題「人魚の嫁入り」17
 月が夜毎に肥え太る。薄い刃の様な月が西の空に張り付いている。
昨夜から降っていた雨は昼過ぎには上がり、空気の澄んだ空には星が瞬き、沈みかけた月もくっきりと輝いて見える。

 そんな山道を通る男が一人。提灯を掲げ、もう片方の手には酒の入った徳利が下げられていた。
男の名は斬月と云った。人嫌いの傾向があり人里離れた山奥に一人住んでいる簪職人だ。
彼の作る簪は非常に人気があり、一部熱狂的な好事家も居る程だ。貴族にも彼の作品を心待ちにしている者もいるぐらいだ。
だが気難しい男で、自身の納得のいかない作品は世に出さないので市場は常に彼の新作に飢えている。

 この日も完成した作品を店に納めに行った帰りだった。
簪を売った金で上等な酒を買い、それを飲みながら次の作品の構想を練るのが常でその時間が好きだった。
(良い月だ・・・。今宵はこの月を肴に飲むとするか)
 次の作品は月を題材にするかな、と考えながら歩いていた。
「ん・・・?」
 前方に何かがある。いや、何か居る・・・?泥にぬかるむ道を進み、それに近付く。
それは黒いフードの様な物を被った人だった。
「おい」
 声を掛けても返事は無い。仕方がなくしゃがんで抱き起こすと顔を隠しているフードが外れ、隠れていた顔が露わになった。
「う・・・」
 悩ましげに眉を寄せ、苦しそうな声を上げたのは・・・。
「少年・・・?」
 淡い月の光と提灯の灯りに浮かびあがったのは、透けるほど白い肌に黒檀の様な艶やかな髪、赤く染まった頬。
そして驚くほど整った顔をしていた。
「熱があるのか・・・」
 額に手を当てると酷く熱い。恐らく昨夜の雨にやられたのだろう。
「仕方がない・・・」
 男は少年を抱き上げ、自分の住む家へと連れ帰った。

 拾った少年を蒲団に下ろした時にその足の怪我に気付いた斬月。外では暗くて分からなかったが行燈と囲炉裏の灯りで今は良く見える。思わず顔を顰めてしまうほどの酷い怪我だった。
(ではこの熱は雨とこの怪我によるもの、か・・・)
手桶に綺麗な水と清潔な手拭いを用意し、その足に付いた泥や血を洗い流し、家にあった傷薬を塗ってやった。
「うう・・・、・・、護・・・、・・ろ・・・ッ!」
 魘されている。
傷に包帯を巻いてやるとその小さな身体に掛け蒲団を掛けてやり、水で搾った手拭いを額に乗せてやった。
「ふ・・・ぅ・・・」
 ひんやりとした手拭いが気持ち良かったのか幾分表情が和らいだが、すぐに苦悩に満ちた顔になった。
「一護・・・白・・・すま、ない・・・」
 誰かに許しを乞うていた。
「・・・?」
 不思議に思いながらもすぐにぬるくなる手拭いを替えてやったり、汗を拭いたりと看病を続ける斬月だった。

 ふっ、と目が覚めた少年は辺りを見回した。
「ここは・・・?」
 どこか建物の中のようだ。外の気配からもうすぐ夜明けか?と推測していると目の端に何かが映った。
そちらに視線を移すと男が胡坐を掻いてうたた寝をしていた。
「ん?・・・人間!?」
 その声に目を開けた斬月。
「目が覚めたか。熱はどうだ?」
 大きな手を少年の額に当てようとした時、少年が一瞬身じろいだ。
「まだ熱いな。ゆっくり休むと良い」
 そう言って新しい手拭いを乗せてやった。

 手桶の水がぬるくなっていたので新しい水に替える為、斬月が部屋を出た隙に家を出た。
上手く歩けない足を引きずり歩いた。行方を眩ました白を、そして白が探している一護を自分も探さなければ・・・!

