僕らが知らなくてはいけないこと

タカハシ先生と校長先生が、分厚い本の、数字の一杯並んだ頁と睨めっこをしている。その睨めっこの、ヴィンセントが加わり、俺とクラウドは三人の睨めっこの勝負の行方をどきどきしながら見ている。

やがて、校長先生が、動いた。

「……仕方ありませんな」

タカハシ先生も頷いた。校長先生は「ニブルヘイム小学校学則」を閉じた。

「今のままでは、多少無理が無いとは言えません。ですが、クラウド君の場合、二月三月休んでも、学校生活に支障が出るとは思えませんな。子供たちは寂しがるかもしれませんが、まあなに、少しの辛抱ですな。あとの事は私たちにお任せ下さい」

見事なロマンスグレー、校長はにっこり笑うと、クラウドの頭を撫でた。

「ちゃんと君が付いて、お兄さんを助けてあげるんだよ」

校長室に入る時はいつも、少し緊張気味だ。クラウドはこくんと頷いて、遅れて慌てたように「はい」と。お父さんが深々と頭を下げた。

「お手数をおかけして、申し訳ございません……」

「いいえ。どうぞお顔をお上げになってください。これぐらい何でもありませんよ。それよりも、お兄さんのお体の方が心配です」

四人の視線が俺に向けられた。

俺は取ってつけたような笑みを浮かべる。

「いえ……あの、ええ、大丈夫です、なるべく早く、よくなれるよう、努力します」

ヴィンセントの瞳がくらぐらと燃えている。そのことに気付かず、校長がタカハシ先生に、今日の学級活動の時間にクラウドがしばらくニブルヘイムを離れる旨を皆に伝えるよう指示した。

「……しかし、ウータイとはずいぶんと……、こう申しては何ですが、辺鄙な所ですな」

何せ、飛空艇使って行くような「遠足先」だ。温泉が湧いたとは言え、まだまだ知名度は低い。

「ええ。ですが、あそこの温泉は関節や筋肉の機能回復に特に効果があるとの事ですし、観光客が少ないというのはそれだけ湯治に専念出来るという事ですから。ゆっくり、しかしなるべく早く、帰ってまいります」

「首を長くして待っていますよ。この村の者は皆、あなたたち家族の事が大好きなのですから」

「……光栄です」

ほんとに。

「本当に、ご迷惑をおかけいたします……。では、失礼します」

ヴィンセントが俺の腕を取り、ぐい、と引きあげた。

「い……。……すいません、……失礼します」

「お気をつけて。……お兄さん、何はともあれゆっくり休む事ですよ」

「はい……、い、いた、おい、……父さん、もっと、丁寧に」

「お兄ちゃん……」

「クラウド、お前、こっち、ささえ……たっ」

七転八倒の俺の様子を先生方はハラハラしつつ見守る。慣れない父さんって台詞に舌を噛んでしまいそうになりながら、俺は腰から来るビリビリに、見事に翻弄されていた。

 

 

 

 

一応って事で保健室から借りてきた松葉杖だが、腰痛にはあまり効果が無いらしいという事が解かった。結局、あまりに痛いものだから、家までの帰り道は何年かぶりに、「父さん」におんぶしてもらった。ずき、びし、そんな音を、腰が立てている。 俺の身体に、生まれてから初めての異変が起きていた。

少年時代、「抱かれる」という立場ゆえの腰痛に苦しめられていた。とはいえ、それでも抱く側がまだ、ある程度の配慮をしてくれていたから、このような悲劇的状況に身を落とす結果にはならなかった。だが、あの頃の蓄積、そしてもう十年近く前になる戦いの日々、更にはその後の爛れた性生活。要因はいくつも重なり、ある夜突然、俺を襲ったのだった。

「……んっ、んぅ、あん、ざぅ、っくす、…ザックス、んっ、いい! あ、そこぉ!」

その数日前までクラウドを抱けないでいたものだから、俺はその夜も、激しくクラウドを貪っていた。クラウドのお尻がいっそ壊れてもいいくらいのつもりで、強く強く、腰を振り、快感を追っかけて、愛して。

