NOVEL

週末は命懸け -1-

〜プロローグ〜

 一九九五年、三月二十七日月曜日。

「……それで?」
「一ヶ月前に瀕死の状態で保護されて、今では自力で歩けるまでには回復してる。退院して僕の家にはいるが……食事を全くしようとしない」
「そこで何故俺が出てくる?」
「『噛む』んだ」
「は!?」
「あの子はメイドだろうが護衛の屈強な連中だろうが、構わず噛むんだ。おかげで、何人も辞めたり逃げたりしてね。今じゃ誰もあの子の部屋に近付こうとしない」
「……それは、それは、素敵なお子サマで」
「冗談じゃないんだよ!! このままじゃあの子は衰弱死してしまう。折角助かったのに、だよ? それじゃ何のために助けたのか判りゃしない」
「アンタは自分の労力が無駄になるのが許せないワケだ」
「何を言うんだ。そういう事じゃない。あの子は……郁也[いくや]はとても『可愛い』んだ。まるで『天使』みたいにね」
「…………」
「君も見れば判る。とても気に入ると思うよ? あの子はね、三ヶ月も飲まず食わずで監禁されて、生き長らえたんだ。五歳の幼児がだよ? 初めて見た時は骨と皮ばかりでガリガリに痩せ細って、僕はとてもこれじゃ、助からないと思ったよ。結果は大外れだったけどね。……あんなに美しい生き物は見た事がないと思うよ。『母親』の方はあまり好きじゃなかったが、『彼』はとても良い。僕と君の趣味は結構似てると思うよ?」
「……一つ、聞きたいんだが……その……『母親』ってのは『本妻』じゃないのか?」
由美子[ゆみこ]に似ていたら、『天使』に生まれる訳が無いじゃないか。それに僕ら夫婦は結婚した時からそういう関係じゃない」
「……双方納得済みの政略結婚? 吐き気がするな」
「……ただ、その誘拐・監禁に彼女が関わっていたって説もあるんだがね」
「……そんな事、俺に話して良いのかよ?」
「大丈夫。……何せ、これから僕と君は『共犯者』になるんだから」
「アンタと俺が? 冗談だろ?」
「僕は結構自信があるんだ。君は絶対郁也を好きになる。僕達はね、『同類』なんだよ」
「……呆れた自信だな」
「……君は忘れたかな? 以前の事を」
「……アンタの事は信用しないよう決めてるんだがな?」
「それでも、君は僕の『可哀相な』息子の事、気になり始めてるだろう?」
「……アンタの『被害者』なんだろう?」
「……『結果的』にはそう言えるかもしれないね」
「……会うだけ会ってみるさ。出してくれんだろ?この『豚箱』から」
「お安いご用だよ」

 『彼女』は泣いていた。少女のようなあどけなさを残した顔。清らかでたおやかで淑やかで、この世の者とは思えないほど美しい、まるで聖女のような人。それが俺の『母』だった。俺にとって彼女はこの世の『幸福』だった。この人が母だという事がとても誇らしく、そして自慢だった。細く長い手足。絹糸のような髪。白磁のような肌。華奢で儚げで夢のような人。俺は彼女がとても好きだった。この世で一番、愛していた。彼女さえいれば、他に何も要らなかった。俺は当時五歳でしかなかった。腕力も無ければ、ろくな知恵も回らない。無知で無力で愚かな足手まといの子供でしか無かった。俺に力があれば、彼女を守れるだけの力があれば、何か変わっていただろうか? 悔やんでも悔やみきれない。今でも彼女の事を思うと、涙せずにはいられない。間接的には俺が殺したようなものだ。俺は何も知らなかった。母が自分の所持していたごく僅かな食料全てを、自らは全く口にせず、俺にだけ分け与えていたという事実を。『ごめんね』と何度も呟きながら、彼女は俺を抱きしめながら、何度も泣いた。本当に苦しかったのは、自分の方だった筈なのに、寒さと空腹に泣き喚く俺を何度も抱きしめて『ごめんね』と呟き続けた母。今思えば、俺は何というバカだったのだろうと思う。当時の俺には何も把握なんて出来ていなかった。そんな彼女が目の前で死ぬまで、きっと俺はどういう事態が起こっていたのか、まるで理解してなかったのだ。