ハンスの言葉に引っ叩かれたエブラはダレンを愛する。そうでなくても愛しい思いが、コーマックを言わば「切り捨てる」形をとれば、ダレンを大いに満足させるほどに強まる。思いが強ければ、あとは十代後半の力に任せたやり方で愛を打ち上げればいい。恥ずかしかったり申し訳なかったり苦しかったり失敗したりもするし、それはしかし、二人は承知の上のこと。両者一歩も譲らない愛情合戦が日々行なわれる。どこかはかなく脆い部分のあることは、エブラもダレンも瞭然承知していて、しかし、だとしても、いや、だとしたら、だからこそ、自分たちは今在る時間を目一杯に輝かせる。エブラは今十七歳、ダレンは十五歳、共に、今の自分の年齢が、生涯で一番美しいに違いないと信じている。若すぎるのだ、これが青春なのだと、青春の中に在りながらそれを自覚する事はまず無い、しかし、二人は間違いなく青春を謳歌していた。
しかしポール=ニザンは言う、「ぼくは二十歳だった。それが人生で一番美しい年齢などとは誰にも言わせない」。だがエブラとダレンは後に言うだろう、ぼくは二十歳だった、それが人生で一番美しい年齢などとは誰にも言わせない、なぜなら……。そんな意地のようなものが、二人には在って、それがお互いを愛し合うベクトルを硬く強く濡れるほどに猛らせる。喉の仰け反るのを待って噛み付くようにキスをして、息を止めあう。自分たちは今死んでも後悔しないと、違う種類の幸せのあることを、一切無視して。
強い輝きが、二つながら併存している側で、くすんで見えるのが大人二人で、しかし、ダレンとエブラ以上に、彼らは二十五歳、二十六歳という年齢が一番美しいはずと信じている。信じているからこそ、今、考えるのだ。そうして失敗しても成功しても、後に「あれは美しくなど無かった」と言って微笑むことが出来るようにと。
ハンスの言葉が効いたらしいエブラ同様、コーマックも時折、あの爽やかな微笑を見せるようになってきた。おまえの笑顔は憎たらしいとハンスは言う。おまえの笑顔は何かをたぶらかせるためにしかない、薄っぺらなものに見える、自分でそれを理解していないのだろうおまえは。そう毒を吐くハンスは、コーマックのように素直で爽やかな笑顔を作ることはどうしたって出来ない。それでも性根はぱっと見ほど悪くはないし、人と建前上打ち砕けて話すことも出来るから、敵はさほど、多くない。
エブラにとっては、コーマックの友だち、以上の認識はない。ただ、時折すごく耳に痛いことをいう大人だという風には思う。ダレンにも同様に、深く話したことはないけれど、いつも微笑んで気さくに対応する、だけれど、時々すごく切れ味の鋭いことを言うと。
コーマックはハンスした行為に、恩は感じないが、温度の存在は認める。ハンスは冷たい言い方で暖かいことを行っているのだ。
コーマックの目は、エブラを探さなくなった。探すのではなくて、視界に入ってくることは、無論ある、その時は、いつもと変わらない笑顔で、「よう、最近どうだよ、あんまり身体に無理さすなよ、いくら若いって言っても限度があるんだし、まあ、おまえなりに、好きな気持ちに任せて頑張んなよ」、そういうときは、大抵側にダレンがいる。そうしてその様子を見ているハンスがいる。微笑むでもなく、憐れむでもなく、コーマックが強くなったことを見て、感じ取っている、そうして、胸に何ともいえない安堵が満ちる。相も変わらずハンスはコーマックの部屋に入り浸り、時折、惰性で部屋の隅を借りて眠る。コーマックはハンスに何も言わないし、ハンス自身も何も言われないことを判ってしている。
コーマックはハンスが言った刺のある一言ひとことは当然自分の為に言ってくれたのだと理解していて、それを踏まえて、やはりいい友だちだ自分には必要な人だと考えるに至る。刺に存在する柔らかな穏やかな滑らかな体温は心地よい、ハンスに対しては全肯定しようなどと突発的に突拍子も無いことを思いついて、まるで恋をしているみたいだと笑う。恋をしているみたいだと、実際、そうなのかもしれないとも思うが、そんな簡単なものでもないと自分でも解かっている。救ってくれたヒーローにいちいち恋をしていたら人間は生涯にいくつ性器があったって足りるものか。救い救われ生きているのだから人間の関係は今よりもっと不可解な蜘蛛の巣の様相を呈するに決まっている。しかし、そうは考えるが、部屋の隅でくうくうと寝息を立てている友だちを、本当に心からありがたく思うのは当然で、そしてありがたいと思う気持ちこそが恋愛感情に発展していくんだろうとコーマックは思っている。