声にならない声を短く発して、到達した瞬間だった。俺は、何かを掴み損ねた感触を射精しながら覚えていた。そして、かみ合っていたはずの歯車が、カタンと音を立てて外れ、俺が気持ちいいって感じ終えた頃には、噛み合わないまま回り出したような、そんな感じだったのだ。俺は、クラウドを腹の下に敷いたまま、顎をベッドに着き、動けなくなってしまった。

「んざ、ざっくぅ……おもたいよぅ」

「…………」

背中の中に、麻酔針を何本も刺されたみたいになって、俺は、声も出せないでいた。

「ざっくすぅ……」

「……ぐ」

クラウド、ヴィンセントを呼んでくるんだ、そんな簡単な台詞を言うのに、掛け値なしに二分かかったという事実から、俺がその時どういう状況だったのか解かってもらえると思う。俺が何を言っても「うぐ」とか「いぎ」しか言えなかったものだから、一分三十秒時点で、クラウドは半ベソだった。俺がどうにかしちゃったんじゃないかって。いや、実際どうにかなってたんだけど。クラウドが俺の中から這い出して、すっぽんぽんでもなりふり構わず、悲鳴交じりにヴィンセントを呼びに行ったあとも、俺は背中を丸め腰を前に押し出した変態臭い体勢を保たざるを得なかった。ヴィンセントが横倒しにした時なんて凄惨で、――そうそう出るもんじゃない――俺は字面通り「ぎゃあ」と叫び、シーツを握り締めて、泣いた。

「腰、痛いよぉ、ヴィンセント……、腰が、痛いぃ……」

「…………」

全裸のクラウドの尻を拭く事よりも、俺の救出を優先してくれたのは有り難かった。

「イカれているな」

暫しの触診の後、彼はそう断定した。手のひらをかざし、俺の背中から尻にかけての刺々しい痛感を和らげてくれる。俺はようやく身体から力を抜いた。しかし、まだ薄皮に包まれた刃のような痛みが消えない。ちょっと無理なことをすればたちまち、薄皮を破いて痛めつけられそうな危うさを感じていた。

「心当たりがありすぎて解からんだろう」

俺は何も言えない。 あえて書く必要もないだろうが、数日前まで俺は、馬鹿げた理由でクラウドを抱いていなかった。理由の反芻は、もうしない。それによってクラウドに寂しい思いをさせ、俺も激しくクラウドを求めていた。

再び出会ったガソリンに塗れた身体は、抱き合う事によって発火、すさまじい勢いで燃え上がった。実際、再会以後のクラウドの身体は危険なまでの色香に包まれており、肌は俺に吸い付くよう、坩堝の中は俺すら溶かしてしまいそうで、セックスに踊り狂う淫獣だった。俺に爪を立てて、何度でも到達し、また終末を求めなかった。俺も単純にそれが嬉しくて、空っぽになるまでならいくらでも、って気持ちで応じ、求めた。その結果、普段は二回のところが三回になり四回になり。……最後の晩にいたっては、一度に六回。クラウドは一体何回いったのか。出せば出すほど、妖艶な舞いはより巧みに、磨きがかかっていくように思えたから、俺は半ば病的にクラウドを抱いていた。 盲目的に、使命感に駆られてのペースアップ。

「その結果が、これだ。……立てるか?」

首を振るだけで、薄皮が破れそう。

かくして、クラウドを学校へ連れて行く事はもちろん、一人では風呂にも入れないようになってしまった俺だ。トイレには辛うじて行ける、これにはちょっと、本当にホッとしている――クラウドに連れてってもらうなんて、さすがに泣けてくるから――。一人で家にいても、ただベッドの上に身体を丸めているだけしか出来ない。しかもヴィンセント曰く「私の魔力で治すのは不可能だ」とのこと。痛みを緩和させることは出来ても、根本的に治療するにはそういう分野の知識が必要なのだそうだ。

