NOVEL

特A任務 File02. Wolfwoodの悲劇

 [ウルフ]という似合わない暗号名[コードネーム]が、栗色の髪に青い目の、柔弱そうな大学生のような童顔を持つ新米の彼、本名アーヴィン・ウルフウッドに当てられたのは、銀河連邦大統領カール・ヴェストファーレ直属の雑事担当官長──というのは建前で、実際には国家的活動とは別の、大統領の意志に沿った諜報・工作活動などを担当している──暗号名[キング]が、彼と初めて会った際に、『ウルフというのは良いな。君の外見的特徴からは類推できないところが実に良い』と言って以来である。
 彼は、先輩である[デューク]と組まされることが多かったが、いつも振り回され、しばしば「頼むからコンビ変えてください」と上官に嘆願しては、却下されている。理由はK曰く、『Dはお前と組んだ時の方が、一番真面目に仕事するんだ』という事なのだが、Wが見る限り、Dが真面目に仕事をしている姿など、ほとんど見た事がないように思う。先輩Dは、いつもサボることと、目当ての男または女を口説く事と、酒を飲んで遊ぶ事ばかり考えているように見える。
(勘弁して欲しいよ)
 と思う。だが、その他の先輩達には『まあ、頑張れ』などと気休めにもならない言葉をかけられるだけで、アドバイスもフォローもまるで無い。当の本人のDと来たら、全く反省しない上に、Wが何か言っても、うるさそうに顔をしかめるだけである。何故こんな男が首にならないのか、と思うのだが、Dは情報室内ではトップレベルの戦闘技能と、ハイレベルの知識を持ち、いざという時は頼りになる相棒で、その点Wはお荷物状態である。が、だからと言って普段のだらけぶり・不真面目ぶりは、我慢や忍耐というレベルで済むものではない。
(拷問だ)
 胃がキリキリと痛む。ここ数ヶ月ほど、Wは休日になると病院へ通い、神経性胃炎の処方箋を貰う生活が続いている。
(って言うか早く来てくださいよ。船が出ちゃうじゃないですかっ!)
 イライラと搭乗デッキで待っていたWは、こらえきれず床を睨みつけながら、ウロウロと待合室内を歩き始めた。と、その時、男性トイレの方角から現れた金髪の長身の男と、正面衝突する形でぶつかった。
「っ!?」
 ぶつかった衝撃で、危うく後頭部から倒れ込みそうになったWを、男が支え、助け起こした。
「……あ、ありがとうございま……っ!!」
 顔を上げた途端、Wはギクリと固まった。目の前に立っていたのは、今回の秘密任務の護衛対象者である、銀河連邦大統領カール・ヴェストファーレの一人息子で、現在シリウス星系の首都星ガイアの法大学へ通うミヒャエル・ヴェストファーレその人だった。
(しまった!!)
 一瞬激しく狼狽したが、要は相手に事実を悟られなければ良いのだと思い直す。今回の任務は、対象者である彼を、周囲は勿論、当人にも悟らせることなく秘密裏に、彼を誘拐し危害を加えようと企むテロリストの魔の手から守る事である。今年二十歳だそうだが、その外見はそれより二、三歳ほど上に見える。二十六歳という年齢であるにも関わらず、童顔と華奢な体格と身長のために、十八歳くらいにしか見られないWにとっては、劣等感を刺激される、男らしい容姿の持ち主である。
「あ、すみません。ありがとうございます」
 Wは僅かに顔を赤らめ、ごく普通の学生を装って、礼を言う。そして素早く離れようとした途端、不意に両手で抱きすくめられた。
「!?」
 驚いたWは反射的に、加減なしに相手の下腹部に肘鉄を叩き込んだ上、膝で鳩尾を蹴り上げ、相手の右腕を掴んで背中でひねり上げていた。
「……っ!?」
(あっ!! しまった!!)
