読者レポーターとしてオングストロームのチームと知り合って二ヶ月が過ぎた。 慣れない事続きで緊張の日々を送っていたものの、は何よりも充実感に満ちていた。 容姿も性格もそれぞれが突出して輝いている彼らを見てたくさんの事を学んだ。 気持ちをぶつけ合う事の大切さも、心の内に秘める強い精神も。 にとって彼らは希望になっていた。 彼らが頑張る度に自分にもその数10分の1だけでも強さが芽生えた気がする。 彼らと同じ時を刻む度に、高く厚い壁が、遠かった距離が近づいて その希望はいつしか憧れに変わっていった。 けれど、それは今日までの話。 の仕事は終わり、またいつも通りのOLとしての生活が始まる。 「ちゅわ〜ん!飲んでるぅ〜?」 いつにも増してテンションの高い疾斗が、の隣へ座ったかと思うと肩を抱き寄せ楽しそうに笑う。 最後の取材のレースで悪条件からの這い上がり優勝した感動を祝した打ち上げと一緒に、の送別会を開いてくれたのだ。 子供のように無邪気な疾斗の行動に、は困った表情を浮かべながら笑って見せた。 下心が見え見えの態度なら邪険にできるが、相手は酔っ払っている上に無邪気ときてる。 これは恋ではない。 そう理解しながらも、整った男らしい顔つき、大きな手、鍛え上げられた体に心拍数が上がってしまう。 「た、鷹島さん大丈夫ですか?飲み過ぎですよ」 「だぁーいじょーぶだぁ〜って。俺ぜんっぜん酔ってないから」 「酔ってますって、…もう。とにかく、て、手を離しましょうよ…」 ニャハハと腑抜けた笑い声を上げているのに、肩を掴む力は男そのものでどうしたらいいのか分からなくなる。 はぁ、とうつむき溜め息を吐いた次の瞬間、ピッタリとくっついていた疾斗の体が突然剥がれていった。 見上げるとそこには、眉間にしわを寄せた航河の姿。 隣には座敷に寝転ばされ、そのまま身動きせず眠り出す疾斗。 「……酔っ払い相手にいちいち気を遣う必要ないだろ」 そう言いながら航河は隣で寝転がる疾斗を壁際まで蹴り飛ばし、ドカリとの隣を占領する。 棘のあるような航河の言葉には笑顔でお礼を言った。 始めの頃は傷ついたりもしたが、これがこの人の優しさだと知っている今は、かけられる言葉ひとつひとつにそれを感じずにはいられない。 金色に輝く髪を照れを隠すようにかき上げると、長いまつ毛をフワリと揺らし優しく目じりを下げる航河の目と目が重なる。 「鷹島さん、随分酔っちゃってるみたいで…大丈夫ですかね」 「ああ、大概ああなる。2人で飲んだ時とかもほっといて帰る。けど生きてるから大丈夫だろ」 クールな航河からは滅多に聞く事のない冗談めいた口調に、ドキンと不覚にも心臓が高鳴ってしまう。 イジメっ子から自分を守ってくれるヒーローのような頼もしさに、いつもは胸がときめいた。 「は、疾斗!?何でこんな所で寝てるんだよっ!」 呆れた様子でこちらに歩いてくる和浩が、慌てて疾斗を抱え起こそうとしている。 何だか罪悪感が湧いてきて、和浩を助けようと腰を浮かした所で『大丈夫だよ』とポンと肩を叩かれた。 航河とは反対側のの隣に今度は慧がやってきたかと思うと、行儀よくそこへ座ったのだ。 さっきまで届かない距離にいた彼らがぐんと近くなり、しかも航河と慧に挟まれて嬉しい半面かなり緊張する。 「逆に君が疾斗の所へ行くと、危険な事になりそうだ。カズに任せるのが懸命だよ」 「そ、そうですか?でも…何ていうか申し訳ない気がして」 「優しいんだね。…それとも、僕の知らない所でもう何かあった?」 既に疾斗に絡まれて航河が助けてくれたという説明まではいいが、どうして疾斗があんな所で寝ているのかという事が頭をよぎる。 航河が助けてくれた上あそこまで蹴飛ばしました、なんてまるで告げ口のようで気が咎める。 「別に、何でもないですよ。…なぁ、?」 アタフタとしている間に、航河が代わりに口を開いた。 思わずコクコクと頷くと、航河から秘密めいた視線を送られて共犯者になってしまった事に更に胸が騒ぐ。 「あれ、何かあったのは疾斗とじゃなくて航河と…なのかな?狡いなぁ」 テーブルに肘をつきながら冗談っぽく笑う慧に、は慌てて『そんなんじゃないです』と否定した。 顔が熱い。 きっと自分の顔は真っ赤になっているだろうと、は手のひらで頬を押さえた。 取材中の彼らはいつだって普通に、いやむしろフランクに話しかけてくれていた。 けれど、仕事場とは違う場所にいる彼らは、いつにも増して近すぎるくらい近くに感じた。 親しさとか絆とか、そういうものがこういった所でより強くなるんだろうな。 ふと頭の中にそんな事が浮かんで消えた。 慧が腕につけた高そうな腕時計に目をやるのを見て、はつられて自分も時計に目をやった。 急激に胸の中で膨らんでいた何かがしぼんでいく。 楽しい、胸が弾む夢の時間が無情にも終わりを告げているのだ。 「そろそろお開きの時間みたいだね」 「そう、ですね。皆さんには本当にお世話になりっぱなしで…こんな素敵な会まで開いていただいて」 ああ、これで本当に彼らとはお別れなんだと思うと、名残惜しさ寂しさが押し寄せてくる。 