「どうすれば、治るの? ザックス、痛いのやだよぉ」

クラウドが俺の背中をさすってくれる。嬉しいんだけど……、むしろちょっと痛い。

ヴィンセントは心配そうなクラウドと、苦悶する俺と、二度ずつ見つめ、眉間を親指で押さえた。一度、何かを言いかけて、いやいやって感じに打ち消す。

「なぁに?」

「…………」

ヴィンセントは長く細いため息を一つ吐いた。 ゆっくり言いはじめた言葉が少し擦れていた。

「緩やかに治す方法が、無いわけではない。ただこれを実行に移すためには、学校を長いこと休まなければならなくなるだろう。そして……」

ちら、と視線を送られた。

「ことによっては、腰痛よりも痛い結果を見るかもしれん。……耐えられると言うなら……。クラウド、お前は少し出ていなさい、話が終わったら呼ぶから」

 

 

 

 

離着陸のショックを最低限に抑える努力を、彼はしてくれた。こんなに丁寧に扱ってもらって、裏に何かあるんじゃないかと思うほどヴィンセントは優しい。これから俺が味わうかもしれない試練を、少しでも軽減してくれているのだ。

「大丈夫か?」

「……うん」

「顔色が優れないな、気分は」

「あまり、よくない」

俺と比して、クラウドはもう五メートル前で、「早くぅ」なんて言ってる。

「……バチが当たったんだ」

俺はうめいた。

「クラウドの笑顔が見たいなんて思ったから。……今も見せてくれてるよ、クラウドのやつ、あんまり……嬉しくないのは何でだろう」

真っ正面のダチャオ像が、俺たちを歓迎していた。浴衣姿のひとたちとすれ違いながら、俺はどんどん憂鬱になっていくのだった。

ジャミルやアルベルトと「おみあげ買ってくるからね、帰ってきたらまた、サッカーしようねっ」ってあれだけ固い握手を交わした割には、クラウドは何だか浮き足立っていて、俺はとてもとても悔しい。ジャミルたちにチクってやろうかなんて考えてしまうのは心が狭い証拠だろうか。

俺たちのはるか前方、冬の浴衣姿の、……半年と少しぶりの姿を見つけ、は複雑な微笑みを浮かべていた。何を言われても辛くない積もりでいたのに、辛い。俺の決意なんてどうせそんなものだ。説教される子供はうつむいて、しゅんとなるばかり。クラウド、お前はこんなお兄ちゃんをどう思う? 情けないと思うんなら笑ってくれていいんだぞ、このあいだみたいに。

「んっとにもう、絵に描いたような自業自得だね!」

解かってる。自分が分かってる事をあえてもう一度言わないでくれ。悲しい苦しい腹が立つ。

「……まあ……、コイツも反省しているのだ。そう責めないでやってくれないか。それよりも……、宿を手配してくれた事に感謝する」

ヴィンセントが頭を下げる、ユフィは明るく笑う。

「気にしないでよ。どーせ暇なんだし。……そう。もっとお客さん来るかと思ったんだけどねー、せっかく温泉湧いたのに。来るのは湯治客のじーちゃんばーちゃんばっかりでさ。なんていうの、経済効果? あれ殆どなし。若いお客さんがくるかなーって思ってたら、その逆でさ。考えてみりゃ、ダチャオ像に温泉、しかもあちこちで『ウータイ桜まんじゅう』とか『五強聖力うどん』とか『ダチャオ人形焼』とかさ、そういう幟が立ってるのって、ダサさ最高潮、でしょ。なんか、どう考えても若者ウケしないんだよね」

ユフィは一気に喋り、また笑った。

「まあ、でも、いいよそれは。それでも昔に比べりゃお客さん来るようになったし、元々の『五倍』って目標には全然届かないけど、それでもプラスではあるわけだし。月に一度くらい、ミッドガルからツアーでくるひとたちもいるしね。そういうお客さんたちは必ず、温泉は行って、うどん食べて、まんじゅうか人形焼きか買ってってくれるから。そうそう、ミディールにもあると思うけど、うちにもあるんだ、ほらあれ、嘘っぽい山菜の漬物とかなめこの瓶詰めとか。でも結構美味しいから、アンタたち、好きなだけ持ってってよ、夕食の時にも一緒に並べさせるから、食べて」

