下心房/こどもの国

 耳も鼻も冷たい。ハヤトは裸の右手がキールは裸の左手がそれぞれ冷たい。それでも自転車を立ち漕ぎして寒々しい川を渡り街道を渡る。灰色の雲のどこかに太陽はあるのだろうけれど、あまりにも寒々しい週末に、たまたま父も母も家にいるものだからハヤトはキールを連れて家を出た。

 一帯が首都圏への一大住宅地域であり、更に雑木林や丘を切り崩して家々を建てていく。だから、大げさで武骨な段々畑のような風情の空き地が連なって、キールには奇怪なシルエットと映る。雑木林も入口には冷蔵庫や自転車やブラウン管の割れたテレビが転がっている。そんな街、こんな街。キールがハヤトと暮らすことが、当たり前になっていく街。寒い寒いと震えながら、一つきりの手袋を二人で分け合って二人乗り。どう足掻いてもただの友達同士には見えない。さりとて恋人同士とスムーズな自己主張も認められないだろう。しかし、二人の影が一つになって街を駆け抜ける様が定着すればいいとは思うのだ。

「はー……、この辺でいい?」

 自転車を止めて、ハヤトが振り返る。キールはうんともいやとも言わないで、ハヤトの肩に置いた手、そのまま。自分よりいくらかはちゃんとした体だ。重たいボールを弾ませてパスしてシュートして、そういうスポーツをやっているから機能的に整備された筋肉を纏っている。裸を見るたび、やけに縦長に育ってしまった自分を少し恥ずかしく思う。

「……なあ、いいだろ?あんまりうろうろするのも面倒だしさ」

 うん、とも、いや、とも、まだキールは言っていない。それでも肩に置いた手をぎゅと握って引っ張られて、もう、それが自分の口から出たものではなくとも答えになってしまう。

「車もそんな通んないし、誰も俺たちのことなんて気にしないだろ」

「どうだろうね……」

「どうだろうって。大丈夫だよ。そんな目立つことしようっていうんじゃないんだ」

「……十分目立つと思うんだけど、どうだろうか」

「いいだろ。隠れてやればばれないって。それとも何か、キールはしたくないのか」

 一瞬でも答えに窮した表情を浮かべてしまった時点でキールの負けだ。行こうぜと引っ張られて、枯葉が覆う土の斜面を昇っていく。下の道を車が一台走り抜けた。ちらりちらりとキールは振り返る。木立に遮られて、下の道に置いた自転車も見辛い。これならばあるいはと思う。けれど、それが即ち許されたこととは言いがたい。

 ハヤトの背中は嬉しそうだ。それが判ってしまうと、益々キールは弱い。

 白い息が流れる。ハヤトは木の幹に寄りかかり、両手を広げてキールを誘った。

 仕方ない、君がしたいのなら。そう、「君が」したいのならなどと、心の中でだけ自分の体面を保とうとすることは、決して卑怯でもないだろう。

「やっぱり、最初はキスからがいいだろ?」

 キールはハヤトの言葉に、頷く以外できない。全肯定するとそもそも決めている。

 ああ、そうだ、やっぱり僕は恥ずかしいくらい君が好きだよ。だから家を出る前からずっと君にキスをしたかった。

 ほんの数ヶ月前の自分が見たなら、嫉妬心にどうにかなってしまうだろうなと、穏やかな興奮と共に想像しながら、冷たい思いをさせてしまうかもしれないと気を使いつつも生の左手でハヤトの頬に触れて、キスをした。

