告別、不在、再会

#1



「散々ホル食っといて改造人間を批判するってのも、妙な話よね」
 アリシアは、男にそう話しかけた。
「親不孝って意味じゃ、五十歩百歩だと思うんだけど。私は万引きはするけど、強盗は決して許せませんって事かな。ご立派な事で」
 わざとらしく、何かを馬鹿にしたような顔で笑って、アリシアはワイングラスを手に取った。
「簡単だ、安易だ、と悪口言う人いるけどさ、まあ言われてもしょうがないかな。私みたいに簡単な方法を使わないで、わざわざ険しい道を歩いてる人は素直に偉いと思うよ」
「本当に?」
「本当に。私には無理だもん。目的地、たどり着く場所は同じ……少なくともあいつらは、そう信じ込んでるみたいだよね。実際には全く違うんだけど、仮にそうしとく。で、目的地へ行くのに、楽な道と険しい道があったら、私は楽なほう行っちゃうから」
「莫大な通行料を取られても、か」
「払える限りはね」
 ワイングラスの中身を一気に飲み干して、アリシアはグラスをテーブルに置いた。
「何の目的があって山に登ろうとしてるのか知らないけど……」
 アリシアは手酌でワインを注ぐと、またそれを、一口で半分くらいも飲んだ。
「私は必要があったらヘリでもなんでも使う。でも別に自慢する気はない。できないよ、安易で楽なんだから。でも、一生かけて歩いて登ろうとしてる人とか、中腹で寿命が来て野垂れ死にかけてる連中が、何故か向こうから絡んで来るわけよ。ダラダラ時間かけて歩いて登るのこそが偉いんだ、尊いんだって、これ以上ないほどの大声で自慢しながらね。多少は言い返したくもなる」
「絡まれる理由は、わかってるんだろう?」
「まあね。自分はヘリが使えないんじゃない、使わないだけだなんて、聞かれもしない前置きか、追伸をしてくれるんだもの。私を可哀想だなんて抜かす馬鹿までいる。いったい、哀れなのはどっちだってのよ」
 ふん、とアリシアは笑った。
「ところで実際問題としてさ、その険しい道で努力しまくってる人と、簡単な方法を使った私と、あなたはどっちとやりたいと思う?」
「それは理由にはならないかな……」
「どういう事?」
「人それぞれだとは思うが、少なくとも俺の場合は、どんな手段を使っていようが、可愛い方、綺麗な方を選ぶさ。険しい道を歩こうと、楽な道を歩こうと、そこに興味はない」
「なるほど」
 アリシアは笑うと、男の下半身に手を這わせた。
「とりあえず、あなたの選択基準は満たしているようで」

 作り上げられた体、人造の美に触れながら、男は思った。
 所詮年を取れば衰えてゆくのに、なぜそこまで美に固執するのだろうか、と。
 しかしそれは、おそらく愚問にすぎない。もしそれを口に出せば、アリシアは笑うだろう。親愛の情のこもった笑顔ではなく、馬鹿にした、あるいは、哀れみをこめた笑顔を浮かべるだろう。
 男の手は、仰向けに寝てもあまり形を変えないアリシアの乳房に触れ、普通より数が少ないと言う肋骨をなぞり、いびつとすら思えるウエストを経て、手は骨盤の形を探るように動いてゆく。
「まるで触診だよね、あなたって」
「いつになっても、触り方が上達しないもんでね」
「一応褒めてるんだけど」
 これだけ体に手を加えているのに、なぜかアリシアには、完全な男であった事の明らかな証拠が、ひとつ残っている。本人に言わせれば、元のようにはほとんど機能しないそうだが、何か思うところがあって残しているのだそうだ。

「ここまでも完全にしちゃったら、もう私は人生の目的を全部果たすわけで、死ぬしかないもの」
 かつてアリシアは悪戯っぽく笑って言ったが、男は、それは嘘だと思っている。
 その証拠のせいで、アリシアは、女性と全く同じ方法で、普通に愛される事はできない。「だって私は普通じゃないもの」と言って、まったく気にしていないようではあるが。

 アリシアは、かつては普通の少年だった。背は少し低いほうで、あまり男らしい顔立ちではなかったが、確かに普通の少年でしかなかった。
 同性と関係を持ち、女装をするようにもなったが、女性に生まれたかった、あるいは、なりたい、という願望はあまりなかった。簡単になれるなら、なってもいいかな。その程度の認識。
 高校を出てすぐに、アリシアは「手術」を受けに行った。理由はといえば、なんとなくだった。できるのだから、早くしてしまおう。ほとんどそれだけだった。
 周りの大人が、したいしたいと言うだけで実行しないのか、あるいはできないのか、そんな事を自分がこの歳でできてしまうという事に、たまらない優越感を感じていたのもあった。

「なんで、これだけ残してるんだろう? いつも思うんだがな」
 アリシアに残されたものにそっと触れながら、男は言った。
「なんとなく、かな……私の理想の姿は、別に女じゃないからね。だから去勢だけ」
 自分は女になりたいわけではない、自分が思う理想の姿が、女に近いだけだ。アリシアは、いつもそう言っている。
 努力に対して期待する結果が得られていない場合に、こういう物言いをする者は多いが、客観的に見ても、アリシアがそうであるとは、誰も思わないだろう。
「改造人間になっておいて、何を負け犬みたいな事言ってるんだって思ってるでしょう」
「ああ」
「この際ぶっちゃけちゃうとね、私がこうなった動機って、わりと変わってると思う」
「ほう」
「私はただの男好きの男なのよ。ホモでもゲイでも、お好きな呼び方でどうぞ。そして私は、入れるより入れられる方が、圧倒的に好きなの」
 アリシアは少し自嘲気味に笑いながら続ける。
「さて問題です。筋骨隆々とした男らしい体を目指すのと、女みたいな姿を目指すのと、どっちの方が、大好きなちんぽを舐める機会と、突っ込んで貰う機会があるでしょうか?」
 アリシアは本当に楽しそうに笑っている。
「私は後者だと信じてる。だからそうした。そして少し頭もひねったのよ。少し男らしさが残ってないと嫌だ、って人にも対応するためには、どうすればいいか。そこで、これなのよ」
 アリシアは、自分に残された「男の証拠」を指先で軽くつついた。
「ほら、ここだけ見れば、男以外のなにものでもない」
「そこも完全に女にしてしまえば、その機会も、もっとあるんじゃないかい?」
「完全は無理。どうしても外観に違和感が残るし、完全に女と思って抱かれるのは、あまり好きじゃないのよね。何より……」
「何より?」
「これがあったほうが、なんだかんだで、トイレ楽よ。全撤去の子と話してると、そう思う」
 心底おかしそうに、アリシアは笑っている。

 裸のままソファに移動して、煙草に火をつけながら、アリシアはまるで独り言を言うように、つぶやき始めた。
「……と、そこまでが、どうでもいい相手に話す、私のストーリー。おおむね本当、ある程度嘘。多分あなたは、その嘘の部分の真実はどうか、に興味を持ってるわけよね?」
 アリシアの隣に移動していた男は、自分も煙草に火をつけながら、うなずいた。

「結局、自分は負け犬なんじゃないかな、と思う事は、本当はある」
 こう言った時のアリシアの表情は、男が今まで一度も見た事がないものだった。



To be continued


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