雑種二態 DAY02


 上せきったクラウドを、困惑気味にベッドに仰向けにする。

「……ええと」

 クラウドはピンク色に染まったほっぺたで、エブラを見上げる。エブラは惑いながら、しかし胸の奥で激しく緊張しながら、クラウドを見詰める。エブラ自身は、クラウドのスイッチを思い切り押して(握って)しまったことなど、判るはずも無い。しかし、どうやら尻尾がクラウドの性感帯らしいということは、朧げながら理解できる。

「えぶらぁ……」

 クラウドは目に涙を浮かべて、ヘビ少年を見上げる。

 ダレンにだってこんな風に言われたことの無いエブラは、ただただ困惑の度を深めるばかりだ。

 エブラに責任は無いし、クラウドにも。エブラはクラウドの尻尾がどんな効果を持つものかなどと、そこまで思い至らなければならない理由は無い。クラウドも、いつもされている洗われ方を期待するのが当然である。

 クラウドには、ザックスとヴィンセント。

 エブラには、ダレン。

「うーん……」

 眉間に皺を寄せて、エブラはじっとクラウドを見下ろす。

「あの、クラウド……、おれ、あの、……何だか、すごい申し訳ない事、しちゃったみたい、だね」

「……にゃう……」

 エブラはまだまだ若いが、決して性的に暴走するタイプではない。自分では、頭は良くないという自己認識があるのだが、実際にはそれ以上に冷静に事態を見つめることは十分に出来る。そして、それ以上に倫理観のはっきりと在る人間だ。恐らく、クラウドの感じきった姿を見て理性を失う人間は、男女問わず多いであろう。しかし、エブラはそうではない。今は、恋人であるダレンは手の届かぬ場所にいるだろう、この仔猫にも責任を取る必要は無いだろう、しかし、出来ない。心の底で裏切りに感じられるからだ。同じコミニュティの中に、旧恋人と現恋人が共存していると言う、なんでもないようなことにすら、かすかな緊張感を禁じえないようなハートの持ち主なのだ。

 しかし、このままクラウドを放置しておくのもあまりに可哀想だとも、エブラは考える。

「……でも、俺の手じゃ……、傷ついちゃうからな」

 いつも、ダレンとするときには、ダレン自身に動かしてもらう。

「……」

 ちら、とカウパーを滲ませた少年の小さな太陽を見る。ちっとも剥けていない。

「……クラウド……、あの、どうしたらいい?」

「……してよう」

「……」

「ちんちん、……動かして、出したいよぅ」

 この子、ゲイなのか。エブラは、少し頭痛を覚えた。同じ穴の狢。いや、ヘビと猫。

「俺なんかでいいのか?」

 クラウドは目を潤ませて、

「だって……」

 と呟く。だってしょうがない、しょうがない。

「……わかった」

 エブラは、目を閉じて、開いた。

「足を開いて」

 他にする場所が無いのだ、仕方がない。

「ふや……っ」

 エブラは心を無にして、しかし、ダレンにするときのような気持ちで、長い舌をクラウドのペニスに巻き付ける。ダレンはこれをされるのが好きだ。決して「好き」とは言わないけれど、他の時には絶対に挙げないような声をあげて、シーツを握り締める。そうしてダレンが、口の中に青い味をくれるときに、エブラは自分の、ただの人間ではないことを喜ばしく思うのだ。

 クラウドの回りに、自分のような舌の長い者のいるはずがない。クラウドも相当の快感を覚えてくれるだろうと言う確信があった。口の中に頬張って、根本からぐるりとまきつけて、舌先で先っぽを突付く。舌の根本で、少しだけ締め付ける。そのたびクラウドはぴくんぴくんと腰を震わせて、もはやたまらないといった声をあげる。

「んっ、にゃ……、う、にゃあ、あ、っ、ひっ……にゃあ」

 クラウドの保護者たちが普段聞いている声よりも更に一ランク淫らな声を、艶のある唇から漏らしても、明鏡止水に心情留めるエブラは、目を閉じてクラウドの陽物の熱の滾りすらも自分の世界ではないものと切り離して、し続けた。クラウドの「側」の者たちからすれば、なんと勿体無いと嘆かれるであろうことなど、知らずに。しかし、エブラとしても必死だ。クラウドとダレンの性器は、そのサイズを始めとしてよく似ていた。ダレンのものをとても可愛いと思う。それと同様にクラウドのこれを可愛いと思ってはいけないと信じているから、喉の奥底で暴れそうになる自らの蛇を嚥下する。口の中へ放出された、蜜と一緒に嚥下する。

