――PM 9:00



私は、疲れた体と沈んだ心を引きずるように、自宅に向かってとぼとぼと歩いている。

本当なら、今日は仕事が終わったらカズさんとデートのはずだった…。

残業で会えなくなった訳じゃない。

先約があった訳でもない。

ただ…、


『会いたくないの』


気づいたら、私は電話越しの彼にそう言ってしまっていた――。














black or white















きっかけは今日の昼。

お昼を食べ終わった後、会社の先輩にお茶菓子の買い出しを頼まれて
私は、昼休みに駅前のデパートへと出かけた。

急いで買い物をしてデパートの外へ出ると、ロータリーにたくさんの車が目に入る。

その中の一台の車に目が止まった。
最初は、カズさんと同じ車だ♪なんて浮かれた気持ちでいた。
そのまま…、気にせずに通り過ぎてしまえばよかったんだ…。



一瞬で凍りついた。



息をすることさえもできなかった。



そこから出てきたのは、まぎれもなくカズさんで……
そして、助手席から出てきたのは…私の知らない女の人。

楽しそうに何かを話していて、カズさんは相変わらず優しい笑顔を振りまいている。
カズさんがロータリーの真ん中に立っている大きな時計を指差すと
女の人は、慌てたように小さく手を振って駅の中へと消え
それを見届けたカズさんは、車に戻りどこかへ走り去っていってしまった…。


カズさんは今日一日、休みのはず。
昨日の夜、本人が電話口でそういってたのだから確かだ。
だから…
だから私もはっきりとは約束できなかったけれど
仕事を早めに切り上げて会うつもりだった…。


残された私の、身体の中から黒いものがわきでてくる。

抑えても

抑えても

あふれ出してくる。

さっきの光景が焼きついて離れなかった――。




会社にどうやって戻ったかは覚えていない。
とにかく今私がやるべきことは、会社に戻ってこのお茶菓子たちを片付けること
それだけだった。

会社の給湯室でガサゴソとお茶菓子を棚にしまっていると
携帯電話からメールの着信を知らせる音がした。




――今日の夜、さんの仕事が終わったらデートしませんか?
  もし大丈夫なら会社まで迎えに行けるよ。
                      和浩


…………。
どんな顔をして、会えばいいの?


――ごめんなさい。今日はやめておきます。
                     


そう返事をするのが精一杯だった。
理由なんて考える余裕もない…。
あれはいったい何だったの?


――今、電話してもいい?     和浩
      

私のメールを不審に思ったのか返信する間もなく
カズさんからすぐに電話がかかってきた…。

出ようかどうか迷っている間も、メロディーは途絶えることはない。

不安を抱きつつ、思い切って通話ボタンを押す。

「もしもし、さん?ごめんね、仕事中だった?」

「大…丈夫。」

「どうした…の?」

「…何が?」

「メールで…、その…、様子が変だったから。」

不意にさっきの光景が脳裏によぎる。
あぁ、…これは嫉妬なんだ。
カズさんが、ほかの女の人と付き合って
私のことを傷つけるなんてことはしない。

分かってる。
頭では分かるけれど…
感情がついていかない。

黒い嫉妬が疑念に変わり心をむしばんでいく――。


「会いたく…ないの。」

長い沈黙の後、
私がこぼした感情は突き刺すような言葉になってカズさんを傷つけた。

行き場のない感情をこのままだと、もっと彼にぶつけてしまいそうで
私はそれ以上何も言わず、…電話を切った。

手が、足が、ガクガクと震えた。
胸のあたりがドクドクと脈打って、苦しくてしょうがない。
私は今、恋人に向かって何て言った?
気がつくと、私は涙を流していた。
最低なのは…私なのに――。













思い返しても、出るのはため息か涙だけ――。

失いたくないのに

傷つけたくなんかないのに



もう…、どうしたらいいの?












