町田恋人

 最近、ハヤトが携帯電話を弄る頻度が高い。部屋で二人きりになって、こっそりとキスをしたりしていても、ポケットの中で震え出し、そのたびに流れは寸断される。了見の狭いつもりはないキール、それでも、恋人が自分の知らない相手と熱心にメッセージのやりとりをしているのを見るのは、快いものではない。

「……誰と話してるの?」

 そう聞きたくなるのも、仕方ない。ハヤトは全て打ち終えて送信してから、パタンと閉じて、

「中学の時の同級生。真面目な奴でさ、つい最近まで携帯持ってなかったって言うんだよ。で、この間駅で偶然会ってさ、メルアドとナンバー交換して……。割と仲良かった奴だからさ」

 まず、自分がまだハヤトを知る前にハヤトを知っていた相手なのだと思い、ちくりとどこか刺される。そして、仲良かった奴だからさ、……仲良かった奴だから、優先されるのだろうか。自分の了見など、片手に収まるほどに狭いことを思い知らされる。

「恋人出来たんだってさ。俺にも出来たって話したら、今度会わせろってさ」

「会わせろって……。会わせろって!? ……何て返事をしたんだ?」

「別にいいよって」

「いいのか!?」

 思わず大きな声を出していた。ばかりか、立ち上がっていた。ハヤトは多少面食らって、見上げる。そして宥めるように笑顔になった。

「大丈夫だって……。ごく普通の価値観持った頭の悪くない奴なら、俺たちのことを簡単に非難したり出来るはずがない。俺の友だちに妙な価値観で頭の悪い奴がいると思うか?」

 そんなことはないと、信じたいけれど。

 何より自分達が妙な価値観の持ち主なのだとは言えない。ただ、ハヤトは無警戒に、それに気付いていないらしい。君の傷つき悩むことのないようにと、いつでも考えて、及ばぬ力ながら尽くそうと思っているキールだから、心配するのも当然のことだろう。

「大丈夫」

 繰り返してもう一度言って、微笑んで見せたハヤトのポケットの中で、また形態が震え出す。今度はメールではなかった。キールは当然気分を害す。ごめんなとハヤトは苦笑いするけれど、素直に応じられそうもなくて、頷いたらすぐに目を逸らした。

「おう……、うん。うん。……金曜? ちょっと待って」

 受話器を手で塞いで、キールに「お前、金曜日って開いてる?」。空いていないよ、僕の時間は君の為だけに使われて然るべきであって。そういうことを、言わない、言えない。

 ハヤトが自分のことを誇りに思っていて、だから「割と仲の良かった」友だちとやらに紹介してやろうという気を起してくれたのだろう。そうまで考えていなかったとしても、そう考えなければいけない場所にキールはいる。だから、こっくりと頷いた。

「お待たせ。うん、金曜平気だよ。場所……えーっと……、そうだなあ、こっちまで出て来れるか? うん、いや……町田でもいいんだけどさ、人の多いトコ嫌いだって言うから……。んー……じゃあ長津田でどうよ、うん、うんそう、だからさ」

 気遣ってくれているのを聞いて、硬い顔をしつづけるのに努力をした。

「じゃあ、金曜に……、ちゃんとお前のとこのも連れて来いよな。……可愛いの? 名前なんてゆうの? ……へえ……、あっそう、へえ、そうなんだあ……、いや、うちのも……って、やばい電池無いや。うん、うん、じゃあ金曜な、ばいばい、おっやすみー」

 ふう、と息を吐いて、キールを見ると、無理に硬い顔をしているのには気付けないハヤトは、怒らせてしまったかと一抹の不安が過る。キールと一緒にいると楽で落ち着く、だからこそ一緒にいたいと思うし恋人なのだが、時に自分がこの居心地のよさに傲慢になり、傷つけたりしては。

 そう思って、ハヤトに出来ることはあまり多くない。白い、きっと自分のように突き指をしたことなどほとんどないに違いない細い長い、優しい指を引っ張って、それに連れて降りてきた身体を抱き締める。

「俺の恋人」

 口に出すと、微笑んで、そこから発展すると、笑いになってしまう。くすくすと、悪戯が当ったみたいに笑ってしまう。キールが、背中に手を回してくれた、もう安心だ……。

「俺の恋人。俺はアイツに、お前のこと、胸張って紹介するから。お前も下向くなよ。俺の恋人であることに誇り持て。な」

 それから、そっと、十七歳には不相応かもしれないほど大人っぽい、息を触れあわせるだけのキスをした。

 

 

 

 

 学校から帰ってきたハヤトが着替える。午後を緊張で過ごしたキールを見て、そんな硬くなる必要ないってばと尻を叩く。

「長津田まで行ってくるから。晩ご飯より遅くなるかもしれないけど、帰ってきて食べるから」

 母にそう言って、ハヤトはキールを引っ張って出る。自転車通学のハヤトだから、学校帰りのその足で直接目的地へ向かうことは可能。それをしないのは、単にキールの為で、まだ一度も一人で電車に乗ったことはないはずのキールの保護者という役割を己に課しているからだ。緊張で元々白い顔を青白くさせているキールを、滑稽とは思わないで、たった一駅だけの距離、扉に背を向けて、身体の陰で時折指に触る。

