俺ら永遠の十七歳

雨雲から逃げ切ることは敵わず、靴の中までびしょ濡れだ。上げた白い息に濡れた肩に、呆れたように一瞬口を開けて、「傘を持って出なかったんですか」、カノンが溜め息混じりに漏らすが、それ以上余計なことは何も言わずにバスタオルを持って来た。

「とにかくシャワーを浴びてください、こんな寒い日に……、風邪をひかれては困ります」

 玄関先で服を脱いで、カノンはそれを夫のものを扱う妻の動きで受け取り、外の道からの、篭ったガソリンの匂いが漂うのを感じながら、他の汚れ物と一緒くたにまとめて洗濯機のスイッチを入れた。

 築三十五年のアパートは雨が降り出すと途端に室内の空気が湿っぽくなる。寒さには強い人ならぬ身体をして、裸足では寒いものだから、珍しく室内で靴下を穿いている。

「天気予報でずっと言ってましたよ? 今日の午後から明日の朝までずっと大雨ですって」

 洗濯機回したはいいけれど、既にばらばらと音を立てて硝子に叩き付ける雨風強し、何処に干そう? 浴室から漏れ聞こえる唄声を訊きながら、仕方が無い室内にロープ張ろうと決める。喫煙者が二人居れば多少煙たくもなるだろうけれど自業自得と割り切ってもらうほかない。バスタオルと着替えを支度して、浴室を覗き込んだ。

 新堂勇人十九歳がけろりとした顔に湯雨を浴びせていた。

「……ぶしゅっ、……鼻入った」

「何をしているんですか……。どうして傘をお持ちにならなかったんです?」

「いや……、傘さ、駅に着いた時点で気付いたんだけどさ、戻ると往復で十五分はかかっちゃうし、案内見たら丁度電車来るところだったし、早く着きたかったしさ」

 ごらんのように、カノンは温かい体をタオルで包み込みながら、部屋を掌でくるりと辿る、「まだどなたも来ていませんし、バノッサさんは六時まで帰って来ませんよ」。

「うん、知ってる。でも、早く来たかった」

 にこりとハヤトは笑う。カノンの目には乱暴に映るやり方で――だって少年はいつでもバノッサの髪をそれはもう優しく丁寧に拭いているから――髪を拭うと、「……これ、バノッサの?」、草臥れたトランクスを摘んでぶら下げる。

「びしょびしょでしたから。それとも僕の、女物のパンツが良いですか?」

「悪くないけど、俺似合わないから今日はこっちでいいや」

「お茶入れます?」

「うん、貰う」

 ことごとくワンサイズずつ大きい服は、洗っても洗っても繊維の奥まで染み付いた煙草の匂いと膚触りでハヤトに嬉しい違和感を与えた。どうぞ、と夫婦茶碗の夫の方を受け取って、どうも、とぺこり頭を下げる。

「キールお兄さんは?」

「ウチのおふくろがさ、新宿のデパートで買い物するから荷物持ち。いつものパターンだと五時ぐらいまではかかるかな」

 ちら、とカノンは携帯電話の時計を見る、トウヤは「家を出るときにメールする」と言っていたが、まだ受信していない、そしてソルはいつもの通り六時まで仕事だ。

 輪。

 六人で六十度ずつを持ち寄って作った輪。さあ、どうですか、綺麗ですか、僕たちは、……怖いくらいに幸せなんです、困るんです、こういうの、……此処まで来るとどう扱っていいのか、僕はまだ判らない。

 「誰が知ってンだよそんな未来、俺らの路だろうがよ」、そう言ってくれた人のことを一般的な定義の「恋人」と呼べなくなってしまっても、しかし一切合切を混ぜてしまったつもりも無い、自分たちなりに画然と存在して居るはずの境界線のこちら側に居るのがカノンにとってはバノッサであり、外側に居るのが他の四人、ちょっと見ぱっと見の印象で決めるのでしたらどうぞ、……ええ、そりゃあ僕は、ハヤトお兄さんの事だって大好きですよ? トウヤお兄さんのこともソルお兄さんのこともキールお兄さんのことだって、おちんちんから溢れる精液までひっくるめてそのお尻の穴まで漏らすことなく大好きですよ?