「ふ、……、ふ、にゃ……っ、にゃ……」

 クラウドは、感じたことの無い感じにヒクヒクと痙攣して、エブラを見上げる。エブラは口から抜いて、ティッシュペーパーでクラウドのそれを拭った。空ろな目が、漠然と緑を映す。エブラは仕方なく、クラウドを抱き起こす。クラウドはぎゅっと背中に手を回した。

「……ごめんね、クラウド。尻尾でそんななっちゃうなんて知らなかったから」

 クラウドは、かくかく震えながら首を横に振った。そうして、しばらく、そうしていた。

 エブラはクラウドの震えが止むまで抱き続け、それからベッドの上に再び横たえて、パンツを穿かせた。一緒に布団に滑り込む。自分と一緒に寝ると、布団が湿る。しかし、クラウドはそれを疎んではいないようだった。その点もダレンと似ていて。しかし、クラウドに対して何らかの想いを抱くよりは、ダレンに会いたいと思う気持ちが先行する。クラウドだって、本当にちゃんと可愛がってくれる人たちに会いたいだろう。今はまだいいが、あまり長時間この状況が続くのは、どう考えたって無理がある。努力でどうこう出来るとも思いがたい。

 クラウドはエブラの胸に額を押し当てて、それが冷たくて気持ち良いのか、すんなりと眠りに落ちた。

 エブラはクラウドを起こさないようにそっとベッドから抜け出すと、電気を消してソファに座って、途方に暮れた。

帰りたいよう……。クラウドを射精させたことで、何だか余計に寂しくなってしまった。ダレンを抱きたいと心の底が喚く。それを表に出せば泣き出してしまうだろう。だから、我慢する。ダレンに会いたい……。

 もう二度と会えないのかもと、考えないはずがない。こんな何処とも知れぬ白い部屋の中で、一生クラウドと二人きり。そんなの。クラウドだっておれだって可哀想すぎる。もう、違う世界だか違う国だか判らないが、お互いにお互いの社会がある。そこから切り離されるなんて、寂しすぎる。エブラは、自分を心配してくれているはずのダレンやコーマックを想い、また胸が痛んだ。ミスター・トールや、ラーテン=クレプスリーもきっと心配する。心配している、はず。心配していて欲しい。その事を確かめるためにも、今すぐ彼らに会いたい。

 寂しい。

 怖い。

 白い壁、そうだ、病院の壁だ。鬱陶しい白。白、白。圧迫感がある。必要以上に、部屋が狭く感じられる。迫ってくるように思える。

 こんなタチの悪い悪戯をしたの、誰だよ……。

 一歩間違えたら声を出して泣いてしまう。踏みとどまって、声を殺して、膝を抱えた。唇を噛んで、うろこに滲む涙を零した。悪戯で済めばいいよ、そいつのこと、一度叱れば気が済む。だけど、よく、わかんないけどさ、なんか、もっと、違う……何かだったら、どうしようもないじゃんか、おれ、ずっとこんなのなんて、やだよ。弱音ばかりが浮かんでくる。強いダレンが側にいたなら、すがり付いてしくしく泣いても、ダレンは大丈夫だよって、笑って、抱きとめてくれた。でもいまは、あの仔猫。自分のほうが強くいなければいけないという、中途半端な自覚がエブラにはあった。

 だから、布団がもそもそ動いて、仔猫が「ふにゃ……」と声を上げたときに、咄嗟に涙を拭った。どうせ暗がりで、見えないだろうけれど。自分は今、強く在らなければならない、そんな風に考えた。

「……エブラ?」

「……ん、なんだい?」

 声が濡れたり揺れたり掠れたりしていないことを、確認しながら喋った。

「ねてないの……?」

 クラウドは布団の中から顔を出して、暗いところをじっと見る。

「うん。ちょっと。……クラウドは? 寝たんじゃなかったの?」

「んー……」

むっくりと起き上がって、布団の上で、はあ、と溜め息を吐く。

「俺ね、一人で寝たこと、ないんだ」

「……そう、なの?」

 見た目は十三歳か、十四歳か、あるいは、もうちょっと小さいにしても、きっとダレンと同じくらいの年だろう。そんな子が、一人で寝たことがないはずがない、普通に考えればそんなことはありえないはずだ。しかし、さっき風呂に入ったときもそうだし、初めて見たときからの綜合的な印象としては、まあ一人で寝たことがなくとも無理はないかという風に思える。

