震える手を強く握り締めた。

深く深呼吸をして、じっと前を見据える。

ふらつきそうな足を一歩一歩前へ進めて

私は、あの人のもとへ歩き出す。









I wanna be...









突然、加賀見さんから電話がかかってきたのは昨日の夜の事だった。





「もしもし。加賀見です、夜遅くにごめんね。」

「いえ、あの…何かあったんですか?」

「君に謝ろうと思ってね。」

「……え?」

「せっかくの休みを削ることになって申し訳なくてね。
  ただ、どうしても月末までには万全にしておきたくて…。」

「そんな、加賀見さんが謝る事じゃないですよ。」

「そう言ってもらえると助かるよ。それともうひとつ…。」

「はい、何でしょう。」

「明日、24日に君にこっちに来てもらいたいんだけど、どうかな?」

「…いえっ!お忙しいところお邪魔するわけにはいきませんから。」

「邪魔だなんて思っていないよ。むしろ、僕は今君にお願いをしているつもりなんだけどね。」

「……お願い、ですか?」

「カズの奴、徹夜続きの上に君に会えなくてかなり落ち込んでいるんだよね。
  それを忘れるように、と言うか意地になって仕事に打ち込んじゃって…。」

「…………。」

「それに、いつかみたいに大事な手を怪我されたら、たまらないしね。フフッ。」









『本当にいいんですか?』と言う私の言葉に

『もちろん』と優しく返してくれた加賀見さんの言葉に甘え

私は今、オングストロームのピットへと向かっている。




大丈夫。

来てもいいって言われたんだし(……加賀見さんにだけど)。

あれから和浩に連絡を取ってみたけれどつながらなくて……

突然の訪問って、……かなり緊張する。

いくら携帯電話という文明の利器が世の中でその存在を称えられようとも

こんな時に使えなければ、和浩がいなければ、ただの飾り物だ。



4日前の絶望が抜けきれない私の心臓は、張り裂けそうなくらい激しく脈打っている。

和浩に会ったら、どうなってしまうだろう…。




「やぁ、いらっしゃい。待ってたよ。」




ピットの前に着いて中の様子をうかがってみると、加賀見さんがこちらに気がついて笑顔で迎え入れてくれた。


「どうも、こんにちは。」

「おぉ〜?じゃん!なになに、どうしたの?」


加賀見さんの隣にいた鷹島さんも私の存在に気がつくと

相変わらず元気そうな笑顔を向ける…、私の右手に持っているものに。


誕生日と言えばケーキ


それが、いったいいつからこの日本で主流になったのかは知らないけれど

私の右手には昨晩急いで焼いたケーキが提げられている。

鼻が利くのか、鷹島さんは『ケーキだ!ケーキだ!』と中を見せる前に子供のようにはしゃいでいる。


「お前のじゃないだろ、阿呆。」


背後から声がして、私が振り返るとそこには眉間にしわを寄せた中沢さんが鷹島さんを睨んでいた。


「ぬわぁにぃぃ!?」

「あ、中沢さん。こんにちは。」

「おう。」

「おい!!これは誰のだ!?」


中沢さんとの挨拶に入り込んできた鷹島さんに、真剣なまなざしで詰め寄られる。

そ、そんな面と向かって聞かれると答えづらいのですが…。


「あ、あの…。カズさんの…誕生日の…。」

「マジで〜…。」

「いや、あの、でも、たくさんあるので、もしよかったら皆さんもどう…。」

「マジで〜っ!?」


鷹島さんって本当に素直な人だなぁ…。

そう思って苦笑する片隅で、私は和浩の姿を探す。


「航河、カズはどうしてる?」

「カズなら奥の方で休んでますよ。」


少しだけ口元を緩めて微笑む中沢さんが、ピットの奥を指差す。

それに続けて加賀見さんが『様子、見てくる?』と優しく笑って

中沢さんが『これは俺が預かっといてやる』と

鷹島さんの事をイジワルそうに横目で見ながら、私の持っていたケーキの入った袋を持ってくれた。


「それじゃ、ちょっとだけ…行ってきます。」


拗ねた鷹島さんが少しかわいそうだったけれど

私は、彼らに小さくお辞儀をしてピットの奥へと歩き出す。



こんなに皆に思ってもらって

こんなに暖かく迎えてもらって

私はなんて幸せ者なんだろう。

















口から飛び出そうな心臓を(本当に飛び出たらすごいけど)