こんな考え方が出来るのは、六人がかりでしているのは、僕らの「今」にそれだけの価値が在るからだ、僕らのこの身体に、この時間に。

「……不思議な感じが、します」

 ハヤトの背中にぴったりと胸をつけて、首元の匂いを嗅ぎながらカノンは呟く。

「バノッサさんと同じ匂いなのに、バノッサさんと全然違う……、身体の大きさも、硬さも、温かさも、心臓の早さも……」

「そりゃあ、俺だもん」

 この温もりは風呂の余韻か、それとも新しく自分が吹き込んだ熱か、カノンには判然としなかった。

 例えば室温が十一度しかない部屋で側に居てくれるというのなら、互いの体温を以って温め合おうとするのは最も妥当で合理的なことだとカノンは信じる。この大切な友達が雨に濡れるのも厭わずに誰より早く来てくれたのは、一人寒い部屋で待つ自分のためだったのだとようやく気付く。もちろん理由の一つきりではないことを知っていながら、それでも目的のどれを取っても鬱陶しさの欠片も無い、僕も同じように思うことが出来たならば、この空寒く古く狭い部屋の温度は上がる。

「しましょうか」

 何も言わず、ただのんびりと携帯電話を弄っているだけのハヤトが憎らしい。メールはキール宛てで、「カノンの家に着いたよ」、カノンがそう言ったから、「しましょうか、だってさ(^o^)」。

 ハヤトはまだ黙ったままだ。

 メールを着信して、携帯電話が震える。

 「いいなあ。」、それを見て携帯電話を閉じ、背中に手を回した。その右手に、カノンはズボンの前をそっと当てる。後ろ手は思いのほか器用で、カノンの穿くチノのボタンを外し、ジッパーを下ろし、……指に触れた下着の生地に、振り返る。薄ピンク色の女物の下着を身に付けたカノンに、そっと微笑んだ。

「やっぱりお前が穿くとエロくて……、すっげえ似合うな」

 その声に、ぎゅっと胸が詰まった。

「見たいな。こっち来てよ」

 バノッサは、なかなかこんな風に素直に求めたりはしない。だからこそ、最初の頃はこの類の下着を恥ずかしがっていたカノンもエスカレートして、「ほらぁ、せっかく新しいピンクのひもパンツ穿いてるんですからちゃんと見てください、ほらほら、お尻」などと言っては、「うるせえ淫乱バカカノン」と最大級の褒め言葉を貰って一人満足するのだが。

 もし仮に、バノッサがこんな風に素直に欲を口にしてくれたなら。

 思いながら、シャツもチノパンも脱いで、ハヤトの前、卓に行儀悪く座った。

「すっげ。……これもあの商店街の店で買ったの?」

「……いえ、これはこの間、トウヤお兄さんとソルお兄さんと三人で秋葉原に行ったときに、そういうお店に入って買いました」

「あ、そう……。俺も今度行ってみようかなあ、でも一人で入る勇気はないなあ」

「いろんな大人のおもちゃ、売ってましたよ。なんかこう、みょんみょん動く大きなおちんちんとか。こっちの人はいろんなことを思いつくんだなあって思いました」

「あいつら何か買ってた?」

「ちょっと見ない間にトウヤお兄さんがそのみょんみょんを買ってました。その日はソルお兄さん口を利きませんでした、めでたしめでたし、です」

「……あいつらそういうの使ってんのか……」

「バノッサさんも使いますよ? 時々、……トウヤお兄さんから流れてきたものらしいですけど。キールお兄さんのところにも廻ってきてるんじゃないですか?」

「持ってるのかも知れないけど、まだ見たこと無いなあ。……使えばいいのにな。なあ?」

 くす、と笑って、卓の上に座ったカノンの、余計な肉のついていない、しかし決して痩せすぎているわけでもない腹を、ハヤトは大事そうに撫ぜた。ピンクのレースの向こう側に透ける男性器と、カノンの幼い顔とを往復するハヤトの眼は、恋人も見たことの無い男としての変態性を秘めて居る。カノンの恋人だってそんな眼で自分を見ることは無い。

