7, 7, 7.

 

 

柔らかな羽根、若しくは彼自身の後ろ髪のようなキスを、呼吸を呑ませ合いながら、幾度も交わす。執着するように右手で頬を耳を左手で脇を胸を腹を摩り、確かに与えた熱が小さな身体の中で根付くのを見届ける。ぷるりと震えて、恥ずかしげに俺にすがり付いてきた小さな頭を、優しく撫でて、足を伸ばして寝そべって、リラックス。

「……ふぅ」

この心地よい疲れ。まるで一仕事終えたみたいな。 仕事だったら嫌だけどな。

「気持ちよかったよ、クラウド」

言うと、ちょっとだけ俺の胸に爪を立てた。でも、喉の奥で鳴る幸せの笛、猫って、本当は犬以上に素直。耳を撫でてやれば、その笛の音はエスカレートして、俺に伝染する。痛みや快感は伴わなくても、つながっている、こんなにすぐに、心がうつる。幸せな病気。

「好きだよ、クラウド」

俺の言葉に、首筋に頬擦り。

「あいしてるよぅ……」

その声が微かに震えて掠れている。

やっぱり、猫だ。

何だか穏やかな嬉しさに包まれて、俺は優しく、抱き締めた。クーラーをかけている、風邪を引かないように、同じ匂いのタオルケットを肩まで上げる。

「おやすみ」

「……おやすみ……」

「何だ、一回で寝てしまうのか、面白くない」

とんでもないところから声がして、俺たちは文字どおり跳び起きた。声の所在を探ると、稲光のように部屋の灯かりが点り、入り口の扉の脇に立つヴィンセントの姿が照らし出された。

「な、何やってんだよ……」

完全に心を素っ裸にして寝る体勢に入っていたところで、いきなり声がしたら心臓が止まるほどビックリする。クラウドは俺にぴっとしがみ付いたまま、心臓をかけ回している。

ヴィンセントは澄ました顔で、ポケットからパン、と一つクラッカーを鳴らした。またクラウドが体を強張らせる。

「オール7フィーバー、おめでとう。お前たちは世に言うバカップルだ」

「はあ?」

ヴィンセントは俺のリアクションに満足気に笑うと、先日、俺がクシャクシャにしたはずのピンクの棒グラフを、ぺらりと出して見せた。ここからは見えないけれど、細かな数字が一杯ふってあって、何だか面倒くさそうな計算式まで。ヴィンセントは一つ咳払いして、偉そうに解説を始めた。

「私の計算によると、お前たちは生まれてからこれまで、ほぼ一日に二・四回、交わっていることになっている。もっともコレは、私がこの家に住み始めてからの数字と、生まれてから私が来るまでに交わされたと予想される値を計算し、加えたものであるから、多少の前後はあるだろうが……、だが、或る程度は信頼出来る数字だと思われる。そしてその数字は、今日、さっき、お前たちが交わした一回で、ちょうど七百七十七回目ということになるのだ」

俺が唖然としてしまうと、ヴィンセントはフン、と、

「ちなみに、私はまだ二百回にしか達していない。クラウドの『割合』からすれば、五分の一にも満たない数字だ。如何にお前がクラウドを占有しているか分かる」

と言った。

寝かかっていた所を、そんな下らない理由で起こされて大いに気分を害し、俺はシッシッと手を振った。

「馬鹿馬鹿しい。これからだって、千回だろうが一万回だろうが一億回だろうが、繋がるんだから良いじゃないか」

「そ、そんなにもたないよぉ」

「確かに、あと百五十三回繋がれば一千回、メモリアルセックスだ」

なんて阿呆な造語だろうか。せっかくクラウドで満ちていた俺の心の中が、汚されたような気さえする。取り戻す為に俺は、クラウドをきゅっと抱きしめて髪の匂いをたっぷり嗅いで、そのままベッドに横たわった。