泣き叫んでも、揺り動かしても、返事をしない、ただ冷たく固くなっていくだけの骸に、俺は絶望と悲鳴を叫びながら、どうする事も出来ずに、ただ母の名を呼び続けた。気が狂いそうだった。実際狂っていたのかもしれない。それから病室までの記憶が残っていない。気付いたら、病室のベッドの上で、チューブに繋げられて呼吸していた。枕元には、俺の『父』だと名乗る男──久本貴明[ひさもとたかあき]──が座っていた。……それまで俺に父はいなかった。死んだと聞かされていた。その時初めて俺は、自分の母が、その初めて見る男の『愛人』で俺がその『息子』だと知らされた。
 そして、俺達親子が誘拐・監禁されたのも、その『父親』のせいだと知ったのは……数週間後のこと。俺を殺しに来た男の口から。俺は殺されなかった。……そいつは俺を殺し損ねた。俺は『父親』に『保護』された。勿論俺がそれを感謝する筈もない。俺は『抵抗』した。『抵抗』し続けてた。……アイツが、来るまでは。
『死にたいんなら勝手に死ねば良いさ』
 そう言って意地悪く笑った。
『お前みたいなガキ一人死んだって、誰も損しない。……誰かを喜ばすだけだろ?』
 俺が噛みちぎった左腕から血を滴らせながら。
『死にたいなら死ねば良いさ。嗤ってやるから』
 人を組み敷いて、凶悪に楽しそうな顔で。
『どうする?』
 答えなんて、決まっていた。


 二〇〇五年、五月六日金曜日。

 県立八剣浜[やつるぎはま]高校。県下一・二を争う公立名門校。俺、久本郁也[ひさもといくや]──六月で十六歳──が通っている学校。校訓は『勤勉・健全・慈愛』だがそんなもんいちいち記憶してる連中はおそらくいないだろう。俺も普段そんな事意識してない。家からバスで五・六分。自転車通学の連中とバス通の連中はほぼ半々。俺は後者だ。
「……おい、昭彦[あきひこ]。授業もう終わったぞ」
 余計な事だが、一応親友の藤岡昭彦[ふじおかあきひこ]を揺すぶり起こす。
「……ん……もうちょっと……」
 寝惚け声だ。更に揺すぶってみたが、反応無い。俺は時計を見た。三時三十五分。
「……ま、いっか。別にこいつが寝たのは俺のせいじゃないしな。自業自得」
 そう思う事にした。
「じゃあな、昭彦。先帰るわ」
 寝ている相手に手を振って、俺はさっさと教室を後にした。自己管理の出来ない奴は本人が悪い。俺がそれに付き合わされる義理は無い。さっさと図書室行って、借りてた本を返す。それで目を付けてた本を探す。
「……あれ? 無い」
 ある筈の場所に無い。貸し出しカウンターへ行く。
「鬼平犯科帳の二十一巻が無いんだけど」
「……ああ、只今貸し出し中で来週返却予定になってますね」
「来週?」
「本日貸し出されてます」
 何!? ……ムカつく。これも何もかもあのバカ昭彦のせいだ。畜生。構ってやるんじゃなかった。あのバカ一人のせいで予定が狂った。くそ、この恨みは覚えてろよ。口の中でぼやきつつ、外に出た。
 校門前に黒のベンツ。ひどく厭な予感がして、思わず足を止めた。車の脇に、スーツ姿の長髪を後ろ一つに束ねた男。身長一九六cm、細面筋肉質逆三角形体格、の。
 ヤバい、『奴』だ。思った瞬間、こちらを振り向いて、目が合った。奴の口元が僅かながら、上がるのを見た。げんなりする。このまま回れ右をしてバックれよーか、と思う。が、奴はもうこちらへ歩いて来ていた。舌打ちする。あんな筋肉バカと競争する程、俺もバカじゃない。にやにや笑いながら奴は近付き、俺の目前で仰々しくお辞儀した。
「……お迎えに上がりました、郁也様」
「……それは何かの嫌がらせか?」
 苦々しく、声が尖る。……こいつが俺より頑丈でなけりゃ、蹴っていただろう。
「滅相もない。久本家のご令息に相応しい礼儀を尽くしただけの事です」
 相変わらずにやにやとした笑みのままで、顔色一つ変えずに言う。カッとして差し出された手を払い除ける。
「……俺が言った事を覚えているか?」
「ええ、覚えておりますよ、郁也様」