 そこまでやってしまってから、Wは一瞬赤面し、すぐに蒼白になり、慌てて手を離し、平謝りする。
「ごめんなさい! ごめんなさい!! わ、悪気はなかったんです!! 急に触られたんでびっくりして!! 本当にすみません!! 二度としません!! ゆ、許してくださいっ!!」
「……なっ……?」
 相手の男、ミヒャエルは目を丸くして、Wを凝視している。Wは自分のあまりに酷い失態に、激しい後悔と自責の念を抱きながら、とにかく頭を下げながら謝罪する。と、自分と彼が、その場の注目を浴びている事に気付き、愕然とする。
(ああぁっ! し、しまったぁああぁっ!! め、目立ってる!!)
 隠密行動でなくてはならなかったのに。マズイ、と全身冷や汗をかく。そこへ、
「……失礼、連れが何か?」
 背後から降って来たのは、感情の感じられない冷たいDの声。Wは思わずゾクリとする。ミヒャエルは胡散臭そうな顔で、後から現れたDを見る。
「……お前は誰だ?」
「彼の連れだ。連れが何か迷惑をかけたらしい。失礼した。謝罪する」
 そう言って頭を下げると、ぐいとWの腕を掴み、自分の方へ引き寄せた。
「……それでは良い旅を」
 と告げて、DはWの腕を掴んだまま、ミヒャエルに背を向ける。
「……待てよ」
 ミヒャエルが苛立ったような声を上げる。Dは不快そうに眉をしかめ、首だけで振り返る。
「何か?」
「そんな口だけで謝罪したつもりか? 本気で謝る気があるなら、両手を床について謝罪しろ」
 挑戦的なミヒャエルの言葉に、Dは感情を消した顔で、無言でその場にしゃがみ込み、おもむろにその場に正座し、両手をついて頭を下げる。その姿を見て、Wもミヒャエルも、絶句する。
「申し訳なかった」
 そう言うと、Dはすっくと立ち上がる。
「何をぼうっとしている。行くぞ」
 そう言って、Wの腕を掴む。
「あ、は、はい……その……」
 言おうとした言葉は、返されたDの鋭い視線に、喉の奥へと引っ込んでしまう。驚愕と狼狽を露わにするミヒャエルをその場に残し、WとDは搭乗手続きを済ませて、船に乗り込んだ。
「三等客席か」
 と言うDに、Wは
「一等客席は二席しか取れなかったんです。急だったので」
 と答える。それから慌てて小声でDの耳元へ囁く。
「……それで、『赤ずきんちゃん[リトルレッドキャップ]』は『彼』です」
 そう告げると、途端にDは苦虫を噛み潰したような顔になった。
「……おい、お前……」
「判ってます。でもぶつかった事より、その後が問題で……」
「『彼』だと判っていて殴ったり蹴ったりしたのか? 最悪だな」
「だって!! 驚いたんです!! き、急に抱きつかれて……っ!!」
「うるさい。……お前も素人じゃないんだから、ちょっとは自制心ってものを身につけろ」
「……先輩に言われたくないですよ」
 Wはぼやく。Dはにやりと唇を歪めて言う。
「仕方ない。俺とお前は五歳違いの従兄弟で恋人同士って線で行くぞ」
「えぇっ!? な、なんでそんな……っ!!」
 大声上げかけたWの口をDの右手が慌てて塞ぐ。
「大声出すな。とにかく、そうする。……どうやらお前は目をつけられたらしいからな。今更隠れても無駄だ。だったら、せいぜい目立ってやるさ」
「……え……なんで……?」
「仕方ないだろ。お前なんかに興味はないし、そそられたりもしないが、向こうがお前をお気に入りとなれば、ここはそれを利用するしかないだろう。だが、本気で手を出されても困るだろうしな。俺はどうでも良いが、お前は良くないだろう」
「ど、どういう意味ですか?」
「……さっきの『彼』の目だがな、お前のことを『ターゲット、ロックオン』てな感じだった」
