Red zone






ざわついたホテルのパーティールームで
慣れないドレスを身に着けた私は
私なんかよりも大人っぽくドレスを着こなした伊達さんの後を付いて回っていた。

大体、オングストロームのスポンサー主催によるパーティーに
何故私が出席できたのか、はなはだ理解に苦しむ。


「とりあえず、挨拶回りはこのくらいにして、何か口に入れましょうか?」


不覚にも
というか自分だって女のはずなのに
振り向きざまに見せられた伊達さんの笑顔に思わずドキリとしてしまった。

彼女の言葉に、見惚れたまま首を立てに何度も必要以上に振る私の姿は、きっと誰から見ても滑稽だろう。
そのくらいこの空間は、この世界は、私の日常の枠から見事に飛び出しており
正直、居心地が悪いものだった。


「まだ緊張してるのかしら?」


慣れた様子でボーイからシャンパンを二つ受け取って
その一つを私に差し出しながら、伊達さんが困ったように笑った。


「なんというか…。私、本当にここにいて良いんでしょうか?」

「全然問題ないわよ?そのドレスだってとってもあなたに似合っているし。」

「そ、そうでしょうか…。」

「ええ。それに、あなたが来てくれたって知ったら彼、きっと喜ぶわよ?」

「……だと、良いんですけど。」


小さく息を吐いて、部屋の中心でメインゲストの慧がたくさんの人に囲まれているのを見つめた。
声をかけたくても、あの状況じゃきっと話にならないだろう。
それに、私との関係が公になっていない状況で、今私がのこのこと出て行けば
せっかくの優勝記念パーティーも、それどころの騒ぎじゃなくなる。

黄昏色のシャンパンを口に含むと、弾けた泡がチリチリと音を立てるように喉を流れていった。
けれど、やはりテーブルに並べられた見た事もないような美しい料理に手を出す事は躊躇われる。
こんな沈んだ気持ちのままで参加して、はっきりいって伊達さんにとっても迷惑だろう。
そう思って、私は申し訳なさそうに彼女の事をチラリと覗いた。

すると持っていた小さなバッグから携帯電話を取り出したかと思うと
『会社の方からだわ、ちょっとごめんなさいね』そう私に言い残して外へ姿を消してしまった。

行かないで。
なんて子供じゃあるまいし言えるわけない。
ただ、こんな所に一人にされたら、心細くてしょうがない。
ああ、ほら。
それに今、慧の側に胸元が大きくカットされたドレスを着た女の人が立っていて笑っているし…。