深く深呼吸をして体の中に押し込める。










いた。








和浩の姿を見つけると、心臓がより一層高鳴る。

久しぶりに見る彼の寝顔。

…寝顔?

……イスに座ったまま寝てる。



思わず私の顔がゆるむ。

まるで…、そう、あの時の光景を思い出す。

ここで同じように和浩がイスに座ったまま眠っていた時に、工具箱をけって起こしてしまった事。


今日はそんな失敗はしないから。


心に固く誓って足元をしっかり確認して


彼のすぐ側までゆっくりと静かに歩み寄る。








「カズさん。」







思わず、彼の名前を呟いてしまった。

起きてしまわないか心配したが、口をあけたままピクリともしない和浩を見てホッとする。

男の人に対してこう思っちゃうのは失礼かもしれないけれど……

……かわいいなぁ。

そう思ってしまった。

疲れてクタクタになって寝ちゃってる人にかわいいじゃないでしょ…。

自分のくだらない妄想を振りきって、和浩の寝顔を眺める。





「…会いたかった。」





自分でも聞こえなくらい小さな声でそう呟くと胸の中で何かがあふれそうになる。

苦しいような、切ないような

愛しいような、嬉しいような

不思議な気持ち。





そんな感情を胸の中で整理しようとしていると、和浩のひざの上にのっていたタオルが

ハラリ、と地面に落ちた。


反射的にそれを拾うために、体を屈めようとした瞬間


思いもよらない人の、思いもよらない力で、私の体はバランスを崩した。


「…カ、カズさん?」


気がついたら

私は和浩のひざの上に横抱きにされ座っている状態だった。

起こしてしまったのかと思い和浩に呼びかけてみたが、規則的な呼吸をしたまま目が開くことはない。

いったい何が起こったのか…

和浩の体温と力強さが私の体中に伝わって、不安定なイスが私が身動きする事を封じ

このままでも良いんじゃないかと思考が麻痺しだす。

和浩の体にそっと自分の体を預けると、私を抱き寄せる彼の腕により一層力が込められた気がする。

見上げる先には、まだ眠ったままの和浩の顔が10センチの距離。

4日前の悲劇なんて…、これで差し引きゼロになっちゃいそうだ。








「寝込みを襲うのは、…よくないんじゃね〜の?」







…………っ!?





突然、世界の外から声がして振り返ると、鷹島さんが壁に寄りかかって腕を組みながらニヤニヤと笑っていた。

慌ててその場から離れようとするものの、どうにもこうにも和浩の腕がそれを許してくれない…。


「ち、違うんです!これは…、その!」


離れる事を諦めて

今の状態について弁明しようとしたが、この状態で何を言っても全く説得力がないだろう。


「あ、大丈夫大丈夫、俺、口堅いから〜。」

「いや…、だから、カズさんが寝ぼけてですね…。」

「うんうん〜。そうだね〜。」

「いや、本当に……。」

「あのさ、あのケーキ今食ってもいい?」

「…………。」

「大丈夫!カズさんの分はちゃんと残しとくから。」


もしかして、それが目的ですか……?

すんでのところでその言葉を飲み込んで、私は『…お好きなだけどうぞ』と言った。

その途端、嬉しそうに『サンキュ〜』と、笑顔を見せて鷹島さんはケーキのもとへ戻ってく。



……ハァ。



恥ずかしさと気疲れをため息で吐き出して、和浩の様子をうかがう。



これだけ側で話をしていても起きないなんて…、よっぽど疲れているのかな?