「いつもは、誰かと一緒に寝てたの?」

 鋭くはないエブラにも十分想像はつく。さっき、クラウドを射精させた。あんなふうに、男相手に、されることを拒まない以上、その相手は男。最初に話に出てきた、「保護者」――「ザックス」と「ヴィン」というのが、相手なのだろう。ヴィン、……恐らくは、ヴィンセント。二人とも、ほぼ間違いなく男だろう。

「ん。……一人で寝たことないから、なんか、あんまりよく……」

「……そう、なんだ……」

 エブラはちょっとだけ困惑して、しかし、すぐに立ち上がると、クラウド一人には広すぎるベッドに、一緒に入った。

「クラウドが眠るまでここにいてあげるよ」

 エブラがそう言うと、クラウドは目をきょとんと丸くする。

「エブラはどこで寝るの?」

「おれはソファ」

「エブラもここで寝ればいいのに」

「んー……、いいよ、おれは」

 クラウドは青暗い目に、じいっと見詰めて来る、そうして、言った。

「エブラも、好きな人いるの?」

「……」

 猫だから、匂いで判るのかな、そんな、どうでもいいようなことを考えて、エブラは隠す必要もないと素直に頷いた。

「うん、いるよ」

「ひょっとして……、男の子?」

「そうだよ」

「そうなんだ……、なまえ、なんてゆうの?」

「ダレン。ダレン=シャン」

 名前を呼ぶときの自分の舌が唇が、他のどんなときよりも喜ぶのが自分で判る。冷たかった心が、少しだけほころぶような心持になる。

 クラウドはじっとエブラを、横向きに見つめてから、

「その……ダレンって子も、エブラとおんなじ?」

「おんなじ?」

「ん……、おんなじに、みどりいろ?」

 思わず吹き出してしまったエブラだ。

「な、なんだよう」

「ああ、そうか、そうだよな、……ごめん、いや、あのさ、俺のいたところ、みんながみんなおれみたいなのとは違うよ、他のみんなは普通で、俺だけが、こう、ちょっと変わってるってゆうかさ。ダレンも、普通の男の子、ごく普通……」

 違う。

「とは、ちょっと、まあ、違う、けど。でも、ダレンはおれのこと、別におかしいとも思ってないはずだし、おれもダレンのことは普通の、誰とも変わらない男の子だと思ってる。そんな普通の子のなかで、おれはダレンが大切なんだ」

 言ってしまってから、何を言っているんだろおれ、エブラは少しうろこの下の頬を赤らめた。クラウドはふっと微笑んで、

「エブラはダレンのことが好きなんだねえ」

 と柔らかな声で言った。恥ずかしくって、エブラはこくんと頷いただけだった。だが、ダレンのことをクラウドに話して、ダレンがすごくすぐ近くに、蘇るような気がした。すぐ側にダレンを再現できたような気になった。もちろん言葉は少なくて、僅かなものでしかなかったけれど、大分違う。

「く、クラウドは?」

「にゃ?」

「クラウドの、好きな人、好きな人たちの話を、俺にしてくれないか?」

 クラウドはぱちくりと瞬きをして、

「うー、にゃー……」

 とかなんとか、泣きながら、枕に突っ伏した。

「どうしたの?」

 うー、と言いながら、顔を上げて、

「別に、俺……、ふたりのこと、好きなんじゃないもん……」

 と、唇を尖らしながら言った。はっきり判るくらいにほっぺたが赤い。単純に、恥ずかしいだけなのだろう。エブラは想像した。これほど可愛いクラウドを側に置く、どんな年恰好かも判らないが、「ザックス」と「ヴィンセント」という二人の男は、それこそ溺愛に近い愛し方をしているに違いない。実際、一緒に、第一義としての「寝る」ばかりか、それ以上の「寝る」さえしているのだ、ダレンと同じくらいの年でありながら、だ。と、ダレンを抱く自分も同罪かとひっかかったが、こんな風に神をも恐れぬ行為に進んで身を躍らせる勇気の源に、エブラにとってはダレンが、クラウドの保護者たちにとってはクラウドが、成り得ているのだ。それは愛の重さだ。

