『関係』を」
「……どうして?」
「俺と中西はそういう関係じゃないだろ?」
「構わないのに?」
 昭彦は溜息ついた。
「……普通、そういうのは『最初』にしちゃ駄目だろ?」
 聡美はきょとんとした。昭彦は深い溜息をつく。
「……まずは『デート』からだろ?」
「……そうなの?」
 不思議そうに言われて、昭彦は複雑な表情になる。
「……誰も教えてくれなかった?」
 こくり、と聡美は頷いた。昭彦は額に手を当てた。
「……ええと、それじゃ仕方ないから……俺が教える。俺だって良く知ってる訳じゃないけど……」
 聡美はじっと昭彦を見ている。困惑した顔で、昭彦は聡美を見る。聡美は殆ど無表情。何を考えてるか判らない。生徒玄関へと辿り着く。
「……そうだ」
 思い出したように、昭彦はぽつりと言った。昭彦は聡美に向き直る。
「大事な事、忘れてたんだ」
 不思議そうに、聡美は昭彦を見る。
「……俺と、付き合って下さい」
 ぺこりと、頭下げた昭彦の言葉に、聡美は一瞬、目を丸くして、それから微かに笑みを洩らした。ゆっくりと首を縦に振る。昭彦はそっと、聡美の腕を取った。
「……今度、映画でも見に行く?」
「……うん」
「……何が良い?」
「……何でも」
 そう言って、聡美はじいっと昭彦の顔を覗き込む。昭彦は少々ぎょっとしながら、それでも苦笑しつつ、その視線を受け止める。
「……藤岡君て、不思議な人」
 昭彦は苦笑した。
「それはこっちの台詞だよ」
 聡美は微笑していた。

The End.
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