白い部屋の白いソファのすわり心地は、どちらかと言えば良くって、ぴったり腰を任せれば右ひじには丁度いい高さの肘掛がある。深い二人掛けで、膝の後ろをしっかり支えてくれるのが丁度いい。ダレンと二人で座って、ダレンがおれの肩に頭をもたせかけたりしてくれたらそれはそれで嬉しいなと思う。が、今はそんな甘い妄想にふける場合ではない。どうやってここから出るべきか、思案するとき。しかし、それにも疲れてしまった、かれこれ一時間、頭を捻って、いまやこうしてソファに弛緩しているのである。
確かに捻ったのは、トレーラーの扉のノブ、コーマックがぼうっとしているはずだった。何か特別な用事があった訳でもなかった、ただ、最近あの兄貴分とあまり深く話す機会が無くて、だけど一応は「兄貴分」で側にいて話をするだけで快い気持ちになるから、たまにはそういう時間を取りたい、そう思って。
手にはコーラの赤い缶が二つ入ったビニール袋をぶら下げていた。あんまり振ったらまずいよな、そんなことを考えて、ちょっと袋の中を覗きながら、ノブを捻って、裸足のままで部屋に上がり、後手でドアを閉めた。
そうして、気付いたのだ。開ける扉をどうやら間違えてしまったらしいことに。コーマックのトレーラーに漂う、コーマックの匂いがしないのだ。慣れ親しんだ懐かしい、かつて自分からもしていたはずの、男性臭が。その代わり、何か淡い花のような香り、優しい香り。一瞬、誰か女の子の部屋に入ってしまったのかと、慌てて振り返ってドアを開けようとして。鼻をぶつけた。確かに今、自分が捻ったはずのトレーラーのノブがない。コーラの袋を落としてしまった。唖然として見れば、ノブどころか、そこにはドアそのものがなかった。真っ白な継ぎ目のない、クリームがかった白砂目の壁紙が鼻先に合って、エブラは思わずそこをベタベタと触って、何か誰かの悪い冗談かと思って、唇の端をひくつかせてみせた。
「おい……」
ごん、と壁を拳で叩いて、
「誰だよこんなことしたの。開けてよ」
笑みを含んだ声で、呟く。そうして、部屋を見回す。
ソファ、テーブル、ベッドに、冷蔵庫。全てが優しい白色の装いで、窓はない、その代わり、扉が一つ。ヘビ少年エブラ=フォンは首を傾げつつ、その扉を開く。と、中には、これまた白いタイル壁のユニットバスと、洗面所。
じわりとエブラの鱗肌に脂汗が滲んだ。
「……どこだよ、ここ……」
壁を蹴っ飛ばし、ソファの下を覗き込み、ユニットバスの壁を片っ端から叩いてまわり、その途中、コーラの缶を冷蔵庫にしまうという芸の細かい真似をしながら、エブラは考えうる限りの全ての行動をして見せた。
そうして今、ソファに沈んで、いよいよ途方に暮れているのである。
そろそろ夕食の支度が始まっているはずだ。いつもダレンとあの岩の側の丸太に座って焚き火を見ながら食べる。当然、今夜もそうするつもりだ。自分がいなければ、ダレンは、多分寂しがる。確信は持てない、が、多分、きっと、願わくば、寂しがるだろう。ダレンと一緒に夕食を摂れないのは寂しい、辛い、哀しい。
こうしてはいられないと、エブラは立ち上がり、この面妖な部屋から出るために、出口探しを再開した。ユニットバスに入り、はたと目に留まったトイレの水を、流してみる。水はどこかへ流れ、どこからか湧き出てくる。少なくとも水道が通ってはいるのだ。そして、天井を見ればそもそも灯りがついている、ということは、電気も。そして、先ほど部屋をくまなく漁った時には、ガスの栓も見つけた。生活に必要な設備は一応整っている。ということは、この部屋は誰かが作ったものだ、恐らくは、フリークの中の誰かが。今ごろおれがこうして慌てふためいている様を、悪趣味に見ているのかもしれない。
そんなことをしそうな存在など、見当もつかないが。
どうするか。出口の無いはずが無い。間違いなく自分は外からここへ来たのだから、ここから出ることの出来ないはずが無い。必ずどこかにあるはず。
ユニットバスのシャワー、水がお湯にちゃんとなる。誰かの手が入っていることを再確認しているときに、がちゃっと音がした。
エブラはお湯も出しっぱなしで、どたどたと部屋に戻る。
「にゃ……」
部屋の壁際に立ち、途方に暮れている一人の少年がいる。妙な形をしているが、フリークの新入りかもしれない、ほっとして、エブラは溜め息を吐いた。