「じゃあ、好きじゃなくてもいいから、話を聞かせてよ」

「……にゃー、う……」

 しぶしぶ、といった感じで、クラウドはエブラに話してくれた。

 彼の保護者二人の名前は、ヴィンセント=ヴァレンタイン、ザックス=ヴァレンタイン。ヴィンセントの年齢は、クラウド自身も時々わからなくなるという。クラウドと二人で計算して、やっと「七十歳」という解が導き出されたが、ひょっとしたら一、二歳は違うかもしれない、とクラウドは言っていた。ずいぶんな老齢のように感じられるが、「でもね、見た目は全然、すっごい、若くてカッコいいんだよ」ということで、エブラはダレンを、そしてバンパイアを想像した。外見も黒髪で、目が赤くて、綺麗な男の人……。実際のバンパイアよりも、バンパイア的な見た目という印象を、エブラは持った。もう一人の、ザックスのほうは、クラウドをそのまま幾つか年を取らせたような人らしい。というか、クラウド自身がザックスの分身的存在なのだそうで、「俺がもし年取って、十八歳になったら、ザックスとおんなじカッコになるんだよ」……。

「『もし年取って』……?」

「ん、俺ね、俺だけじゃない、ザックスもヴィンも、年取らないんだよ」

「……へえ……」

「なんか、よく判んないんだけど、そうゆう細胞が俺には入ってるんだってさ」

「へえ……」

 不老不死、ますますバンパイア然としてきた。

「それで……、その二人に、尻尾は生えていないの?」

「ん。あ、でもね、ヴィンは生えたりするよ、時々。身体がね、俺と同じくらいの子供の身体になって、耳と尻尾が生えるの」

「……へええ」

 ヴィンセント=ヴァレンタイン、なんとフリークに向いた人材だろう。遠い世界の在ったこともない人のことを、失礼と思いながらエブラはそう感心した。

「……で、クラウドはザックスとヴィンセントのことが好きなんだね」

「うん……。うにゃ」

 言っちゃった……、という顔で、クラウドは言って、また枕に突っ伏した。毛布の中で尻尾が動いている。エブラは微笑んで、耳を優しく掻いてあげた。

 近くに恋人を感じることが出来る、その方法を、エブラは身に付けたような気がした。きっとクラウドも、何だかんだ言って、本当に大好きな恋人のことを、今は近くに感じているに違いない。その輪郭を、声を、触感を。自分を愛してくれる誰かが、自分だけにくれる、五感で感じられる心地よさに、心が悦ぶ感触も。

 満たされたような気になると、入れ違いで眠気がやってきた。エブラはクラウドの耳を撫でながら右腕を枕にした。クラウドがこちらを向いて、ぼんやりとエブラの顔を見ていたが、やがてその瞼が重たそうに閉じられる。長い睫毛がすぐ側にあって、こんなに顔を寄せる相手は、自分にはダレン以外にいないのになとちょっとまた寂しく感じる。ダレンの笑顔が浮かんできた瞼の裏を見ているうちに、すとんと眠りに落ちていた。

 

 

 

 

 翌朝、先に目がさめたのはエブラのほうだった。枕にしていた右腕が、ものすごく、ものすごく、痺れていて、声を殺してしばらく悶えた。クラウドが、何時の間にか、自分のじめじめした胸に額を当てて眠っていて、だから、何だか少し、暖かい夢を見たような気がする。その夢に、ダレンが出てきたような気がする。誰かでダレンを思い出したといったらダレンはいい気分しないだろうし、クラウドだってきっと不満があるだろうけれど。

 そうして、エブラは気が付いた。

「ああ……」

 思わず、声が出た。

 白い、無愛想で、圧迫感のある部屋の壁に、一つ、忽然と姿をあらわした扉の存在に気がついたのだ。

「……扉が……」

 クラウドが、胸の中でもそもそと動いて、「にゃあ、ああ、あ」と大きな欠伸をした。そうして、こしゅこしゅと猫手で目を擦って、自分が一緒に寝ていた相手がザックスでもヴィンセントでもなく、エブラだったことに気付いて軽く驚く。

「……そっか……あ、ふぅ……。にゃ、どうしたの?」

「……クラウド、ほら、見てみて」

 エブラが指差した、その先に、これまたご丁寧に白くたっぷりペンキで塗られた、木製の装飾板に丸いノブのついた扉。

「……なあに?」

「あれ、扉だよ、間違いなく、ほら、扉……、よかった、この部屋から出られるんだ!」

 エブラは安堵に心を解かした。ダレンに会える! コーマックに会える!