 この人と僕とでしか、作り出せない形の幸福だって在っていいじゃないですか。

 少し傲慢に、カノンは世界に言う。

「……もう、あんまり焦らさないで下さい。お兄さん意地悪です」

 立ち上がって、目の高さに晒して見せる。躊躇いは無い。バノッサに「淫乱」と褒められる自分で在って、この形に誇りだって持って居る。

「なに? ちんちんして欲しいの?」

「してほしいです。男の子ですから、おちんちんして欲しいのは当たり前です」

「そっか。俺も男の子……、子かどうかは知らんけど男だからさ、ちんちんして欲しいよ? ピンク色の女もんのパンツ穿いた可愛い可愛い子に、ちんちんしゃぶったりしてもらえるとすげえ嬉しい。そんでもってその子が、フェラするの上手って判ってるからさ、余計、して欲しいな」

 これでこの人は、あの弱気なキールの細い腕に組み敷かれて喘ぐのだと言うのだから、この世界が一元的な見方では決して解明出来ない不思議で満ちていることは疑いが無い。

「順番ですからね」

 唇を少し尖らせてカノンは言った。指で、ハヤトの頬を摘む。

「お兄さんばっかり良くなるのはルール違反です」

 言いながら、……恋人の匂い、掻き分けて探り当てる友達の匂い、ほんの少し早い鼓動に微かな震え、慣れたとは到底言えなくて、好きだなんて絶対言わなくて、しかし同じ分だけの罪を二人で握る、これが僕らのオンリーワン・フレンドシップ。

「……もう勃ってたんですか?」

「ん。……理由は二つあるな」

「聞かせて頂きましょうか」

「一つは、可愛い可愛い男の子が女の子のパンツ穿いて俺を誘ってくれたから」

「別に誘ったつもりはありませんが、それはまあいいでしょう。もう一つは?」

「どっかの誰かさんの匂いが染み付いたパンツを穿かされているからです」

「そのどっかの誰かさんは僕のこういう格好を見ても簡単に勃ててはくれないです」

「じゃあ、丁度いいのです。どっかの誰かさんが何らかの好意的なアレルギー反応によって、お前の大好きなちんちんを勃起させてしまいました。……どう思う?」

「すごく……、嬉しいです」

「だろ? バノッサのサイズには敵わないけどさ。……サイズだけじゃないか、耐久力も」

 一緒だったら困りますとまでは言わないで――だって当然伝わる思い、あなた相手なら言葉もサボって――取り出したものの体温だって違う、結局は、全く違う相手の性器を、それでも咥えることに消極的にならない自分は、何処に出したって恥ずかしくないぐらいの淫乱だ。それで良いと言う人が居る、少なくともこの世に五人居る。それはカノンの腹の底を支える確かすぎる力だった。

 バノッサ以外の四人(厳密には「あの少年」も含めて五人)の性器を上下の口で受け容れてきて思うのは、男性器というのはつくづく鑑賞に堪えるものであるということだ。肉体的な逞しさがそのまま現れたバノッサの性器が一番美しいのは言うまでも無いが、漆黒の性毛を備えたハヤトにトウヤ、そしてキールの性器も一見の価値が在ると思う一方、ソルのブラウンの毛はどこか柔らかで、指を入れて掬うのが何とも楽しい。ハヤトとソルは仮性包茎で――ハヤトの包皮を最初に剥いたのは自分だ――行為に臨むに到ってもまだ被っているときには、それを剥き下ろすのも心踊る。わざと被せたままで隙間に舌を入れるのもまた楽しい。

