NOVEL

週末は命懸け4「慟哭」 -5-

「……中原……」
「……好きです、あなたが」
 真剣な瞳で。拒めそうにないくらい、純真な目で。真っ直ぐに。有無を言わせぬ強さで。
「……俺は……」
 舌を噛んだ。
「……俺はとてもじゃないけど、お前が求めてるモノ、与えてやれない」
 中原はひどく傷付いた目をした。
「……自信無いよ、そんな」
「……『自信』とかそういう問題ですか?」
 詰問口調で、中原は言った。
「……お前、何か勘違いしてるんだよ。俺はお前が……どうしてそういう事言うのか、判らない」
「……諦めろ、とおっしゃるんですか?」
 中原が蒼白な顔で、俺を見つめる。俺は目を伏せた。
「……悪いけど、俺はお前に応えられない。……確かに今のは……凄い気持ち良かったけど……だけど俺は……」
 顔が、熱くなる。
「……今のは、お前の『激情』に流されただけ、なんだ。……悪いけど」
「……あんなに『俺』に感じてたのに?」
「お前だって男なら、その『構造』くらい十分判ってるだろう!? 『性欲』と『愛情』は別物だろうが!!」
 うっかり目を開けてしまって、酷く傷付いた顔の中原としっかり目が合ってしまった。
「……随分酷い事言うんですね?」
 冷たい声で、そう言われた。
「……だって仕様が無いだろう……」
 何処か脅えた声になったのが、我ながら情けない。……それでも仕方ないくらい、中原の声音は冷えていた。まともに正面から、至近距離で睨み付けられて、俺は身動き一つ出来ない。恐いのに、視線すら逸らせなくて。……ぞっとするくらい、[くら]い欲望を湛えた中原の瞳に、魅入られたように射すくめられて。殺されそうなくらいの表情で見つめられて、なのに俺は心の何処かでうっとりするものを感じていて。中原の顔が近付けられても、俺は身動きできずに、ぼんやりと見つめる事しか出来なくて。中原の指が、俺の首筋に回される。俺は中原が憎悪を持って自分の首を絞めるのを、無抵抗で見守った。少しずつ込められていく力。顔に血の気が昇り、次第に呼吸が荒くなっていく。それでも俺は中原から目を逸らさなかった。何も映らない、中原の瞳を見つめながら、ぼんやりと以前首閉められた記憶を思い出す。唇だけで、中原の名を呼んだ。不意に、中原の両目から涙が溢れ落ちる。
「……どうして……っ!!」
 中原は泣き叫んだ。
「……どうして『抵抗』しないんですか!!」
 俺は困った。中原は激しく泣きじゃくる。俺の胸に顔を埋めて、子供のように泣きじゃくった。仕方ないから、中原の頭、左手で撫でる。
「……仕方ないだろ?」
 中原が、どん、とシーツを叩いた。
「……酷い人だ!! あなたは……っ!!」
 子供のように泣きじゃくる中原に、俺はひどく困惑してる。大きな体で、普段偉そうに大人ぶるクセに。まるで子供みたいに。俺は中原の後頭部、撫でながら謝る。
「……ごめん、な」
「……謝られたくなんか無い!!」
 本当に困った。……どうしろと言うんだ、俺に。
「……身体だけなら『やれる』よ。期限付きだけどな」
「そんなもの俺が望むとでも思ってるんですか!?」
 泣き腫らした目で、睨まれる。俺は苦笑した。
「……仕方ないだろ?俺の身体は俺のモノじゃない。俺の心は俺のモノだけど……悪いけど、お前にはやれない」
「そんな理屈で俺が納得すると!?」
「……悪いとは思ってるよ」
 そんなに泣かれると、心が痛む。
「……だから、泣くな」
「……酷い人だ!! 俺が……俺がどんな想いでっ!!」
 血を吐くような、叫び声。
「……お前の『想い』なんて俺は知らない。……ただ、俺は一九九四年の十二月に『母』と共に死んだんだ。俺は……『未来』の為に生きる自信が無い」
 正直な『心情』。『本音』の吐露。
「……『逃げてる』だけだと思えば良いさ。だから俺は誰に対しても、責任取れる『自信』が無い。俺の『未来』は無いも同然だから」
