土曜の夜の夢

 外で裸になるの、だいぶ慣れたんじゃない? 諭良にそう訊かれて、

「……わかんねー」

 と昴星は唇を尖らせて答えた。興奮している間は裸でもぽっぽと身体が火照って汗が滲むぐらいなのに、身体を拭き清めて服をきちんと着て、駅への道を辿る頃にはすっかり冷え切っている。身体からいろいろな形で多様な熱い物を出したから、その分だけ寒くなるのかも知れないと思わないでもないが、いまはとにかく温かいところに入りたい。「おにーさん」ところならお風呂に入れてもらえるけれど、そもそも彼がいないから今日この三人でこんなところへ来て遊んだのだし……、また強い北風が坂を駆けあがって来る。

「うーさみー……!」

 諭良と流斗は「そんなに寒いかなあ」なんて首を傾げている。

「おまえらは外でフルチンになんの慣れ過ぎてんだよ。だから裸でも寒くねーんだろ」

「そんなことはないと思うけど……、ひょっとして昴星、風邪ひいちゃったんじゃないの?」

 諭良が掌を額に当てるが、額が発熱しているという訳でもなさそうである。けれど、身体の芯まで冷えているのも確かで、

「……なー、どっかで風呂入ってから帰んねーか?」

 というアイディアが、自然と浮かんだ。

 さしあたりコンビニが見えて来た。迷わず温かい飲み物を買って、昴星がその缶の蓋を開ける頃には、流斗が「おかあさんに電話したら、『いいよ』って」という返事を貰うところまで済んでいた。

「でも……、この辺にお風呂なんてあるの?」

 案ずるように言う諭良に、

「駅のすぐそばにあったよ。さいきん出来たばっかりみたいな、すごくきれいなお風呂!」

 と流斗が応える。観光地化、というほどでもないのだろうが、都心まで一時間ほどで出られるこの終着駅の街にもそういう施設を作ることで集客しようという試みなのだ。もっとも、こういう話は「おにーさん」に訊いた方が早い。

「早く行こうぜ、寒い」

 昴星は先に立って歩き始めた。

「……ぼく、そういう『温泉』に入るのって初めてだ」

 諭良が、小さな声で言う。不安そうに、ではない。きっと諭良は、はやる気持ちを抑えているのだ。

「ぼく、好きだよ。お兄ちゃんち泊まりに行ったとき、ときどき連れてってもらうよ」

 昴星も温泉は好きだ。流斗が「おにーさん」に連れて行ってもらうという温泉には、才斗と二人でもよく行く。才斗と一緒に行った夜に、流斗を連れた「おにーさん」と鉢合わせたこともある。男しかいない場所であるから、昴星ももちろん恥ずかしさなど微塵もなく、短茎を平気で晒して寛げるのである。

「諭良、勃起すんなよ」

 諭良は「努力するよ」と答えたけれど、それは極めて覚束ない話であった。

 日帰り温泉施設、「浅川温泉」は子供一人四百円。諭良にはどうということもない額だろうが、昴星と流斗にはなかなかの出費である。「今日は愉しかったし、一人じゃ来られないだろうから」と諭良が三人分をまとめて払ってくれた。脱衣所は、土曜ではあるが、もう夕方ということもあってか、混雑はしていなかった。何のてらいもなく裸になって、ところにより丁寧に、おおむね大雑把に身体を洗って、打たせ湯、ジェットバスにサウナ、そして開放的な露天風呂もゆっくりと楽しむ。さっきと同じ空の下でありながら、例えば露天風呂にある寝湯で、股間のぷっくりした「ちんこ」を湯面に浮かべても何とも思わないのが、何だか昴星には可笑しく思われる。流斗も「きもちいいねえ」と微笑んで、和やかな時間を愉しんでいる。

 一方で、愉しむどころではないらしいのが諭良である。諭良は寝湯にはやって来ない。ずっと露天風呂の隅っこで、膝を抱えている。懸念していた通り、やはり勃起してしまっているらしい。だいじょぶかと声を掛けたが、紅い顔で頷くばかり。全く寛げている様子はない。

「気にしすぎだと思うけどなー」

 諭良の隣の岩に、大股を開いて座る。諭良は、はああ、と深い溜め息を吐いて、

「だって……、みんな裸なんだもの……、右を見たって左を見たってちんちんがたくさんあるんだよ……?」

 と嘆く。ああ、自分が見られるというよりは、その光景が公衆浴場初体験の諭良にとっては少々刺激的過ぎるらしい。

「ぼくだって、常識ぐらいある。こんなところで勃起しちゃいけないってことぐらい判るよ、でも……」

 判る。そういうときって、余計にちんこが硬くなっちゃうんだよな。昴星は内心でうんうん頷いた。授業がもうすぐ終わるのに、「おにーさん」との遊びを反芻しているうちにブリーフの中で硬くなった陰茎の熱が全く収まらなくて困ることも多い。

「……じゃーさ、スッキリしちまえば?」

 諭良が目を丸くする。「……どうやって」と小声で訊き返した。

「いろいろあんじゃん、着替えのとこのトイレとか……、あっちのサウナとか」

 諭良は昴星の視線を辿った。室内のサウナは、「ドライサウナ」と書かれていた。一方で露天風呂の脇にも建屋があり、そちらには「薬草スチームサウナ」とある。薬草、はよく判らないが、「スチームサウナ」については、地元のスーパー銭湯にもあるから判る。プシューって水蒸気が出てて、真っ白な煙の中にいるみたいなやつだろ、と。

「あそこだったら、ひょっとしたら見られねーでスッキリ出来るかもしれねーじゃん?」

 諭良は、困ったような顔でトイレのある脱衣所とスチームサウナの建屋とを視線で往復した。

「……一緒に、来てくれる……?」

 その視線は、スチームサウナに向かって止まった。昴星はひょいと立ち上がり、

「流」

 寝湯で心地よさげな流斗を呼ぶ。

「諭良があっちのサウナ入りたいって。行こーぜ」

 ちんこ、タオルで隠しとけ。そう囁いて、一足先に立ち上がる。流斗が「はーい」と起き上がって、全く隠しもしないでぺたぺた歩いてくる。

 諭良は「ありがとう」と泣きそうな顔で言って、股間をタオルで隠して立ち上がった。

 

 

 

 

 諭良にとっては――恐らく――幸運なことに、真っ白に煙ったサウナの中は無人であった。小さな正方形のタイルが敷き詰められた、ソファ型の椅子、……つまり子供の身にはとても座りにくいものに、諭良を真ん中に右を流斗、左を昴星で挟んで並ぶ。

「わー、すごい、諭良兄ちゃんおちんちんびんびん」

 タオルを退かしたところに現れる包茎は、流斗の「びんびん」という言葉がしっくりくる通り、まっすぐ上を向き、いつものように包皮を垂らしているのだった。

「ったく、おまえ人のちんこ見ただけでこんななっちまうのかよ……」

 昴星だって「ちんこ」は好きだが、何の縁もない大人のそれを見たところで身体に変化が顕れることはない。同世代ならば思うところもあるが、大人に関してはただ「おにーさん」一本あればそれでいいと思っているからして。