 だが、クラウドは眠そうな目をしたまま、エブラと、壁の方を、交互に見て、ノーリアクション。

「なんかあるの?」

「なんかって……、え?」

「にゃー……」

 クラウドは壁を見る。壁は白い、無愛想な壁紙が貼られているだけの。

 エブラはクラウドの目を見る。クラウドの目線が、目標物には固定されず、曖昧に動いているのを見て、思わず立ち上がって、

「ほら、これ、扉……」

 扉を、こんこんとノックして見せる。

 クラウドは、急に寂しげな顔になって、首を振った。

「……にゃう……」

「見えない?」

「ん……」

「そんな……」

 自分には見えているものが、そして、実際こうして触っているものが、何でクラウドには見えない? 感じたことのあるはずもない感覚に、エブラは混乱した。

「だって……、ちょっと、クラウドこっちおいで、触ってごらん」

 クラウドを近づけて、触れさせてみる。クラウドは眉を八の字にして、

「んー、何かあるんだなっていうのは、判る、けど……、俺には扉なんて見えない。ただ、真っ白な壁があるだけにしか見えないよ」

 クラウドは続けて、微笑んで言った。

「きっと、エブラにしか見えないんだよ。エブラの方に繋がってる扉なんだよ。俺の知らないところだから、俺には見えないんだ」

「……そんな……」

 クラウドは、一歩、引いた。

「向こうには、ダレン、いるよきっと」

 クラウドは少し眠そうな、そして寂しそうな目をして、笑って言った。

「クラウドは……? おまえはどうするの?」

「俺は、たぶん、もうちょっとここにいるんだと思う。もう少ししたら、きっと俺に見えるドアが出来るんだと思う。そう思うしかないよ。ね?」

 クラウドは決して無責任にこう言うわけではない。

 一人になるのは寂しいし、自分だって早くザックスやヴィンセントに会いたい、寂しさは一秒ごとに何倍にも重く圧し掛かる。しかし、自分のピンチをザックスとヴィンセントが放っておくはずはないという、妙な確信があった。あの二人は何処にいても何をしていても、自分のことを心配してくれる。今ごろ、血眼になって探している、そう思うと、嬉しい。だから、頑張れる。

「クラウド……」

「だいじょぶ。ごはんだって、俺、頑張って一人で作るよ」

「……でも……」

「だいじょぶだってば。俺、エブラが思うよりもちゃんとできるもん」

「……」

 でも、ほんとは、ちょっとは、さみしいよ?

 そんなクラウドの気持ちがわかるから、エブラは、クラウドを抱きしめた。

「優しいんだね」

「そうかなあ」

「ん、おまえ、すごく優しい」

「ん……、エブラも優しいよ」

 だから、とクラウドは、胸の中で言った。

「エブラはその優しさを、俺じゃなくって、ダレンにあげなきゃダメだよ。俺にはザックスとヴィンがいるもん」

「……」

 強気にそう言う仔猫は、自分からエブラの腕の中から抜け出した。

「エブラ=フォン、短い間だったけど、いろいろしてくれてありがとう。俺、エブラのこと、好きになったよ。大切な友だち」

 猫の手のひらを差し出す。握手が出来ない仔猫の手のひらに、エブラは、何だか急に、泣きたいような気持ちになりながら、蛇の手のひらを乗せた。

「うん……、おれも、クラウドのこと、好きになった。友だちだよ」

「平気だよ、いつかきっと、必ずまた会えるよ。ひょっとしたら俺たち、またここで会うかもしれないし」

「ああ……、そうだね。でも、次の時には、おれ、ダレンも連れてくる。だからクラウドも、ザックスとヴィンセントに会わせてよ」

「うん。わかった。やくそく」

「約束」

 クラウドは背伸びして、エブラの頬に、小さなキスをした。

 エブラはそれだけでなんだか、すごく、すごくすごく、幸せな気持ちになれた。相手はダレンではない、会って一晩の仔猫。しかし、それがどうした?

「じゃあ、またね、エブラ」

「うん……、またね、クラウド」

 そう言った胸がよじれるほどに、寂しい。

 しかし、エブラはドアノブを捻って、外に出た。

 

 

 

 

 ドアを出て、振り返る。そこには何もない、かかとあたりまでの芝があるばかり、少し離れたところに、トレーラーがあって、テントが張られていて、ダレンと自分の寝るトレーラーも見える。シルク・ド・フリークだ、ここ……、戻ってきたんだ……。

