プロローグ


 この人は、もう長くないな。P.ダムは、そう思った。
 いや、常々思ってはいるのだが、最近はその考えがより強くなってきた。

 テペス・Vは、国家解体戦争の頃は大きな戦果を上げ、若いナンバーを与えられるほどの腕利きだったし、今でもネクストの扱いは一流だが、最近は時々意味不明の事を口走ったり、話しかけても上の空だったり、時には理由もなく激昂し、周囲に当たり散らしたりする。
 コジマ汚染だ。キャリアが長い上に、コジマ技術の積極利用が売りのアクアビットでは、おのずと汚染も深刻なものになるのは疑いない。周囲の者にも、先は短いと噂されている始末だ。

 今日も、テペスは様子がおかしかった。そして……そういう時、テペスはP.ダムに欲望をぶつける。まるで獣のように。
 そういった関係自体は、テペスがここまでおかしくなる前から、あった。強いられたわけではなく、誘ったつもりもない。自然と、そうなっていた。親子ほども歳が違うのだが、P.ダムはその事は別に気にしていない。
 国家解体戦争で共に死地をくぐった間柄でもあるし、助けもしたし、助けられもした。お互いの距離が縮まり、そして触れ合うのは、自然な事だったと思っている。


 あはは。
 行為が終わり、テペスが戻って行った後、P.ダムは自嘲するように笑った。
 ベッドに寝転がり、乱れた服を直しもせず、しばらく笑い続けていた。
 どっちも、汚染されて子など成せない身だ、処理など気にする必要もないが、床に垂れたら拭くのが面倒だし、放っておいてシーツがごわごわするのも気分が良くない。それだけの理由で、一応の処理はする。

 シーツを張り替えながら、P.ダムは先ほどの事を回想していた。
 今日は、まるで私に甘えているようだった。自分に確実に迫り来る死を恐れ、助けを求めているようにも感じられた。たまに、そういう事がある。
 ……P.ダムにとっては、それは、あまり気分のいい事ではない。テペスは上司であり、先輩であり、そして、父親のようなものでもあったから。弱いところを見せてほしくない。
 今となっては、テペスはもう、そういった頼れる存在ではなく、蔑みの対象になっていた。

 私も、いつかはこうなるのか。その時までこの人が生きていたら、どんな事になるだろうか。
 P.ダムはまた笑い出した。気の狂った者同士が、それこそ狂ったように求め合う姿を想像してみると、その滑稽さに笑いを抑える事ができなかった。
 間違いなく自分も、侵食されている。進行している。時に感情を抑え切れないし、それが任務に差し支える事もある。それすらも、滑稽でたまらない。

 徐々に、徐々に、蝕まれていくんだ。どんどん泥沼にはまりこんで行くんだ。
 なら、それでいい。面白いじゃないか。泥沼の底には何があるのか、見てこようか? どうせ何もないだろう。溺れ死ぬのも一興だ。やっぱり面白い。
 シャワーを浴び、さきほど張り替えたシーツの上に横になると、P.ダムは眠りについた。




 ベルリオーズ。国家解体戦争で最大の戦果を上げ、1というナンバーを持つ男。その男が、目の前にいた。
 行動をともにした事はないが、その武勲については何度も耳にしている。さっきまでは、どれほどの男なのかと多少の恐怖心を抱いたが、それは本人を前にして薄れた。
「君だね、アクアビットのナンバー2は」
 紳士然とした、落ち着いた話し方だった。2人しかリンクスはいませんけどね、などと、つい冗談を言いかけてしまった。
「どうもテペスは状態が良くないようだな。なので、今回の任務では、彼のかわりに君に頼もうと思うのだが……どうだろう?」

 どうも話を聞くに、ベルリオーズの言う任務というのは、小規模でありながら、とても意味の大きいものらしい。レイレナード陣営の今後をも決めるような……。
 でも、そんな事と言ってはいけないのかもしれないが、どうでもいい。深い事を考えるのは嫌いだ。戦えと言われたなら戦うだけだ。P.ダムはそう思ったから、ベルリオーズの作戦に同行する事にした。

「アクアビットか? あのおっさんはどうした?」
 ブリーフィングルームへ向かう途中、後ろから声をかけられた。
「テペスなら、体調を崩してミッションに参加できない。だから私が来た」
「コジマ汚染だろ……? いかれちまったって噂は、こっちまで聞こえて来てるぜ」
「黙れ……」
 P.ダムは、横に並んできたその男を睨み付けて、言った。
「ああ、怖ぇ怖ぇ。悪かったよ。でもあんたも気をつけるんだぜ」