「ごめん……、ごめんね」

 とにかく、手早く済ませなくてはいけない。今は誰もいないが、誰が入って来たっておかしくない場所だ。諭良だってそれは判っているらしい、自分で自分の包茎を掴んで乱暴に扱き始めたが、

「待って」

 その手を流斗が止めた。

「……ぼくたち二人でした方が、諭良兄ちゃん早く気持ちよくなれるよ」

 それは、そうかもしれない。事実として、流斗の指が諭良のペニスに絡んだだけで、自分で扱く間には少しも漏れなかった声が、

「あっ……」

 小さく、溢れた。

「ほら、昴兄ちゃんも……」

「お、おう。さっさと済ませねーとやべーもんな……」

 流斗が茎を担当するなら、と昴星は諭良の陰嚢を掌で優しく包む。流斗が諭良の右の乳首を啄み始めたのを見れば、それを真似する。……ハーブの香りが漂う空間で、諭良の汗は普段よりもいい匂いがするようだ。しかし舌を当てると、そのつるつるした肌を伝う汗はやっぱり潮っぱい。

「流斗、昴星……っ」

 こうしてみると、……いや、別に今初めて知った訳じゃない、ずっと前から知ってたはずのことなのだけど。

 諭良は、すごく綺麗な男子なのだ。顔も肌もすごく綺麗なのだ。お行儀よくしていればどこまでも美しいままでいられるほど。諭良の裸を見なければ誰だって、この美しい少年がここまで性に節操がなく、また被虐嗜好を持ち合わせていることなど見抜けまい、まして、乳首でこんなに気持ちよくなれるなんて……。

「すごーい……、諭良兄ちゃん、あんなにたくさん気持ちよくなったばっかりなのに、もうおつゆ出て来ちゃってる……」

 諭良の先端を弄っていた流斗が、余り皮を押し込むように人差し指をぐりぐりと動かす。その指を引けば、昴星の目にも諭良の先端から流斗の指へととろりとした液が糸を引くのが見えた。昴星も濡れやすい性質で、ブリーフを穿いたまま勃起した日にはその場所に独特の汚れが付いてしまいがちだが、諭良は包皮が長い分だけ内側にたっぷりと溜まるのかも知れない。

「人、来ちゃうよ……」

 勃起して迷惑を掛けている自覚があるからだろう、諭良は申し訳なさそうな涙声でそう訴えた。乳首を吸うたびに律儀に思えるほどぴくぴく震えてくれるものだから、昴星もすっかりここが何処であるかを忘れてしまいそうになっていた。

「流」

「うん」

 昴星も、フェラチオの上手さには自信がある。「本当にいつも美味しそうにしてくれるね」と「おにーさん」が褒めてくれる。実際「美味しい」と思ってしているから、舌も器用に動くのだろう。けれど流斗も相当に上手なのだ。

「はぷ……、んふふ……、諭良兄ちゃんのおちんちん、オシッコしたばっかりみたいにしょっぱい……」

 口にするなり甘ったるい声でそう囁く。その声が諭良の下腹部にぞくぞくとした震えを走らせるのだということを、昴星は自分の身に起きた経験上、共有できる。すぐさま再び口に含み、頭を動かし始めた流斗の口元でちゅぷちゅぷと鳴る音は、

「は……ぅンっ、んっ……ちんちん……、きもちぃ……、ちんちんいく……っ、ちんちんっ、ちんちんいくよぉ……!」

 諭良の感じ切った声によって掻き消される。さほど時間を掛けるまでもなく、諭良が流斗の口の中へ射精するのは、その胸をずっと吸っていた昴星にもはっきりと判った。

「……あ……、りがとう……、流斗……、昴星……」

 顔を上げて座り直した流斗は「えへへー、諭良兄ちゃんのせーしごちそうさまっ」にっこりと無垢な笑顔を見せる。タオルで股間を隠すということもしない流斗の股間は平時よりほんのり硬くなってはいるようだが、それでも自制心で何とか出来るレベルにあるらしい。

 一方で、昴星はと言えば。

「……おまえら、もう出る?」

「んー、ぼくもうちょっと入ってられるよ?」

 昴星の股間の異変に気付いていない訳でもないだろうが、流斗は微笑んで自分の陰茎を見下ろす。諭良は射精してすぐタオルで隠したが、サイズが元に戻るまでには少しの時間が要るだろう。昴星はずっと腿にタオルを乗せて陰茎を覆っているが、そこにごく小さな突起があることは二人にも見られているだろう。

「……昴星も、……する?」

 してほしい、とは思うけれど、昴星はぶんぶんと首を振った。いまここで、諭良に二人がかりでしたようにされたら、どんなに気持ちいいか……、しかし同時に昴星は想像するのである。そんなことをすれば諭良はまた勃起してしまうし、流斗も後戻りできないほど興奮してしまうに違いない、と。

「五分くらいすれば、……別なこと考えてるうちに、収まると思う……」

 ハーブの熱気に包まれて、深呼吸。別なことを考えていればいい、そうすれば……。

 

 

 

「ひでー目に遭った……」

 結局昴星の勃起が収まるまでには、諭良が射精するまでよりも長い時間がかかった。その間、もちろん諭良も流斗も一緒に昴星の強張りが解けるのを待ってはいたが、ずいぶんと身体が腫れぼったいような気になってしまって、もう改めて入浴をする気にもならない。汗をシャワーで流しはしたが、服を着るのも鬱陶しく、それでもいつまでも脱衣所にいるのも妙で、最低限の格好でロビーに出た。

「あ、ねえねえ、アイスクリーム売ってる!」

 自動販売機を目ざとく見つけたのは流斗で、

「おれはフルーツ牛乳!」

 コイン式ロッカーに使った百円玉を早速取り出して投入するのは昴星。腰に手を当ててぐびぐびと豪快に一気飲みする。ついさっき脱衣所で水をがぶ飲みしたばかりだというのに、相当に喉が渇いていたのだろう。ともあれ、脱水症状に陥らなくてよかったと思うべきだろう。諭良もコーヒー牛乳を買って、二本目のフルーツ牛乳を買って蓋を開けた昴星と、棒のチョコアイスをぺろぺろ舐める流斗と三人、ロビーの隅にあるソファで寛ぐ。

「はー……、やっと汗引いて来た。ったく……、元はと言えばだな、諭良があんなとこであんなことになんなきゃ……」

「だ、だって……」

「でもぼくは普通にしていられたよ? 普通じゃなくなっちゃったの、昴兄ちゃんもでしょ」

 肝心なところは伏せて話をするぐらいの機転はきちんと働く。昴星は「そうだけどさー」と唇を尖らせる。流斗のフォローに感謝しながらも、諭良は思い出すだけでまた鼓動が高まってしまいそうな気がした。……あんな風に、みんな裸、ぼくも裸、……意識する方がおかしいと思っても、「大衆浴場」という空気に慣れていない諭良にとって、右を見ても左を見ても無造作なほどにペニスが見られる環境において平常心を保つというのは難しいのだった。