 いけしゃあしゃあと。
「だったら立ち去れ! 俺は言った筈だ!! 公衆の面前で車で迎えに来たり、こういうくだらない事しやがったら、ただじゃおかないと!!」
 怒鳴りつけても、しらっとした顔で。
「ところが非常事態でして、至急あなたの身柄を確保しなければならないんです」
「……ほう。『親父』が死んだか?」
「まさか。危ないのはあなたの方ですよ。少なくとも死体でないあなたに会えて、私はほっとしています」
「……何を」
「一通の脅迫状が舞い込みまして」
「……どうせ『親父』絡みだろ?」
「何故です?」
「俺はそんな手紙受け取る程、あくどい真似も恨まれるような所業もしていない」
「……随分とまあ、自信がおありで」
 と、奴は忍び笑いを洩らす。
「……違うとでも?」
 睨み付ける。奴以外の人間なら、大抵怯む目で。
「いや、そうは言いませんが、ね」
 くすくす、と笑って。
「……本当可愛い方ですね、郁也様」
 カッと頭に血が昇る。
「何様のつもりだ!! 中原[なかはら]!! 使用人のクセに!!」
「……別にあなたから『給料』は頂いておりませんが?」
 どんなバカにも『面白がってる』と判る声と顔で。
「……そうだな、あなたが特別奉仕手当を支払ってくれると言うなら、話は別ですよ?」
「……中原
 この男―― 中原龍也[なかはらたつや]、二十九歳――は俺を怒らせるのが趣味らしい。奴とはもう十年来の付き合いになる。俺は自分に付けられた護衛兼監視役をことごとくクビにしたり、ノイローゼにしたりしてきたが、こいつだけはうまくいかない。かえって苛立たされるだけだ。
「……消えろ
 ありったけの嫌悪と憎悪を込めて。
「……と、言われましてもそういう訳にはいきませんで。幾ら私が有能とはいえ、私の役職はあくまでも『郁也様』のボディーガードなので、郁也様ご本人がこの世からいなくなったら、メシのタネが無くなるので非常に困るんです」
 これから高笑いでもしそうなにやけ面で。
「……貴様
「郁也様。嘘でも『愛しているから』と言って欲しかったですか?」
「……何を!!」
「……昔っからあなたってお人は可愛いですよね。自分を愛して愛して♥と熱く激しいラブコール。私はもうあなたにメロメロですよ。あなたのためならたとえ火の中、水の中♥ ああ、リトルマイダーリン♥ ベリーキュートだよ、スウィートハニー♥」
「……っ!! だからっ!! 貴様はどうしてそうっ……下劣で低俗で下品でくだらねぇ事ばっか抜かしてんだよっ!! このっ!! だから常々言ってんだろっ!!公衆の面前でンな事抜かしたら舌引っこ抜いて首に縄付けて、クレーンで吊り上げてやるって!!」
「……いや〜♪ 実に可愛い♥ 照れて口が回ってないよ、マイハニー。童貞だからって恥じる事はないよ。私が手取り足取り教えてあげるから♥」
「……っの野郎!! もお頭キた!!」
 中原の襟元を両手で引っ掴んだ途端。中原はにやり、と笑った。え?と思った瞬間、中原に手刀を喰らった。……目の前が暗くなり、落下するような感覚に陥った……。

「……ってぇ……」
 気付くと、ホテルかマンションの一室。豪奢な作り。マホガニーのテーブルとバラ模様のビロードの絨毯。革製の大きなカウチソファ。そこに半ば寝そべるようにしているのは。
「……グッモーニン。お目覚めはいかが?」
「……っの野郎!!」
 立ち上がろうとして、ガタン、と何かに邪魔された。肩や手足に痛みを感じて、自分を見回して気付いた。両手足をマホガニー製の椅子に縛り付けられてる事に。既に痺れて感覚が無い。
「……貴様っ……!!」
 渾身の力を込めて睨み付ける。
「……実際、感心しますよ。ここで音を上げて泣き出したりしないところは。イイトコの甘ったれ坊ちゃんらしくなくて」
 さらりと言う。
「貴様、何のつもりだ」
 すると、中原はにやりと笑う。