「出てけよ」

と言い捨てながら。

「何だ、せっかく祝福してやったのに。つまらん息子だ」

祝福というよりも、単純に「もっと私にもやらせろ」と言いたかっただけじゃないのか? いじけたようにヴィンセントは灯かりを消して、出ていった。足音が遠ざかっていく。

「……うにゃ……」

戸惑ったように、クラウドが一つ鳴いた。

「気にするな。いつものことだよ、ヴィンセントの変態は」

「ザックスだって変態のくせに……」

「じゃあ、同じ体と心のお前も変態だな?」

「う……」

こんな風なじゃれあい、今では俺たちは、本当の恋人家族友達、…みたい。

「変態同士、仲良くしようよ」

「…………俺、変態じゃないもん」

じゃあ、変態を移してあげよう。ぎゅっと抱きしめて、キスをして。結局それでぐるぐるし出すのだから、俺と同類という事実は否めない。大丈夫、クラウドは変態でも、可愛いよ、愛してるよ、側にいるよ、だから大丈夫。俺だって変態だろうけど、お前が居るから大丈夫、なんだから。

やってること、でも、考えてみたら正しく「変態」としか言いようが無いんだろうな…。俺はクラウドの肩まで、再びタオルケットをかけてやりながら、一人苦笑した。だって、落ち着いて考えてみれば今だって、常軌を逸してるってことは解かってる。いくら肉体年齢が六つくらい年下だからって、それでも自分とまったく同じ顔同じ声即ち同じ自分自身を「恋人」として扱って、くわうるに七百七十七回もセックスするなんて! 変態でなければ、最低最悪のナルシストだ。鏡に映った自分の姿を見ながら毎日二・四回ずつオナニーしてるようなものだ。

自己弁護をするなら、そう、クラウドは俺の双子の弟。近親相姦っていう奴だ。俺はクラウドを、プライベートでは弟とは見ないし、今まで兄弟がいたことなんてないから解かんないけれど、近親相姦の心理っていうのはいまの俺の抱いている気持ちに近いのかもしれない。自分と同じだから、いい? いや、待て。むしろ俺は、クラウドが俺と全然違って無垢だから良いと思ってる。ザックス、セフィロス、ルーファウス、ヴィンセント…と、男の恋人に何度も抱かれていくウチに、摩滅してしまった俺の純情を、この子は抱いている。それがたまらなく魅力的なのかも。でも、だとしたら、俺はやっぱりナルシストじゃないか。

そもそも……、初めてのとき、何で俺はこの子を抱けたんだろう?

 

 

 

 

 

 

生み出してしまったのが最初の過ちであり、そして幸せの種だった。

最初は、でも、本当に、俺は泣きそうだった。

「ひっ、ぐぅっ、えぐっ、っぅっ、っく」

泣きじゃくる赤ん坊のような、真っ裸の、……俺を見て。

俺が昨日の晩、一人大乱闘をした時に倒してしまった本棚、その中から溢れ出た夥しい数の書物の山の中腹付近に、それは居た。世界で多分、数人しかいないであろう超・特徴的なヘアスタイル(これはね、一応、天然パーマみたいなもんなんだよ)、どう見たって十歳とか十二歳くらい、つまり俺に照らせば十四十五くらいの体つき、そして、そう、俺は一回瞬きをした、嘘だろ?

そう、思った。

その子供の頭の両脇…、ちょうど、俺たち人間の「耳」という感覚器官の生えている部分に、矢鱈と毛深い三角形の突起物が外に向かってぴんと生えていたのだ。……あれは一体なんだ?一体なんだあれは?俺は自分の中で二三回繰返しながら、そして次に気付いた。子供の背中の後ろで、ぷるぷると震えている、毛羽立った、棒のような、棒にしてはちょっと柔らかそうな、もの。あれは? ……そして、よくよく見れば、彼が膝と膝の間に挿んでる手、肘から先、何か手袋のようなものをしてはいないか?

どれもまぁ、黄金色と茶色の毛が、もさもさと生えていて……。

そう、そこから俺が想像出来たのは、「トラ猫」だった。その事を把握した時、俺の頭の中は、中途半端に芽を出したたくさんの思い付きがぐるぐる回っていた。まず最初に「無かったコトにしてしまおう」、そして「とりあえず服を」とか「暖かいミルクを…っていうか」「え? え? ……猫? 猫??」「あ、赤ん坊なのかこれは。でも俺と同じ髪型顔声」「しかし……猫耳って……ネコミミって……!」などなど。