それでも子供みたいに駄々をこねる訳にもいかず、は少し寂しさを隠すように笑顔を見せた。 「送っていくよ」 「……え?」 そんな気持ちを察知したのか、慧がニッコリと優しく笑ってそう言った。 思いもよらない言葉に固まってしまう。 慧と、航河までもが静かにこちらを見つめ、答えを待っている。 「加賀見さーん、疾斗の奴もうダメっぽいんで僕、連れて帰りますね」 さっきと同じ場所で疾斗の腕を自分の肩へ回す和浩が、こちらに向かって声を上げた。 「さん、本当にご苦労様。またいつでも遊びに来てくれてかまわないからね」 フワリと優しく笑ってそう付け足す和浩に、は深々と頭を下げる。 温かく優しい和浩の言葉に、押し寄せた寂しさが少しだけ消えていく。 近くにいたスタッフ達と言葉を交わすと背を見せ歩き出す疾斗を抱えた和浩に強く感謝した。 「疾斗はカズが送っていくようだし、航河はどうする?」 慧の言葉に、はハッとする。 和やかな和浩の雰囲気にのまれて、今さっきの慧の言葉を忘れそうになっていた。 「じゃあ、俺も一緒に行きます。カズには悪いがアイツのお守りなんてごめんだ」 「よし、決定。行こうか」 思わず2人の顔を交互に見てしまう。 これは夢なんじゃないだろうかと、自分の目を疑うほどに。 「あの、でも本当にいいんでしょうか?お2人ともお疲れじゃ…」 「こんな夜遅くに可愛い女性を1人で帰らせるなんて事、できないからね」 歯の浮きそうなセリフなのに、慧はさらりと言ってのけてしまう上、全く違和感を感じさせない。 お世辞であっても自分を可愛い女性と表現してもらえた事に、喜びは抑えられそうにない。 は、頬を赤らめながら『それじゃお願いします』と言って頭を下げた。 店を出て3人でゆっくりと色とりどりのネオンが光る通りを歩き始める。 今頃、酔いが回ってきたのだろうか。 足元がフワフワして、まるで地に足がついていないと言った感じだ。 を挟んで歩く航河と慧の姿がどこか現実離れしていて、そういった事が相乗しているのかもしれない。 自分なんかがこの2人を独占してもいいのかという不安の中にわずかな喜びが混じっている。 不意に足の力が抜けたと思うと、1歩前に出した足がカクンと間抜けにもよろめいた。 このままでは転んでしまう。 そう一瞬のうちに頭に浮かんだ想像は、現実に起こる事はなかった。 の両腕を慧と航河がそれぞれガッシリと掴み、阻止してくれたのだ。 「びっくりした、大丈夫?」 「まったく、相変わらずドジだな」 「すっ、すみません!フラッときちゃって、もう大丈夫です」 慌てて自力で立ち直すと、は2人に向かって何度も頭を下げた。 両腕に残る2人の力強い大きな手の感触が、いつまでも離れない。 これは酔いではなく、緊張のせいかもしれない。 注がれる2人の視線に、再びみるみるうちに顔が熱くなっていく。 「……もしかして酔ってる?」 心配そうな顔をした慧が、覗き込むようにそう言った。 「いえ、大丈夫です。本当に単なるドジなので…」 「そっか…」 「本当に最後の最後までご迷惑ばっかりかけて…」 「え?ああ、違うんだ。そんな事は気にしなくていいよ。たださ、今日はあんまり話できなかったから」 意味を理解しかねて、が慧の顔をまじまじと見つめていると、慧はニッコリと笑って言葉を続ける。 「もしよかったら、これから僕の家で飲み直さない?もちろん3人で」 「えぇ!?か、加賀見さんのお宅で…ですか?」 想像もしてなかった言葉には驚き目を丸くした。 自分の中にあった寂しさとか湿っぽさが全て吹き飛んだ。 「さんと航河がよければ、だけどね」 「え、あの…、でもいいんでしょうか…」 「もちろん。仕事抜きで君とは一度じっくり話をしてみたかったんだ、航河も来るだろう?」 と慧が航河に視線を送ると、少し考えた様子でいた航河がわずかに微笑み頷いた。 「ええ、かまいませんよ。酔っ払いのガキがいない方が楽しめるだろうし」 「はは、確かにいいかもな。じゃあ、これからは大人の時間という事で…」 珍しく砕けた口調で明るく呟く2人に、は少し照れたように頷き笑った。 すごい、すごい、とまるで子供のように心がはしゃいでいる。 もう、会える事のないと思っていた人に、もっと話をしたかったと自分と同じような気持ちを持っていてもらえた。 もしかしたらこれからも友達として、たまには連絡を取り合ってもらえるのかも、とか いや、関係が続かなくとももう終わりだと思っていた時間が延長されたんだ、とか 憧れの2人と過ごす時間を少し余計にもらえた事が、本当に嬉しい。 大通りへ出てタクシーを捜す事になり、は2人の後を付いていくように歩き出す。 タイミングよく目の前をタクシーが通りかかり、慧が手を上げる。 少し先でタクシーが止まり、チカチカと点滅するハザードが夜の空間を揺らした。 ドアが開きタクシーに乗り込むと、気の良さそうな運転手が『どちらまで』と明るく笑う。 慧がテキパキと行き先を伝えると、車はゆっくりと発進した――。 ←BACK NEXT→ |