クシャミをして、ううんと声を出す。コーマックは、壁にかけた自分の外套をかけてやる。半覚醒のハンスが「ありがとう」と、一応最後まで言い切って、口を閉じる。
ティッシュが切れるスピードが早まっているエブラとダレンのトレーラーである。ティッシュだけならばまだ言い訳はつくが、他にもなくなるのが早いものがもうひとつあって、出来るだけそれを使わない形ですればいいのだが、やはり一日に二つずつのペースでなくなっていく。どう考えてもその倍以上の回数はしているわけで、昼間改めて考えると、ダレンもこれではいけないと思い至る、のだが、誘っているのは自分で、何故誘うのかと問われれば、エブラが好きエブラが好きエブラが好き……、以外の答えが浮かんでこない。
そういった事情で一人、近隣の集落へ買い出しに出る。
以前、小さなドラッグストアで「それ」を買ったとき、咎められることは無かった。今日も一人で買いに行く。屈強な足ならば、さほど遠くも感じない距離を辿って、街はずれから、スピードを緩めて歩く。人気のまばらな、特にこれと言うべき点もないような、冬の始まりの曇り空に白い息は流れて、眠そうに見える街のメーンストリートをてくてく。
ドラッグストアは道沿いに在った。退屈そうな街の中で、真新しい店の軒先にはこれはいくらそれはいくらといちいち安くするくらいなら最初からしておけばいいのにとダレンには思える値札がずらずら並んでいて、その山の一つはティッシュだった。いくつかセットになっているものをピックアップした後、「それ」の棚へと足を運ぶ。いつもと同じ銘柄のものを買う。避妊を目的とするものではない、性病予防以上の理由は一つもない。そもそも自分が性病になるだろうか? エブラ自身のためだけに買うようなものだ。それでも、安物ではなく、いつもそれなりのものを買って帰る自分を顧みて、どうもエブラとセックスをすることが一つの生活になりえているのだと気付き、嬉しくなる。
それからチョコレートのウエハースサンドを二袋とって、レジに持っていく。目の大きな黒人の、四十がらみの女が店員だった。
レジにダレンが並べた三種類の品を順に見て、小箱を持ち上げる。
「あんた、これを何に使うか知ってんの?」
ダレンは首を傾げた。
「知りません」
そうして見せると、元々幼く見える外見に拍車がかかる。
「にいさんが買って来いって言ったから」
「……あんた、何処の子だい」
面倒臭いな、ダレンは内心で顔を顰める。
「旅行中なんだ、にいさん夫婦と」
それから、不必要とも思いながら、両親はもういなくて、引き取ってくれた兄夫婦とともに暮らしている少年の背後事情を並べ立てる。我ながら嘘が上手で嫌になるダレンだった。
それでもレジの女は不審そうにダレンを見る。
「……そのにいさんってのに会わせてもらっても構わないかい」
面倒臭い!
ダレンは危うく本当に顔を顰めかけて、さあどうする……、そこに、後から声がかかった。
「ウチの弟が何か? ……ダレン、言っただろ、一つじゃなくて三つだって」
ぐりぐり、髪を撫でて、小箱を二つ、ティッシュの上に積む。
「足りないんだよ一つじゃ。全然足りないんだ」
苦笑しながら、ダレンを撫でて、ポケットから金を出す。
「ほら、さっき渡したのも合わせて」
慌ててダレンもポケットから取り出す。女はダレンの兄――当然ながらコーマックなのだが――を汚らわしそうに見て、レジを叩き、つり銭をダレンの掌に渡す。
「ありがとう」
コーマックは微笑んでそう言い、邪宗のごとき奇妙な印を結んで、最後に指をぶちりと千切って見せた。とんでもない悲鳴を上げて卒倒した女を見て、二人でげらげら笑いながら店を出た。
「……ありがとうコーマック、助かった」
「どういたしまして」
爽やかだとハンスが疎む笑顔。
「それにしても、……一人で買いに来るんだ?」
はっとして、店では鉄面皮を通していたダレンは、ぽっと頬を染めた。
「いや……、ああ、うん」
実際、深く考えなくとも思春期の恋人同士、することは一つと言えど、している内容まで露呈させたいとは思わないし、物の消費量まで知られたくは無い。単純に恥ずかしいと思うのだ。