そして、それらが凝り固まって一つの形になって、俺に呟かせた。

「宝条の……クソバカ野郎……」

だけどその時の俺の、気持ちの整理の付け方はなかなか、冷静かつ的確であったと自分でも思う。早いところ決断をしなければいけない、俺はそう判断すると、すぐにその猫耳俺の所に駆け寄った。散らばる重たい本をかき分けて、裸のすぐ前まで達する。鼻を紅くしてボロボロ泣きじゃくるその子供の俺は、俺を見上げると、怯えたように、一層鳴き声を高めた。しっとりと、恐らくは試験管の中の培養液によって濡れた肌は、見るからに傷付きやすそうで、実際所々、学術書の角で付けたと思しき傷で、紅くなっている。 俺はゆっくりと跪いて、街角の野良猫にするように、ゆっくり、恐る恐る、手を伸ばしてみた。

警戒心の強い野良猫たちは、たいていこちらが何らかのアクションを起こすと、瞬時に向きを変えて逃げ出す。しかしこの体では、そんな風に逃げ出したって、すぐ捕まえて問いただす事は出来るだろうと考えたのだ。って、……問いただす?

一体なにを。

鳴いてばかりいるこねこさん?

「うにゃぁあっ」

馬鹿な事を考えていたせいで不意をつかれて、深々と刺さった爪。猫は逃げるどころか、伸ばした剥き出しの俺の腕にしがみ付いてきた。ぶつぶつと何箇所も、爪で皮を破って。思わず手を引っ込めて、余計に傷が深く深く、なる。俺は「ぎぃっ」と食いしばった歯の隙間から悪魔のような声を上げた。爪を抜くために、俺はその腕をぐっと引っ張った。すると猫は、その勢いに乗じて、俺の体に更にしがみ付いてきた。シャツの上から背中にぐっと爪を立てて、引っ付いて来る。

「っ、ちょっ……、待て……ってぇっ」

泣きじゃくりながら、猫は俺の背中にまた新しい傷を深々と創っていく。俺はどうする事も出来ず、「ぎゃあ」と喚く。唯一出来た努力は、それ以上猫の体を動かして傷を深めないようにするために、ただその体を抱えたこと。だが、それもどうやら逆効果だったらしく、一層力を込めて来るだけだった。 俺は涙を浮かべながら出来るだけゆっくり立ち上がり、そおっと、そおっと、震える体を無理に押さえつけて、俺の即席ベッドである手術台へ、運ぶ。ぎゃんぎゃん泣く。

体をそっと引き剥がし、ゆっくりベッドに座らせ、急いでシャツを脱いでみると……、見事に、絵に描いたような引っ掻き傷が。このシャツはもうだめだ。

「ええと」

とりあえず、目についた毛布を、肩にかけてやる。つまらないことに心配が行くものだ、自分でも不思議だ。ただ俺は、「裸だからな」と、その時はそう思った。

「お前はどこから……、っていうか……喋れるのか?」

泣いてばかりじゃ、解からない。猫は、だが、泣きながらも、一つ奇妙な行動に出ていた。俺が一歩身を引くと、怖がるように、手を伸ばして来るのだ。

「……ん?」

俺が、引っ掛かれないよう用心しながら手を伸ばすと、今度はさっきのように急に、ではなく、そっと、俺の腕に手を回してきた。柔らかく、少し冷たいような肉球の感触が、奇妙な感じだった。

……寂しがって、る?

赤ん坊だとしたら、そうか、母親もいないで……、それじゃあ、寂しいには決まってるか。

いや、俺はこの子の母親のつもりは、毛頭無いんだけど。

トロトロに濡れた目で、接触を請うように俺を見上げて来る。傷の消毒もしたかったけど、仕方なくその隣に座った。すると、猫は俺の胴に腕を回し、ぎゅっとしがみ付いた。どうやらその体勢が一番落ち着くらしい。しゃくりあげる声が徐々におさまっていく。

「っ……く……、っひ、っく、っ……」

そっと、俺は三角形の耳に、手を伸ばしてみた。ぴっと体を緊張させたが、そっと撫でると、すぐに脱力した。猫を飼った経験は無いけれど、大体分かる。耳の根っこの辺りを掻いてやればいいんだろう? 俺は指先で、あまり力を入れずにそこを弄ってやる事にした。すると猫は、有り難いことに、完全に泣き止んでくれた。ふぅふぅと、泣き疲れたような息をして、俺のヘソのあたりに顔を押し付けて、しまいには呼吸とともに喉を鳴らし始めたのだ。