「…………」
 Wは真顔でDを注視する。Dはしらりとした顔で、しかしどことなく苦笑を噛み殺すような、楽しそうな口調で言う。
「そう言えばバイセクシャルだって書いてあったよ。備考にな」
「……ちょっ……ちょっと待ってください……っ!!」
「それともいっそ向こうに手ぇ出してもらって色仕掛けで相手に密着で行くか? 今回ばかりはお前の好きに選択させてやる」
 悪夢だ、と蒼白になりながら、Wは心で呟いた。

「膝の上に座れよ」
 ふざけたDの台詞に、Wはこれ以上ないくらいに顔をしかめる。
「そんな事できるわけないでしょう」
「つれないヤツだな」
 口笛でも吹きそうな口調でDが言う。Wは顔を真っ赤に染める。
「先輩は誰にでもそういう事言ってるんですか?」
「誰にでもってこたぁ無いぜ。俺はそれほどサービス精神旺盛じゃない」
(いっそこの人、事故か何かで死んでくれないだろうか)
 Wは一瞬本気でそう思った。だが、それはそれで、後が大変だ。ギリギリと唇を噛み締める。
「そんなに唇を噛み締めると、怪我するぞ。ほら、少し口を開いてみろ。怪我してないか中を確認してやるぜ」
「ヤですよ。何、そんな聞いたこと無いような甘ったるい声出してるんですか。セクハラですよ。っていうかその確認方法ってどうせろくでもないやり方でしょう?」
「お前はもうちょっとくだけて協力しろ。これじゃ俺が一方的に口説いてるみたいに見えるじゃないか」
 結局、逡巡の上、Wは自己の保身と貞操を守るため、苦渋の選択ながら、Dと恋人のフリをする事にした。のだが、先ほどからずっとこの調子である。Wはたまらなくなって、Dの耳元へ囁く。
「……本当に、僕に手を出す気はないんですか?」
「安心しろ。俺は美人とカワイコちゃんにしか興味はない。お前みたいな童顔貧弱小僧に手を出すほど酔狂じゃない」
「どうせ僕は童顔貧弱小僧ですよ」
 恨めしげにWはDを睨む。
「しかし、お前のような男が好みだという男もいるからな。そんなにしょげなくて良い」
「僕は男になんか惚れられたくないですよ。先輩と違って女の子にしか興味ないんですから」
「俺も女は好きだぞ。というか惚れたら、性別年齢は関係ないな」
「先輩みたいなのは無節操って言うんですよ」
「せめて博愛主義と言ってくれ」
「物は言い様ですね。……とにかく、演技と称してやたら接触するのはやめてください。なんですぐ腰に手を置こうとするんですか」
「多少やりすぎなくらいでちょうど良いからだ。人に見せる時はな」
「……勘弁してくださいよ。僕はノーマルなんですから」
 すると、Dはにやりと笑って、声を低める。
「イヤならやめてやっても良いんだぞ。俺はお前のケツがどうなろうと知った事じゃないからな」
 その台詞にWは心底ぞっとする。
「や、やめてくださいよ。そんな不吉な事……っ」
「今までお前がその性格でバージン保てたこと自体、奇跡のようなものだからな」
 Wはぞぞぞぞ、と背中に寒気が走り、ぶるりと大きく身を震わせた。
「あ、あんまり脅かさないでくださいよ」
「俺が誰のためにやってると思ってるんだ? 大体元はと言えばお前の失態だぞ。相手を守らなきゃならない立場で、襲われる立場になるというのは、全くシャレにならないな」
「それなんですけど、先輩。本気で言ってるんですか? 自分がそうだからって、まさか、他人まで皆両刀で見境無しだと思ってるわけじゃないですよね?」
 真顔でWが言うと、Dは苦笑する。
「お前は本当に失礼なやつだな。その台詞だけで、俺にケツを掘られても文句は言えないぞ?」
 Dの台詞に、Wは飛び上がる。
