「もしもし、さん?取材現場の方には着いたかしら。」 見上げる先には、目がくらみそうな高さの高級ホテル。 「はい。今ちょうど着いたところです。」 正面の入り口は、闇を美しく魅せるためのきらびやかな照明たちがキラキラと輝いて幻想的だ。 「さっき、石川カメラマンからそっちに着いたって連絡があったから探してみてね。」 ちょうど前方で待ち合わせをしていたカメラマンが私に手を振っているのに気がついた。 「あ、会えました。入り口の所で待っていてくれたみたいです。」 携帯を耳に当てたまま、私は石川さんに向かって小さくお辞儀をした。 「そう、良かったわ。取材が終わったら今夜は遅いしそのまま帰宅してもらってかまわないから。」 ウィンドウに映し出される、チャコールグレーのスーツを着た自分を見て、私は背筋を伸ばしてしゃんとし直す。 「分かりました。石川さんにもそう伝えておきます。」 再び、私が彼らの取材をするなんて思ってもみなかった。 「ええ、よろしくね。そうそう、帰るのがなんだったら泊まっていっても問題ないわよ。」 含みのある言い方に、私の神経が耳に集中する。 「え…?でも、こんな高級なホテルになんて……。」 旅行で来た訳でもなく、ましてや仕事としてでなければめったに足を踏み入れる事もないのに? 「あなたの彼、今日はそこに泊まる予定らしいから、部屋に押しかけてみたら?」 クスクスと笑う彼女の声に、集中していた事もあって私は思わず顔が熱くなる。 「だっ…伊達さんっ!…からかわないでくださいっ…もう、それじゃ失礼します。」 航河とこんな素敵なホテルで一泊してみたい、…確かにそう思っている。 まるで自分の心の中を見透かされてしまったような伊達さんの言葉に、私は怒り口調で携帯電話を切った。 仕事相手として航河に会わなければならないというのに 胸の中でどうしようもない期待が膨らんで、ドキドキと胸が高鳴っていく。 首から提げたプレスカードをギュッと握り締め、私は落ち着くために深く深呼吸をひとつした。 Dear night ロビーに入るとその華やかさは一層まして、何だか場違いな気がしてくる。 中央には気の早いクリスマスツリーが色とりどりに飾り付けられていて、もうそんな時期なんだと改めて感じた。 大理石で出来ているらしい床は塵ひとつ落ちていなくて 照明が反射して映し出されていて、何だかそれさえも豪華に思えてしまう。 落ち着こうと思いながらもキョロキョロと辺りを見渡していると 石川さんは素早くフロントへと向かい、近くのボーイを連れて私の方へと戻ってきた。 「パーティー会場は五階だとさ。案内してくれるってから行こうか。」 私が頷くと、石川さんは慣れた手つきで撮影機材の入ったバッグを肩に掛け歩き出す。 「さんは確か、彼らの取材を一度やってるよね?」 「はい。読者レポーターとして、ですけどね。」 「いやいや、かなり評判良かったよ。だから、またこうやって仕事を頼んでるんだろうし。」 「そうなんですか?」 エレベーターへ乗り込みながら、石川さんはうんうんと笑いながら頷いた。 あくまで読者レポーターとしての話だろうけれど、褒められるとやっぱり嬉しい。 「先々週のレースも見事だったよなぁ…。」 「そうですね。チームの皆さんが本当に一生懸命だし絆も深いし、素敵ですよね。」 「ああ、特に注目すべきなのは最近伸びに伸びてる中沢選手だよ。」 「えっ!?」 「最近丸くなったというか…、もともと努力家だし、この取材で何か聞き出せたらいいな。」 確かに、ここ最近上手くいっているという話を聞いていて 実際にこうやって褒められてしまうと何だか自分の事のように誇らしく思う。 パーティー会場に着くと華やかさは一層増して、ドレスアップした人達が楽しそうに談笑している。 先々週のレースで優勝したオングストロームを祝うこのパーティーで、彼らと話をするのが私の仕事。 けれど、仕事だと分かっていても、まず先に探してしまうのは航河だ。 昨日のメールで『正装が面倒臭い』とこぼしていた事を思い出し、私は思わず笑ってしまった。 『あそこにいるみたいだな。』石川さんは奥の方に出来た人だかりを見てそう呟いて足を進める。 