「……おい、寝るなよ」

言葉が通じる可能性は見た目からすると六十パーセントくらい。だけど、俺は通じなくてもいいやくらいの気持ちで、言った。 で、返事が返ってきたのにはやっぱり、「六十パーセントくらい」期待していたくせに、ビックリした。

「……ね、ない、よぉ……」

少し呂律が怪しい、変声期前の少年の声。 自分の声は、解からない。だけど、多分これは俺の声なんだろう。 俺はその瞬間、感動に近い気持ちを抱いていた。

俺が呆然としていると、俺モドキ猫は、臍に埋めていた顔をあげた。ちょうど、膝枕のようなカッコで。

「……こわい、よ」

「え?」

「こわいよ、……こわいよぉ」

不安げな瞳に、また湿っぽい光が宿りそうになる。俺は思わず、作り笑いを浮かべて、訊ねた。

「な、にが? ……何が、怖いんだ?」

俺猫は、悲しげに首を振った。

「わかんないよ、こわい、かなしい……、さびしい……わかんないよ…」

生まれたときの記憶なんて誰にも或る訳が無い。だけど、誰もが泣き叫ぶ誕生の瞬間に感じているのはきっと、産道を抜けた劇的な疲労と、そして、それまでは胎内の鼓動に揺られて母と共に居たのに、臍の緒までも切離されて、生ずる途方も無い寂しさであり、広大な世界に一人捨てられた悲しみであり、それらによって生じる恐怖感なのだろう、俺は生まれて始めてそんなことを考えていた。

「……わかんない?」

「……こわいよ、……いたいよぉ」

「痛い……? ……どこが?」

「わかんない……、わかんないけど、こわい、わかんなくて、こわいよぅ」

全く要領を得ない。けれど、生まれたばかりの赤ん坊に理路整然とした答えを求めるのは明らかに間違っている。「夜泣きがうるさい」なんていう理由で赤ん坊を殺す母親がいる、「言う事を聞かない」からと言って虐待する父親がいる。俺はきっと、そんな人間にはならないだろうと、思った。俺は、俺の中の父性本能、そして男だからといって無いはずはない母性本能に従って、今度は作り物じゃない、笑顔を浮かべていた。

「……大丈夫だよ。……怖がらなくても、大丈夫だから泣くな……、な?」

「……だい、じょうぶ」

「俺ここにいるだろ?恐くないよ。な……、俺、ちゃんとここにいる。寂しくなんてないよ。側にいてやるから、安心しろよ」

無責任な言葉の羅列でも、あとで本当にしてやればいいと思った。俺はだから、あれから一年以上経った今も「ちゃんとここに」「側に」いる。 ただ、その時は今のように、この子が俺の、生涯の恋人になるだなんて、思ってもいなかったけれど。

「とりあえず……、何か着ないと、寒いだろう?」

「…………」

判然としない表情で俺を見ている。 手を伸ばし、枕元に脱ぎっぱなしのパジャマとトランクスを引っ張る。

「足上げて?」

誰かに服着せるなんて、初めての経験だ。人の服を無理矢理脱がせたり、脱がされたりというのは何度もあるけれど。足を上げさせると、一本も毛の生えていないつるつるの股間が露になる。……十三か十四……の時、俺こんなだったのか……、場違いなセツナサを覚えた。ザックスって、本当にショタコンだったんだなアイツ。……いや、セフィロスも、ルーファウスも……は年も近かったから例外か。

俺はこんな、子供の此処見たって、感じない。さっさとやるべき事をする。ウエストが途方も無くぶかぶかだけど、仕方が無い。続けて、万歳をさせて、上も着せる。裾が膝の辺りまで届いてしまう。俺にもちょっと大き目なのだから、無理ないか。 猫は、生まれて始めて着た「服」に、何だか居心地悪そうな顔をした。

「疲れただろう?」

「……わかんない……」

「そうか。でも、少し寝た方が、きっといい。側に居てやるから、目を閉じて、ゆっくりお休み」

「…………うん」

泣きじゃくっていたのが嘘のように、猫の子は素直に目を閉じた。しばらく髪の毛を撫でてやっていると、やがて規則正しい寝息をし始めた。俺は大きく溜め息を吐かずにはいられない。ただ、起こさないように、そっと、細く長く、吐いた。 勢いで何とかしてしまったけれど…。

この子は何だろう?