「なにしてんの? おまえ」

 すぐ側のトレーラーの扉が開いて、顔を出したのはコーマックだった。

「え……、いや、あの……」

 思わずしどろもどろになるエブラに気付かず、コーマックは特に何の考えもなく、

「まあいいや、入んなよ、ひまなんだ」

 とエブラを招じ入れた。エブラは狐につままれたような心持になりながら、嗅ぎなれた匂いのする旧恋人の部屋に入り、座った。一夜、外出してしまっていたことを、何か言われるのか、そう思いながら、しかし帰ってこられたのだから謝ること位何でもない、などと、考えていたのに、コーマックの口から出たのは、本当に暇つぶしにしかならないような話題ばかりで、愚痴だったり、妄想だったり。

「まあ、おまえもダレンと頑張んなよ。おれもまだ、おまえのことは、ほんとに大切に思う気持ち、なくしてないから」

 などと言って、じゃあおれ寝るから、おやすみね、……トレーラーを出された。

 釈然としないまま外に出る、太陽はもう大分傾いて、エブラのうろこをギラギラさせている。あの「白い部屋」を出てから、まだ一時間も経っていないはずだ。あの中では、まださっき、朝になったばかりだったはず、なのに。時間の流れ方が違うのか? だからコーマックはエブラに、まるで普通の応対をした?

 あまり深く考えていると混乱しそうで、エブラはクラウドが早く帰れますようにと心から願って、そして、ダレンのいるはずのトレーラーに走った。扉を開けると、ダレンが壁に凭れて、布で笛を拭いていた。

「あ、おかえり」

 軽く顔を上げて、少し微笑んだ。

「……」

 エブラは何も言わず、ぺたりと尻を床について、ダレンの顔を、じっと見ていた。

 そうして、……何だか、たまらない気持ちになって、

「ごめんね」

 そう、臆病に予め謝ってから、笛を置いたダレンを、抱きしめた。ダレンはちょっとだけ苦しがったが、エブラの好きにさせた。深いところまでキスをされて、それから、横たえられたとき、エブラの表情がやけに寂しそうで、心配になった、コーマックに何か言われたのかと。しかし、そんなことを聞いたところでエブラの答があるはずもないことは、もう判っていたから、ダレンは黙っていた。黙ってエブラに身体を触らせた。

 エブラが思っていたところはただ一つだけだった。

 自分はダレンといつもいっしょにいるつもりがある。これからも出来ればいっしょにい続けたいと思う。しかし、そんなのはあくまで夢想に過ぎないのだ。例えばどんな風にだって、自分とダレンは離れてしまうことがあるのだ。さっきみたいに……。

 それをこんな形でわからせたあの部屋の作り主を腹立たしく思うが、しかし、感謝しなければならないのも解っている。

「ダレン」

 エブラは抱きしめたまま、

「愛してるよ」

 何も言わないで、その代わり、エブラの背中にぎゅっと手を回してくるダレンと、ますますこれからもいっしょにいたいという気持ちが、ただ募るばかりだ。

 

 

 

 

 エブラが時々、ぼんやりする時間がある。ダレンはそういうとき、放って置くようにする。黙って一人で考えたい時間があるのは、自分も同じで、エブラもきっとそうなのだろう。何か、彼にしかわからないことを考えているのだろうと、放置するのが優しさの一つとダレンは考えている。

 エブラが考えるのは、クラウドのことだ。あの仔猫は、ちゃんとおうちに帰れたのだろうか? 大好きなザックスとヴィンと、いっしょに笑っていられるんだろうか? おれがこうして帰れたんだし、あの子が帰れないはずがない。そもそも……、結局のところあれはおれが一瞬のうちに見た長い幻覚だったのかも知れなくて、クラウドなんて本当にはいない存在……?

 しかし、クラウドのくれた最後のキスを覚えているし、あの精液の味も。

 ……どうか、あの子が幸せになれますように。ただ祈らずにいられない気になる。

 

 

 

 

 時間は遡って、エブラが部屋を出て行った、ほんの二分後。寂しさに、ベッドの上で何だか泣きそうになっていたクラウドの耳に、がちゃ、ぎい、そんな音がして、尻尾を膨らませた。

「あれえ?」

 何だか、のどかな声が聞こえてきた。クラウドは、ちょっと、引きつったような表情で、声のしたほう、ちょうど、エブラが出て行った扉の壁と、真反対のほうへ、首を、ぎぎぎと回した。

 真っ向から、目が合った。

「にゃ……っ」

「うわあっ」

 向こうは、ぱぁあっと笑う。

「すごおいっ、かわいいいっ」

 女の子みたいに声をあげて、クラウドの目に飛び込んできた金髪の少年は、クラウドに飛びついて……。


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