 この国の人たちはみんな、すごいなあ……。

 自らも半分はこの国の血を引く者でありながら、次々と新しい客が入っては出て行くフロントを見遣る。同性愛者にとっては「ちんちんだらけ」の場所で合法的に好きなだけ見ることが出来るここは、さながら天国かも知れない。そう言えば「お兄さん」もぼくらと会うまでは、時々近くのお風呂に行って男の子の股間を眺めていたって言ってたっけ……。

「あ」

 そんな考えをぼんやり転がしていたところ、視界に知った顔が入って思わず声が出た。その声に導かれるように、

「あん?」

「あっ」

 昴星と流斗が諭良の視線を負う。

 女湯から、見知った三人組が姿を現したのだ。向こうは向こうで、

「あっ」

「え」

「あー」

 こちらに気付いて、そんな反応を示す。同じクラスの女子三人組、東葵と神谷砂南と千賀那月である。

「なんでー、諭良くんに流くんに鮒原じゃん! なんでこんなとこいんの?」

 駆け寄って来た葵は、普段ツインテールにしている髪を下ろして、少々淑やかに見える。

「うるせーな、そっちこそ何でこんなとこいんだよ」

 昴星は彼女たちにいつだって喧嘩腰、一方で彼女たちは昴星に意地悪だ。それでいて三人が昴星のことを好いていることを、諭良はよく知っている。彼女たちは自分とも親しく話をしてくれるが、話題はしょっちゅう鮒原昴星のことへと飛ぶのだから、それは明らかである。

 彼女たちはまた、流斗のことも大好きに違いない。

「こんばんは、おねえちゃんたち」

 彼女たちにとって流斗は、言うなれば「天使」なのだ。それは「お兄さん」が諭良たちに向ける言葉と非常に意味が近い。流斗はこの三人に望まれるまま、自分のブリーフの中を披露している。そんな流斗を、可愛く思うことは仕方がないに決まっていた。

「流くん、こんにちはー」

 のんびりとした笑みを浮かべて、砂南が流斗の髪を撫ぜる。土曜の午後、意外なところで昴星や流斗と会えたからだろう、彼女たちは揃って嬉しそうだった。流斗も嬉しそうだし、昴星は昴星で、満更でもない様子ではある。

「三人は、ここによく来るの?」

 諭良の言葉に、

「今日が三回目だっけ。近いし、まだ子供料金で来れるうちにいっぱい来とこうって」

 答えたのは那月だ。

「流くんたちも来てるって知ってたら、流くんこっちに入ればよかったのにねー」

 葵が笑って言う。

「こっち?」

「女湯。流くんだったらだいじょぶでしょ」

 バカ言え、と昴星が呟く。一方で諭良は、流斗ならば確かに平気かも知れないと思う。流斗は諭良のように見られて勃起することはないし、なにより彼女たちは流斗のブリーフの中にはすっかり詳しくなっている。加えて実年齢よりも幼く見える流斗は、女湯に入っても騒ぎにはならないだろうし。

「諭良くんも、もうちょっと背が低くて髪の毛長かったりしたら大丈夫だったかもー」

 砂南がいつもの通りの暢気な声で言う。冗談じゃない、そんなことになったら……、慌ててぶんぶんと首を横に振った。

「アホなこと言ってんなよ、……ったく、ほら流、諭良、もう風呂入ったから帰ろうぜ」

 昴星が牛乳瓶を返却箱に置いて、二人に向けて言う。

「あれ? 鮒原たちもう帰るの?」

「だって、風呂入ったもん」

「お風呂だけー?」

「風呂と、あとサウナにも入った。嫌ってぐらい入った」

 流斗が首を傾げて、

「お姉ちゃんたちはまだ帰らないの?」

 と訊く。葵が「せっかくだからさ、流くんだけでもあっちであたしたちと一緒に入って行こうか」浴場とは反対側の壁を指差して言った。

「一緒にって……」

 混浴、という文化があることは諭良も知っている。まさか本当に流斗が問題なく同衾できる場があるのだろうかと、一瞬驚いたが、

「諭良くんは『岩盤浴』って知らない?」

「岩盤浴……、ああ……」

 確かに葵が指差した方には、「岩盤浴受付」とある。「あたしたち、いっつもお風呂入った後ここで一休みして、それから岩盤浴入ってから帰るんだ」と彼女は教えてくれた。岩盤浴なら、なるほど、男女同衾はそれほどおかしいことではないだろう。

「……要は、サウナだろあれも」

 昴星は気の進まなそうな顔をする。ついさっきまで上せるほど味わった熱室に、また改めて入りたいという気は湧かないのかも知れないが、

「ぼく、ちょっと入ってみたいかも」

 流斗が意見を表明した。女子三人は元々そのつもりでいる。ここで諭良が何と言おうと、多数決は既に結論を出している。ここで「おれは帰る」と強情なことを言うのではなく、

「……ったく、しょーがねーなー」

 と立ち上がるのが、昴星のいいところであるし、きっと女子三人に好かれる理由でもあるだろう。

 昴星は、基本的にはいい子なのだ。いつでもちょっと乱暴な態度を取りはするけれど、その根は優しくて、愛されるのが当然の子である。その上、顔も、諭良が知る限りいちばん可愛らしい。黙っていれば女の子のようにさえ見える。女子三人はきっと昴星の、そういうところにも惹かれているはずだ。

 

 

 

 

 昴星が軽率な少年であることを、諭良はある程度は知っているつもりなのだ。ぶつぶつと面倒くさそうに向かった岩盤浴で、自分たちのグループ以外にも数人――ほとんど女性だ――いる中で横たわったとき、「途中で気分の悪くなった方はそちらからご退室下さい」と言われていたのにも関わらず、多分昴星の胸の裡には「暑いのガマンできなくなって女子より先に出るなんていやだ」という考えが浮かんでいたのだろうと思う。

 結果として、

「……だいじょぶー?」

 砂南が、横たわる昴星に呼び掛けるが、「うー」という言葉以外返答はない。それがどの程度、昴星の理性に基づいて発された言葉かは判らないが、先程この簡易ベッドの部屋に至るまで、汗だくの昴星はほとんど自分の足では歩けず、諭良が片方の肩を貸しもう片方を那月が支えたのである。サウナで十分すぎるほど熱された身体は岩盤浴が終わる頃にはすっかりユデダコ、それでも「救急車を呼びます」と言った浴場のスタッフに向けては、「いい、っす、だいじょぶ」という、筋道の通った言葉を返した。

「昴兄ちゃんの着替え、持って来たよー」

 流斗が昴星の鞄を更衣室から持ってやって来た。昴星は岩盤浴用の上下別れた浴衣の上を肌蹴た格好で横たわっている。その滑らかな胸や腹に、先程から諭良と砂南は代わる代わるタオルで風を送っている。心なしか、先程より少し顔色がよくなり、眉間に寄っていた皺も浅くなって来つつある。きちんと自分の足で歩けるようになれば、家に帰れるだろう。