自分の事だけで精一杯なのに、厄介な事になってしまった…。今すぐにでも、本の山の中から参考になりそうな資料を掘り出して、正体を調べたかったが。 少し熱っぽい瞼で生まれて始めて見ている夢を中断するのは、とても罪であるように思えて、出来なかった。一時間も費やしていないこの邂逅が、しかしまさかこんな、人生を替えてしまう出来事になるだなんて、先見性に欠如する俺に、どうして思い付こう。ひとつ解かったのは、俺という人間が、ピンチに強いということ。まだその時は、捨て猫の世話をするくらいの気持ちしか、俺には無かったんだ。とりあえず、うとうととして、翌朝目覚めるまでは。

 

 

 

 

1日目

 

「うにゃあああああ」

朝っぱらからその鳴き声は結構キツイ物がある。安眠を破られて、俺が目を開けると、猫は昨日生まれた直後に勝るとも劣らない鳴き声を上げていた。

「ど、うした? ……俺はここにいるぞ……」

「っうっ、ぅく、っ、……」

「……どうしたんだよ……って」

そこで、ようやく気付いた。……このニオイ。

「……ああ、そうか」

納得出来てしまう自分の、意外なほどの順応能力の高さ。何時の間にか寝そべっていた俺の腿を枕に寝ていたらしい猫の、腰の辺りの位置に、大きな染みが出来ている。嗅ぎなれても、決して好ましいとは思えない類の匂いが、その染みの正体を気付かせた。

「……夕べ、寝る前トイレ行ってないもんな……。……生まれたばっかじゃ、……そりゃ、するよな……」

はぁ、と溜め息を吐く。

俺の名誉のために言っておくと、俺が最後に寝小便を垂れたのはたしか、六つの時だったと思う。世間には学校に通うようになっても平気で布団を濡らす子供もいるみたいだけど、俺はそのへんでは優秀だった。……いや、もちろん、魔晄中毒の時は垂れ流し状態だったらしい(というか、記憶に無い)から、偉そうなことは言えないけれど。

とりあえず、びちゃびちゃのズボンを脱がせた。もちろん子供がいたことなんて無いし、弟もいない。小さな子供の面倒なんて見たことがない。だから手探り状態。とりあえず汚れたものは全部洗濯機に放り込み、ぐしぐしと泣く猫の手を引っ張って、浴室に入る。シャワーで、濡れた下半身を洗い流して、清潔なタオルで拭いてやる。ようやく泣き止んで、ぽつり、言った。

「ごめん、ね?」

あれ? と思った。

「気にするなよ」

というか、気にするのか。 泣いていたのは、単純に「濡れてキモチワルイから」だと思った。泣いたせいだけではなく紅い顔から察するに、羞恥心もあるのかも。……そもそもこの猫は、幾つなんだ?

とりあえずタオルを巻いてやって、考える。この小さい陰茎を見てたら、九歳と判断出来なくも、ない。ただそう考えるのは自分に痛い。

「トイレはあそこだからな……って、そうか、お前、トイレ行けないのか……」

丸い猫の手。ドアノブを回せなければ、ズボンも降ろせない。ほっといたらまた漏らして、床中びしょびしょにしてくれるだろう。

「……しょうが、ないな。トイレ、行きたくなったら俺呼べ」

「うん……」

頷いた猫の、俺と同じ寝癖頭を撫でて、手を引っ張って再び手術台に乗っからせる。

「ここで大人しくしてろ」

「うん……」

……とりあえず、自分の研究は置いておこう。まずはこの猫がどうして生まれてきちまったのか、そっちを辿ることが先決だ。そして、今後の事……この猫をどう扱うか、それを考えることが先決だ。