「まっ、まさかほ、本気で!?」
「バカ」
 DはWの口を慌てて押さえ、椅子に座り直させる。
「……本当は秘密だけど、お前を安心させるために言ってやる。俺の頭の中はあの例の『姫君』でいっぱいなんだ。彼を落としてモノにするまでは、他の人間の事なんか考えてる余裕なんかない。お前なんか比べたら月とすっぽんだ。勿論すっぽんはお前だからな」
「……確かに、美人でしたしね……」
 やっぱりそうか、と思いながら、Wは頷く。
「でも先輩のことだから安心なんかできませんよ。だいたい、いっつも、美人と見れば、相手どころかところ構わず、口説いてちょっかい出してるじゃないですか」
「……考えてみろ。俺が今まで惚れてちょっかい出した相手に、お前のようなタイプはいたか?」
「……………」
 Wは脳裏に、今までのDの食指が動いた相手の姿が思い浮かぶ。
「……そういえば、みんな人並み外れてキレイで、スタイルも良い人ばかりでしたね……」
「そういう事だ」
 Dは真顔で頷いた。説得力はある。説得力はあるのだが……。
「……でもやっぱり節操は無いですよね……」
 呆れたように言うWに、Dはしらりとした顔で言う。
「言葉の使い方が間違っているぞ。節操が無いんじゃなくて、恋多き男と言うんだ」
「白々しいですよ」
「俺はいつも最後の恋愛を求めて、銀河中を駆け回っているんだ。仕事はその『ついで』だ」
「……本当にどうして先輩みたいな人がクビにならないか不思議ですよ」
「そりゃ色々諸事情があるからな」
「諸事情? なんです、それ」
「お前には教えてやらない。極秘だ」
「……まあ、別に良いですけどね。僕には関係ないし」
「かしこいぞ、ヴォルフ。お前も少しずつ成長していってるんだな」
 と、DはWを偽名で呼ぶ。
「あなたは本当に性格イイですよ、ディーン」
 苦い顔をしながら、WもDを偽名で呼んで、溜息をついた。ちらりと視線を動かすと、視界の端に壁際に立ってこちらを見ている金髪碧眼の男。『彼』こと作戦上の暗号名『赤ずきん』ことミヒャエル・ヴェストファーレである。これ以上ないくらい似合わない暗号名だ、とWは思う。よりによって『赤ずきん』が睨みつけるように凝視している人物の暗号名が『[ウルフ]』──W──なのである。これほど頭の痛くなる事はない、とWは思う。
(ああ、鎮痛剤が欲しい)
 胃の痛みに加えて、歯がみしすぎたのと恐怖と悪寒と緊張と、セクハラによるストレスで、頭痛と耳鳴りと肩こりにも悩まされ始めたWは思わず拳を握り、心の中で呟いた。実際にベタベタと身体を触られる事以上に、黙って遠くから見つめられるだけ、というのもストレスを感じるものである。蛇の生殺し、あるいは真綿で首を絞められるというのは、こういう状況・心境なのだろうかとWは思う。
「せ、先輩。席を外しても良いですか? が、我慢できません」
「トイレか?」
「……言われてみればしたくなりましたけど、それだけじゃないです。もう僕はこれ以上耐えられません。なんであんなところからじっと僕のことを睨んでるんですか。僕は確かに悪いことしたとは思いますけど、こんな拷問受けるほどですか? 先輩が土下座までしてくれたのに」
「別にお前のためじゃないから恩に着なくて良いぞ」
「僕のために先輩が土下座したとは最初から思ってませんから、心配無用です。どうせ仕事のためでしょう?」
「判ってるじゃないか。俺は仕事のためなら何だってやる男だ。好みでない男を抱く事も、抱かれる事だってできる。試してみるか?」
「……勘弁してくださいよ。僕をいじめてそんなに楽しいですか?」
「ああ、楽しいとも。一応言うが、ストレス感じてるのがお前だけだとは思うなよ?」