「キールさ」

 唇が離れる前に、ハヤトはキールの左手を、自分の右手で握った。少しはあったかいだろ?俺のほうが。

「……チャリ漕ぎながら、もうずっと勃起してたって言ったら軽蔑する?」

 握った手を、ハヤトは自分のジーンズへ導く。少しも恥ずかしくないわけでは、もちろんない。こういうところでこういうことをする背徳感もあって、なお、択んでいるのだ。

 キールはそれに触れる。そっと撫でた。撫でながら、キスをした。舌を入れた。誘い出すように、上顎を舐めて、舌を引く。ハヤトが応えてくれるのは、心からの幸い。

「誰が君を軽蔑するんだい?……大好きだよ……、君のことが、大好きだから」

 君の体の正常な反応を、嬉しく思わないはずが無いだろう?確かに僕はその嬉しさを表現するのが下手だけれど、本当に、本当に、……本当に。

「……キール」

「大好き……」

 また、キス。

 場所はどこでも良かった。雑木林でも本人たちさえそこを「そう」だと言えばバスルームにもベッドにもなりえる。寒いなら身を寄せるだけで、十分に好条件な場所になる。

「キール俺、キールにしてあげる」

「……ん?」

「気持ち良く。……なりたいだろ?」

 ハヤトはキールの応えを待たず、キールのベルトに手をかけた。両手がベルトにかかって、キールは戸惑う。

「いいよ……、その、僕は。それ以上に君が」

「俺、もうちょっと我慢する。……我慢したい。お前にしてからのほうが、もっとずっと興奮するだろ?」

 淫靡な科白ほど少年の口からはスムーズに出てくるように思えた。

 結局キールはハヤトに代わって木の幹を背にする。ベルトを外す手の動き、ボタンを外す手の動き、ジッパーを下ろす手の動き、……まださほど慣れているとは言えないが、キールは手伝う気にはなれなかった。結局、ハヤトの手は直にキールの性器に触れた。

 そこがまだ、自分のようにはなっていない様子を見て、ハヤトは少し寂しい。それを顔には出さないで、その代わりに笑う。手のひらを当てて。

「……なぁ、ちんちんも冷たくなってるな。寒い?」

「……それは……、君だって寒いはずだ」

「俺そんなに寒くないんだ。興奮してて、わきの下とか汗かいてるし」

 どう言えば良いのか。よかったね、と?キールが考えているうちにも、ハヤトはひんやりしたそこを、どうして暖めてやろうと思案する。そして結局、安易だろうけれどと誰かに断ってから、柔らかなままのそこを口に含んだ。どうしたって一番温かいのは口の中だろうから。

 予想の上とは言え、やはり、恋人にこうして咥えられるのは嬉しい。恐らくは男の身体で有数にセンシティヴな問題を含んで在る場所を、殺傷能力すら秘めた場所で優しく傷つけぬように刺激するという、微妙なバランス感覚は、……確かに誰とすることも可能だろうけれど、好きな相手だから納得してされる、することができる、行為だからだ。キールはハヤトの口の中に収められた自分の肉体の先端は、今この時の自分の身体において最も幸福な場所と感じる。そしてハヤトも存在感を増すキールを感じる口が、自分で一番幸せな器官と感じるのだ。

 温かくなってゆく。白い息が流れて初めて、ああこの場所はこんなに寒いのだと知る。

「でかくなったな」

 口から抜いて、手を這わせて、ハヤトは笑う。それが、本当に嬉しげで。

「俺、下手じゃない?大丈夫?……歯とか当ったりしてない?」

 自分の性器を、鼻の先それこそ目と鼻の先に置いて、見上げてごく普通のコミュニケーションを取ろうというハヤトに、キールは狂おしい気になった。

「……それは」

 確かに、時折歯が当る。まだ、おっかなびっくりの感も拭い得ない。それでも、初めてハヤトがしてくれたときから、スムーズに射精に至る繰り返しだから。

 要するに、相対的にハヤトは上手なのだろう。

「とても、気持ち良いよ」

 申し訳ない気持ちで、キールは言った。上手であればあるほど、ハヤトの口を精液で汚すことになるのだから。ダメだよと言っても、呑んでしまうのだから、キールは困惑するばかり。

「そっかあ……、よかった。嬉しいよ。……こういうこと言ったら引かれるかもしれないけどさ」

 キールのペニスの先端に、キスをし、舌を這わせつつ、言う、……そんな自分の顔を想像して噴き出しそうになったあと、そうじゃないだろ、大好きなキールの為に、そうゆうことするんだから、笑えないだろ……――

「俺、キールのにフェラするの好きっぽいよ」

 不思議な形だなと。自分のにも縮尺は違えど同じようなものが生えているのにも関わらずそう思うのは、まだ自分が包茎で、キールのものが露茎だからだろうかとハヤトは想像した。そして、その不思議さは、キールという存在そのものへ行き着くような気もした。自分の為にこうして今立っていてくれる命そのものが、万が一にも馴染んだような形をしているはずが無いのだ。