「ね、……ねぇ」

考えながら歩き始めた俺の背中にか細い声がした。

「……何」

振り返った俺を見上げた猫の目は不安に揺らいでいた。

「……行っちゃうの?…もう、帰ってこない?」

「は?」

昨晩から解からないことだらけで、何度こういう表情をしてるかわからない。何だか、こういうもやもやはとても嫌だ。

「行っちゃうの、やだよ、……こわい」

「……何言って」

「行っちゃやだ、ここにいてよぅ」

(逝かないで)

俺の声で。

「……」

俺は、気付けばベッドに腰掛けていた。俺の膝の上に乗っかってきて、向かい合せで、ぎゅっとしがみ付いた。

「ここにいて……」

「つっ……、爪立てるなよ……」

俺の体にぴったりと密着して、喉を鳴らす。泣きそうな顔をして、鼻を摺り寄せる。

「……寝るのは構わないけど、またオネショするなよ」

言ったときには既に猫は眠りの中。俺のシャツまで濡らされるのは正直ちょっと遠慮したい。

しかし。 この猫は、素で、何なのだ。

見た目は俺と全く同じ。出来方としては恐らく、…難しいことはよく解らないが、俺が夕べ、「ジェノバ細胞は老化を完全に防ぐ効果があることが判明」と走り書きされた宝条のカルテを見つけて、思わずそのファイルを投げつけた拍子に試験管立てが床に落ちてガラスが飛び散って、それでもう何だか、堪忍袋の緒というか、理性が切れて、目につくもの全てを壊してしまった…、その拍子に、きっと管の底にジェノバ細胞が入ってたんだろう、そしてこの姿から察するに、俺が改造を受けたときに摂取された俺の細胞も近くに…――それだけじゃすぐ死ぬから、恐らくいっしょに培養液みたいなのもあって……。

では何故猫か? ……これも、俺が倒した試験管の中に、ヴィンセントの中に入ってるガリアンビーストみたいな奴の細胞が入ってて、それが混じってしまったんだろう。

頭が痛い。

そんな、天文学的数字分の一で、俺に不幸をくれなくたっていいじゃないか、神様。

そうだ。考え事の前に、踏んだら一発で血が出る、散乱したガラスだとか倒れたままの本棚とかを、片付けてしまわなければいけない。とは言え……、起きた時に俺がいなかったら、コイツはきっと大音量で泣くだろうしな。

「……んにゅ……」

これ以上、無理でも密着しようとする猫を払う気にならない自分の、弱者に対して抱く傲慢な優しさがいやらしく感じられた。別に、殺したっていい、偶然生まれてきてしまった無意味な生き物。俺にどんな益ももたらさないのに。

だけど俺と同じ姿という理由で、俺はこの猫を殺せない。

殺せないとしたら、どうすればいいか。

俺はさっきも書いたとおり、これまで生きてきて小さな子供の面倒なんて見たこともなかった。女性と行為に及んだことも無いから、子供の出来ようはずもない。それがいきなり、こんな体だけはある程度の大きさがあるくせに、中身は完全な子供が生まれてきて……。そう、そもそもコイツ幾つなんだって問題だ。

さっき、寝小便した時、それを「恥ずかしい事」と判断する能力は、あったみたいだ。だけど同時に「さみしい、こわい」を連発する幼児性も大いにある。肉体だけ見てみれば、この長い後ろ髪、俺がちょうど十三から十四才くらい…、神羅に入社した直後くらいの長さだ。二回ほど見た小さなペニスも……多分。成長が遅かったから、十四歳のころはまだ俺は、声変わりを迎えていなかった。背の高さも、二歳くらいサバ読んでも平気そうな感じで、まだ女の子に間違えられることがたまにあった。十五になってからは急に背も伸びだしたからそういうことはなくなった。十三、十二と溯ればもっと小さくなっていく。恐らくこの猫は、俺の十三歳・十四歳の姿をしているのだ。つまり、細胞の中の「十四歳の記憶」という形が人化したのが、この姿か。つまり、この猫は本当に「俺」なんだ。

双子の弟が出来たようなものだ。 そう結論づけたって、「可愛がってやればいいさ」なんて開き直れたわけじゃない。むしろ、そんなのをいきなり眼前に押し付けられて、俺は一体、どうすることを期待されているんだろうか。甘えるように、尻尾が俺の腕に回っている。この猫らしからぬ猫を、それでもあやすように撫でてしまう俺に、俺はたまらなく、くたびれる。

 

 

 


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