「愛し合うって、いいことだよな、ダレン」
笑顔で、コーマックはそう言う。
自分の持った、二箱の片方を、ダレンに押し当てる。
「え?」
「あげる。お兄さんからのプレゼントだ」
「……どうして……? コーマック、使うんじゃないの?」
「おれは大人だから、そんなたくさん使わないでも済むの。それに、今のところ使う相手もいないしな」
「……」
「ん?」
「……ぼく、コーマックはハンスと付き合ってるのかと思ってた」
コーマックは少し笑った。ダレンが少し気分を害したような表情になったのを見て、ごめんごめんと謝る。
「ハンスとは、別に何もないよ。友だちだよ」
「ぼくとエブラも友だちのつもりなんだけど」
「そうなのかい? まあ、うん……、でも、おれとハンスは友だち。ただの友だちだよ」
心の中では親友と思っていながらそう言って誤魔化す。
ダレンは少し考えてから言った。
「ハンスが戻ってきてから、コーマック、元気になったよね」
コーマックはすぐにうんと頷く。
「そう思うよ。あいつがいろいろ、話し相手になってくれたりするからね。やっぱり側に一人でもいると楽だ。すごく楽だ。助かってる」
そういう表情は、もちろんコーマックもダレンも気付いてはいない、物理的に気付きようのないことではあるのだが、ダレンが、エブラが、お互いのことを誰かに話すのと同じ顔だ。まだ、そこに恋は無くとも、誰かに対する大きな安心感と信頼感が滲み出た、悪くない顔をしている。
ダレンはそれに気付きはしないけれど、それでもコーマックとこういう風に、当たり前のように、二人きりでも話せるのは嬉しい。
「コンドーム、ハンスと使うのかと思った」
小さく笑いながらダレンは言った。
「その予定は無いな」
「単刀直入に……、コーマックはハンスのこと好きなの?」
コーマックはくすくす笑いながら首を傾げた。
「どうだろう。うん、好きだよ、でも、判らないな、好きだけど、それは純粋に友だちとしての好き」
「ぼくがエブラ好きなのも、友だちとしての好きのつもりなんだけどな」
「あー……、うーん、そうだなあ。判んない、判んないよ。寧ろ、ハンスはおれのことたぶん嫌いだよ。そう思ってる」
そうでないことを願っているし、きっとハンスもおれのこと好きでいてくれると思っていながら、そんな風に照れ隠しで言う。
ダレンは消化不良の顔をして、笑うコーマックをずるいと思いながらも、大人ってそんなものなのかも知れないと少し思う。そうして、エブラと自分の幸せに水を差す存在はもう何も無いのだと思い知る。
戻ったら、少し早いけれどトレーラーに鍵をかけて、エブラにキスをしよう。キスをして、離し際に唇を舐めよう。そうすれば、理性強く倫理観在るエブラも揺らぐ。そうしたら、ぼくから先に、裸になろう。裸になって、エブラを舐めよう。
買ってきたばかりで、また二個なくなってしまう。し終わった後で憂鬱そうな顔で残り個数を数えたなら、コーマックにもらったもう一箱を見せて、もう心配要らないよ、だからもっともっとぼくを抱いてよ、そんなことのひとつでも言ってみよう。
コーマック、幸せになれるよきっと、そう言って、だからぼくたちも幸せになろうねって。
「馬鹿じゃないのか、使いもしないのに」
ハンスはコーマックが持って帰ってきた小箱を見て唇を歪めて笑って言った。
コーマックも、今になってじわじわ後悔が湧いてくる。
「そうだよな……、どうせならこれもあげればよかったんだよな……、うん、おまえの言う通りだ」
コーマックは苦笑いして、しかし、まあいい、いつか、どこかの誰かを見つけて、するときに使えばいいやと、気の長い話を考える。
「おれと使う?」
ハンスは冗談で言った。
「……」
コーマックは顔を引きつらせてハンスを見る。
ハンスははっとして、
「冗談だ」
と言って、強制的に会話を終わらせた。
むやみやたらに目線を交わらせないほうがいいと、二人同時に思って、わざとらしいくらい同じ瞬間に、口笛を吹き始めて、それが同じハッフェルベルのカノンで、ハンスはメロディーを、コーマックは伴奏を吹いて、それが見事なまでのハーモニーを奏でて。
ハンスは怒ったように立ち上がって、トレーラーを出た。コーマックはどっと疲れて、なんだか昼寝をしたくなった。