「こんばんは。」


今日で何度目かのため息をつくと、突然目の前に現れたスーツ姿の若い男性に声をかけられた。
清潔感のあるさわやかな笑顔が印象的な人だ。


「こ、こんばんは。」

「どうですか、楽しんでらっしゃいますか?」

「は、はい…。」

「失礼、僕は主催者の息子の小田切と言います。」

「あ、そうなんですか。私は…えーと南極出版の?、と申します。」

「ははは、なんだか自信のない言い方ですね。」

「社員ではないんです。読者レポーターとして以前チームの皆さんを取材してまして…。」

「ああ、そういうことなんですか。」

「だから、なんと言うか私、ここにいていいものかどうか分からなくて。」


話しやすい暖かい表情につい本音をこぼすと、小田切さんは優しく笑った。
その顔が少し岩戸さんに似ていて、この人、良い人そうだなと私の顔も緩んでいく。


「ほら、あそこの赤いドレス着たオバサンいるでしょう?」

「ええと、はい…。」

「似合わないでしょう?」

「……えーと、私なんと言えば…。」

「いや、あれ僕の母なんですけどね。車の事なんてこれっぽっちも分かっていないんです。」

「…………はぁ。」

「そんでもって、その周りにいる人たちはうちのご近所さん。」

「へっ?」

「あれが町内会長さんで、あの緑のドレスの人は犬の散歩友達。」

「そ、そうなんですか…。」

「あの黒いセクシーなドレス着た人は父の愛人で、あそこの袴姿のおじいさんは天国からやって来た僕の祖父です。」

「……そうなんですか。」

「あ…、いや、それはさすがに冗談ですよ?」


彼の言葉につい聞き入ってしまい、全てが本当なのかと信じ込んでいたが
さすがに愛人やら天国からやってくるわけないだろうと、思い直して思わず吹き出してしまった。


「ふふっ、そうですよね。」

「はは、笑って流してもらえて良かった。」

「ちょっと信じそうになりましたけど。」

「まあ、あなたがここにいる事を、立場という部分でこだわっているのであれば気にする必要ないという事です。」

「はい、…あの、ありがとうございます。」


体の中に居座っていた重い空気が、笑ったのと一緒に外に出て行ってしまったようで
私の気持ちは最初の頃よりもずいぶんと楽になっていた。


「そういえば伊達さんは、…どちらへ?」

「……へ?あ、お知り合いなんですか!」


聞きづらそうに、少し照れを含んだ言い方に、つい間抜けな返事をしてしまった。
もしかして、私を気遣ってくれたのも伊達さんの知り合いだったからなのかも。


「えーと…、正直にいうと僕が追いかけているだけというか。ははは。」

「あ、あぁ!そうだったんですか…。もしかして、私が知り合いだと知っていて…?」

「すみません。実はそうです。」

「いえ、いいんです。ただ、私独りだけなのによく分かったなと思って。」

「気になる人はたくさんの人の中にいても目で追ってしまうものです。当然同行しているあなたも目に入ってたんです。」


そうですよねと、私は彼の言葉に共感して頷いた。
私も慧の事を目で追いかけて、誰かが近づくたびに胸がざわついた。


「でも結局見失っちゃったんですけどね。…………ん?待てよ。」


おどけてみせる彼の態度が、突然、静かになった。
そして、『気になる人…』と今さっき発した自分の言葉を繰り返したかと思うと
そのまま口元に手を添えて考えるように、黙り込んでしまった。


「……あの、どうされました?」


おそるおそる聞いた私の顔を、小田切さんは驚いたような表情で見つめ『そうか』と小さくこぼした。
一体、何がそうなのか。
全く理解できない私は、ただ首をかしげる事しかできない。


「あなたは…、加賀見さんの気になる人?」

「へ!?」

「…というより、恋人?」

「な、なななななんで。」

「いや、さっきから彼がこちらを気にされているようなので…。」


まだ挨拶すらしていないのに。
今私がここにいる事も知らないはずだ。
あんなにたくさんの人に囲まれているのに、私を見つけるなんて…
まさか。

反射的に振り返ってしまった事を少し…後悔した。
数メートル先でこちらを見つめているのは、間違いなく慧だ。
一瞬で人を凍りつけてしまうような目が
そらされることのないその目が
私を捕らえて離さなかった。


「すみません。…もしかしたら誤解されてしまったかもしれませんね。」


慧の気迫に押された小田切さんの言葉に『いえ…』と返すのがやっとだった。
そんな刹那が動き出したのは
スーツを格好よく着こなした慧が、こちらに向かって歩き出しているのを見たから。

ユラユラと
やけに目の前が揺れている。
もしかしたら、揺れているのは私のほうかもしれない。
心臓が痛いくらいに脈打って、立っている事がやっとだ。




持っていたシャンパングラスを奪われ、それをテーブルに置いた慧が私の腕を強く引っ張った。
慣れないヒールにバランスを崩すと、すかさず慧は私の背中に腕を回して私を受け止めた。
肩と、少しあいている背中に、直接慧の手がかすめられ息が止まりそうになる。


「失礼、そろそろ彼女は返していただきます。」


確かに慧の口からそう聞こえたけれど、私はすでに慧の腕に押されるように出入り口のほうへ向かって歩いている。
展開の早さに頭が追いつかない。
ちょうど話を終えたらしい伊達さんとすれ違ったけれど
挨拶する事すら許されず、私はただ振り向いて伊達さんの驚いたような顔を眺めるしかなかった。
その近くに、小田切さんが両手を合わせて申し訳なさそうに立ち尽くしていた。
そういえば、彼に伊達さんがどこに行っていたかちゃんと説明してなかった
なんて、今は全くもってどうでもいい事が頭をよぎる。