私もそれにつられ人にぶつからないように注意して進んでいくと カシャリと音がしたと同時に、中心で瞬間的に白いひらめく光が発された。 「きゃ〜っ!ありがとうございますっ!」 その後聞こえてきたのは、女の人の歓喜の声。 胸が、ドクンと深く鳴った。 「こりゃあ、しばらく時間かかるな。」 石川さんの声が少し遠く感じる。 きっと四人がファンと記念写真を取っている、そう思ったのは私だけじゃなかったようだ。 すぐ側に航河がいるという感情が喜を生むけれど、緊張もするし嫉妬もしてしまう。 カシャリ、カシャリと何度もシャッターの音と、女の人の声を繰り返す人の群れを 私と石川さんは壁際でしばらく待ち続けた。 「よう。」 ぼんやりとその集りを眺めていると、突然私の隣に人の気配がした。 短いけれど低く艶のある声に、反射的に振り向けば、そこには航河と岩戸さんの姿。 「…こう、…な、中沢さん。それに岩戸さんもこんばんは。」 デザインは違うものの二人は黒のタキシードに身を包み、いつもと違う雰囲気をかもし出している。 不意打ちを食らった私は、ただ航河の姿に見惚れ頭が真っ白になった。 スタイリッシュに着こなした姿は、面倒臭いなんて言っていたのが嘘のようで 普段見ることの出来ないような魅力に包まれていて、仕事である事を忘れてしまいそう。 ドキドキと心臓はさっきよりも速く、きっと私の顔は今赤くなってるだろう。 ……体が熱くてしょうがない。 「ああ、良かった。こんばんは。私はカメラマンの石川といいます。」 「こんばんは。今日はどうぞよろしくお願いしますね。」 「あちらの方にいるとばっかり思ってました。」 「僕達、スポンサーの所へ挨拶へ行ってたんです。」 岩戸さんがいつものように柔らかい表情でそう言うと、航河は『呼んでくる』と言って他の二人のもとへと歩き出した。 「すみません、何だかお邪魔しちゃいましたよね。」 航河が加賀見さんと鷹島さんを連れて戻ってきて私の第一声。 『キリがなかったからね、ちょうど助かったよ』と、加賀見さんがフォローを入れてくれた。 「それじゃあ、よろしくお願いします。私はちょこちょこと撮らせてもらいますね。」 石川さんは静かに四人へカメラを向け始める。 境界線を作ったわけじゃないけれど、私達を囲むように数メートル先にまた綺麗に着飾った人達が集まってきて 私は慌ててメモとペンを取り出し、深くお辞儀をした。 見られながらの取材はかなり緊張するものだと思い知った。 優勝おめでとうございますの言葉を皮切りに、用意していた質問をし始める。 そんな私と比べて、普段と変わらず良く対応してくれる彼らも、石川さんもやっぱりプロなんだ…。 「…なるほど。それじゃ、次の質問いきますね。えーと…、ファンの方から貰って嬉しかった物ってありますか?」 「そうだな…、僕はファンの方から頂いたものは全て嬉しいよ。」 「そうですね。僕も加賀見さんと同じかな。」 「俺はねぇ〜、甘いものかな。おい、アルは?」 「……アップルパイ。」 「…………へっ?」 口元に小さく笑みを浮かべて私の顔を見る航河に、私の口から思わず間抜けな声が漏れた。 それはもしかして、……もしかしなくても、私が差し入れした時の事? 不特定多数の人がいる前で、私達が恋人であると言う事を隠さなくてはならないのに それ以前に仕事で来ているのに、航河は私だけに分かるように微笑んで、私の心を掻き乱す。 「ちょっと待て!アル、そんなのいつ貰ったんだよ。俺知らねーぞ。」 「何でお前に貰ったものをいちいち報告しなきゃならないんだ。」 「なんだとっ!」 「俺だけに持ってきた差し入れだったんだ、残念だったな。」 「ちくしょうっ!なぁ、、今度俺にも持ってきてくれよ。」 「ええっ!?えっと…あの…わ、私ですか……?」 唇を尖らせて『ズルイ』と拗ね出す鷹島さんを見て、冷や汗が流れる。 「そ、それじゃ、また今度皆さんに差し入れさせていただきますね。えーと、次の質問…。」 誤魔化すようにメモ帳へ視線を移すと、私は次の質問を見て戸惑ってしまう。 ああ、とうとうきてしまったか、それが正直な気持ち。 この質問の答えを知っている私にとっては、航河がどう答えてくれるか知りたいような知りたくないような。 「……中沢さん。」 