思い立ったのは、ふと恋しくなったから。

外に出ると満月になりかけた月が、闇の中でキラリと光を放っている。

カズさんの部屋の合鍵を握り締めて、私はその光に誘われるように歩き出していた。
















―unknown self―





















深夜に乗り込んだタクシーを降りれば、カズさんのマンションの前。
彼の部屋の窓を見上げれば、案の定、明かりは灯っていない。
今日合宿先から戻ってきたというのは本人から聞いたのだから確か。

きっと疲れて寝ているのだろう。

一瞬自分の行動は迷惑極まりないんじゃないかと不安がよぎる。
けれど、辺りを見回せばほとんどの人が寝静まって真っ暗だ。
まるで自分は居場所をなくして、一人で彷徨っているような気さえする。
遠くからは車の音がするけれど寂しさが溢れ出てしまいそうで、もう一度タクシーに乗るなんてそんな気持ちにはなれなかった―。




起こさないようにして、そう朝になったら、目を覚ましたカズさんに会いたくて来た事を伝えればいいんだ。

私は自分の中でそう言い聞かせ、なるべく音を立てないように、静かに鍵を回してドアを開ける。
部屋に入った瞬間、植物のほのかな香りが鼻をくすぐった。
この部屋だけ別の空気が流れているんじゃないかというくらい優しくて、まるで歓迎されているような気になってしまう。

だんだんと目も慣れてきて部屋の輪郭がわかるようになったのをきっかけに、私は靴を脱いで先へ進んだ。

ソファーの上にバッグとコートを置いて隣の寝室を覗いてみる。
小さなルームライトがうっすらと淡い光でベッドを照らしていた。

ベッドの上の布団は人の形に盛り上がっており、そこからはかすかな寝息が聞こえてくる。
枕元へ移動し最大限の注意を払って顔を覗き込んでみる。

そこには思っていた通りの私が来た事を何も知らない、安らかに眠るカズさんの寝顔があった。
居場所を見つけられたように思えて、嬉しくて、私は少し調子に乗って顔を近づけてみる。
それでも気がつかないカズさんに、私はなんだかワクワクしていた。

仕事尽くめのカズさんには、少しは休んで眠って欲しいと思うのに
眠っているカズさんに対して、驚かせてみたい、起きてくれないかななんて
かなり自分勝手な気持ちが湧き出して、私はそんな感情を戒めるように首を横に振った。

さすがに暗くて出来る事もない。
それに今はもう日付は変わってだいぶたった真夜中だ。
カズさんを起こさずに私が今出来る事といえばひとつ、眠る事。
会いたくて、抑え切れなくてきてしまったけれど、こうしてカズさんの寝顔を見れただけで
こうして一緒の空間にいられるという事だけで、私はもうこの上なく幸せ。

興奮と緊張それとちょっとした悪戯心が入り混じって、眠れそうにはなかったけれど
私はゆっくりと音を立てないように、そっと邪魔にならないようにと、静かにベッドに潜り込んだ。



カズさんの体温が布団に染み込んでいて、入った瞬間体が温かさに包まれる。
潜り込んだ時に起こさないためにと、私はカズさんの背中を向けた方へ入り込んだ。

だから、なんだか少し寂しい。

カズさんの後ろ姿を見つめるように体を向けると、いつもとは違う位置が拒絶されてしまったような気になって
眠っているんだからしょうがないとか、そういう言い訳みたいなものを頭によぎらせても、傲慢な寂しさが私に襲いかかる。


触れたい。起こしてしまいたい。こちらを向いて欲しい。


薄暗い部屋の中で聞き分けのない自分の感情が、我侭を言い始める。

…少しだけ。
そう言い聞かせて、私はカズさんの背中をギュッと抱き締めた。

布団とは比にならないくらいのカズさんの体温が伝わってきて、禁断症状のようなものがいくらか治まった。
カズさんは寝入っているのか、反応がない。
良いのか悪いのかよく分からないが、起こさないでこうしていられるなら本望だと思った。

抱き締めるというには長さが足りてない、ギュッと前に回した私の手に感じる彼の腹部から
私の胸にピタリとくっついたカズさんの背中から、規則正しい呼吸をする動きが感じられる。

いつもとは逆の格好に、なんだか急に可笑しくなった。
いや、可笑しいというより嬉しいとか面映いとかそういう感じかもしれない。

抱き締めて欲しいと願う前に、私はいつも抱き締めてもらっていた。
私はそういう事が出来ているだろうか?
カズさんが抱き締めて欲しいと願う時、気がついて抱き締める事が出来るだろうか。
カズさんは優しいから、いつでも守ろうとしてくれる。
岩戸和浩という檻の中に閉じ込められてしまいたいと思うほど、私はカズさんが大好きだ。

けれど、守られるのが当たり前だ、いつかそう思うようになってしまうのではないかと怖くなる。
守られる事がどれだけ幸せなのか忘れないために、私も同じようにカズさんを守りたい。

抱き締める、という行為はそいういう気持ちを強くする効果でもあるのだろうか。
恋しいとカズさんに何かを求めていたさっきまでの私は、すっかりとどこかへ消えていた。

ただただ、カズさんが愛おしく感じられた。



もう寝よう。

そう思って、もう一度だけカズさんを抱き締めた後、不意に何かが手に触れた。
カズさんが、少しだけ体勢を変えたからだ。
起こしてしまったのかと思い、体を動かさぬよう固めて様子をうかがってみる。