「それは営利目的か、それとも怨恨か、という意味ですか? でも誘拐には他にも理由・目的がある事もあるんですよ。無論、相手の目的を知る事は必要です。自分の対処方法を決め、生き長らえるにはね。もっとも、それを教えてくれる親切な犯人ばかりではないんですよ」
「……言っておくが、親父は俺のために指一本動かしやしないし、金だってびた一文出さないぞ。奴が欲しいのは、自分の血を引いた『跡継ぎ』だけだ。今は若い後妻を貰った事だし、もう俺なんて用済みだ。政略結婚の道具か種馬程度にしか思っちゃいない」
「一言申し上げますと、誘拐犯にそういう話をしたら殺されますよ? 死にたいんですか? 郁也様」
「いつだって構わない。人間、どんなに足掻いたって死ぬ時は死ぬんだ。それが今だとしても何の違いがある?」
「つまり、私に裏切られたというのが、それほどまでにショックだと」
「貴様の耳は節穴か?」
 中原は肩をすくめた。
「……ねぇ、郁也様? いつ何時も、自分が生きるために言動して下さい。私は心配なんですよ。……私は自殺志願者の身を護り切る自信はありません」
 妙に真面目くさった顔で。
「俺は一生、忘れないぞ。お前らが母さんを殺したんだ。あの人は泣く事と笑う事しか出来なかったのに……親父が不幸に追いやり、殺したんじゃないか。俺は俺の親族とそれに関わる全ての人間を一生許さない」
「……可哀相な人」
 ぼそり、と呟くように言って奴は立ち上がる。
「……っ!? 何っ……!!」
 中原は俺に近付き、覆い被さるように屈み込んできた。
「別にどうもしませんよ。痛いでしょうから椅子から解放して差し上げるんですよ」
 縄は外された。が、両手足とも痺れて動かせない。思わず睨む。
「あなたの目はそんなに生気に溢れているのに」
 中原はそう言って、何故か哀しげに見える笑みを洩らした。
「……なっ……!!」
 ふわりと身体が浮く。中原は俺を横抱きにして立ち上がる。
「……離せ!! ゲス野郎っ!!」
「……ベッドルームに連れて行って差し上げますよ。疲れたでしょう? 食事を用意してあります」
 何故ベッドルームに食事!?
「……それともシャワーが先の方が、宜しいですか?」
「!?」
 思わず相手の顔を凝視する。揶揄の表情は無い。だが真剣とも言い難い。ただ、穏やかな微笑を浮かべている。
「……何を……企んでいる?」
 中原はくすくすと笑った。
「この状況を楽しんでいるだけですよ」
 と、携帯のコール音。中原は右手一本で俺を抱えながら、電話を取る。
「……はい」
〔……龍也君、か?〕
 『親父』の声。
〔……で、郁也は?〕
「ここに。……ええ、勿論無事です。で、礼の件、どうですか?」
〔……予定通りなら……明日三時……に〕
「了解致しました。それでは、また」
〔See you again.〕
「……グッドラック」
 プツッと通話を切る。
「……中原?」
 中原はにやにや笑っている。
「さて。デートの時間はまだしばらくあるようですよ、郁也様。今日が金曜で良かったですね。時間はたっぷりあります。是非とも楽しんでって下さいね」
「……中原?」
 中原はにこにこ笑って答えない。そのままベッドルームへ連れて行く。ベッドルームにはトレイがあって、二人前のフランス料理のコースが並んでいた。
「……おい?」
「大丈夫。食べさせて差し上げますから、横になっていて下さい」
「っ!?」
「楽しい状況ですね。また機会があれば、企画しましょうか? もっとプランを練って」
「何考えてるんだ!?」
「判ってるクセに」
 中原は鼻で笑う。
「それとも、私が思うより頭と察しが悪いんですか?」
「……『親父』の差し金だな?」
「あそこで定期連絡が入らなければ、もう暫く誘拐ラブラブモードでいられたのですが」
「一体どういう事だ!?」
「あ、連行方法については私のオリジナルです。取り敢えずあなたを『隠しておけ』という事でして。代わりに『偽物』が明日三時まで『郁也様』として行動します」
「……顔が似てないだろう」