「後ろを気にせるほど余裕みたいだね、。」


肩に置かれている慧の手に力が込められた。
何から説明すればいいのか分からず、私は言葉を失ったままで
二本の足がただ交互に前に進められるだけ。

ロビーを通り抜けてエレベーターの前まで来ると、慧はそこで立ち止まった。
上階へ行くボタンを押して、ため息を一つ。
まだ開かない扉を見つめたまま、話しかけてきた。


「僕の手の届かない所で、他の男と随分楽しそうだったね。」

「ち、ちがっ…、そんなんじゃ…。」

「それに、そんなに肩や胸を露出させたドレスを着てくるなんて聞いてない。」


…明らかに怒っている。
けれど、露出させてなんて言い方ができるほど肌を出した物なんか着ていない。
確かに肩は出ているが、どこにでもありそうなホルターネックのロングドレスだ。
慧の周りにはもっと短い丈の、それこそ露出と言う言葉が相応しい女の人がたくさんいた。
私はなんだかその言葉が癪に障って、唇を尖らせて黙り込んだ。

ちょうどその時エレベータのドアが開いた。
同じような格好をした男女がそこから降りると、慧は私をその箱の奥へと押し入れ
私達以外誰も乗り込まないそれの扉を閉めると、最上階のボタンを押してこちらを向いた。


「もう、限界だ。」


扉がゆっくりと外界との境を遮断し、ここが密室となったと同時に慧がボソリとそう呟いた。
今まで見た事もないような鋭い瞳に恐怖すら覚えた。
逃げようにも後ろはもうすでに壁だ。
それ以前に足がすくんで動かない。



近づく慧の手にあごを持ち上げられ、そのまま唇を奪われた。

閉じ込められた腕の力が強すぎて
塞がれた唇に割って入ってくる舌が強引すぎて
言葉を発する事も、呼吸をする事さえも、許されなかった。

あまりの苦しさに喉で声を漏らし、胸のあたりを必死でつかんで抵抗したけれど

その行為がどんどんエスカレートするだけだった。



やっと唇が解放されたかと思ったが、慧は互いの唾液で湿った唇を


耳へ

首筋へ

肩へ


所々強く吸い付きながら、這わせていく。

舌の生温かいザラリとした感触が徘徊する度に、漏れそうになる自分の声を必死で抑えたが
胸に新たな快感が押し寄せてくると、たまらず声を漏らしてしまった。


「…っや、あ…ぁんっ…、け…いっ。」


慧の手が私の胸の膨らみを荒く揉みしだき、体中の神経がまるでそこに集中してしまったかのように快楽に襲われる。
服の隙間から進入してくるその手が先端を幾度となく攻め続け、甘い痛みに私はとうとう慧の胸へ倒れこんでしまった。
結局この人の言う事に、この人の行動に敵うわけない。
そんな諦めじみた感情が、快感によって生み出され負けそうになる。



助けの扉なのか


恐怖の扉なのか



その時エレベーターがチンと指定の階に達した事を知らせ、静かに扉が開いた。



慧は唇を軽く手で拭いながら、息の上がった私を静かに見下ろして体を離す。
映し出された慧のその行動が、とても淫乱なものに思えた。



立ち尽くす私より先に慧がエレベーターから降りてしまい戸惑いが生じる。

しかしすぐに振り返る慧と目が合い
ネクタイを緩ませて、小さく息を吐いた慧が真っ直ぐ私を見つめて口を開いた。





「おいで。お仕置きの時間だよ、。」









あとがき
ひぇぇぇぇっ…。最後のセリフなんか変?……大丈夫でしょうか?
慧サマ、裏部屋しょっぱなから飛ばしちゃってます(´Д`;)
レッドゾーン→限界ギリギリという意味で使わせてもらったのですが
最初からギリギリでどうするんだと今頃気が付きました(笑)。

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