「どうしました? ここ」

 ハヤトの茎に、ごく小さなかさぶたを見付けた。ああ、と平静を装ったふりの声に、刹那の狼狽を受け止められるのは、当にその性器を掴んでいるからだ。

「あー、と。擦り切れた。……ちょっとさ、このあいだね、乱暴にしてよって言ったら、ほんとにちょっと乱暴にされちゃってさ」

「ということは、キールお兄さんではないですね。キールお兄さんはハヤトお兄さんが土下座して頼んだって乱暴になんてしてくれませんものね?」

「んー、ソル」

 ハヤトは苦笑して言う。ちゃんと薬塗りましたか? うん、大丈夫。治りかけのかさぶたを、爪で剥したらどんな声を出すだろうとカノンは悪いことを考えた。

「意外だった?」

「いいえ。ソルお兄さん、時々そういう気配しますよ。トウヤお兄さんはご存知無いのでしょうね? 想像するとどきどきします」

 ――月の裏側は楽天地、太陽の砲台の轟く音が聞こえる場所――

「僕、みなさんの顔見てるの好きですから。時々そういう、……ああ、このひと普段は恋人には見せないんだろうなみたいな、そういう角度見付けられるのがすごく嬉しいです。……いただきまーす」

 僕とお兄さんの関係は、僕とお兄さんの関係でしかない。

 カノンは恋人の匂いの染み付いたトランクスから取り出した友達の性器にしゃぶりついた。洗っても洗っても洗っても抜けない匂いが其処にはどうしても在って、例えばこんな心の動きを以ってバノッサが「淫乱」と褒めるに違いないが、この匂いが好きだ、味が好きだ。

「……うお」

 のっけからハイペース、「カノン」、髪に置かれた掌が言う、そんな無理しなくてもいい。ところがこのまま最後まであなたを追い詰めてしまうことだって僕は簡単に出来るんですよ、纏わせた唾液を唇と性器の隙間から泡立てて零しながら、この欲を分類するならば食欲と同じで、満ちるまでは止まらないし、満ちたとしてもまたすぐに飢えてしまうのだと嘯く。

「あんまり早くすると、……いっちゃいますか?」

 濡れた唇を舐めて笑い、亀裂を辿った指を舐めて見せた、「お兄さんの、美味しいです」。

「……すっげえこと言うよなあ、その顔でその声で」

 呆れたように圧倒されたように、しかし一番の理由は「釣られて」、ハヤトは笑った。

「言い忘れてましたけど僕、本当は二十七歳でバノッサさんよりも年上ですから」

「ああそうそりゃあすげえ。言い忘れてたけど俺も二回飛び級してるから本当は十七歳、永遠の十七歳」

「いけませんねえ、十八歳未満なのにこんな猥褻な行為をしては」

「ってか、この場合罰されるのは二十七歳のおじさんですから」

「あっちの世界じゃそんな下らないルールありませんでしたよ? いざとなったら六人で向こうに逃げましょう」

 ちら、とハヤトの眼から笑みが薄らんだ、「同い年だよね?」、じーと見上げて、それから微笑んで誤魔化した。

「いや、ちょっ、待てよ、ホントに年上じゃ」

「安心してくださいよ、……やだなあ、そんな簡単に信じてくれちゃうんですか? うっかり冗談も言えませんねえ。それとも僕はそんなにおじさんくさいですか?」

「……時々、すっげー大人に見えるときがあるとは思う」

 明ら様にほっとした顔は現金過ぎて却って可愛い。濡れた性器を濡れた音立てて扱きながら、薄く開いた唇を観察する。じっと見詰めていたら、バツが悪いように「あんまじろじろ見るなよ」と、微かに息を震わせた。

「ハヤトお兄さん、カッコいいなあって」

「はあ? 誰が?」

「ハヤトお兄さんが。……僕の周りはカッコいい人ばっかりで困っちゃいます。みんな違うタイプの美男子だから、いい目の保養になります」

「そっくりそのままおまえら五人にお返し致しますですよ」

 僕たちは、本当にいけませんね。カノンの言葉に、苦笑しながらハヤトは頷く。一体どんな同意得られると思ってやってんだ? 毒っぽいハヤトの呟きに、完全同意に頷きながら、それでも僕らの世界は僕らだけのもの、六人全員満場一致で始めたViva la LOVERS困ったことに僕ら六人揃ったところに、愛情と友情、足りないものが何一つ無い。だって、何にも変わっていないんだもの、何一つ喪っていないんだもの、……あ、それは嘘、道徳倫理はそっくりそのまま十七歳の僕らの足元に落としてきてしまったかもしれません。けど。