 だから、味も、匂いも、

「キールの、好きなんだろうと思う」

 存分に楽しみつつ、その裏を、舐めてゆく。そんなハヤトを見ていると、キールは、何だか泣きそうな気持ちになる。きっと違うよと。僕が変なことを覚えさせてしまったから。

 どれもが正解になる。確かにハヤトは淫乱な男ではなかっただろうし、しかしキールも彼が思う程、変態ではなかった。二人が互いの喜びを最優先すればこそ、どれもが正解になる。そこは二人が支配する世界であって、二人にとってのみ幸せな世界に成り得る。二人がそれに納得したとき、全てが、その世界で法になる。

「……ちゃんと、飲ませてな。前みたいにギリギリで抜いたりするなよな」

 そう言って咥える前、少し笑う。その息が、纏わりついた。

「……まあ、あの時は顔にかけてくれたから、良かったけどさ」

 改めて吸い付く。

 ああもう何だか、何が何だか。キールは自分の頬に触った。君が、君が、君が、本当に僕は、自分の下半身からではなく、心臓が言うような感じで、好きってもっと言いたいのに。僕は、どうして。どうして男なんだろうね。

 ハヤトとしては、キールが今加えている場所から「大好き」と言ってくれても、ちっとも不都合なところなどなく。確かに、確たる理由で心臓からの好意が生まれるソルのことを多少羨む気持ちもあるけれど、自分は自分でソルはソル。違った形で違った時間にキールを喜ばせることが出来るなら構わない。差し当たり、自分の唇と舌でキールが喜んでくれることがどうして幸せになりえない。

 だから、さ、早く。俺を喜ばせて、幸せにして。

 俺の、大好きな、大好きな、大好きな……、キール。

 ……どれくらいいるんだっけ……。保健で習ったような気もするし、だったら覚えていなきゃいけないような気もするし。

 とにかく夥しい数の精子を、殺す為に飲み下す。しかし、それは自分の中の一部となる。キールが自分の中で息をする。産んでしまえば終わりの子よりも、自分が成長する糧になる。男でよかったとハヤトは思った。いつだったか一瞬だけ覚えた寂しさも、今は笑って蹴っ飛ばすことが出来る。これをテキオウキセイと言うんだった、咄嗟には漢字が思い出せないけど、確かそんな感じだった。

 キールを口から抜く、しっかりと喉に感じながら飲み終わる。キールの空ろな表情、可愛いと思うハヤトだった。ポケットから、こういうときでなければ携帯しないティッシュを出して、丁寧に拭く。

「気持ちよかったですか?」

 立ち上がり、おどけて言った。キールは我を取り戻し、「うん」と、困ったように頷いた。

「じゃあ、落ち着いたら俺のもしてよ。もう、なんかメチャメチャ早漏かもしれないけど」

 口を避けてキス。元のとおりのポジションで、キールは膝を突く。ジーンズが窮屈そうなハヤトを抜き出す。少しだけ濡れていた。それを指摘してやることも出来ようが、結局は出来ないキールは素直にそれを口に含む。

 自分こそ上手なのだろうか。それもやはり、相対的なものでしかありえないだろう。ハヤトは恐らく早い方だ。それは自分と比べても、一般と比べても、ソルと同じくらいに。

 どうして髪を茶色くしているのか、聞いたことが在る。こちらに来て、「日本人」の髪は皆元々は黒いのだということを知ったからだ。リィンバウムでは、俳優などでなければ髪の色を変える事は無い。親から引き継いだ髪の色で、それが白くなったりなくなったりするまで、一生長く友として生やしつづけるのが普通だ。ハヤトは「流行ってたからね」と淡々と応えた。「俺、あんまり黒い髪似合わないっぽくて。周りが茶色くし始めて、母さんにも相談してさ、いいよって言われたから、脱色したんだ。そしたらやっぱり、黒い時よりもいい感じで。でも今なら、黒くしても良いかな。お前とおそろいになるもんな」……、と。ハヤトの性毛を見る度、髪とこの毛の関係を思う。大丈夫だよ僕は、ここだけでも君とお揃いなら、それだけで本当に十分だ。そもそもキールにとっての認識では、最早ハヤトは茶色の髪ということで定着している。変えたからどうなるというものでもないし、今更変える必要もないことだ。