「聞こえていたぞ、アンシール。重要な作戦の前に、和を乱されてはたまらんな」
 二人がブリーフィングルームに着くと、すでにベルリオーズが待っていた。
 ずいぶんと態度が大きかったこの男、アンシールも、さすがにベルリオーズの前では恐縮しているようだ。
 ほどなくしてもう一人、ブリーフィングルームに入って来た。P.ダムは、この男には見覚えがあった。ザンニと言ったか。レイレナードのリンクスだが、アクアビットのお得意様でもあるようで、姿を見た事は何度かある。
「全員、約束の5分前には集まったか。実に結構」
 ベルリオーズは満足げだ。
「任務内容は実に単純明快だ。旧ピースシティで、ノブリス・オブリージュと、ナルを撃破する。他に援軍が来るかもしれないが、その場合は適宜対処。質問がなければ、すぐ出る」
「ちょっと待ってくれよ」
 アンシールが口を挟んだ。
「ナルとやらは知らねえけどよ、レオハルトの旦那は……いけ好かないとこもあるが、殺せと言われてはいそうですかって風には、すぐには難しいな」
 馬鹿か、この男は。P.ダムは思った。国家解体戦争で世話にでもなったのだろうか?
「敵を殺せないと言うのなら、降りてもらって構わんぞ」
 こう言ったのは、ベルリオーズではなく、ザンニだった。
「いや……やるさ。今は敵だもんな。ずいぶん情勢も変わったもんだなって、ちょっと考えちまっただけだよ」
「ああ、情勢は変わった。企業に属している者同士だ、企業が敵対すれば殺し合いもする。他になければ、出撃の準備に移ろう」
 ベルリオーズはそう言うと、誰の返答も待たずに、席を立った。他の者もそれに続く。

「そのおっかない武器で、巻き込まないでくれよ?」
 ヒラリエスを見上げながら、アンシールは言った。
「弾を無駄にするつもりはない。お前が気をつければいい事だ」
「へっ、言ってくれるぜ。まあ、生き延びようや」
「それも、お前が気をつければいい事だ」
 再び、「へっ」と笑うと、アンシールは自分のネクストの方へ歩いて行った。
 不思議な感じだ。ハイスクールから逃げ出してAMS実験体になったP.ダムにとっては、同年代の男と憎まれ口を叩き合うという経験は、全くと言っていいほどなかった。


「一機やったぜ。雑魚が!」
 アンシールの声が聞こえた。
「気を抜くな。全員でノブリスにかかる」
 戦闘は順調だった。「旦那、アクアビットの彼女は囮役かい」と言ったアンシールが、ベルリオーズに咎められる場面はあったが……つまり、それほどに一方的な戦闘だったという事だ。

「終わりか?」
 ノブリス・オブリージュが火花を散らしながら膝をついた時、ザンニは言った。
「いや……まだ、終わってはいないようだ。遠方より、ネクスト急速接近中」
 今度はベルリオーズの声が聞こえる。
「やはり来たか、アナトリアの傭兵。たやすい相手ではない。皆、気を抜くなよ」

 再び、一方的な戦闘だった。しかし今度は状況が違う。4機のネクストが、1機に圧倒されているのだ。
 真っ先に、ザンニのラフカットが落とされた。次は、アンシールのレッドキャップが落とされた。それでもP.ダムは、何の感慨も抱かず、敵機をレーダーで追い続けていた。
 奴は、シュープリスを狙っているようだ。甘く見られたものだ。ヒラリエスはレーダーに映る敵の方向へ進みながら、その腕を緑色の光で覆いはじめた。要塞をも瞬時に無力化したこの兵器、当たりさえすれば、ネクストに耐えられるものか。
 シュープリスの方向に向かっている敵機信号を、追いかける形になった。一見逃げているように見えるシュープリスは、意図してこの動きをしているのだろう。挟撃できるように。

 ほどなくして、敵機を視認した。
 こちらを向いている。後ろ向きに飛んでいる。

 狙われていたのは、私の方だったのか!? そう考えると同時に、敵機は何かを射出した。
 グレネード。
 衝撃。
 吹き飛ばされている。

 これで良かったのだろう。これで、無限に続くと思われた泥沼から脱する事ができる。
 AMSを通じて感じられるヒラリエスの被害状況は、「致命傷」を表していた。

「戦場だ、覚悟はできてる……」
 自分に言い聞かせるように、自分の運命を確認するように、P.ダムは言った。
 それにしても、まさか私があの人よりも先だなんてね。そう考えている間に、AMSからの伝達が途絶し、P.ダムは一度大きく震えた後、動かなくなった。




「ふうん、これは奇跡と言う他はないな」
 声が聞こえた。女の声だ。
「パーツ取りに来てみれば、最重要パーツが、使えそうな状態で残ってたとはな……」
 言葉こそ酷い事を言っているようにも感じられるが、その口調からは悪意は感じられない。
「さすがに衰弱しきっているようだな。安心して、もう少し眠っておけ」

 P.ダムが再び意識を取り戻したのは、病室と思われる場所のベッドの上だった。
 動こうと思っても満足に動けない。なんとか自分の腕を視界の中に持ってきたら、骨と皮、まさしくそう表現するのがぴったりの状態だった。
 動く事もできず、ただ眠り続けるまま、数日が経過した。