 僕はバノッサさんが好き。バノッサさんだけが好き。

 ハヤトお兄さんはキールお兄さんが好き。キールお兄さんだけが好き。

 それで居ながら、僕らは、

「ハヤトお兄さん、好きですよ」

「うん、ありがと。俺もお前が好きだよ」

 心の底から、嘘の一片も無い気で言う。だってこれは全部全部全部、本当のこと。……この世界に僕の一番大事な人のことを「好き」と言ってくれる人が少なくとも僕以外に四人居ることが、幸せじゃないって言うなら、じゃあ、何? 僕の大好きな大好きな、命より大切なバノッサさんのことを、僕のように幸せにしてくれるハヤトお兄さんがソルお兄さんがキールお兄さんがトウヤお兄さんが僕は、僕は、僕は、好き、好き、好き、好き、大好き。感謝の気持ちを篭めて、僕はハヤトお兄さんにフェラをする。ハヤトお兄さんの大切なキールお兄さんのことも心底から愛する。キールお兄さんがその分だけ、バノッサさんを愛してくれる。もう止まらないループ。

 邪な神を信じているのだと指弾されても平気なつもりのカノンだ。

 誰かが非難の矢を放つなら、僕は五人を庇って死んだっていい。

「なあ……、また、舐めてよ」

「しこしこしてるだけじゃ満足出来ませんか?」

「いや、気持ちいいけど……、やっぱその、してほしいなって」

 唇を頬に一つ当てて、「ハヤトお兄さんはえっちですねえ」、でも素直でいい子です、だからご褒美をあげちゃいます。

「お……っ」

 そしてまたハイペース、舌を唾液を絡めて、陰嚢まで伝って座布団に小さな染みを作ったってそんなの乾けば気にならない。もっとずっと価値のあるもの、淫乱な自分にとっては、自分で感じてくれる男の声、そしてこれ以上美しくなりようの無い精神美人の思うところは、恋人を愛してくれる人を愛する僕の心。

 男性器の震えは舌の上から鼻の奥へ伝わって、微細な感情腺全てを弾く。

「かの、カノンっ、……も、いくよ……っ」

「……おちんちんいきそうですか?」

「いきそう……っ、だからっ、口、中、出させてよぉ……」

 恋人はもっと余裕が在って、愛撫しているうちに此方の理性が蕩けてしまう。然るにこの友達は恋人に較べて随分早漏で、意地悪をする余裕も在る。こんな小さな経験に基づいて、今度はトウヤに試してみよう、上手く行ったそのあかつきには、恋人のことをちょっとくらい恥ずかしがらせて、いっぱい気持ち良くしてあげよう、愛してあげよう……。

 ぱくん、喉の辺りまで入れて、優しく吸いながら引いた。

「うあアっ……あっ、あ! んあっ……!」

 幼い舌の上に溢れたのは、重さすら伴うような、粘度の高い液だ。カノンの柔らかな口腔の中を絹糸のような質感で覆い、甘いような塩っぱいような、極めて曖昧な、言ってみれば人肌に温めて少し悪くなってしまった自家製ヨーグルトに健全なる十九歳の汗が一滴、総括すれば、……美味しい。

 ゆっくりと味わう暇もなく、咽喉が引っ掛けたいと求めて飲み込んでしまった。

「……すっごい濃いです」

「……ん……?」

「出して、見せてあげればよかったですね。濃くて、たくさんでした。夕べはキールお兄さんとしなかったんですか?」

「……あー、ああ、ああ。したよ。けどアイツ、昨日は昼間ソルと遊んでて、だからちょっと疲れ気味だったから一回しかしなかった」

「ラッキープレイスは六畳一間、ラッキーカラーはピンク、新しいチャレンジが幸運の鍵になるでしょう」

「何それ」

「精液占いです」

 余韻から理性を拾い上げ、頭の中に填めなおしたハヤトが、通常の思考速度を取り戻して、「つまりお前のパンツがラッキーアイテムになるってこと?」、察しのよさにカノンが微笑んで、卓に座る。