「多少似て無くても大した事ありません。知らない者が見れば、誤魔化される程度の誤差ですので。……内部に裏切りが無ければ」
「で、『偽物』が殺されたらどうするんだ?」
「その時はその時です。……ま、『訓練』を受けた者なので、そう簡単にはやられないと思いますが」
「内部の人間だったら?」
「少なくとも的は絞れます。……だから私がいるんでしょう?」
「……普通あんな事するか?」
「……というか、力ずくでないと連れて来られないだろうなと」
「あんな目立つ事しやがって」
「いえいえ、案外人混みの中の方が判らないものですよ。それに堂々としてれば割と怪しまれないものです」
「……とんでもないボディーガードだな」
「お褒めに与り、非常に恐縮です」
「誰が褒めた!? 誰が!!」
「まあ、あれは合図みたいなものです。校内にいた『偽物』への。それと、私の趣味です。悪趣味で良いでしょう?」
「……最悪」
「そう言って頂けると嬉しいです」
「おい!?」
「……打てば響くように返ってくる。やはり郁也様は最高です。嬉しくて楽しくて、頬ずりしたくなります」
「やるなっ!!」
 ……本気で最悪。
「はい、あ〜んして♪」
「……てめぇ、ぶっ殺す」
「ヤですねー、郁也様。私はこのために両手両足縛っておいたんですから、ちゃんと口開けて下さいよ。協力しないと無理矢理こじ開けて、口移しで食べさせちゃいますよ?」
 鬼畜。嬉々とした顔で。マジでやられちゃたまらないから(はっきり言ってコイツは本当にやる)渋々口を開ける。嬉しそうに中原は、小さく切った肉やスープを口の中へ入れる。コイツが機嫌良いのが許せないが、殴る力も気力も無いので、バカみたいに口を開けて、暇だから中原を観察する。
 細い切れ長の一重の瞳。細く長いがしっかりした眉。すっと伸びた鼻。少し厚い唇。日焼けした肌。……黙っていれば、格好良い部類だろう。残念ながら。
「……郁也様って、本当に綺麗な顔してますよね」
 はあっ!?
「黙ってるとつくづく思いますよ。口は災いの元って郁也様のためにある言葉ですよね?」
 何いっ!?
「郁也様って、その無愛想と口の悪さが原因で、好きな女の子には良く嫌われてるんじゃありません?」
「っ!!」
 ふらつく身体で殴り掛かろうとして、逆に崩れ込んで、スープをぶちまけながら、中原の胸へ倒れ込む格好になってしまった。
「……せっかちですねえ。そこまで強引に誘わなくても、こっちはもう乗り気ですってば」
「何をだっ!!」
「ヤですねぇ♪ 照れ屋さん♥」
「ふっ……ふざけんなっ!!」
 掴み掛かろうとして、両手首を掴まれ、そのまま抱きかかえられる。
「っ!!」
「さて、バスルームへ参りましょうか。私もスープでべとべとになりましたからね」
「……やめっ……!!」
「……やめて欲しいですか? そんなに私が嫌い? でも、私はそんなに優しい男じゃないんです。私がいなきゃ生きていけない身体にしてあげますよ。折角の週末ですから」
「……腐れ外道っ!!」
「……私の性格の悪さはご存じでしょう? 大丈夫。優しくしてあげますよ。初めてでも」
「何で俺が初めてだなんて言い切れるんだよっ!! 俺だって恋人の一人や二人っ!!」
「……ええ、知ってますよ。私はあなたのお目付役ですから。けど、全員キス止まり。三週間以上付き合った事が無い。噂よりもあなたが純で真面目で、『何か違う』と思ったらそれ以上、踏み留まる事も進む事も出来なくて、結局別れ話になって、口とタイミングが悪いものだから、女ったらしとか極悪非道とか鬼畜とか言われて。もう涙が出るほど可哀相で、あなたが一人で泣いてる処なんて切なくて愛おしくて、胸が痛みます」
「何でそこまで知ってるんだ!! まさかっ……てめ……っ!!」
「あ、今、口に出してました?」
「口に出したとかそーゆー問題じゃねーよ!! クソ野郎!! 貴様まさか四六時中俺を監視してんのか!?」
「まさか。そこまで暇じゃありませんよ」
「しらばっくれるなよ!! この変態野郎!!」