「こんな時間まで、…残業?」






家の前まで来ると、突然暗闇の中から声が聞こえた…。
足が、すくんで動けない。
足音が近づいてきて、街灯に照らし出されたのは紛れもなくカズさんだった。

「こんばんは…。」

今にも崩れてしまいそうな表情から、彼はそう言って笑顔を作ってみせた。

「カ…ズさん。」

「ごめんね?…どうしても、会いたくて。一応…さっき電話かけたんだけど…。」

え?
うそっ!?
私は震える手を必死にバッグの中に入れて携帯電話を探す。
それを開いて二つのことを確認する。

不在着信――1件。
マナーモード…。

「ご、ごめんなさい。マナーモードになってて…。」

役立たずの携帯をバッグにしまって頭を下げる。

「あ、いや…。僕のほうこそ…。」

突然の出来事に胸が張り裂けそうで、言葉がうまく出ない。

「…………。」

「…………。」









沈黙を破ったのは、カズさん。

「……っ!?」

私は彼に身体を強く、抱きしめられる。
その力はしだいに増して、痛くて苦しくて…
ただ、従うだけ。


「僕のこと……、嫌いに…なった?」

かすれた声は今にも消えてしまいそうで目の前がにじむ。



嫌いになれるわけ…ない。
好きだから…苦しいの。
むしろ嫌いなのはカズさんを疑ってしまう自分自身。

独占欲。

その笑顔も、優しさも、誰にも見せたくない。
黒い感情がより黒い感情を呼び起こして彼を傷つける。


「本当のこと…言って?」


そう…、本当のことを聞かなくちゃ…。
腕が緩められて、私の顔を見つめるカズさんに
じゃなきゃ…どうしようもなくなってしまう。


「カズさん…、今日の…お昼ごろ…何してた?」

「え…?」

訳が分からないという表情で、カズさんは首を傾けたけど
すぐに、私の言葉に従うように思い出しながら話を始めた…。



「えっと…、今日は日中は実家のほうに戻ってたんだけど…。」

実家?

「あ、出身は秋田だけど、今は同じ県内に実家があるんだ。
この間父さんもレース見に来てくれたし、車ならそんなに長い距離じゃ…」

そうなんだ…。

「って、ごめん。話しそれちゃったね。昼ごろ……。
妹が寝坊して駅まで送ってくれって言うから、送ったくらいだけど…確か。」



イモウト……





いもうと……




妹……!?




私は頭が真っ白になって、体を固まらせてしまう。

…バカだ。

…私は、大バカだ!

さっきまでの私…なんだったんだろう?






「…ごめん…なさい」

「へ……?」
 
「そ、それ目撃しちゃって…、その……。まさか、妹さんだったなんて。」

「仕事で会社にいたんじゃ…?」

「あの…、昼休みで…買い出し…頼まれて……。」

「それ見て……僕が、…浮気をしていたと?」

「ごめんなさい……。」







さんの……バカ。」

「……うぅ……。」

「ちゃんと、言ってくれればいいのに…。」

「はい…、ごめんなさい…。」

「…っはぁ〜。…なんだ〜…そっかぁ〜っ…」

大きなため息を吐いて、ガクッ!っと音が聞こえてきそうなくらい
カズさんは肩を落とした…。

「…っもう、しょうがないなぁ…。」

「ごめんなさい…。あの、…いつから待っててくれた?」

まるでバカの一つ覚えみたいに、私はごめんなさいを繰り返す…。

「そんな事気にしないで?誤解は解けたようだし…ね?」


う……。
ごめんなさい…。

とりあえず、部屋にあがってもらおう。

「あの…、ここじゃなんだから…家にあがって?」

そしたら、謝って謝って謝って、……許してくれるかな?
ううん、許してもらえるまで謝ろう。

「うん…。分かった。」

私の心を黒く塗り替えるのはカズさんだけ。

困ったように笑いながら私の頭を撫でてくれて

私の心を白く輝かせてくれるのもカズさんだけ。


私は、家の扉の鍵を開けてカズさんの方を振り向いた。

そこには、少しくたびれたようなカズさんの笑顔があって…
それは、確実に私だけに向けられるもので…。



『愛しい』



恥ずかしくて言葉にはできなかったけれど、そう思ったんだ――。












あとがき
何だか終わりがグズグズしてしまいましたが終わります(汗)。
カズさんって、悲しいときや怒ったときってあまり感情を表に出さない人ですよね。
自分の中に押し込めちゃう人。
そんな彼にこらっ!、と一度怒られてみたいのは私だけでしょうかそうですか。

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