「ん」

 少しの声が出た。

 ハヤトは、キールにその声を聞かれただろうか、少し気にした。「そこ」を責められると、どうしても身体はぴくりと動いてしまうし、時折鼻から抜けるように声が出る。そんなの、女の子だけだと思っていた。そう言えば、胸を、乳首を、触られて感じるのも、男じゃないと思っていた。それをもちろん、マイナスに気にするのではない。どうせ感じるなら感じるで、声も出るなら出るで、大好きなキールが、好むような反応になっているだろうかということを思うのだ。もちろん「俺の声って可愛い?感じる?」、そんなことは聞かない。けれど安心したい気持ちも在る。不器用だから声の高低など、どうにも出来ない。

「……ん、……うん……」

 まるで自分が質の悪い楽器に思えてくる。キールの口が奏でているように。どこを舐めればどういう音が出るのか、知っているんじゃないのか。それを判っていて、「そこ」ばかりを舐めるわけではない。

「……キィ、ル……、やばいよ、……あっ」

 俺の声でお前が感じると判ったならそれが、最後の引き金。キールの眉間に一つの皺が寄った。

「……は……っ、ア……あ!」

 自分の一部を切り離し分け与える切ない喜び。続く寂しさ。後悔。グラデーションでやって来る感情を味わう。その間、ずっとキールを見ていた。彼は最後まで上手に舐め取り、飲み込んだ。優しい、涼しくも見える顔で。

「……キール」

 ハヤトの右手を優しく握る。

「大丈夫?寒くはないかい?」

 その労いが、実は次の興奮を抑える為の演技であっても、まだハヤトは気付けない。

「……うん、割と平気」

「そう……」

 ハヤトのズボンのポケットから、ティッシュを引き抜いて、してくれた以上の丁寧さを心がけて拭った。

「な、……最後にもう一回だけキスして?」

「……キス?」

「うん……、その、ほら、ちんちんに」

 キールは困惑した顔で見上げる。ハヤトは笑っている。

「……もちろん、してあげてもいいけど……、どうして?」

「うーんと……、して欲しいから、……っていうのはダメか。でも、そのさ……、好きなんだ。俺、キールが俺のちんちん口に入れてるとか思うと、ゾクゾクするから……、見たい、なって……」

 好きか嫌いか、結局はそこだけかもしれない。それは浅薄かもしれない。但しそれは、この世界の外でなら。キールはハヤトが好きでハヤトはキールが好きで、それで保たれる世界のバランスならば一番重要なのは要するに「好き」か「嫌い」か。ハヤトはキールが全部ひっくるめて好きで、キールもハヤトを同じように好きと思う。それはどこまでも感情論に思えて、その実、機械的で且つロジカルな世界の規律だ。

 キールはハヤトの、柔かくなり始めたペニスにキスをした。

「……な、ちょっと、俺のほう見れる?」

 「見られる」だね、……内心そう思って、ちらと見た。ハヤトが自分を見ている。それは、ただ性欲を持っただけの少年の顔ではなかった。

「……ありがとう」

 にっこり、笑った。

「……いいえ、どういたしまして」

 既に木立の中は暗い。さあ、風邪をひかないようにと、キールはハヤトの下着とズボンを上げた。

「今何時だ?……まだ六時前なのにこんな暗いのか」

「だって、冬だからね」

 そうっと斜面を降り、雑木林を抜け出す。遠くの土手の上を、遊園地帰りの電車が走っていく。普通の遊園地ならばこの時間でもまだ混雑していようが、要するに町田市の、ハヤトの家から自転車で行けるようなところにある遊園地だから、車内反対側の壁も、ハヤトは見ることが出来た。

「じゃあ帰るか。腹減ったなあ」

 ハヤトの跨った自転車にキールも跨って、走り出す。考えてみると自分の耳がとんでもなく冷たい。信号で止まるのを好機と、二人は耳を温めあった。長い長い上り坂を越えて、一生懸命ハヤトは漕ぐ。キールは申し訳なくなって、降りようか?何度聞いても、いいから乗ってろって。お前を俺が連れて行くんだ、そういう強さを感じてたいんだ。

 エレベーターで密室になると、また、キスをした。

「……なあ、あのさ」

「ん?」

「……キール、今度さ。……その、すぐじゃなくていい、けど、そのうち、近いうちにさ」

「……うん?」

「俺の……お尻の中、入らない?」

 ドアが開いた。ハヤトはエレベーターの中で斜めにしていた自転車を、エレベーターホールの置き場にちゃんと停める。

「なあ?」

 と振り返る。呆然としたキールを載せたままのエレベーターが一階に向かって下りていくところだった。


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