 少年―天鎖はフラフラの身体で外を歩いているのを斬月にすぐに見つけられた。
「何をしている!休んでいろと言っただろう!」
「ッ!でも・・・探さなければ・・・」
「そんな身体で何が出来ると言うのだ。戻るぞ・・・!」
 斬月に抱きあげられ、先程の部屋へと連れて行かれたのだった。

 蒲団に寝かされ、囲炉裏で火を熾す斬月にまず自分の名と助けて貰った礼を言い、ぽつりぽつりと今までの事を話せる範囲内で話した天鎖。
「私が、ちゃんと話を聞かなかったから・・・・」
 目に涙の膜が張り、震える声で話す。
天鎖が話している間、何も言わず囲炉裏の火をじっと見つめていた斬月。
「二人で一護を護ろうと、誓ったのに私はあ奴の話を聞いてやらなかった・・・私は愚か者だ・・・!」
 そこまで言うと熱で朦朧としているのもあり、天鎖は泣き出した。
斬月は泣きじゃくる天鎖の背中を優しくぽんぽん撫でてやった。
「うっ、うっ・・・」
 今まで張り詰めていた緊張の糸が切れたのだろう。斬月の腕の中でしゃくり上げていた。
斬月は天鎖が落ち着くまで背を撫でてやり、
「もうおやすみ・・・」
 と頭を撫で、天鎖が眠るまでずっと背を撫で続けた。

 天鎖が次に目を覚ました時はもう夜だった。蒲団には自分一人しか居なかった。
視線を前に移すと囲炉裏の前で酒を飲んでいる斬月が居た。囲炉裏の火に浮かび上がった斬月の背中はとても大きく見えた。辛うじて見えた横顔からは表情までは見えなかったが器を口に運ぶ所作に目を奪われてしまった。
「あ・・・」
 無意識に声が出た。その声に気付いた斬月が振り返った。
「起きたのか」
 と振り向いた斬月の瞳を初めて見た天鎖は何故か胸の奥が熱くなった。それと同時に昨日の醜態を思い出し頬も熱くなった。
「顔が赤いな、まだ熱が下がらんか・・・」
「あ、う、いや・・・ゆ、昨夜は迷惑を掛けたな・・・その、すまなかった・・・」
 斬月に背を向けて蒲団の中でもそもそと呟いた。
「気にするな・・・それよりも、今は大人しくして早く熱が下がるとよいな」
 と後ろからぽんぽんと頭を撫でられた。
斬月が何かを飲んでいたのを思い出した天鎖は急に喉の渇きを思い出した。
「喉が渇いた・・・」
「そうか、少し待っていろ。今湯冷ましを・・・」
「ゆざまし・・・?」
 聞き慣れない単語に斬月が居る方を向くと湯呑に何かを注いでいた。
すぐに天鎖の傍に戻ると上半身を抱き起こした。
「う・・・」
「すまん、まだつらいか・・・?」
「すこし、頭がグラつく位だ・・・」
「そうか・・・」
 それを聞いた斬月が湯呑の中身に口を付けた。
「・・・あ?」
 自分にと持って来てくれたのではないのか?と思っていると濡れた唇が自分の唇を塞いだのに気付いた天鎖。
「ん・・・!ぁ・・・、ん・・ん・・」
 こく、こく、と小さな喉が湯ざましを飲み干していく。程良く冷めた水は熱で渇ききった喉に優しかった。
「ん・・・、あ、もっと・・・」
 よほど喉が渇いていたのだろう。二度三度と繰り返した。
熱で赤く染まった唇は濡れそぼり、てらてらと光っている。斬月は今すぐにでも喰らいついてしまいたい衝動に駆られたが相手は病人。年甲斐もないと自嘲の笑みを漏らした。
「続きは治ったら、な・・・」
 その呟きは熱で朦朧としている天鎖には聞きとれていなかった。
これくれないなら許されるだろうかと、未だ熱で熱い額に己の唇を掠めたのだった。

 たった一晩でこの少年に心奪われた事に驚きはしたものの、かつてないほど浮かれている自分がそう嫌でも無い事の方が意外だと、存外冷静な斬月だった。


第18話へ続く



12/04/17作 天鎖と斬月の出会いでした。


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