「ごめんね、あたしたちのせいだ……」

 普段、葵と一緒に昴星と程度の低い口喧嘩を繰り返す那月がしおらしく言う。男子のように髪の短く、夏場は男子よりも真っ黒に陽に焼ける活発な女子だが、根は優しい。

「大丈夫だよ、昴兄ちゃんきっと気にしないよ」

 昴星の鞄を置いた流斗がにっこりと微笑む。もちろん流斗だって優しい子で、それは諭良もよく知っているし、彼女たちもそれゆえに、流斗を「お兄さん」がそう思うように天使のようだと思うに違いなかった。

「諭良くん、あたし代わるよ」

 葵も二人と気持ちは同じなのだろう。諭良の手からタオルを取ると、はたはたと昴星を甲斐甲斐しく仰ぐ。諭良は先程買って来たペットボトルの飲料の蓋を開け、「昴星」と呼びかけるが、返事はない。薄く開いた唇からは、規則正しい吐息が零れている。あるいは、苦しみの時間は過ぎ、安らかな眠りへと変わったのかも知れない。

「貸して、諭良兄ちゃん」

 流斗が諭良の手からペットボトルを受け取る。どうするのかと思ってみていたら、それをひょいと口に含み、そのままその唇を、昴星の唇へと重ねた。

「りゅっ……」

 小さな声を漏らしたのは那月だ。

 三人の女子も、諭良も、呆気にとられる中、意識のない昴星は舌へと齎された冷たく甘い液体を、こく、こく、小さな喉の音を立てて、飲み下した。流斗は四つの視線に、少し照れたように、

「だって、こういうときはお水飲まなきゃ……、ね?」

 と笑った。

「ぼく、昴兄ちゃん大好きだもん。昴兄ちゃんに早く元気になってもらいたいし……、ね、お姉ちゃんたちも、諭良兄ちゃんも、昴兄ちゃんのこと大好きでしょ?」

 三人の女子は、……葵と砂南はタオルで昴星を扇いでやることも忘れて、顔を見合わせる。それから、誰からともなく、小さく、ごく小さく、流斗の言葉に首肯した。

「……っていうか、鮒原、すごくバカだし、うるさいし……」

 それは、葵の言葉だった。

「でも、鮒原くんすごく可愛いんだよねー、見てると、すっごく楽しいし」

 これは砂南の言葉。

 そして、

「……ぶっちゃけ、何かさ、流は判らないかもだけど、あたしたちぐらいになると、女子とこんな風に仲良く出来る男子って、鮒原ぐらいしかいないし」

 唇を尖らせて言ったのは、那月だ。

 これは、すごくいいことだ。

 とても、とてもいいことだ……。

 感動さえ覚えていた諭良は、しばしの沈黙を挟んで三人が揃って「でもでも、カッコいいのは諭良くんだからね!」「そうそう、諭良くんは頭もいいし背も高いし」「そうだねー」諭良に向けてのフォローを口にしたのを見て、少し可笑しいような気持ちになった。

「ぼくも、昴星のことは大好きだよ。本当に、本当に大好き」

 これは、心の底からの素直な言葉だ。昴星が幸せでいてくれること、それはそのまま、諭良が幸せであることにも繋がる。それは紛れもない真実である。

「……今の、鮒原聴こえてないよね?」

 那月が昴星の顔を伺った。完全に寝入っている。汗も少し引いたようだ。

「うーん、起きてたとしても照れくさくて『起きてる』って言えないんじゃない?」

 流斗の言葉はもっともだ。この聡明な少年の言うことは、いつでも大体的を射ているものだ。

 が。

「あ、そうだ、ぼくいいこと思いついたよ」

 この天使のようで、実際天使そのものであろうかと思われるほど透き通った少年がそういう類の言葉を口にするとき、俄かに恐ろしく思えることもまた、事実。

「昴兄ちゃんがほんとに寝てるかどうか、確かめる方法」

 いたずらっぽく笑う流斗が、何を口にするのか。諭良は俄かに鼓動のスピードが速まるのを覚えずにはいられない。

 この子のアイディアは、いつだって諭良を、昴星を、側に居る人間を幸せにするためだけに齎される。しかしそれが一見して「そう」だと確信するには至れないのは、少々問題である。仮令、流斗が昴星の内面まで――すなわち、彼が潜在的にどう在りたいかということまで――熟知していたとしても、当人の許諾なしでそれを決断することには……。

「昴兄ちゃん、起きてる? 寝てる? 起きてないなら、昴兄ちゃんのズボン脱がせちゃうよー?」

 女子三人が、息を呑んだ。

「ね、おねえちゃんたち、昴兄ちゃんのおちんちんって見てみたくない?」

 答えはない。

「あのね、ぼくいつもおねえちゃんたちにおちんちん見せてあげてるの。男の子の身体のお勉強って」

「りゅ!」

 それは、一応諭良には秘密の、昴星だけが管理する情報ということにはなっているはずだ。三人が反射的に声を上げたが、諭良は少しだけ考えて、

「その……、流斗がそういう風に、見せるの好きってことは、知ってるよ。……そうか、君たちも見せられてたんだね」

 苦笑して言うことを選んだ。流斗が諭良にだけ見えるようにウインクをして見せた。

「そ、そう、そうだよ、あくまでその、勉強だから……」

 空虚な言葉が並んだが、諭良にはそれはさほど意味を持たない。彼女たちが流斗のペニスを興味津々で見詰めていたこと、代わる代わるに写真に収めていたことは、既に昴星からも聴かされているし、自分にもう少し勇気があったらなあと思いながら諭良自身、流斗にそういう遊びに付き合わせてもらったことがある立場なのだ。

 それよりも今は、昴星のペニスが流斗の手に拠って彼女たちの目に詳らかにさせられようとしていることが問題だ。

 いや。

 果たしてそれが「問題」なのかどうか、諭良には判断出来ない。昴星自身、「そういうシチュエーション」を潜在的に望んでいたことを否定はしない。だからこそ諭良もまた、昴星がその愉悦に少しでも浸れるように、今日も含めて野外露出を教え込んで来たのだ……。

「おねえちゃんたち、ほんとはぼくのだけじゃなくって昴兄ちゃんのおちんちんだって見たかったでしょ?」

 全てを把握して流斗は言う。三人から返答はない。そうだとしても、それは彼女たちにとっては認めてはいけないことだろうから当然だ。

「それにね、ぼく思ったんだけど、暑いときはズボンもパンツも脱いじゃった方が涼しくってきもちいいんじゃないかなあって。……ね、諭良兄ちゃん、パンツ穿いてると暑いよね」

 諭良も、何も言えない。

「あのね、男の子にしかないところのことだからおねえちゃんたちはわからないかもだけど、パンツの中ってすごく暑くなるんだ。でもパンツ脱いで、タマタマのとこが涼しくなると、身体ぜんたいが涼しくなるんだよ」