耳を澄ませばすぐに寝息が感じられた、どうやら起こした訳ではないようだ。
ホッとして力を抜くと再び、思わず、意図的とかではなくて、弾みで、そう…たまたま偶然に
…その、カズさんの下腹部にある、男性の象徴に触れてしまった。

驚きと恥ずかしさで思わず手を引っ込めたけれど、指先に感じたその感触が脳内をいっぱいにした。
いけない事に気がついてしまったようで、心臓がドキドキと早くなる。

カズさんのそれは、完全にという訳ではないけれど、少しだけ大きくなって…反応していた。
もしかしたら寝た振りをしているのだろうか?
そう思ったけれど、カズさんの呼吸は規則正しい。それ以上確かめる勇気もない。

どうしよう、体が熱い。

頭の中がそれでいっぱいになってしまう。
普段は穏やかで優しいカズさんが、艶やかでその上力強い男だと思い知る時に感じるその…。
眉間にしわを寄せ快楽に顔を歪ませるカズさんの表情、吐き出す熱い吐息
ダメだ、そう思えば思うほどいっぱいになってしまう。

いつの間に私はこんな女になってしまったのだろう。
もっと触れたい。
もっと触れて、カズさんを興奮させたい。

私の中の何かがぐらりと揺れる。





気持ちとは裏腹に、ためらう体は鼓動を早くするだけでなかなか動かせない。
ギギギと電池の切れそうなロボットのように、私はゆっくりと再びカズさんの背中を抱き締める。
明らかにさっきとは違う緊張した動きで、私は『カズさん起きないで』と心の中で呟いた。

枕から頭を少しだけ下げ、カズさんの背中に頬を当てて、私はカズさんの下半身へと手を伸ばした。
胸が張り裂けてしまいそうで、指先の神経までもが震えているのが分かる…それなのに止められない。

遠慮がちに服の上からそっと触れてみると、やはりカズさんのそれは主張をし始めていた。
本音を言うと、もうすでに恥ずかしさより冒険心が勝っていた。
意識のあるカズさんを前にしてこんな事は出来ないけれど、さっきから私はカズさんを抱き締めながら彼を愛しいと想う。

ある意味、私の方が欲情していたのかもしれない。


触れた指先で下から上へとその形をそっとなぞってみると、一瞬にしてカズさんのそれが先ほど以上に反応した。
先端へ到着した指を根元へと下げるようになぞると、もう完全にカズさんのそれは興奮状態になった。
悪い事をしている気分だけれど、その悪い事がなんだかとても嬉しくて私まで興奮する。

さらに気をよくして、私は硬く腫れ上がったそれをさするように、そっと指を上下に動かしてみる。
緊張の所為か酸欠気味になった私は、深く深呼吸をひとつ。
それと同時に、さするだけの指先に少しだけ力を込めて、カズさんのそれの輪郭をなぞる。

びくっと先端が反応し、突然カズさんの体が動いた。

そして突然、カズさんが少し荒っぽくこちらを向いて、頭を真っ白にさせた私の目を見つめてきた。
驚かせてしまったんじゃないかと心配する私をよそに、カズさんはまるで私がいる事を知っていたというような目つきだ。
カズさんの目が少しだけ細められて微笑んだ。

驚いたのは私の方だった、なんて間抜けだろう。


「待ち合わせの時間と場所、間違えたかな?」


意地悪そうにそう呟いてカズさんがニヤリと笑みをこぼす。
焦るというより、バツが悪いというよりも、そこに拒絶の意が全く感じられない事に、私は正直ホッとしていた。


「明日、九時にさんの家に迎えにいくって約束したと思ったけど、僕」

「………あの…その、…いつから?」

「なんの話?」

「……気がついて、たの?」

「それは、…何に対して、かな?」


何もかも分かっているような顔つきで、カズさんがとぼけてみせる。
ああ、これはきっと…、カズさんの体を弄ぼうとした罰だ、きっとそうだ。


「ご、めん…なさい…あの、い…つから、私がいたの…気がついてたの?」

「…教えたらさん怒りそう」

「それって…けっこう前から起きてたって事…?」

「けっこう前というより、最初から…かな」


フフッと少し困ったようにカズさんが笑う。


「枕元に現れた時はさすがに驚いたよ。一瞬目が合ったと思ったけど…気付かれないでよかった」


……良くない。
そう口にしたかったけれど、カズさんの視線が絡まって、何も言えなくなった。
羞恥と驚きが体中を駆け巡り、ただ目を丸くするとカズさんの腕が後頭部へと回って、唇が私を塞いだ。

短い触れるだけの唇が離れると、カズさんの吐息が唇に感じられる。




……もう、終わり?


不意に、息だけで囁くように、カズさんの唇がそう動いた。
薄暗い部屋の中で、カズさんの瞳がキラリと光って見えた。

カズさんの手が私の頬に当てられて、指が私の下唇をなぞる。



「もう…終わり?」




もう一度、今度ははっきりとカズさんの艶やかな言葉が、私に降り注いだ―。






















中途半端ですみません。
長くなりそうなので半分に分けました^^;
後編へ続きます。

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