「え? 先輩もストレスなんて感じることあるんですか?」
「そりゃあるさ。さっきからずっと殺意にも似た視線を送られ続けてるんだからな。まあ、トイレに行きたきゃ行けば良いが、ケツには気をつけろよ」
「……その話題はもうやめてください」
 げっそりした顔でWは言うと、席を立った。視線を感じながらも、何でもない顔を作って、船内の共有トイレへと向かう。船内のトイレは全て個室である。トイレにはまったく人気がなかった。ずっと感じていた視線も途切れ、Wは深々と溜息をついた。そして、個室のドアに手をかけた時、不意に、背後から抱きすくめられ、反射的に相手を殴ろうと腕を上げたが、それがヒットする前に、掴まれた。
「っ!?」
 目の前にいたのは、ミヒャエルだった。驚いて固まったWに、ミヒャエルは苦笑しながら言う。
「……本当、顔に似合わず凶暴なんだな」
「あっ……な、なんで……っ!!」
「とりあえずトイレ入るんだろう? 良いぜ、先に用を済ませてくれよ」
 そう良いながら、ミヒャエルは個室に、Wを押し込むように連れ込み、自分も中に入った状態でドアに鍵をかけた。
「えっ……ちょっ……!?」
「ほら、するんだろう? 見ててやるから、さっさと済ませろよ」
「な、なんで一緒に!! み、見ててやるからってどういう意味っ……!?」
 悲鳴のような声を上げるWをにやにやと笑いながら、ミヒャエルはおもむろに手を伸ばしてくる。
「一人でできないなら、俺がやってやるよ」
「……なっ……!?」
 ジッパーを下ろされ、イチモツを取り出され、持たれてしまう。なのに、生理現象なのか何なのか、その状態で、水音を立てて出してしまい、Wはみるみる内に真っ赤になった。
「あ、あ、あ、あぁぁあ……っ」
 それが終わったところで、ミヒャエルがいったんそれを解放したため、慌ててそれを仕舞おうとすると、両腕を掴まれて上へ掲げるようにされ、驚いている内に壁へ押し付けられた。
「えっ……なっ……?」
「サービスしてやったんだから、俺にもサービスしてくれよ」
「えっ、ちょっ、な、何がサービス……」
 とWが言うと、手を掴んでいるのとは逆の手で自分のジッパーを下ろし、中身を取り出すと、Wの顔をぐいと自分の股間に押し付けた。
「ぶっ、ふぐっ……!!」
「やり方は知ってるんだろう? 歯は立てるなよ。最後までやるのが嫌なら突っ込んでやるから、どっちか好きな方を選んで良い」
(どっちも嫌だ!)
 Wは心の中で悲鳴を上げる。その時だった。ドンドン、とドアが外から乱暴に叩かれる。Wは思い切り口の中のモノに噛み付き、相手が呻いて仰け反ったところを慌てて逃げ出し、鍵を開けて外に出る。そこにいたのはDだった。
「あぁっ……せ、先輩……っ!!」
 涙目でDにしがみついた縮み上がったイチモツ丸出し姿のWと、股間を押さえてしゃがみ込み苦しむミヒャエルの姿を見て、Dは盛大な溜息をついた。
「……だからケツには気をつけろって言っただろうが」
「ケ、ケツは無事ですよ!」
 真っ赤な顔でWが叫ぶと、Dは苦い顔で言う。
「……ケツは無事だとかナニがどうされたとかいう問題じゃねぇだろうが」
「べ、別に妙なことされたってわけじゃ……っ!!」
「じゃあ、あれは何だって言うんだ。お前の過剰防衛か? それともお前が一方的に暴行したのか?」
「い、いえ、そのっ……掴まれてしょ、小用を……っ!!」
 Wの言葉にDは呆れた表情になる。
「とりあえず中身は仕舞って、手を洗っておけ。自分の手は使わなかったのかもしれないが、一応な。……おい、大丈夫か?」