 それは事実だ。玉袋周りが涼しいと、本当に身体全体が爽快になる。風通しの良さ、その一点においてのみ、ブリーフよりもトランクスは秀でているのかも知れない……。

「……待って、流斗」

 意を決して、諭良は流斗を止めた。いや、「止めた」のかどうかは、正直なところ判らない。

「昴星が知ったら、きっと怒るよ」

 流斗は既に昴星のズボンに指を挟んでいた。緩いゴムのウエストで、それを脱がせることは流斗にも容易だろう。

「バレたら、怒られちゃうね」

「バレたら……」

「うん。……諭良兄ちゃん、ナイショにしててくれる? もちろん、おねえちゃんたちも。おねえちゃんたちは何も見なかった、って。ぼくもおねえちゃんたちが昴兄ちゃんのこと大好きで、おちんちん見てみたいって思ってたってこと、ナイショにしておくから」

 それは、鮮やかな口車だった。三人の女子たちは自分の秘密を担保に昴星のズボンの中を見ることが出来る。昴星のペニスが仮に、……小さくて、丸っこくて、流斗のよりも幼い印象で、ある種の滑稽さを伴うものであるとしても、それはこの場だけでのこと。

 逆に、昴星のことを「好き」と思っていることや、そのペニスを「見たい」と願っていることなおを昴星に知られる訳には行かない彼女たちにとって、この取引に損はない。

「だから、今日これからのことは全部、ぼくたちだけのナイショ、昴兄ちゃんにも、他の誰にも言っちゃダメ。もちろん、おねえちゃんたちのお友達のおねえちゃんたちに言うのもダメだよ?」

 諭良が、補足する。

「昴星の、プライベートな部分のことだから、本当に絶対内緒だよ。もし誰かに言ったら、ぼくも……、三人が流斗のパンツの中を見せてもらってるって話を、ここだけのことにはしておけなくなる」

 三人が、ほとんど同時に頷いた。……これで、いい。これで昴星のペニスが三人にとってどんな印象を与えるものであったとしても、大丈夫。

「ゆびきりげんまん」

 流斗がにこにこ微笑んで、小指を差し出す。一番に流斗と小指を結んだのは、砂南だ。

「げんまん。……鮒原くんの、ほんとに見れるんだよね」

「うん、昴兄ちゃん寝ちゃってて気づかないもん」

「そっかー……」

 代わって流斗と小指を結んだ葵が笑う。「砂南、ずっと鮒原の見たいって言ってたもんねー」

 砂南は、それを否定しなかった。こくんと頷いて、「でも、葵ちゃんだって見たいって言ってた」

「だってさ、あたしと那月は見てないのに、砂南だけ見たことあるのなんてズルいじゃん。ね、那月」

 葵に続いて、那月も小指を結ぶ。彼女は頬を赤らめて、頷きも首を振りもしない。ただ緊張していることは確かなようだ。流斗が、「砂南ねえちゃんと葵ねえちゃんはたくさん見たがるけど、那月ねえちゃんは恥ずかしがってあんまり見てくれない」と言っていた。だからこの間は、昴星が促したこともあって、流斗は彼女にペニスを摘まませて扱かせることまでしたのだと。どれだけ渋ったのかは知らないが、結局のところ彼女がそうしたのは、彼女自身、異性の性器に対して強い興味を持っているということの証左であろう。

「じゃあ、まずズボンからね。昴兄ちゃんが起きないように、そうっとね」

 流斗が、横たわった昴星の腰にゴムで留まる館内着のズボンに手を掛ける。男子用は水色で、諭良も流斗もまだそれを着ている。一方で女子三人はもう着替えた後だ。

 昴星。

 心の中で呼び掛けるとき、諭良は緊張を催しつつも、自分がもしその言葉を声に出したなら、きっと優しく響くだろうということを自覚した。

 昴星、これから昴星のちんちん、女子に見られちゃうんだよ。

 流斗が慎重な手つきで、そうっと、そうっと、昴星のズボンをずらしていく。三人の目にはまず、昴星の穿いた白無地のブリーフのウエストが露わになる。

「あー、ほんとだ……」

 砂南がそう口にした。ほんとだ、とは? 諭良の視線に答えるように、「あのねー、流くんが、鮒原くんも同じパンツだって言ってて」

「ねー、割とちょっとびっくりした。その……、流には似合ってるけどさ、こういうパンツってぶっちゃけ……、ちょっとダサくない?」

 それが、同世代の女子の感覚なのか。諭良は少しく驚いて、反射的に自分のズボンに手を当てた。それに目ざとく、那月が気付く。

「え、……諭良くんも、なの?」

 ブリーフが好きで、誇らしささえ抱いて穿いているのに、「ダサい」と言われるとは思っていなかった。小さく頷いて、「その……、だって、穿きやすいんだ、他のより」と唇を尖らせて言う自分の声に、何だか言い訳するような響きが伴ってしまった。クラスでもブリーフを穿いているのは自分と昴星と才斗の三人だけである。

「こういうパンツの方がおちんちんしゅっとして穿いてて楽だと思うよ」

「しゅっとして……」

「ほら……、その、トランクスとかだと、揺れて……」

「それにおねえちゃんたちだってぼくらと同じようなパンツ穿いてるんでしょ?」

 そういうものなのだ、と納得してもらうしかない。下着など、本来人に見せるものでもない、あくまで機能本位で在るべきだから、「ダサい」という尺度で計るのは間違っている。

「おねえちゃんたちは、昴兄ちゃんがこういうパンツだと好きじゃなくなっちゃうの?」

 ウエストゴムはすっかり晒されている。そこから伸びる前部の縫い目の始まりが覗けていた。三人の視線が再び昴星のブリーフへと集まったことを確認してから、流斗が再びゆっくりとズボンを引っ張っていく。

 縫い目が、更に伸びる。白い生地の半ばほどまで至ったところで、諭良は声を上げそうになった。実際に「あ」と声を上げたのは葵だったけれど。

「……何か、黄色くない?」

 もちろん、失禁した後のブリーフを穿いている訳ではない。ただ、男子である以上、そして男児である以上、その幼い形状ゆえに尿がブリーフの前部を黄色く染めてしまうことは避けがたい。

 それを、三人の女子たちが予め了承していたとも思わないが。

 そもそも、昴星はオシッコの水滴について基本として無頓着だ。まして、こうして女子に見せることを前提としていた訳でもない。あるいは、今穿いているこれを「お兄さん」にプレゼントするつもりさえあったのかも知れない。そういうとき、昴星はわざと尿を染み込ませることさえあった。

 何にせよ、全部に五百円玉大の黄色いシミが浮いたブリーフを晒して昴星は眠りこけている。そうこうしているうちに、流斗は昴星のズボンを丁寧に足から抜いてしまった。

「男の子だもん。ぼくのパンツだっておちんちんのとこ黄色かったでしょ?」

 流斗が言い、諭良を見た。三人の視線が自分に向いたのが判る。

「……ぼく、も、そうだよ、男子は……、みんなそう。白いから目立つってだけ」

「でも、流のこんなに汚れてなかったよね……?」

 葵がポケットから手帳型のケースに入ったスマートフォンを取り出して開く。すいすいとスワイプした結果まもなく出て来るのは、パンツ一丁でカメラに向かって笑顔を向ける流斗の姿で、次の写真はそのブリーフの股間を大写しにした物だ。砂南がそれを覗き込んで、