「約束ですよ? こんどは僕の番です」

「ああ、約束、判ってるよ」

 消えていた瞬間が確かに在ったその焔、再びハヤトの眼に宿ったのを見て、カノンの心臓が発火する。末端まで行き渡る熱い血、ハヤトの眼が純粋な興味と欲に基づいて自分の下着の膨らみを見て居ることに、狂おしいような気持ちになる。

「濡れてる」

薄い布を指先で押して、欲露を内側で塗りつける。布の擦れる感触に、またきゅっと括約筋を閉めて、新たな露を滲ませる。ハヤトの右の人差し指は、幼い形状であっても窮屈な下着であれば隠しようもないカノンの輪郭を丁寧になぞった。

「……柔らかいなあ……。あれだな、多分男の此処は」

 と二つきりの珠を護る袋を指の腹でくるりくるりと撫ぜながら、「こういう生地の薄くてすべすべな女物の下着の上から触るのが一番良い感じなんだろうなあ、……すっげえなんか、うん、良い感じ」、言う。じゃあお兄さんも穿いてキールお兄さんにふにふにしてもらえば良いじゃないですかと、軽口を叩こうにも、欲深な指に舌が廻らない。

「俺もさ、自分が男だからさ、……お前はそういうこと考えるか判んないけど」

 乾いたキスを細身の砲身の裏側に一つ、それから、鼻を近付けて、すん、と音を立てて嗅ぐ、「やっぱり、変態なんだよな。……キールも変態だし、ソルやバノッサもそうだろ、トウヤも大変な変態だ」。

 下着の上からもどかしすぎる涼気を感じながら、カノンは「僕だってドのつく変態ですよ」と言えない。

「あ……、はぁんん、ンッ……あ、っぅ……ふぅ……!」

「いい匂い、な。すっげ、エロい。ちんちんの先っぽこんな風にさ、女物の下着の中で濡らしちゃうような、……すっげえな、お前、本当に」

 言葉としての統制はすっかり失われているが、綻びの隙間から漏れるのはカノンの精神を焦がす光線であり、攻撃的である。さっき性器を掌中に収めていた時にはあれほど自由に扱えていた相手なのに、最早完全なる立場の逆転、下着の上から舌が下から上へ、そして咽喉の奥からの湿っぽく熱い息を届けられて、もう。

「……う、に、……ぃ、さんっ……」

「んー?」

「……もう、っ、脱ぎたいですっ、おちんちん直接してください……!」

「別に脱ぐななんて一度も言って無いじゃん」

 寧ろ、お前の見せて欲しいくらいだよ? ハヤトはそんなことを、随分と涼しげな笑顔で言い放って見せる。「入れたければ入れればいいじゃん、だってお前の裸だよ?」、恋人をそんな風に挑発するのだろうと想像を巡らせ、カノンの中に進路不明、しかし大型で非常に強い欲望が渦巻いた。

「いいよ、見せてよ」

 にこりと微笑む。

 恋人相手ならばもっとスムーズだ。恋人は自分の望みを十全に叶えてくれるから。要するに恋人ではない、分かり合えていない、しかし其れがどうしてか嬉しさと直結し、此処にしかない此れの甘酸っぱさを、カノンの舌に届けるのだ。

 羞恥心という、感じる機会のあまり多くない感情が括約筋のあたりで蠢くのを感じながら、そっと、下着を下ろした。何か性欲そのもののような臭いが自分の陽物から漂っているのがハヤトの眼には見られてしまうように思えて、耳の先が熱くなる。

「お前と俺とソルはお揃いなんだよな」

 亀頭を半ばまで隠す包皮を指差してハヤトは言って、「仮性包茎、……お前のほうが剥けるの早かったんだもんなあ、羨ましいよ」、くるりと剥いて晒す。「ああ、でもお前のだったら被ってたほうが可愛いのかもしれない」、言って、また皮を戻し、「……でもこのちっこいのが剥けてるっていうのがエロく見えるのかもなあ」、再び剥き下ろす。カノンはその度に、律儀に感じてひくんひくんと性器を震わせる。もちろんハヤトがそんな自分の姿を見たくてしているのだということは想像に難くないが、……こんな遣り方で翻弄してくれる相手、たったひとりの。