 Dは、呻くミヒャエルに手を差し伸べる。ミヒャエルは嫌そうにDを睨みつけるが、Dがまったく動じず、たじろぐどころか平然としており、また手を引っ込める気配もないのに気付き、不承不承ながら、Dの手を取って、立ち上がる。
「……いったい何なんだよ」
 ムッとした顔で、ミヒャエルはDを睨み付ける。
「余計なお世話かも知れないが、男でも女でも、誰かと性行為に及ぶ前には、必ず相手を口説き落としてからの方が良いぞ」
 Dがそう言うと、ミヒャエルは目を大きく見開いた。
「……は?」
 妙なことを聞いた、と言わんばかりの表情で、ミヒャエルはまじまじとDを見つめた。
「相手を口説く前にやってしまったら、強姦と変わりないからな。それとも、そんなに自分に自信がないのか?」
 Dの言葉に、ミヒャエルがカッと顔を赤らめる。
「……別に、そういうわけじゃない」
 DはくるりとWを振り返る。
「お前、今、口説かれてから触られたか?」
 Wはぶるぶる、と無言で首を横に振る。それを見て、Dはミヒャエルに向き直る。
「今度から、触っても良いと相手が許可してから、触るんだな。じゃなきゃ、犯罪として訴えられても文句は言えない。連邦警察とマスコミはそんなに甘くないぞ」
「……文句を言う相手には、いつも金を握らせてた。たいてい、それで黙るからな」
 ぼそり、とミヒャエルが呟いた言葉に、思わずDとWは顔を見合わせた。
「…………」
 ミヒャエルは怪訝そうに顔をしかめながら、首を傾げる。
「なんだよ、妙な顔して黙り込んで。なんか俺、おかしなこと言ったか? 別にそれで文句言われたことはねぇぞ。だから別に問題ないだろ。なんでそんな……」
「問題大アリだ」
 真顔でDが言い、Wもこくこくと首を縦に振る。
「は?」
 ミヒャエルは意外なことを言われた、という顔できょとんとする。
「何がだ?」
 真顔で問われて、一瞬、Dは顔を引きつらせ、Wはざあっと血の気が引いて蒼白になる。
「金を握らせるのは問題外。それは犯罪。金で相手を黙らせるんじゃなくて、言葉と心で相手の心を陥落させろ。愛情なしのセックスなんて、つまらねぇし、むなしいだろ?」
「……そんな事は考えたこともない」
「それは激しく問題あるから、ちゃんときちんと考えろ」
 Dは問答無用とばかりに厳命した。
「なんで問題あるんだよ?」
 全然判らない、という顔で、ミヒャエルが言い、DとWは一瞬絶句する。Dは溜息をつき、うーむと唸ったきり、黙り込んでしまう。Wは何か言わなければ、とばかりに口を開く。
「つまりね、自分がもしそういうことされたらって考えるんだ」
 Wの言葉に、ミヒャエルはきょとんとする。
「どういう意味だ?」
「つまり、君がもし、今、僕がされたのと同じ事をされたらどう感じるかを考えるんだよ」
「別に? 俺は平気だけど」
 ミヒャエルの言葉に、Wは口を開けて固まった。Dもしばらく硬直する。
「……あー、つまり、だな……普通の人間は、いきなりナニを握られたり、背後から襲いかかられたり、意思疎通もしていないのにセックスしたりとかいうような事はしないって言うか、したくないんだ。余程マニアックな趣味のやつならソレでも喜ぶかもしれないが、ノーマルなセックスを好む相手だとまず引くっていうか脅えるな。だからまあ、いくら相手に後で金を渡すつもりでも、そういうのは相手にやっても良いか聞いてからしないとトラブルの元になるんだよ。あんたが平気でも、あんた以外の他の人は平気じゃないから、そういうことはやったら駄目だ。やったら犯罪で、警察に捕まって裁判かけられて刑務所入れられるから。それだけじゃなくて、やられた人が傷ついたり悲しんだりするから、絶対駄目。言ってる意味判るか?」