「助かった……、なあ、どこから入ってきたんだ?」
少年は金髪、後ろ髪が少し長い。年はダレンと同じくらいか、少し下くらいだろうか。大きな目の瞳は青く、長い睫毛に縁取られていて、ぱっと見て可愛いと思える部類に入るだろう。
特筆すべき点は、その顔の両側にぴょこんと、ありえない形で発達した耳がついているということ。それは人間ではなく明らかに獣のそれで、エブラが声をかけるたびに、少しずつ動く。そして、その手は柔らかそうな毛皮に覆われていて、体の後には尻尾が生えていて、どれも同じに獣のそれ、恐らくは、猫か、あるいは虎か。
自分だって蛇なものだから、まるで気にしないでエブラは気軽に尋ねる。
「おれエブラ、新入りだろ? おれ、半分ヘビなんだ。おまえはそれ、猫? それとも虎かなあ……って、おい」
金髪の少年の目線が揺らいでいる、泣きそうに、不安げに。
「どうしたよ」
一歩近づくと、ぴっと震えて、壁に張り付く。
エブラは、作り笑いを浮かべて、
「あ、ひょっとしておれのこと、怖い?」
少年は、固まったまま、頭一つ大きいエブラのことを見上げている、エブラは膝に手をついて、目線を同じ高さにした。
「ん? 名前、何ていうの? 教えてよ」
少年は、乾いた唇のままで、ぱくぱくと応えた。
「く、クラウド……」
「へえ、クラウドかあ、可愛い名前だね。生まれは何処?」
「……ニブルヘイム……」
「ニブルヘイム? 聞いたこと無いな、それはどっちのほう? 北米? クラウドの顔からするとアフリカやアジアじゃないだろうし、……綺麗な目してる、北欧の方かな?」
クラウドは応えないで、じっとエブラの顔を見続け、……やがて。
「っていうかっ、何処ここっ、……なんで!?」
甲高い声を上げ、大きな目から一粒ずつ、涙を零した。
クラウド=ヴァレンタインは、恋人兼兄のザックス=ヴァレンタイン、旧姓名をクラウド=ストライフという男に言われ、恋人兼父のヴィンセント=ヴァレンタインを書斎に呼びに行く最中だった。ごはんがもうすぐできるよ、そう言えば、「わざわざありがとう」とヴィンセントはキスをする、恥ずかしいとは思うし、実際そう振舞うけれど、心底そのキスを欲しいと思うクラウドは、少し照れくさい気持ちも抱えながら、エントランスホールの階段を上がっていた。
ヴィンセントはキスが上手い。それはいわゆる性感に触れてくるだけのものではなく、どこかとろりと甘く、そして安らぐ種類のもの。自分たちがあまり意味もわからず繰り返す「愛してる」という言葉は、つまりこういうことなのだなとクラウドに信じさせるもの。その延長線上にある行為に関しては、好きなくせに嫌いなふりをするクラウドだったが、キスに関しては無条件に、もらえるものは全てもらいたい。
そんな自分を、少し恥ずかしいと思う。
ちょっと俯いて、ドアを開ける、恥ずかしいとき、不機嫌になってしまう自分の癖は、あまり好きじゃなかった。しかし、不機嫌になると、少しだけ我が侭を聞いてくれるヴィンセントとザックスのことが、この少年は好きだった。キスは、うん、二回してもらおう、そんなことを考えながら、顔を上げたら……。
泣きやんだクラウドの頭を撫でて、エブラは途方に暮れていた。
「そっか……、そう」
この子も同じ、同じように、何となく開けた扉から、この何処とも知れぬ部屋に。
何処とも知れぬといえば、エブラにとってクラウドの住まう世界と言うのは、まるで夢の世界のようで。クラウドが泣きながら不明瞭な声で話してくれた彼の世界には、エブラがアニメーションやコミックでしか見たことの無い「ドラゴン」が本当に住んでいるんだという、クラウドのおうちはドラゴンの住まう山のふもとにあるのだという。クラウドの目は、嘘をついているもののそれではなかった。ウータイ、ロケット村、そして、ミッドガル、エブラには聞いたことも無いような都市の名前が次から次へと飛び出しては、エブラを混乱させた。
「……まさか、なあ……」
少なくとも、今エブラたちフリークがキャンプを張っている近辺の話ではない。と言って、この子の妄想だとも言いたくない。こんな状況でぐすぐす泣くような子が、そんな嘘をつくはずが無い。もし本気で言っていたとしたら手に負えないが、それ以外に関しては理路整然とものを言うのだから、そうとは考えられない。
一番自然で、同時に不自然な解答がエブラの胃の中で凍っている、それを徐々に解凍していくのだが、あまりにもあんまりで、またしまいこみたくなる。