「ほんとだー、鮒原くんのほうがおっきいね」

「鮒原ってこんな汚いパンツ穿いてたんだ……」

 その声が、昴星の耳に聴こえたのか。

「んぅ……」

 眉間にしわを寄せて、昴星が一度、呻きながら身を捩った。薄く唇を開けて、閉じて、……右手を股間に当てる。

 起きてしまった。

 と、諭良が思ったのだから、当然のように三人の女子たちも思っただろう。一瞬で空気が凍り付いた。しかし昴星は股間に当てた手で自分のささやかな膨らみを一二度触ったかと思ったら、顔の向きを変えて、また規則正しい寝息を立て始めた。

 昴星の深い眠りは、まだ醒めなかった。

「……びっくりしたー……」

 砂南が安堵の吐息を漏らす。くすっと流斗が笑う。一瞬、視線が諭良に向いたようだが、それが意味するところは諭良には判らなかった。

「おねえちゃんたち、撮らないの?」

 流斗は視線を諭良から外して、三人に訊いた。「昴兄ちゃんのパンツ見れるの、今だけかもしれないよ? おちんちんも」

「で、でも……」

 那月が戸惑ったように言う。葵は既にカメラを起動させて、一枚、二枚と昴星の黄ばんだブリーフの撮影を始めていた。砂南もすぐにそれに倣う。「鮒原、きっと怒るよ、こんなの……」

「でも、許可なんて取れないっしょ」

 葵がもっともなことを言った。「それか、今から起こして鮒原に『ちんちん見せて』って那月、言えるの?」

 言えるはずもないことは判っていた。結局、躊躇う素振りを見せながらも、那月もスマートフォンを取り出して、遠慮がちにシャッターを切る。

「流くん、早く」

 砂南が流斗にせがんだ。「鮒原くん起きちゃう前に」

 にこ、と流斗は微笑んで、「うん」と頷く。

「おねえちゃんたちみんな見たいって言うから、昴兄ちゃん、おちんちん出しちゃうよ?」

 昴星は返事をしない。先程の動きは何だったのか、再び深い眠りの中へ沈んでいるようだ。

 シャッターの音に混じって、ぽん、と電子音がした。葵が写真から、動画に切り替えたのだ。

「い、いいよ、流、脱がしちゃって」

 葵の声は少し上擦った。那月はもちろんとして、こくんと小さく頷いた砂南も含めて、緊張を催しているようだ。その隣で、突っ立っているだけの諭良ももちろん緊張している。これが自分だったら……、どんな気持ちだろう? 同級生の女子たちに、自分のパンツの中を……。

 黙りこくった四人の前で、流斗がブリーフに手を掛ける。

 と。

「……え? 何の音?」

 葵がきょろきょろと周囲を見回す。

「うそー……」

 砂南が、

「マジで? え、……マジで?」

 那月が、その音の正体に気付いて唖然とする。

 諭良は、何も出来なかった。

 流斗は昴星のブリーフに掛けた手を止めて、昴星の顔を伺っている。

 昴星は、一瞬浅い皺を眉間に寄せてから、「んん……、んー……」緩んだ吐息を吐き出しながら、身体を弛緩させている。

「え、ええ……っ、鮒原オネ」

 葵の上げ掛けた声の大きさに「葵ねえちゃん」鋭く流斗が声を飛ばした。「しー」と響き渡る音によく似た音と共に、人差し指を唇に当てる。

 独特の、……諭良や流斗にとってはある種の芳香だが、三人にとってははっきりと鼻を衝くはずの臭いが漂い始めた。

 白い生地の中央を僅かに黄ばませているだけ、……そう、それだけだった昴星のブリーフは、股間部分から濃い黄色がじわじわとその面積を広げて行く。彼の横たわるビニール張りのベッドに収まり切らない程の量の液体が、リノリウムの床へと零れる雫の音が、ブリーフの中から響くくぐもった音と合奏になった。

 昴星が、ブリーフの中で大量の尿を放出している。

 諭良は、自分の心臓の音がうるさいほど聴こえた。喉の辺りで鳴っている。昴星、……昴星、オネショしちゃってる、昴星、女子の前でオネショしちゃってる……。

「昴兄ちゃん、起きないね」

 流斗はくすっと笑って、昴星の顔を覗き込んだ。「さっきお水飲んだからかなあ? お風呂上がりにもたくさん牛乳飲んでたし」

 那月のシャッターの音は止まった。しかし、砂南と葵のスマートフォンは依然として動画を撮影し続けている。足を緩く開き、寝ながらのオシッコを見せびらかした昴星は、ブリーフの濡れた感触もまるで気にならない様子で規則正しい寝息を再び立て始めた。昴星のオネショが治らない理由は、この眠りの深さにあるのかもしれないと諭良はぼんやりと思う。

 硬直した三人の女子の傍らで、諭良は我に返って自分のバスタオルを広げ、ベッドから零れた水たまりをさっさと拭いて行く。

「秘密だよ」

 諭良は、自分でも案外に落ち着いた声が出た、と思った。

「昴星がこんな風になっちゃったのは、昴星が悪いんじゃないんだから……。ね?」

 凍り付いていた三人が、我に返ったように床を拭く諭良を見た。流斗も自分のタオルで、ベッドの上をてきぱきと拭く。

「いいお勉強だよねえ」

 流斗は相変わらず朗らかだ。「おねえちゃんたち、ぼくがオモラシしちゃったあとは見たことあるけど、こんな風にオネショするとこは見たことないもんね。ふふ、昴兄ちゃんもきっとおねえちゃんたちのこと大好きなんだ」