だが繰り返しご案内する、「僕が愛しておりますのは、心底から愛しておりますのは、バノッサさんお一人だけです、雨の日はお忘れになる方が大変多くなっております、どなたさまもお忘れになられませんようご注意ください」。

「どうする? 俺もお返しにフェラしてあげようか。あんま上手じゃないけど。それとも……、お尻弄ってあげようか、バノッサみたくでかくないけど。っていうかお尻するまで我慢出来ないっぽいな」

 ハヤトが彼自身の人差し指とカノンの性器の間に繋がる粘液の糸を見て微笑む。そういう笑顔の悪質さでは自分に敵う人など居ないだろうと信じていたカノンだった。

「どうするー?」

 また、被せて……剥いて……被せて……剥いて……繰り返す悪趣味同士の小宴。

「うあぁ、ア……! あん! お、ひっ、んっ、っんっ、イ……っ、いっ」

「『おちんちんいっちゃう』?」

「いっひゃっ、ふあっ、うふぁあっああ!」

「っと」

 どんな優しさの種類か最後に咥えようとしてくれたらしいハヤトの頬に額に弾き飛ばした欲の澱が跳ねて踊る。がくがくと震えた尻をしっかりと抱えられて、まだ弾律の収まらない性器を、狡猾な舌が舐る、「あう! っン、あっ……はァあっ、あ! あう」……ズルイのは、どっち? 僕もズルイ、狡さでは……負けない、そんな物思い。

 やっと解放されて、他に縋るものもないからハヤトにしがみ付く。そっと手を置いたトランクスの中で、まだ十分に温かい、それは余熱か予熱か、判らないフリをしておいてあげます、僕のためにあなたのために僕らのために世界のために。

 夕焼け小焼けが雨音の向こうから流れてきた。

「なー、カノンさ、賭けしない?」

「……はい?」

「今鳴ってるの五時の鐘だよね?」

「ええ」

「キールは五時に新宿出る、バノッサは今日仕事上がんの五時半だったよな。でもってソルが六時。籐矢だけが不透明、まだ携帯にメールは来てない。……知ってるか知らんけど、最近さ、地下鉄から一本で来れる特急が出来たの。それから乗り継いで行けば籐矢は早く着くかもしんない」

 くしゃくしゃとカノンの髪を撫ぜながらハヤトは「だからさ」、言う。

「あいつらのうち、誰が一番に来るか、賭けようぜ」

「構いませんけど、何を賭けるんですか?」

「んー、そうだなあ、……じゃあ俺が勝ったらさ、晩飯は豆腐カレー」

「またですか」

「いいじゃん、おまえが作るの美味いんだよ」

 豆腐カレー、ソルが納豆を入れて食べていたが、豆腐も納豆も大豆食品であることを考えれば、玉子にマヨネーズをかけて食べるようなものだ、非難の対象にしようにも、冷奴や納豆にかける醤油だって大豆である。瞬間的に受容できなくたって、数秒考えれば方法が幾らでもあることに気付く。

「じゃあ、僕が勝ったらハヤトお兄さん、バノッサさんのこといっぱい気持ち良くしてあげてください」

「なにそれ」

「僕はバノッサさんが一番に帰ってくると思います」

「えー、じゃあ俺は籐矢。あいつこの間その特急乗ってみたいって言ってたし」

「情報の後出しですか。じゃあ僕も後だしさせていただくと、バノッサさんは今日は現場が近いんです。だから遅くとも六時過ぎには帰って来られるはずですよ」

 くす、と笑って耳を噛む、「もっとも、それでもあと一時間ぐらいはかかりますけど」。

「豆腐カレーはまた今度か」

「いいですよ、今日も作ってあげます。っていうかお兄さんにそう言われるだろうなって、豆腐も挽肉もカレールウも買ってありますから」

「いい子だなあカノンは。……あと一時間か」

「ええ、あと五十九分です」


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