――この子とおれと、住んでる世界が違う――
ばかばかしい。だとしたら、どうして言葉が通じるんだい。
しかし、本気の目をしているこの子の口から出てくる異形のモンスターどもの話は、それを信じるならば、この子が別世界の人間であるということを意味している。それに、エブラの言う、エブラの世界の話は、この子には全く通じていないのだ。
「……どうしたら、帰れるの……?」
エブラは哀しげに鼻を赤くして問うクラウドに、ぐったりと首を振ることしか出来ない。
「……でも……、方法はあるはずなんだ、必ず。入ってきたところから出られないなんてことがあるはずないだろ。きっと出られる。クラウドも、おうちに帰れるよきっと」
優しく微笑んで、エブラは言った。クラウドは、こくんと頷く。
「……クラウドが入ってきたみたいに、ひょっとしたらまた外から誰か入ってくるかもしれないし、それを待つのが一番早いかな。……正直、何処に出るのか、ここが何処なのかもよくわかんないけど、慌てても仕方ないよ、きっと。な?」
クラウドはまた頷いた。
怖いんだろうな、エブラは胸が痛くなった。そりゃそうだよ、俺だって怖いさ。
けれど、……エブラは思った、けれど、この部屋、不思議と居心地は悪くない。二人で並んだソファ、相手はダレンではないけれど、まあしょうがないか、それくらいの気持ちで落ち着いていられるのだ。
違う世界から来た、不思議な子供に、エブラは年上の責任感から立ち上がって両手を広げた。
「ねえクラウド、お腹空いてないか?」
「……空いてる……、晩ご飯できて、ヴィン、あの……俺の、お父さんの、あの、えっと、俺の……好きな人の、ヴィンに、ご飯、呼びにいくところだったから」
「そっか。冷蔵庫になんかいろいろ入ってたから、食料は当分心配要らない。おいしいかどうか解からないけど、何か作ってあげるよ」
腹がくちたら、やることはなくなってしまう。今何時なのか、正確な時間はわからない。だが、クラウドが迷い込んだのが晩ご飯の支度が出来た直後、即ち、六時過ぎ頃だったことから類推すると、まだ八時にもなっていない。眠くも無い。自然、二人は寂しげな表情で黙りがちになる。沈黙を、クラウドのほうが破った。
「あの……」
「ん?」
「エブラの、身体って……、何でうろこ……、ヘビと同じなの?」
エブラは、柔らかに微笑んだ。
「ああ、やっぱり気になる?」
「気になるってゆうか……、ん、あの、エブラは、俺の、手とか足とか、耳とかが、なんでこうなのかって気にならない?」
「うん。おれのいるところ、変わった奴らの溜まり場みたいなところだから。いろいろいるよ。バンパイアとか、ひげ女とか。指千切ってもまた生えてくるやつとかもいるし。だから、猫耳も、たぶんどこかにはいるんだろうなって思うし」
「……ふうん……」
クラウドは、エブラの口から何でもないように次々と飛び出した、言ってしまえば「異常」とも思える人間たちの話に、妙な親近感を覚えた。行った事もない世界の、会った事もない人たち。どこかに自分と似たような人がいるのかな、いるのなら会ってみたいな、途方もないような気持ちになりつつ。
「おれの身体はね、生まれつきこうなんだ」
エブラは両手を広げて見せた。細長い、形のいい指と指との間には、蛙のような水掻きが付いている。クラウドに見せてから、自分でもまじまじと見つめてみる。緑色の、細かなうろこの集まり。手のひらの中央に、深い傷が目立つ。
「まあ、自分ではもう見慣れちゃったけど、確かにはじめて見るひとはやっぱり、ぎょっとするものなんだろうなとは思うよ」
「……、俺の耳、見て驚かなかったのエブラがはじめてだよ」
「それはまあ、どこかにはいるだろうと思うから。……クラウドは猫耳、嫌いなの?」
クラウドはふるふると首を横に振った。
「嫌いじゃない」
まさか、ザックスとヴィンセントが「可愛い尻尾、可愛い耳、可愛い手、可愛い肉球……」と褒めてひとつひとつにキスしてくれるから、なんて理由は言わないが。クラウドにとって自分の身体の人間にはありえない形に発達した器官は、自分のキャラクターを固定する上で、重要だと少年なりに思っている。尻尾を引っ張られて、どうにもおかしくなってしまうことだけ、何とかならないものかと考えてはいるが、それだって、ザックスとヴィンセントは悦んでくれるから、満更でもなかったりするのだ。