「あ、あたしたち、のこと……?」

 戸惑った那月に、「うん」と流斗は頷く。その続きは、諭良が話した。

「君たちが、……『お勉強』をしたいって思っている気持ちに、昴星はこういう形で応えたって言うことも出来ると思う……。その、これはすごい、アクシデントだけど」

 びしょ濡れになったタオルを袋に入れて、諭良は立ち上がった。

「昴星、いっぱい出ちゃったね。でも、きっと我慢してたんだ……、すっきりしたなら、よかったと思う」

「うん、オシッコガマンするの身体に悪いもんね。……でも、昴兄ちゃんぼくより二個も年上なのにオネショしちゃうなんて、ちょっぴり恥ずかしいね」

 ちょっぴり、どころじゃない。生き恥と言ってもいい。しかしその言葉が呼び水になったように、

「びっくりしたー」

 と砂南が溜め息交じりの声を出した。

「マジで、うん、びっくりした……。こんなに起きないんだねー……」

 蒼褪めていた葵も、どこか安心したような笑みを浮かべる。

「っていうか、臭い」

 少し顔を顰めて那月は言ったが、それは決して忌避を表明するものではない。それが他の二人にとっても同じであることは、誰も鼻を摘ままないということからも確かなようだ。

「葵ねえちゃんと砂南ねえちゃん、昴兄ちゃんのオネショ撮った? ……那月ねえちゃんは撮らなくてよかったの? もうパンツ脱がしちゃうよ?」

 言われて、那月が、「と、撮る、撮る撮る」慌てて何枚もシャッターを切った。

「昴星、どんな夢見てるのかな」

 諭良は、からからに乾いた口の中を潤すためにスポーツドリンクを一口飲んで、呟いた。「夢の中でトイレ我慢してたのかも知れない、でも、トイレ見付けて……」

「ガマンたくさんしてたなら、オシッコしてすごくすっきりしてるよね」

 流斗が頷いた。「ぼくもオネショのとき、夢の中のおトイレでいっぱいオシッコして、すごく気持ちいいもん」

 同意を示すのは、ひとまず今は、やめにしておく。

「赤ちゃんみたい」

 葵が笑って、少し申し訳なさそうに「あたしたちのせいな部分も、あるけど……」と肩を竦めた。

「鮒原くん、可愛いもんねー」

 砂南の笑顔は葵のそれよりももっと和やかだった。彼女が昴星に向ける視線は、流斗のそれに向けるものと同じ、年下の幼い少年を見るものだ。

「普段はこんな風にオネショしないんだよね、きっと……」

「さあ、どうかなあ」

 本当は、している、流斗よりも諭良よりも頻繁にしているし、オネショをされると都合が悪いような夜にはオムツをしている……、しかし流斗はそれをはぐらかす。

「六年生にもなってオネショとかフツーしないでしょ……」

 那月の言葉に、くすっと流斗は笑った。「でも、昴兄ちゃんはしちゃったよ、おねえちゃんたちの見てる前で……。ひょっとしたら六年生でオネショする男の子っていっぱいいるのかも……、ね?」

 一瞬、流斗の目は諭良に向いた。しかしすぐに流斗は指を、昴星のブリーフのウエストゴムに挟んで、

「昴兄ちゃん起きちゃったら大変だから、いまのうちに……。びちょびちょのパンツも替えなきゃだし」

 再びその股間へ、三人の視線を呼び寄せる。弛緩していた空気に、また一抹の緊張が走った。

「昴兄ちゃん、パンツ脱がすよー、いつまでもオネショパンツじゃ、悪い夢見ちゃうもんね。脱いだらおちんちん拭いてあげるからね……」

 眠る昴星に向ける流斗の言葉はほとんど幼子に対してのそれだ。その滑らかな喉が紡ぐ言葉を昴星に聴かせたらどういうリアクションを取るだろうか……? 想像するだけで胸が震える。

 諭良はもう随分前から勃起していることを自覚していた。自分のペニスを晒す代わりに、昴星が女子の前で、そのブリーフの中に隠し持ったものを……。

「いくよー……?」

 焦らすように、流斗が三人を順に見回す。葵がこくこくと頷いた。三人とも――つまり、消極的かに見えた那月も含めて――スマートフォンのカメラを昴星の股間に向けている。

 その焦点で、じりじりと流斗がブリーフをずらしていく。

 昴星の湿った鼠蹊部、足の付け根の線がはっきりと覗けた。

 やがてブリーフのウエストゴムに、足ではない線が四つ、……すなわち、陰嚢と陰茎がそれぞれ左右に刻んだ線が、はっきりと表れた。恐らく、その瞬間三人はほとんど呼吸することさえ忘れていたのではないか。諭良も弾む鼓動を堪えるのに精いっぱいだった。

 とはいえ。

 その時間はほんの一瞬。

 葵も、砂南も、そして那月も、彼女らのよく知る「ちんちん」のそれに比べて、陰茎の付け根から伸びる二本の線が晒されてまもなく一つに収束するとともに、その全容を明らかにするに至ったことに、呆気なさを覚えたかもしれない。

 彼女たちの馴染んだ「ちんちん」の持ち主は、言うまでもなく牧坂流斗、昴星よりも二歳年下の少年である。

 一方で今こうして晒された、自身の失禁尿でまだ湿っぽい陰茎は、彼女たちと同じ六年生である昴星のものである。

「……えっ」

 と那月が声を漏らすのも無理はあるまい。「……え、え? これ、鮒原の……?」

「ち……、っちゃくない? ちっちゃいよね、……流とそんな変わんない……?」

 毛の生えている者もいる、皮の剥けている者もいる、……六年生にもなれば男子の陰茎とはそれぐらいの成長を経た後であるというのが、彼女たちの共通の認識であったろう。だからこそ彼女たちは流斗の陰茎を観察するのみに飽き足らず、同い年である昴星のブリーフの中に興味を持ったに違いない。

「そうかなあ……? 才兄ちゃんのよりはちっちゃいと思うけど、諭良兄ちゃんのとそんな違う?」

 急に話を振られて、一瞬、言葉とはぐれた。その余白を、

「昔見たのと、あんまり変わらないかなあ」

 彼女たちの中で唯一、昴星のブリーフの内側を見たことがある砂南が、埋めた。

「さ、砂南が見たのも、こんなんだったの……?」

 葵の問いに砂南が頷く。

「でもあのときよりはおっきいと思うよ、だってあのときは流くんのよりももっとちっちゃかったし……」

「そりゃ、だって、その、そのときって、二年のとき……」

 那月も昴星の陰茎への驚きの方が先立っているらしい。

「……ぼくも」

 掠れた声で、諭良はやっと言った。「毛は、生えてないし、皮も剥けてない、よ。学校で見る限りだと、そういう、その、大人っぽい形してるのは、半分もいないぐらいじゃないかな……」

 それがどの程度昴星の陰茎にまつわる名誉をカバーする言葉だったかどうかは自分でも判然としない。ただ事実として並べたに過ぎない。

「そう……、そうなんだ、そっか……、へーえ……、へー……」

 葵は納得したようなしていないような、曖昧な頷き方をした。那月が遠慮がちに、一枚、二枚と昴星のペニスを写真に収めて行く音に我に返ったように、「……なんか、もっとこう、偉そうなのかと思ってた」と言いながらも、スマートフォンを昴星のペニスに近付ける。

「でも、これぐらいのほうが逆にいいかもー」

 砂南が笑みを浮かべて言う。

「だって、あのね、わたしのなかで鮒原くんのおちんちんってこうだし、……それに、大人なのにオネショしちゃったら、ちょっとかわいそうって思った」

「あー……、それもそっか……」

 砂南は色々な角度から昴星を撮っている。その寝顔も含めて、彼女にとっては好ましいものであるらしい。一方で葵は那月と一緒になって、ブリーフを脱がされ足を崩して股間を晒す昴星を撮影することに夢中になっていた。

「ねえ、……二人とももう、臭いのは平気なの?」

 訊いた諭良に、葵と那月が顔を見合わせる。

「……臭い、のは、臭いけど……、何か、慣れた、かも……」

 思い出したような顔になって、那月が答える。

「っていうか、今はあんま気になんないっていうか……、やっぱ、びっくりした、鮒原のちんちん、こんなだったんだーって。うん、砂南が言ってたとおりだね、鮒原にはこれぐらいのが似合ってるかも。なんか逆にね、鮒原がさ、オネショするくせにちんちんに毛とか生えてたら生意気だと思うし」