 一緒に白い息を流しながら、ホームを歩き、改札に向かう。まだ帰宅のラッシュには早いが、人通りはそれなりにある。

「マフラーしてくれば良かったかな」

 キールに話し掛ける、キールはこくんと頷いただけだ。階段を上がって、SUICAで改札を叩き、きょろきょろとハヤトが見回し「まだ来てないのかな……」と呟く横で、「来なくてもいい」とよこしまなことを望んでいるキールである。

「……ん!」

 見つけたのか、とキールはがっくりと下を向く。

「おーい、こっちこっち、……藤矢!」

 ははっ、とハヤトが笑う。

「お前……うわあ、すごいなそれ」

 キールは前を向けない。……ただ困惑するのみだ。ただ、トウヤと呼ばれたハヤトの友人が、穏やかに笑うだけで、隣りの自分に驚いた気配はない。

「うん、……一度、やってみたくてね。暖かくていい。勇人君たちも一度やってみるといいよ」

 高校生の割に、落ち着いた声をしていると思いながら、キールはじっと黙って、「トウヤ」のつれて来た恋人の足元を見ていた。穿いているのはスニーカーだ。自分が、ハヤトが、穿くようなスニーカー。

「これ、俺の恋人」

 ハヤトは、自身満々に言う。

「この子が、僕の恋人」

 「トウヤ」も、同じく。

「ほら、お前顔上げろよ、な。怖がるなって。……ごめんなトウヤ、コイツ、人見知りでさ」

「いや、この子も……ほら、挨拶しなきゃ。ちゃんと挨拶するって昨日約束したろ?」

 キールの胎の底で辛い渦が巻く。「俺の恋人」と、誇りに満ちた声でそう宣してくれた自分の恋人を、僕は今「自分の恋人」と呼べるんだろうか?

 そうだ、と思った。呼ばなくてはいけないのだ。

 だから、キールは顔を上げた。丁度、同じタイミングで、「トウヤ」の恋人も、顔を上げる。

 十二月の魔法で世界は冷たく凍りつく。

「こいつ、キール=セルボルト。今んところ俺の家の居候で、義理の兄貴」

「この子はソル=セルボルト。僕のところの居候扱いで、世間体は弟」

 二人の「恋人」は、互いの顔をまじまじと見詰めて、口をぽかんと開けたまま。

 そして世界は動き出す。

「馬鹿な……、馬鹿な」

 キールが喘ぐ。

「……そん……、っ、そんな……」

 「ソル」が震える。

「ん?」

「……キール……、『セルボルト』?」

 キールの膝が笑っているが、もちろん顔は笑っていない、無色の顔にただ「驚愕」という感情だけをヌードで貼り出したまま。

「……これは……」

 「トウヤ」が苦笑いで、マフラーで繋がった栗色の髪の「恋人」を見る。

「どうやら……、うん、困惑に値する事態になってしまったみたいだね。……どこか喫茶店でも入」

 「ソル」が動いた、その弾みで、マフラーを強く引っ張られて、「トウヤ」の首が絞まる。

「……キール……、キール……、キールなのか……、キール、なあ、……キール……!」

 だっ、と、「ソル」がキールの首にしがみ付く。ハヤトも止める隙はなかった。

「……ソル……!」

 キールは、反射的にその腕を「ソル」の背中に回した。

「本当に……、君なのか……? ……本当に……」

「キール……!」

 人前で同性愛者どうこう。他の誰かに知られてはどうこう。そういうことを気にしていたはずのキール――そして同じく「ソル」――は、もはや何を意識することもなく、しっかりと抱き合っていた。呆然と、ハヤトと「トウヤ」、即ち互いの恋人を、放置したまま、通行人の見るに任せるまま。

 喫茶店に入っても、話などほとんど出来なかった。向かい合わせに座ったキールと「ソル」は、ただ、互いの目だけをじっと見詰め合ったまま、口を開こうともしない。これでは埒があかないねと、「トウヤ」は苦笑いする。四人の中で彼が一番冷静さを保っていた。気の太いハヤトでさえ、この状態に戸惑いを隠せないのだ。

 結局、コーヒーを飲み終わって、すぐに立ち上がる。「トウヤ」は「ソル」の手を引いて、私鉄の改札へ向かう。

「……リィンバウム……、サイジェント」

「なんでお前が!?」

 ハヤトに、「トウヤ」も困ったように笑う。

「知ってるんだね……、勇人君も」

 既に夕ラッシュの時間に突入している。改札口から夥しい数の人間が吐き出され、自分たちもその渦に隠れそうになりながら、それでも他の誰も持ち得ないものを自分たちが手にしているのだと言うことを漠然と意識する。

「また……、近いうちに会わなければならないみたいだね」

 ハヤトは、うん、と頷く。その理由がキールと「ソル」にあることは、明らかだった。まだ、二人は心細そうに互いを見詰め合っている。その視線は、死の別れを前にしているかのように、切羽詰ったものにも見える。

 しかし、ひとまずは。

「ソル。帰るよ?」

 一歩、「トウヤ」が歩き出す。

 「ソル」は、抗うように、……また、「トウヤ」と繋がったマフラーが締まることも気にせずに。

「キール……!」

 キールは、泣きそうな顔になって、……ソル、と呟く。キールが自分以外の相手にそんな顔をするのを、ハヤトは始めて見た。キールの喉仏が一つ上下して、

「大丈夫、またすぐに会えるから……」

 

 


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