「そうか、そうだよな、可愛いものな。……あのさ、クラウド、その……、耳、触ってみても、構わない?」
「んー、いいよ。そのかわり、俺もエブラのうろこ、触ってもいい?」
「もちろん」
お互い、自分に無いものにはやはり並ならぬ興味が存在するもので、二人でソファに向かい合って座りエブラはクラウドの耳の後を、クラウドはエブラの腹のうろこに触る。「へえ……」、心の中で感心しきり、表情にもそれは浮き彫りになる、口をぽかんと開けて、お互いの、自分に無いものをただじっと見詰めている。
やがて、クラウドが均衡を破った。その喉から、くるくると喜びの笛の音を立て始めた。エブラはきょとんとしながら、クラウドの顔が幸せそうにほころぶのを見て、ああ、なるほど、猫だ、はっきり理解する。小さな仔猫をあやすような満悦が心を覆い、エブラはその指の動きを止めないで、笛の音が高くなるのを、嬉しい気持ちで聞いた。クラウドの大きな目が、気持ちよさげに細められ、震え掠れた猫の声で、「にゃんん……」、一声鳴く。エブラはそれを見て、純粋に可愛いと思う気持ちが自分の中で花を咲かせる様を思い描いた。ダレンに対して、時折思うのと同様の。
「……んー……」
陶然とした顔のまま、クラウドはエブラに寄りかかる。エブラは微笑んで、顎の下に手を伸ばして、そこも撫でた。耳の後、顎の下、猫が何処を喜ぶかという知識は、常識的な範囲で持ち合わせていた。やがてクラウドは猫の本性が刺激されて、エブラの膝の上に仰向けになった。
「……にゃ……、あ」
そこでようやく、そうだ相手はザックスたちとは違うんだと気付き、目を覚ます。
「あ、あ、あの、ごめんなさい……」
ぱちくりと目を瞬かせて、ぺこりと頭を下げる。一瞬にして猫から人間に戻った感じが、面白くってエブラは思わず吹き出した。
「いや、いいよ、クラウド、可愛かったよ。ねえ、本当に猫なんだね」
「う、うん……」
ばつが悪くて、俯いて紅くなる。そんな仕草が、本当に子供っぽくて可愛いと思う。そう思いつつ、エブラは心底、ダレンに会いたいと思った。
まだこの部屋に来てから何時間も経過していないのに、もうずっと会っていないような気になる。どうしようこれからもし二度と会えないようなことがあったら。そんなの嫌だ、辛すぎる。ダレンに会いたい、痛烈に思った。
それに、この子だって可愛そうだと思う。扉の向こうには、この子の大好きな人たちがいるらしい。クラウドだって会いたく思ってるに違いないし、その人たちだってクラウドを心配しているに違いない。早く、ここから出たい。
「……あの、エブラ?」
「……うん、なに?」
「俺、いっぱい撫でてもらったから、なんか、……ふにゃ、眠くなって、きちゃった……」
撫でてもらうと眠くなる、これまた猫の体質ではあるが、本当のところこれは条件反射。いつも眠るときに、ザックスないしヴィンセントに、眠りにおちるまでずっと撫でていてもらうから、「撫でる」と「眠る」が連結器で一つになってしまっているのである。
「ああ、そっか。今何時かな、もうすぐ九時ぐらいになるのかなあ。いつもこれくらいに寝てるの?」
「ん……、いつもは、もうちょっと遅い、かな。あの……うん、俺はね、俺は、早く寝たいんだよ? なのに、あの……」
「ん?」
「……やっぱいい」
ガスは何処で動いているのか、蛇口を捻るとすぐにお湯が出てくる、それを確認して、自分が先に裸になってから、どうやら自分で服を脱ぐことも出来ないらしいクラウドを裸にしてやる。クラウドは裸になったところで、少し恥ずかしげに、
「あの……、俺、ちょっとトイレ行きたい」
「ああ……、いいよ、行っておいで」
トイレのドアノブを捻って、開けてあげてから、冷え冷えとしたバスルームに予めお湯を流して、あの小さな子が寒くないようにしておいてあげる。程なくして戻ってきたクラウドを招き入れる。
「お湯、これくらいでいいかい?」
「ん」
用意のいいことだと、不気味な何者かの意図を感じながらも、英語のラベルのされたボディソープをスポンジに乗せる。ふと思い立って、
「クラウド、この字読める?」
「んー……、そあぷ?」
「……うん、ソープ」
「ふーん」