そう思ったんだけど

ところが…、よく見ると微かだけど肩を震わせ、口元が笑みを浮かべている。


「…カズさん、起きてるでしょ?」


私は決定的な言葉をつきつけると、和浩が観念したように目を開けた。

嬉しそうな瞳が、私を捕らえて離さない。

『本物だ』と言って笑う和浩がやけに嬉しそうなので

来ちゃったよという報告を通り越して、私は『どうしたの?』と投げかける。


「フフッ、内緒。」

「ねぇ、カズさんいつから起きてたの?」

「それは〜…、ちゃんと起きたのは疾斗が来たあたりかな。」

「何で寝たふりしてたの?離してくれないし恥ずかしかったんだから…。」

「離したくなかったからだよ。」

「…さすがにそろそろ離してくれないかな?誰かに…また見られちゃうよ。」

「うーん。もう少しだけ。」


…なんだか、もう、何を言っても無駄に思えて

私は、無理やり和浩の腕を引きはがそうとする…が、敵いそうにない。

強く締め付ける腕から逃れるため、『痛っ』顔をしかめてみせてそう言う。

優しい和浩の事だから、そうすれば緩めてくれるのを私は知っている。

案の定、和浩の腕から強引さが消えて、私はその隙に和浩から離れた。


「あ、ズルイ。」


そこから立ち上がり、逃げ出そうとした瞬間、ギリギリのところで腕をつかまれた。

ただ、今度は引き寄せられるんじゃなくて

そのまま、和浩もイスから立ち上がり

奥の、壁際まで優しく押し付けられる。


「ボンネット開けてあると、向こうからこっちは、見えなくなるんだ。」


さっきの私の言葉を気にしているのか、和浩は私の体をそっと優しく包んで私の耳元でそう囁く。

内緒話のように『会いに来てくれて嬉しいよ』と続ける和浩を見て

その優しさを直に感じられて、私は笑顔をこぼさずにはいられなかった。


和浩はキョロキョロと周りを見回したと思うと

素早く私に顔を近づけてきて、軽く触れるだけの口付けをしてきた。


あまりの突然さにあっけにとられていると、ニッコリと微笑む和浩の体が少しずつ離れていく。


「ごめんね、つい嬉しくなっちゃって。」


恥ずかしそうに頭をかく和浩に、私は首を横に振って笑う。


さん、今日の夜遅くなっちゃうかもしれないけど家に行ってもいい?」

「…ホントに?」

「明日仕事…だよね?…辛くなっちゃうかもしれないけど、やっぱり一緒にいたい。」

「そんなの、カズさんが来てくれないほうがよっぽど辛いよ。」

「ありがとう…。話したい事がたくさんあるんだ。」


しっかりと私を見つめる和浩の瞳に、強い信念みたいなものを感じて

私達は皆のもとへ歩き始める。


まずは、私達を気遣ってくれた皆さんにお礼を言わなくちゃね。


夜になったら、また会える。

そう思ったら、嬉しくて

私と和浩は顔を合わせるたびに、優しく目を細めた。






二人で誕生日おめでとうはその時までのお楽しみ、だね――。








あとがき
誕生日ドリなのにおめでとうはお楽しみにとっといちゃうのかよ!
えー、最後まで読んでくださりありがとうございます^^;
三話目、長くなっちゃって分けようかと思ったのですが
ここはしっかりとつなげて読んでもらいたくてあえて分けませんでした。
カズさんと主人公は変に気を遣い合っちゃって、まわりがつい手助けをしたくなっちゃうような感じ。
このお話はファンブックに載っている、カズさんがイスに座ったまま寝ちゃったスチルを見て妄想いたしました。
何はともあれ、カズさん誕生日おめでとうございますですざます。

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