「……どうしてっ……!!」
「……俺は『死体』も同然だからさ。……だから好きな女が出来ても手は出さないし、誰かに好きだと言われても応える事が出来ない」
「……そんなのっ……!!」
「……そう思い続けて、俺はこの年齢[トシ]まで生きて来たのさ。……『卑怯』だろ?」
「……どうしてそういう事言うんですか!!」
「……そうでも思わなきゃ、『復讐』なんてバカな事、考えられないだろ?」
 中原は俺を凝視する。
「……『復讐』ってまさか……」
「……『久本貴明』だよ。前に教えてやったろ?」
「……だけどあれは……っ!!」
「……『久本由美子』だろ? 知ってる。……けど、あの女は死んだ。……だったら残ってる方に仕返すより他に無いだろ?」
「だってあの女は!! 俺と貴明様で……っ!!」
 思わず眉間に皺が寄った。
「……まさかお前……『共謀』して……!?」
 中原は舌打ちした。
「……あなたの為ですよ。俺のためってのも少しは入ってたけど……どうしようもなくタチの悪い女だった。前社長の娘ってだけで……!! 貴明様も、あなたのためじゃなければわざわざ……っ!!」
「……俺のため? ……違うだろ。『自分』のためだろうが」
「確かにあの方はそういう処もありますが……基本的には『殺さず』に『始末』する方で……っ!!」
「……アイツの『味方』するんだ? お前だけは『違う』かと思ってたんだが」
 自分でも自覚するくらい、厭味口調。中原がはっと息を呑む。
「……俺は……っ!!」
「……別に良いさ。『報告』するなら、したらどうだ? 構わない。……俺は別にそんな期待してないんだ。志半ばで死んでも良い。未練も無い」
 俺は冷たく言い放った。
「郁也様っ!!」
 中原が物凄い力で俺の身体を抱擁する。
「……聞いて下さい……俺は……っ……俺はもうっ……十五年も前からあの方に……っ!!」
「……『服従』してる?」
「……違うっ!! そんなんじゃなくて……っ!!」
 縋り付くような、目で。
「……俺は逃れたくて……あの人から逃れようとして……色々抵抗したけど……あの人はいつも問答無用で俺を引きずり倒して……っ!!」
 両目から、涙をこぼして。
「……助けて下さい」
 救いを求めるような、目で。
「……俺を助けて下さい」
「どうして俺がっ!!」
 思わず怒鳴りつけた。中原は泣きながら、俺を見つめる。
「……あの人は……俺がボロクズになるまで、引きずり回す気だ。俺は逃れたくて……『玩具』にされたくなくて抗うけど……あの人は傍若無人に、人の気なんて知らずに俺を『破壊』する。必死で抵抗してないと、呑み込まれる。……俺は『生きたく』なんて無かったけど……あの人に呑み込まれるのだけはごめんだ。……愛するものの為になら死んでも良いけど……あの人の為の『犠牲』になるのも、あの人の所為で死ぬのも、殺されるのも厭だ!! 俺は……十五年も『悪夢』を見続けてる。死にたくて……生きてたくなくて……それでも『邪魔』されて生かされて……気が狂いそうなくらい、『死』に焦がれながら生きてきた。十年前から、あなただけが『救い』で……あなたは決して、『久本貴明』の目に『服従』しない唯一人の『人間』で……俺には……」
「……中原……お前……っ」
 呆れて、怒る気にもなれない。
「……あなたは俺があの方に何をどれだけされてきたか、知らないでしょう? あの方は俺の心に傷を付けて、嗤うんです。俺を挑発して、そのくせ『抵抗』出来ないようにがんじがらめに抑え付けて、痛めつけて……俺があの人に抗おうとする度に、俺をズダボロに傷付けて……あの人は『好意』だと言いながら……何度俺を再起不能なくらい、利用し傷付けてきたか!!」
「……まさかお前……恨んでるのか……?」
 中原は自分の涙を拭った。
「……今となっては、もうこの『感情』が何なのか、さっぱり判りません。……逃れたいのに、抗い切れないで、あの人の『思惑』にハマってしまってるのだけは確かです」