実際、同じ言葉で会話をしているのだから、文字も共通のものを使っていると見ていい。シャワールームの内装や、トイレにも驚いた気配は無いから、クラウドのいる「側」も、エブラの住まう国と同様の文化に染まっていると考えていいようだった。
裸体を間近に見てみると、自分よりもずっと人間らしい。手足の先と尻尾と耳以外は、ダレンと同じような裸がそこにある。
クラウドも、身体をスポンジで洗われながら、エブラの裸、とりわけその下半身をじっと見詰める。こんなの見たこと無いだろう、エブラはそれを不快には思わないで、見せた。聞きたがっているなと思いながら、さすがにそこまでしてやることはないかと、身体を泡だらけにする。
「じゃあ、頭洗ってあげるから。耳に入らないようにしなよ?」
「にゃ」
言われて、ぱたんと両耳を猫手え挟む。
クラウドの「側」に住む、クラウドの保護者たちにとってはおなじみ。おなじみながら、いつもこの仕草に胸を締め付けられる。況や、免疫の無いエブラ=フォンをいておや。
「……にゃ?」
「……いや……、なんでもないよ」
一瞬、ダレンがクラウドのように猫耳少年だったらなどと益体も無いことを考えてしまった。おれはきっと、今以上理性の効かない人間になっていただろう。
「な、流すよ?」
「ん」
シャワーで髪を濡らし、シャンプーで泡立てる。硬そうに見える髪の毛も、こうして泡立てるとふんわりと柔らかい。立ったまま洗われるクラウドと、立ったまま洗うエブラ。
こんなことを考えるのはどうかとエブラ自身も考えるが、ダレンと一緒に入浴しても、もちろん髪を洗うのは別々だ。だが、一度くらい、ダレンのさらさらの髪を泡だらけにして洗ってあげてみたいと、クラウドの髪を洗いながら思う。シャワーで泡を流すと、金色の髪は眩しいほどの煌きを放つ。これほど美しい金髪など始めてみるエブラは、思わず見惚れた。目をぎゅっと閉じているクラウドはそんなことには気付かないで、じっと待っている。やや間が空いてから、エブラははっと気付き、引出しの中に入っていた清潔なタオルで髪を優しく拭った。自分の手のひらのうろこが何枚か、その綺麗な髪に付着してしまっているのに気付き、一枚一枚取り除く、完全な金色の完成。濡れたストレートヘアが、肩に背中に乱れて貼り付く。エブラ自身も長髪だが、これほど綺麗ではない。エブラの髪は基本的にはぼさぼさだ。コーマックに昔からちゃんと「なんとか」すれば綺麗になると言われていたが、その「なんとか」が何であったか、未だに思い出せない。
タオルを良く絞り、もう一度優しく髪の毛を乾かしてあげる。それから、自分の身体は手早く洗う。クラウドはエブラの身体を洗う様子を、バスタブの縁に腰掛けて見ている。不思議な構造だと思う。構造などと言う言葉はまだ知らないクラウドも、形が自分と全く違うのだと言うことはわかる。それでいて、自分と何ら変わることは無い。そして、恐らく自分の知っているほかの誰よりも、自分はエブラに近いと感じる。身体中、何処も彼処も濃淡さまざまな緑、時折黄色の混じったうろこに覆われている、そんな中で、陰茎の半ばから先は、一枚のうろこもなく、そこばかりはザックスやヴィンセントのものと同じ。何でだろう、あとで聞いてみようかな……。でも、場所が場所だけに聞きづらいな……。
ぼんやり考えていたクラウドは、違和感に気付いた。身体の一箇所だけ、自分の身体、乾いている場所を見つけた、……尻尾。
「ねえ、エブラ。俺の尻尾、洗ってくれる?」
「ん? ん、ああ、ちょっと待ってて」
エブラとしても、尻尾を洗っていないのは解かっている。ただ、猫の尻尾がセンシティブなものであることが引っかかっていた。やはりそこは自分で洗ったほうが良いのではないか。同じような理由で、股間周辺も洗っていない。その辺りは、スポンジを渡したときに自分で洗っていた。ただ、尻尾は洗っていなかった。
エブラはシャワーを頭からかぶり、泡を流してから、スポンジをもう一度泡立てる。
ここに一つの誤算があった。
クラウドの保護者たちは、「そういった意図」の無いときは、優しく、毛皮の部分だけを撫ぜるように洗う。「そういった意図」のあるときは、わざと少し握ったりなどする。
当然エブラには「そういった意図」はない。しかし、クラウドの保護者たちのように、クラウドに精通しているわけでもない。
「そっとね?」
「うん、そっと」
エブラは頷いて、彼なりの「そっと」で、クラウドの尻尾を握った。