「……いきなり駄目とか言われてもな……」
 ミヒャエルが言うと、Dはふと真顔になって、相手の髪を乱暴に引き掴む。
「っ!?」
「えっ、ちょっ……先輩!?」
 Dは制止しようとするWを無視して、ミヒャエルを壁に叩きつける。
「……っ……ぐっ……!!」
 呻くミヒャエルの首筋を舌で嬲るように舐め上げ、痛みを覚えるほど強く吸い上げる。
「……っ……はっ……!!」
「ちょっ、先輩!! マ、マズイですよ!! そ、そんな……っ!!」
 Dはじろりとミヒャエルを睨み、乱暴にミヒャエルの股間を撫で上げる。
「……っ……ぁっ……!!」
「……つまりだ。お前のやってる事は、こういうことだ。……判るか?」
「ぁっ……はっ……ぐっ……!!」
 Dはぐいぐいと強くそれを揉み上げる。ミヒャエルは苦痛と、痛みと同じくらいの快感に、顔を歪め、荒い息を吐き、呻く。Wはその様子に慌てふためきながら、Dに背後からしがみつく。
「せ、先輩っ!! そ、それ以上はヤバイです!! ヤバ過ぎですからっ!!」
 Dはミヒャエルが達する直前に手を止める。
「……?」
 少し怯えたような、困惑し、不思議そうな、苦しそうな顔で、ミヒャエルはDを見上げた。
「別に俺はお前を悦ばせようという気は更々ないからな」
「っ!?」
 さらりと冷淡に言ったDの言葉に、ミヒャエルの顔が、屈辱と怒りと羞恥に赤く染まる。
「それに、ヴォルフが泣いてやめてくれと頼むしな」
「別に泣いてませんよ!!」
 Wは絶叫する。ミヒャエルはそんなWとDを睨み付ける。
「俺を……バカにする気か!?」
 するとDはあっけらかんと明るく笑って言う。
「違うね。『教育』だ。……困ったことを言う子供に対する、愛の『お仕置き』」
「どこが愛だ!!」
 と、Wとミヒャエルは同じ言葉を、同時に叫ぶ。
「どうせ趣味と実益兼ねてるんでしょうが!! 先輩はっ!!」
 と叫ぶWに対し、
「ここまでしといて寸前でやめるなんて、キサマは鬼だっ!!」
 と、ミヒャエルは叫ぶ。その台詞に思わずWが赤面しながら言う。
「あ、あの先輩……僕はここで退散しますから、そ、その、心おきなく続きをやってあげてください」
「あ? なんで俺がそこまで面倒見てやらなきゃならないんだよ」
 Dは苛々と噛み付くような口調で吐き捨てる。
「いや、でも……気の毒ですよ。なんだか……」
「そんなに気の毒だと思うんなら、後はお前が面倒見てやれ。俺は知らん!」
 そう言い捨てて、Dは二人に背を向ける。通路間際まで追いかけたWが
「せ、先輩……っ!!」
 と、腕にしがみつくと、Dは小声で、
「……そろそろ定時連絡の時刻だからな。俺は移動する。ということで、後は頼む」
 とWに告げて、立ち去ってしまう。それを呆然と見送ったWは、背後からぐいと腕を掴まれ、トイレの奥へと引き込まれる。
(……後は頼むって……)
 頭の中が真っ白になったWの耳元へ、ミヒャエルの熱い吐息が吹きかけられる。
「……俺を慰めてくれよ」
「なっ……!?」
 間近に、ミヒャエルの熱に浮かされたような、熱く潤んだ眼差しがある。その瞬間に、Wの体温は一気に冷えた。
「身体が熱くて熱くてたまらないんだよ」
 そう言って、ミヒャエルはWに口づけ、その下腹部に手を這わす。
(ぎゃあああぁぁあぁぁぁ……っ!!)
 声にならない絶叫を上げて、Wは仰け反った。人気のない男子トイレには、獣のような荒い呼吸がこだまする。

The End.
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