 中原は陰鬱な表情で呟いた。
「……俺はもう、これ以上傷付きたくない」
「……中原?」
「……俺が今、ここで手首切ったら、手遅れになるまで見守ってくれますか?」
「甘えるなよ!! 中原!!」
 俺は一喝した。中原は落胆したように、溜息をついた。
「……それでお前、俺にやらせたいのか?」
 中原は答えない。
「……自分が逃れる為に、俺にやらせるつもりなのか!?」
 激昂する。中原は無言で目を閉じる。
「……良いか? 中原」
 俺は左手で中原の顎を掴んだ。
「……俺は俺の意志でしか、行動しない。俺は俺自身の倫理観にしか、従わない。……お前もそうしろ。他人に頼るな。甘えるなよ? 誰もお前を救いはしない。お前を救うのは、お前自身だ。お前自身が救われようとしないで、どうしてお前が救われる筈がある?」
 中原は目を開けた。
「……強い……ですね。良くまあ、そこまで思い切れるものだ」
「……だったら、お前が弱すぎるだけなんじゃないか?」
 中原の両目に、憤りにも似た光が宿る。
「お前、大人だろ? 俺より十四も年上なんだろ? しっかりしろよ。俺なんかに甘えてどうする。いつもの偉そうなお前はどうした? 弱々しいのは見てられないぞ?」
 中原は不意に俺から身を引き剥がす。憤然としたように、足下の楠木拾い上げて、さっさと一人で出て行ってしまう。いつも足音も気配も殆どさせないのに、荒い歩調で苛々と。……ガキみたいだぞ、中原。おとなげないって。俺は思わず苦笑した。俺はパジャマのズボンはき直して、髪を手櫛で梳きながら、靴音立てて歩く中原を追い掛ける。すぐ後ろに追いついても、俺は中原に声掛けない。中原も俺に気付いてるだろうに、何も言わない。二人で屋上のヘリの前辿り着くと、ヘリにはぎゅうぎゅうに男共が積み込まれていた。先程、部屋に入って来て逃げるように出て行った男が、一人、外にいて。俺達を見ると赤面した。
「……撤収準備、完了してます」
 そう言って敬礼する。
「……それでは撤収する」
 中原は言い放つ。俺達はヘリに乗り込み、その場を去った。
 中原は移動中、一度も俺を見なかった。頑なに見ようとしなかった。他の連中とばかり、声をひそめて話をしてる。一時的なものだと俺は見ていた。……余程腹が立ったらしい。子供っぽい奴だ。俺は苦笑した。先程の男と目が合い、赤面された。……こいつ……何考えてんだ? ……あまり深くは干渉しないでおこう。
 俺は久本本宅へ連れて行かれ、その夜一晩、久し振りに自室で寝る事になった。翌日は警察の事情聴取。打ち合わせをしてから、床へ入った。中原とは一度も会話らしきものを交わさなかったし、目も合わさなかった。……けれど、俺はそれに全く何も感じなかった。
 その日は久し振りに夢を見た。『悪夢』ではない『夢』を。疲れて泥のように眠ったのに、目覚める直前に。……どんな夢かは目覚める寸前に忘れた。……何か暗示的な『夢』だった。そういう感想だけが残っていて。……どんな夢だった? 思い出そうとしても、カケラも残ってない。俺は朝食を取りに、階下へ降りた。


〜エピローグ〜

「……一体どういうつもりです?」
  中原龍也は久本貴明に詰め寄った。貴明は笑っている。
「……どうして『判っている』のに手を打たないんですか!?」
「……暁穂自身に気付かせるのが一番だろう? 『正体』を」
「そんなにあの女が大事ですか!?」
 中原は激昂する。
「……郁也様の有様を見たでしょう? 暴行を受けたんだ。……それを判っていてどうして!?」
 貴明は笑った。
「……『確認』したんじゃないのかい?」
 言われて、中原はカッと顔を赤く染める。
「……『組織』自体は大した事はないよ。金額的にはそれ程の被害じゃない」
「……貴明様!!」
 貴明は笑った。
「……僕は何もかも叩き潰すつもりは毛頭無いよ? ライバルは必要だ。……『発展』の為にはね」