「幾つもの幸運な、または不運な偶然が重なっていた、という事だな」
 P.ダムを救った女は、言った。
「お前のネクストは、直撃ではなく爆風に煽られて機能停止した事、衝撃でAMSケーブルがいかれて、脳を焼かれなかった事、そしてコクピットの空調が暴走し、お前はいわゆる冬眠状態になって、長い間眠っていられた事……」
 そう言ってから、女はおかしそうに笑った。
「アナトリアの傭兵、あいつが持ち帰った戦闘データには、『ヒラリエスに攻撃を加えた』という記録はないまま、撃破の記録だけが残っていたと言う話だ。おおかた、牽制のつもりで撃ったグレネードに巻き込まれたのだろう。そこまで耐久性を軽視したネクストを作るとは、アクアビットはやはり尖り過ぎていたのだな」
 連日投与されていた栄養剤のおかげで、P.ダムは、ふくれ面を作る事くらいはできた。そして、女が過去形を使った事も気にかかった。
「アクアビットは? テペスさんは……?」
 後者の質問は、つい口をついたものだ。心の中では蔑んでいたのに、なぜ自分は心配しているのだろう。不思議だった。
「アクアビットは、アスピナのホワイトグリントに襲撃を受けて、壊滅した」
 ひと呼吸置いて、女は続ける。
「そしてホワイトグリントは、結構な被害を被って戻ってきたらしい。通常兵器やノーマルに後れを取るような事はないだろう。ネクストと交戦したのだろうな、それも、恐らくは一流と呼んでいい相手と」
「……」
「だが、テペス・Vの機体、シルバーバレットは、発見されていない。そしてアスピナは戦闘データを公表していないし、当のオブライエンも、もうこの世にはいない」
 P.ダムは少し驚いた。ジョシュア・オブライエンと言えば、相当の凄腕だという噂はたびたび耳にしていたからだ。コジマ汚染か? 病死か? と考えていると、女は続けた。
「アナトリアの傭兵と戦って、敗れた。奴が何故アナトリアを襲ったのか、それも本人が死んでいる以上、何もわからない」

 しばらくの間、どちらも何も言わなかったが、口を開いたのは女の方だった。
「ところで、興味深い話があるぞ」
 何だろう、と、P.ダムは続きを待った。
「ホワイトグリントは、大幅改修されて、なお現存している。そして現在の搭乗者は、アナトリアの傭兵だという噂だ」
「……」
「まあ、そのホワイトグリントは、一機だけで企業連に脅威とみなされる程の相手だ。まだ体もネクストも満足に動かせないであろうお前が出ても、到底勝ち目はないだろうが……」
 女の言う通りだ。P.ダムはそう思った。主観では、撃破された後ですぐこの女と出会ったつもりでいたのだが、実際には結構な年月が経っていると言う。

 考え事をしていると、女は、驚くべき事を口にした。
「ところで、お前が乗っていたヒラリエスは、すでに修復が終わっている。アクアビット製の設計図やパーツをかき集めるのはなかなか面倒だったが、それなりに顔は広いからな」
「あなたは、誰なんです……?」
 P.ダムは、一番気になっていた事を聞いた。ずっと気になっている。この人はずいぶんな事情通のようだし、何者なのだろうか? と。
「セレン・ヘイズ……主に独立傭兵のオペレーターを生業としている。国家解体戦争以後、どんどん沸いてきたリンクスの一人でもあったが、向いてないと思ってすぐ引退したさ」
 P.ダムが黙っていると、セレンは身を乗り出して続けてきた。
「私と、組まないか?」
「……」
「一度死にかけた奴に、また戦場に出ろなんてのは酷い話だ。わかっている。だが、お前は乗るだろうな。そう思っていなければ、言わない」
 P.ダムは、うなずいた。
「まあ、まずは体のリハビリに専念するんだな。ネクストだけ動かせても、日常生活が成り行かなかったらどうしようもない」

 その後一週間ほど病院で過ごし、何とか退院したP.ダムの所に、セレンがやって来た。
「依頼を取って来たぞ。水上都市ラインアークへの襲撃だ。予測される敵構成は、MTやノーマル、それも大した数じゃない。復帰戦としてはちょうど良いと思うぞ」
 その予測が事実ならば、リハビリのつもりでも、簡単すぎはしないか? そう言おうとするとセレンはすぐに続けてきた。
「ホワイトグリントは、現在ラインアークに所属している。奴は作戦行動中で、戻ってくる事はまずないだろうが、先制して一発食らわせてやるのも面白いだろう?」

 この人の物言いは、いつも何だか面白い。最後にこんな気持ちで笑ったのは、いつだっただろうか?
 私は、いつ死んでもいいと思っていたし、実際に、一度死んだと言っていい。だからと言って、生ける屍であり続けるつもりもない。今は。
 理由は? 復讐? 多分それは大きい。しかし他にもある。
 ずいぶんと様子の変わってしまった世界。何が起きているのか知りたい。
 アクアビットも、さすがに関係者が皆殺しにはされていないだろう。そして、あの人……テペスは本当に死んだのか? レイレナードも本当に滅び去ったのか? 知りたい事が多すぎる。
 そんな私の考えを見透かしているかのように、この人は言った。
「色々な物が見えてくるだろうし、色々知るだろう。その上でお前の答えを出せばいいさ」

 答え、か。本当に出せるかは分からないけど、付き合ってみるのも悪くない。


<P.ダム戦記へ続く>


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