「そう、か。それはともかく」

ヴィンセントは強制的に長くなりそうな観光局の苦労話を断ち切った。まだ何か言い足りなさそうなユフィだったが、ふとクラウドの視線が外の景色に向けられている事に気付き、ちょっと反省したみたいだった。

「お前の話からすると、温泉は空いていると見ていいのだな?」

「うん。えっとねー……、湯治に来てる老夫婦が一組、それからどっかのおじいちゃんが若い子連れて来てるのが一組、……だったかな。ガラガラだけど……でも、ご飯どき以外は大体どっちかはお風呂の中いるみたい。あ、でも大丈夫だよ。うちは広さだけは自慢できるからね。クラウドもゆっくり入れるから」

「ああ。なら、いいのだが」

「じゃあさ、クラウド、お風呂入ろうか。また一緒に」

「うにゃっ」

「…………」

輝く笑顔、煌く瞳。

「……ザックス、……風呂に、入るか」

「……うん」

こちらは老人会のじいさまのごとく、腰を歪めてえっちらおっちらと。どうせ追いついたところで、クラウドの裸(そしてついでにユフィおねえちゃんの裸)は拝めないのだから、いいのだ。しかしそう考えたところでまた浮かんできてしまうこの微妙な感傷は何に寄ってか。冬の湯治場の持つ独特の雰囲気ゆえかもしれなかった。空は薄曇り、雪が降りそうな気配。冷え切った空を湯気ごしに見た空は、硫黄の香りだった。

きゃあきゃあと声を上げる少年と小娘あわせて二匹を尻目に、俺はヴィンセントに手を借りながら、肩を出して湯に浸かる。

「〜〜〜〜〜〜〜ッ」

「あ」と「が」、どっちかと行ったら後者に近い声が出る。腰骨の髄まで、温泉の成分が染みてゆくようで、ちりちりした。はーっと息を吐いて、目を閉じる。

「酒でも飲みたい雰囲気だな。不謹慎だとは思うが」

髪を上で束ねたおじさんは言う。目を開いてもう一度上空を見ると、一欠片の白い埃が舞った。

「……雪見酒か」

風流だ、とは、なかなか……言い難い。

俺はただ湯の中で、成分が浸透するのを待つだけだ。湯治とは退屈なもの、しかし、どこかで、少しは慣れたところではしゃぐ二人も気にならなくさせる鎮静効果があることは、疑いようが無かった。 気にしないようにしよう。そう、ユフィはクラウドと、遊んでくれているんだ。俺は本来湯治に来た腰痛持ちなのだから、クラウドの相手が出来ない。したいって言ってくれても、だ。だからあんな風に……「やっ、おねえちゃん、んっ、あついよぅ!」「だっらしないなぁ、男の子なんだから我慢我慢!」って、一緒にいてくれてるのには感謝しなくてはいけない。

「なあ、湯治って……、聞いてるか?」

「ああ。……どうした」

「湯治って、どれくらいの期間が必要なんだ?」

「……さあな。性質から考えても、そうすぐ効果が表れるものでもなさそうだが」

「一週間くらい?」

「そう甘いものでもないだろう」

「二週間?」

「どうだかな。ただ、事前に学校を、三学期残り全て棒に振るというつもりだったことを思い出せるなら、答えは自ずと導き出されるだろう」

「……」

その間、ずーーーーーと、クラウドとえっち出来ない?

……前回の「数日」など足元にも及ばぬ長さの、禁欲月間?

そんな殺生な。

俺の腰をそっと撫でて、湯を当ててくれるヴィンセントは、安心しろ、と。

「……お前が望むなら、あの子に変身してやっても構わない。黒猫ではなく、トラ猫、金髪で、あれほど美しい毛並みの、な」

「優しいんだな」

「彼女の前で思う存分暴れられるか? お前は」

無理。

「彼女に発散を頼めるか?」

……絶対無理。

「休戦調停を結ぼう」

何だかここのところ、この人とのキスの回数が増えている。喜ぶべきか、悲しむべきか、微妙なところだ。


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