「『手段』選ばずの相手でもですか!?」
「……そう言えばあの若社長、だけどね」
 貴明は内緒事をこっそり教える、といった口調で。人差し指立てて。
「……君のお兄さんと同じ中学校だったって知ってる? 彼、同い年なんだ」
 中原は一瞬、絶句する。
「……確か、中学の卒業アルバムでは隣同士に映ってた筈だよ」
 吐き気を堪えるように、口元を押さえる。貴明はそれには気にも止めないで明るく笑う。
「……『親友』だったって情報もある」
 中原は睨む。
「……知ってたのか!? アンタ!!」
 貴明は無言で笑う。
「知ってたんだな!? 最初から!!」
 絶望的に、中原は叫ぶ。
「……『裏』の繋がりが色々複雑なんだ。判ってるだろう? ただの企業家じゃないって。企業家なら、こういう手段じゃ来ないだろう? ……『表』より『裏』の方が強いんだ。『久本』はあくまで普通の一般企業だからね。密貿易なんかには絶対手を出さないし。警察なんかじゃ尻尾はとても掴めない。……たぶん楠木は口を割らないよ」
「……………………」
「トカゲの尻尾を何本も持ってる男だよ。君の敵う相手じゃない。……下手な事は考えない方が良い」
「……それでアンタはどうするつもりだ」
 貴明は笑う。
「……君はどうしたい?」
 中原は無言で睨む。
「……郁也の傍へ帰りたいなら、戻してあげても良いよ。ただ、『鷹森』の件は忘れて欲しい」
「……二度と顔なんて見たくない。アンタの顔も、アンタの『息子』の顔も」
 貴明は笑った。
「……それで?」
「……出て行く」
「何処に行けると思うんだい?」
 貴明は静かな微笑を湛えて言った。
「……アンタのいない場所」
「……逃げられると思ってるのかい?」
「勘違いするなよ。確かにこの近辺じゃアンタは力持ってるだろうが、日本全国区って訳じゃない。国外なんか出なくても、幾らでもアンタの治外法権地域くらいある」
「……それでも十数年かそこらだろう」
「……十年もあれば十分だ。アンタには本当、反吐が出る」
「……脅えてる癖に、口だけはいっぱしだね。龍也君」
「触るな!! 吐き気がする!!」
 手を伸ばし掛けた貴明の手を振り払って、後方へと飛びすさる。
「……震えてるんじゃないかい? 夏だってのに」
 中原は睨んだ。
「俺はこれ以上アンタの顔を見たくない」
 貴明は『哀しそうに』笑ってみせる。
「……これは随分嫌われたものだね」
 中原は自分の身体を抱きながら、震える声で、それともきっぱり言い放つ。
「そういうところが一番嫌いなんだ」
 貴明が一歩、近付く。中原は一歩後ずさる。
「今度こそ、アンタの言いなりにはならない。『利用』なんてされてやらない。二度と、騙されない」
「……君が望んだ事だろう?」
「その口で言うか!?」
 中原は思わず激昂する。貴明は苦笑する。
「……離れられるのかい?」
 中原は答えない。そのまま背中を向け、部屋を出て行こうとする。
「……郁也も可哀相に」
 その台詞に、中原は振り向いて怒鳴る。
「アンタの口からそんな事言われたくない!!」
 言い捨てて、乱暴にドアを開け放ち、荒々しく出て行く。貴明は苦笑しながらそれを見送って、内線で何処かへ回す。
「……すまない。『彼』を『警備』してくれないか? 絶対に気付かれないように」
 そう言って切る。
「……僕も色々苦労してるよ、全くね」
 そう言って笑う。
「……僕の『愛情』は報われないんだがね」
 ぽつりと呟き、未決済書類に手を伸ばす。殆ど無表情に黙々と仕事をこなす。その表情からは何も伺えない。空調のモーター音が執務室にこだまする。その窓の下の玄関から、男が一人足早に出て行く。その後を距離を取って、別の男が尾けていく。
 久本郁也は誘拐・監禁事件の事情聴取の真っ最中だった。

The End.
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