人間。

当たり前のように俺たちはセックスをする。それは生活の一部だからだ。だけど、だけどそれでも一応、俺の中に恥じらいみたいなものは今でもとりあえずは存在している。名ばかりであったとしても、羞恥心というものは、どこかに。そりゃあ、だって考えてもみなさいよあんた。恋人の顔に尻突き出して、普段ウンコしてるところを覗き見られるんだぞ。愛情が呆れるほどあっても、それで何も感じないって言うのはありえない。やっぱり恥ずかしいし、居心地ワルイし、何というか。一度、鏡で見た事あるけれど、うわあ、こんなところ舐めたりなんか出来るか! って感じだったしな。特に俺の、既に三人のが出たり入ったり出たり入ったり出たり入ったり中で出したり抜いて零れたりしてたワケだから余計にな。以前、俺がヴィンセントの事を抱くという形が俺たちのベーシックだった頃に見たヴィンセントの尻の穴は、割と、綺麗って言うんじゃないけど、何だ、整ってて、一応、菊の花という感じ。尻の毛抜いたら怒られたっけ。とにかく、俺のみたいな小汚いのを、例えいくら綺麗にしてたって、顔の前に晒すというのは、やっぱりちょっと何だかんだ言っていくらやりすぎなくらいやっていても、こう、曰く言い難い抵抗を感じてしまうものなのだ。おしっこの飲み合いが出来るにしたっても。

ヴィンセントは気にしないけれど、抜いた彼の大きな性器に汚物がこびりついてたりするのは、俺としては嫌なので、気付いたときには中を洗うようにしている。と言っても洗腸という程大袈裟なものではなくて、申し訳程度。指でほじくり出すくらい。それでもずいぶん違う。でも、こうして洗っているときも、妙な感じだよな。何をやっているんだろうって思う事がたまに。そう、これはヴィンセントの為にしていること、だけど、何というか。一人でやってるっていうのは、少し、いやすごく、とても、虚しい。二十五の野郎が自分の尻の穴に手ぇ突っ込んで糞ほじくり出してるって、字で書いたの読むのだっていやだ。それに、性感帯でもあるわけで、勃起さして。ちら、と鏡を見ると、気が遠くなりそう。俺は何をしているんだ。

 俺なんて、かなりプライドが高い方だった。比べられるのがキライ、比べられるのなら勝たなければ嫌だ。人を容易に認めたりは出来なかった。誰かに命令されたり、屈服したりするのは、恥ずべきことだと思っていた。実際これは、少年時代にだって持っていた考えだったはず。なのに、こんな風に尻を穿って指を汚して感じてしまうのは、愛情の為せる技か。考えてみたら、ものすごいパワー。ヴィンセント=ヴァレンタインという、たった一人の男の為に、俺はここまでなれるのだ。どうだ。って、自分の愛情を誰に自慢する必要もないけれど、愛してるんだ。 今夜は、いや、今夜も、ヴィンセントとセックスをしたい。そのための下準備だ。ヴィンセントは俺の、たいしてキレイでもない裸をいとおしんでくれる。俺という人間を、すごく上手に満足させてくれる。勿論俺は俺が満足する為にセックスするんじゃない、ヴィンセントを幸せに出来れば、ヴィンセントと一緒に幸せになれれば、そう思って抱き合っている。一緒がいい、のだ。あとで腹の痛い思いをするとしても、一緒になるという証がそこに存在するから、いいのだ。

 誰もが僕たちと一緒で本当に大好きな人の為ならば死ぬことも怖くないと頼まれてもいないのに胸を張って言えるように俺たちは何も特別じゃない。やっていることだって、極めて普通の、平均値の、人間が二人。今日もし雪が降っていても明日降り続いていたとしても明後日積もっていたとしても僕らが寒い思いをするにしても隣にいる人間がまず、風邪をひかないか、熱を出したりしませんように、そのことを考え合う。そうして、二人とも考え過ぎて風邪をひく。弱ったな弱ったなと言いながら、笑ってる。ごくあたりまえの、人間、俺たちが人間、ジスイズア人間。俺たちは愛し合う人間だから、やり方を磨いてゆけば、どんなふうにだって成長する訳だ。そして、それは祝福されるべくして、生まれ来る、方法技術感情言葉。

 幸せになろう僕らは大丈夫幸せになれる誰かのことを幸せにしようとしているそんなひとが幸せになれないならどんな神様だって信じたりなんかしないだからどんな神様にだってお願いしようどうかどうか君が幸せになれますようにどうかどうか、君が、幸せになれますように。

ヴィンセントが、乱暴な俺をときどき抱きしめて、その背中をさすりながら、昔よく、そう言った。俺が幸せになれた。ヴィンセントも幸せになれているはずだ。すくなくとも、神様は、そういうふうに計らってくれたはずだ。

何というか、精神偏重というかな、そういうのにくみしたくはない。心と身体に大差はない。裏腹なんて、どんな腹だよ。少なくとも俺は嫌なことはしないし好きなことしかしない。その「好きなこと」というのが、誰かを幸せに、限定的にヴィンセントを幸せにすること、なら何の問題もきっとない。素直っちゃ素直、解りやすく訳せば我が侭。だけど、俺はその感情がもろ身体に出てしまう。感情と身体というのはどうしたって切り離せないものであるからして、どっちが重いなんてことはありえない。身体が先立つ感情もあるし、感情の先立つ身体もある。セックスがしたいしたいしたい、そういう風に望んだからといって蔑まれるのはどうかと。そして俺はセックスがしたいしたいしたいしたいっ、こういう風に望んだからといって決してヴィンセントに愛想付かされるとは、思っていない。半分は「困る」とも思うが。

この感情が無ければヴィンセントだって俺にとっては通りすがりのどこかの誰かにすぎない。

通りすがりの男とセックスがしたいと思う女はそうはいないだろう、いるけど、いないと信じたい。。

通りすがりの女とセックスがしたいと思う男はいるかもしれないが。とりあえずおいといて、だ。この感情があって、心の中で勘定を間違って、なにか管状の器官の昇天ラッパを吹いたから、たまったま、広い地球でたまったま、会っただけの人、それこそ、世界レベルで見てどの程度に位置するか分からない心も身体も、の、男に、ぐらぐらぐらぐら、煮えてしまったから、俺は、ヴィンセントに抱かれることが悦びになった。

可能性を考えたら解んないじゃないか。今俺、二十五。あとまだ、十五年から二十年は勝負出来るだろうに。チャンスもいっぱいあるだろうに。のに、それら全部ぶっちゃけて、俺はヴィンセントが欲しかった。ヴィンセントであれば他はどうでもよかった。

愛してると言い飽きない。

……寒くなってきた。掃除を終えたら、早く服を着よう。尻の中がスースーする。熱が欲しい。塞いで欲しい。


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