「うん、……これぐらいでちょうどいい気がする」

 オネショという醜態を晒したうえで、陰茎に好き勝手な批評を浴びせられながらも昴星は未だ夢の中。まだまだ目覚めそうにない。しかしタオルを手にした流斗が、「そろそろ、昴兄ちゃんのおちんちん拭くよ。オシッコまみれだから、しっかり拭いてあげなきゃ。そしたらたぶん昴兄ちゃん起きちゃうと思う」女子たちに向けて言った。

 三人が、名残惜しそうな視線を昴星の股間に今一度向けてから、それぞれに撮影を終了した。

「ぼく、昴兄ちゃんのこと拭いといてあげるから、諭良兄ちゃん、その間にお姉ちゃんたちのお見送りして。昴兄ちゃんが起きたら、お姉ちゃんたちは帰っちゃったよって言っておくから」

 昴星はそれを疑いはしないだろう。いや、流斗のことだ、きっと新しいパンツを昴星に穿かせてあげるに決まっているから、オネショをしたことだって気付かないままかも知れない。諭良がするべきは、もう一度きちんと三人に、秘密を厳守させるよう確認することだ。

「わかった。……三人とも、行こう」

 諭良が促すと、三者三様趣は異なるものの、満足したように頷いた。

 

 

 

 

「いいかい? 今日のことは、本当に、絶対に秘密だよ」

 受付ロビーまで来たところで予定通りの言葉を口にした諭良に、三人は嘘のない眼をして頷いた。のみならず葵は、

「っていうか……、バレたらヤバいの、鮒原だけじゃないし」

 罪を自覚したような顔で言う。それは当然、そうだろう。それだけのものを昴星は見せたし、この三人はそれを見たのだ。

「でも、……なんだろ、鮒原くんには『ありがとう』って言いたいかなー」

 砂南は、嬉しそうに微笑んで言う。「ずっと、見たいねって言ってたの、見れて、嬉しかった。ね、なっちゃん」

「そっ」

 甲高い声を上げて、真っ赤になった那月は、口籠って、「そう、かも、しれない、けど」唇を尖らせて、不器用な言葉を零した。

 三人は、幸せになったのだ。昴星の陰茎、当の本人は、「オシッコのガマンが下手」とか「ちっこい」とかいろいろコンプレックスを抱えながらも、見る者触れる者口にする者全てを幸せにしてきた、それはこの三人にしたって例外ではなかったということだ。

 もちろん、それは本当は昴星自身にとっても幸せなことであるはずなのだ。

 羨ましいぐらいに……、幸せなことであるはずなのだ。

「もし」

 舌が、ひとりでに動いて、言葉を紡いでいた。

「仮に、だけど」

 その言葉を口にすることの正しさは、この言葉を自分の耳で聴いた後も、諭良には判らない。流斗のように鋭く頭が回る訳でもないし、多分に私利私欲が絡んでいることも否定はできない。

 だが。

「……昴星がもし、三人に『見てもいいよ』って言ったら、きっと三人は今日よりももっと安心して昴星の……、を、見られるよね」

「えー、言う訳ないじゃん鮒原がそんなこと」

 葵の言う通りだ、昴星が本当はどれほどそれを望んでいたとしても、自ら口にするようなことが有り得るはずが。

「でも、……今日のは、昴星が寝てる間の……、言っちゃえば、アクシデントだったけど、三人は本当はずっと昴星のを見たかった、訳だよね。……だったら次は、三人がきちんと頼んでみたらいいんじゃないのかな。ほら、流斗にだって、最初は昴星が君たちに見せたんだろうけど、それ以降は流斗に、ちゃんと『見せて』って言ったんじゃない?」

 いや、それはどうだろう? 流斗のことだ、頼まれるまでもなく「見たい」という気持ちを敏感に察知してズボンとブリーフを一緒くたに下ろしていたかもしれない。

「……鮒原くん、『いいよ』って言ってくれるかなあ」

「それは、三人の頼み方次第じゃないかな。……ほら、三人は、……ぼくもだけど、卒業したら昴星とはもう会えないでしょ? 昴星だってそれは判ってるし、三人のことは大好きだって思ってるはずだよ。だから、きちんと頼んだら、上手く行くかもしれないよ?」

 三人の間に、そんな風に上手く行くだろうかという不安と、それでももう一度、さっき目にした愛らしいペニスを、今度はきちんと昴星の許可を得た上で見たいという思いとが交錯するのが手に取るように諭良には判った。それほど求められていると知れば昴星だって、最後の一枚を自ら脱ぎ捨てることだって可能かもしれない。

 しばらく黙り込んでいた三人の意見を、

「……相談してみる」

 葵が代表した。うん、「それでいいと思うよ」と言おうとした諭良よりも先に、

「っていうか、諭良くんは?」

 葵が続けざまに、言った。

「え」

「諭良くん。流のはたくさん見たし、鮒原も今日見たし、あとはほら、せっかくだから諭良くんのも。ね、そうだよね、諭良くんのも見たいよね」

 このとき、諭良のペニスは力を喪っていた。昴星の側を離れ、三人を見送りにロビーまで出て来るまでの間には、ちゃんと言うべきことを言うのだという考えが頭を満たしていたから、勃起する要素など何一つなかった。

 しかしこの瞬間、ちくりと針のように刺激が走ったのを、諭良は確かに覚える。

「ぼ、ぼくの、……を?」

「うん、諭良くんのも見たい」

 砂南も頷く、那月も、二本見たなら三本も一緒と言うように強く頷く。

 全身が、かっと熱くなった。

 見たい、と言ってもらえるなら、……幾らだって!

 そう叫び出したい気持ちを、どうにか堪えることが出来たのは、周囲に人の目がある……、ただその理由一点のみだったろう。

 言葉とはぐれた諭良の耳に、ほぼ同時に三つのメール着信音が響いた。遅れて諭良の館内着のポケットの中でもスマートフォンが震える。

「流から……、あ!」

 メールを最初に開いた那月が声を上げて、慌てて口を押える。「えー」「ヤバいヤバいこれヤバい」砂南と葵も鋭い反応を示す。

 恐る恐る開いた諭良は、メールに添付された画像を見て、ブリーフの内側に少量、尿を漏らした。

 半身を起こした眠たげな顔の昴星のペニスに、流斗が空のペットボトルを宛がい、そのボトルの中に放尿させている写真だ。昴星は自分の放尿を流斗に任せきりで、なぜ流斗がそんな様子を内側カメラで撮影しているのかも判らないまま、ただ眠気と尿意に任せている。

 その昴星のペニスは勃起している。しかしそれが三人に把握できるかどうかは判らない。

 メール本文には「おまけ」とだけ書かれていた。

「……判ってると思うけど」

 震え上擦りそうな声をどうにか抑えながら、諭良に言えるのは、「絶対に、絶対に内緒だよ、いいね?」

 三人が頷くのを確認するなり、男子の個室に駆け込んで、がちがちに強張ったペニスの熱を解放すること。あっという間に射精して、個室の壁の高いところにまで精液を飛び散らせてから、震えながら思うのは、……自分の中に、羨ましい、という気持ちが膨れ上がっていることだった。


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