「……なんだ。」 「先日は中沢さんの…お、お誕生日だったそうで、…おめでとうございます。」 「……ああ。で、質問はなんだ?」 「お誕生日はどのように過ごされたのか、もしよければ……。」 「……俺に答えろと?」 やっぱり…、返ってきたのは呆れたような言葉とため息。 航河の目は『知ってるくせに』と言いたげに私を鋭く射る。 そこへ意地悪そうにニヤニヤと笑う鷹島さんが、『俺、知ってるぜ』そう言って話を始めた。 「確か〜、アルは五時くらいまで仕事してて、その後一人でさっさと帰っちゃったんだよねー。」 「そ、そうなんですか…。」 「だーい好きな彼女が家でご飯作って待っててくれて、そりゃあもう熱い夜を過ごされたようですよ?」 「……よくご存知ですね。」 『まぁね〜』と誇らしげに笑ってみせる鷹島さんを余所に、ペンを持つ私の右手はフルフルと震えだす。 ただ単に、鷹島さんが想像を語っている、航河がそう根掘り葉掘り語るなんて有り得ない 分かっていても、あの誕生日の夜がだんだんと霧が晴れていくように思い出されて消えてくれない。 「どうだ、アル、当たってるだろ?」 「……まぁ、独り寂しいお前はそうやって想像して楽しんでろ。」 否定するどころか肯定と取れる表現に、周囲から嘆きの息が吐き出された。 そんな事お構いなしに航河は横目で私を見て、意地悪く笑ってみせる。 航河の声、たくさんの表情、幾度となく感じて私を捕らえて離さないあの肌の感触と熱 切なげな息を聞いた私の耳が、力強い腕にしがみついた指先が、何度も深く交わった唇が あの誕生日の出来事の記憶が、否応なしに甦ってくる 怒り出す鷹島さんを岩戸さんが肩を優しくポンポンと叩いて宥めているのに、笑顔を返すだけで必死だ。 「まぁ、この件に関してはここだけの話という事にしてもらおうかな?」 「そうですね加賀見さん。話を聞いただけで真っ赤になるような記者が、記事に出来るわけないですしね。」 「……はい。では、次の質問に移らせていただきます。」 航河の視線が、痛い。 別に私だけを見つめているわけじゃないけれど、時折鋭いあの目と目が合うと 今、自分が必死で守っているものは、どうでもいい事じゃないかなんて思うくらい。 その後はもう一杯一杯だった。 ただ、必死にメモ帳の文字を追って口を開いては、ペンを走らせて。 何より、私を意地悪くからかってくる航河に何も言い返せないことが歯痒くてたまらない。 「それでは皆さん、せっかくのお祝いの席をお邪魔してしまって…。」 取材を終えて石川さんがそうお辞儀をして、私もその隣に立ってお礼を述べた。 終わった…。 脱力に満ちた私の頭はフラフラで、思わず安堵のため息を吐いた。 「じゃあ、ちょっと伊達さんに連絡してくるから。」 「分かりました。」 会場を出てすぐ石川さんはそう言うと、何処かへと姿を消す。 高揚した気持ちを落ち着けるために深く息を吸い込んだ時 ドスン 背後の人の気配を感じたと同時に、避けきれずぶつかってしまった。 「すみませ……。」 振り返った先には、さっきまで取材をしていたこのパーティーの主役の一人である航河。 『…2803号室で待ってる。』 一瞬の事だった。 ぶつかって振り向いて、航河の唇が私に近づいた一瞬、耳元でそう呟いた。 「…悪い、大丈夫だったか?」 「……え、…あ……。」 「じゃあな。」 何事もなかったように、航河はそのまま離れていく。 すました顔のまま、振り返ることなく、すれ違う人達の憧憬の眼差しを受けながら。 その後ろ姿を見つめたまま、息をするのも忘れるくらい私の胸は航河でいっぱいになる。 甘く、甘く痺れて、まるで媚薬みたいに 航河の特別である事を知らしめす、あの声と言葉が私を喜びでいっぱいにする。 恋しくて 愛しくて こんなにも苦しいのに もっとずっと深く溺れていたいと願いながら 遠くなる航河の背中が見えなくなるのを見つめ続けた。 あとがき 無駄に長くてごめんなさい。 前置きです、全くエロくなくてごめんなさい(汗)。 誕生日ものをと考えたネタだったのですが、誕生日を過ぎてしまったため大幅に修正。 そして遅れに遅れてのアップになってしまいました。 後編頑張ります^^; ←BACK NEXT→ |