「……本当にその美しい顔に似合いませんね。全く勿体無い」
「ああっ!? 何言ってんだ!! ヒヒジジイ!!」
「ジジイ!? 二十九なのにジジイはちょっと酷すぎます」
「じゃあ何度でも言ってやるよ!! クソジジイエロジジイ馬鹿ジジイ変態ジジイデブジジイストーカージジイ!!」
「……仕様のない人ですね」
 何を、と言い掛けたら、バスタブの中へ放り込まれていた。腰を打って抗議しようとした瞬間、シャワーを掛けられる。
「……っ!! おいっ!! バカッ!! 制服濡れる!!」
「大丈夫、洗濯出しますから」
「そういう問題じゃねぇよ!! こんなっ……!!」
「じゃあ、脱がせてあげますよ」
「っ!? なっ……!!」
 シャワー流しっ放しのまま、中原まで服を着たままバスタブの中へ入って来る。
「バカ野郎!! お前みたいな筋肉デブ入ったら狭くなるだろ!! 俺が潰れる!!」
「大丈夫。あなたはスマートですから」
「中原!! お前大人のクセにおとなげないぞ!!」
「ええ、そうですよ。郁也様より十四も年上の立派な大人です。ジジイ呼ばわりも仕方ないですよね」
「根に持つなよバカ!!」
はしつこいタイプなので」
 中原はそう言ってにやりと笑うと、あっという間に上着を剥ぎ取った。
「……やめろっ!!」
「……そうやって警戒して震える姿も良いですね。絵になりますよ。上気した白い肌。茶色の絹のような髪がしっとり濡れて。つぶらな瞳は僅かながら潤んでいて、長い睫毛は細かに震えている。眉は苦しそうに歪められているのに、紅い整った唇はまるで誘惑するかのように僅かに開かれている。あなたの事だけで百篇の詩が書けそうなくらい、魅惑的で誘惑的ですよ」
「……変態……っ!!」
「何とでも」
 そう言って躙り寄り、俺をバスルームの壁に押し付ける。抵抗するが、全く意に介しない顔で、ベルトに手を掛ける。
「……そんなに私が恐いですか?」
「……誰だって気色悪いだろっ!! 男にこんなコトされればっ……!!」
「……その口、塞いであげましょうか?」
「っ!?」
 中原は唇だけで笑った。
「……誰もあなたにお仕置きしないようですから、私がして差し上げましょうか? 幸い、ここには私達二人っきりですから」
「……なっ……!!」
 崩れ折れそうになる。中原はにっこり笑って、受け止める。
「じゃ、着替え持ってきますから」
 しゅるりとベルトを抜いて、ひらひらと振りながら。
「は!?」
 すると目を丸くして中原は言った。
「何ですか? 最後までヤッて欲しかったんですか? ヤだなぁ、それならそうと言って下さいよ。そうしたら私だってちゃんと……」
「出てけ!! 変態!!」
「……お元気そうで」
 にこにこ嬉しそうに言って、中原は出て行った。くそっ!! またやられた!! っとヤな奴!!こーゆーネタで人を追い詰めようなんて、変態だ!! 変態!! エロジジイ!! さっさと服脱いで洗面所放り込んで、カーテン閉める。シャワーで洗い流す。……全部。
「……この籠の中入れて置きます」
「……判った。すぐ出ろ」
「……一緒に入っちゃ駄目ですか?」
 中原の歩き回る気配がする。ぞっとした。
「てめぇのウィンナーなんざ見たくもねぇ」
「やだなぁ、私はウィンナーじゃなくてフランクフルトソーセージですよ?」
「ほう、そんなに小さいのか」
「……そんなに言うなら、実物見せて差し上げましょうか?」
「いらん、目が腐る」
「まったまた照れちゃって。遠慮しなくて良いんですよ」
「んなモンするか!! さっさと出てけ!! 今すぐに!!」
「……はいはい」
 ようやく中原は出て行った。ったく何考えてるんだ? うろうろ歩き回って。……こっち来るのかと警戒したが。……一体何であんな奴がクビにならないんだ? 俺には信じられない。体流して拭いて、服を見る。……何だ、コレは。

To be continued...
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