小さなメロディ

 汗臭いな。
 冷えたミネラルウォーターのボトルを持って戻ってきたエブラは、くんくんと鼻を利かせて、そう思った。いる間は気付かなかったけれど、戻って来て改めてかいで見ると。いまはぴんぴんして指をちぎったり腕をもいだりしているコーマックの部屋も、ちょっと前まではこの匂いがしていた。してみるとこれは、汗の臭いではなく、風邪の臭いなのだろうと判断する。きっと自分もこういう臭いをぷんぷんさせて寝ていたのだろうと察する。
 そっと扉を閉めると、布団がもぞもぞと動いて、スローな動きで持ち上がった。
 ダレンが、白い顔で半身を起こす。しばらくはぼうっとしたままのダレンに、エブラは、「おはよう」と言った。
「寝てなくていいのか?」
 こくん、と頷く。
 枕元に置いたはずと自覚する体温計を手で探す。三時間前にダレンが眠った後、踏ん付けてはいけないからと、蛇の檻の脇に移動しておいたのを、エブラが拾って、ケースから取り出す。
「水」
「……ありがとう」
 左脇に体温計を挟んでいるから、キャップを開けてからエブラは手渡す。一気に呷って、上手そうに喉を鳴らして。一度にボトルの三分の一を開けてしまった。よほど喉が渇いていたのだろうと思って見れば、パジャマ代わりのTシャツは汗でびっしょり濡れている。確かにこれならば汗臭くもなるというものだ。
 おかげで、脇の下から抜き出された体温計は平熱を示している。汗で濡れた先端を布団の端で拭いて、だるそうなダレンのシャツを引っ張って脱がせる。鞄からタオルを取り出して、水で少し濡らしてから、その身体を拭いた。ダレンは少し痛がったが、ぐったりした身体を、エブラの力がかかるに任せていた。
 エブラは甲斐甲斐しく上半身を拭いて新しい下着を一そろい、ダレンに渡す。
「着替えないと」
 こっくりと、ダレンは頷く。のろのろと立ち上がり、着替える、その間に二度溜め息を吐いた。
「大丈夫?」
 何だか今ひとつ、ダレンの反応は鈍くて、熱は下がっても風邪が治ったわけではないのかなと心配になる。
「ダレン?」
「大丈夫」
 二度目の問いには、何だか不貞腐れたような答えが返ってきた。
 そうしてエブラは、自分の身に起こった事、ダレンの心の思った所を反芻して、消沈して膝を抱えた。そうだ、本当はこんな風に何となくコミニュケーション出来るような状況じゃなかったっけ……。
 ダレンが、おれのことを好きだと言ったのだ。
 ダレンが早くよくなりますように、そのことだけを考えてここ数日を非常にストイックに生きていた。もちろん、忘れていたわけではないが思い出さないようにしていたという可能性も、否めない。
 言葉を捜しているうちに、ダレンは上下を着替え終わって、ぐったりと布団の上に座り込んだ。ダレンは一度口を閉じたボトルにもう一度手を伸ばし、また水を飲んだ。
 ああ、まだ今日はダレンから言葉をかけられていないな、エブラはそう気付き、寂しくて仕様が無くなる。いや、今日だけではない。ダレンが風邪に倒れてからというもの、ダレンはエブラの言葉に反応するばかりで、自分から何かを言う事は殆ど無かった。その行動の意味するところを、エブラは理解できなかったが、現時点ではこの状況が歓迎できる事態であるとはとても思えないのだ。エブラの願っていたとおり、ダレンが彼のことを好きだと意思表示をしたからといって、それが即ち事態の好転を、エブラの願った未来の到来を告げる訳ではなかったのだ。
 エブラはダレンの表情を明るくする言葉を捜す。
「……ダレン」
 俯いたままの、名を呼んだ。少し置いてから、うつろに顔を此方に向けた。
 ただ、言えるのはやはりそれしかないだろう。
 そう、決め付ける。ダレンが本気で自分に、本気を見せたと、本気で信じるのならば自分も、本気を見せるしかないだろうとエブラは、考えたのだ。
 まだ覇気のない顔にまた、あのリズムが踊る笑顔の浮かぶことだけを願うからだ。長い舌は絡まることなく、正直な気持ちを言葉にした。
「おれ、おまえのこと好きだよ。大好きだよ。解かるよな? ただ好きなだけじゃない」
 ダレンはじっとエブラを見る。その視線がどことなく暗く陰気に緑の顔の上をじろじろ歩き回るのは、決して病み上がりのせいばかりではない。
 すぐに乾いてしまう唇を舐めて、ダレンは濁った声を出した。
「本当?」
 うん、とエブラはすぐに返事をする。
「本当だよ。ダレン、おれはおまえと同じ気持ちだ」
 優しい顔だな、とエブラは自分で思った。きっと優しい笑顔を浮かべているに違いない。
 大事な人のことを大事に思うときに、その顔の優しく無かろうはずがない。自然と、浮かんでくるのだ微笑みが。意識しなくても、好きな気持ちが表情筋、無意識の笑顔を浮かべさせるからだ。
 それでもまだ、疑うような目をして……、ダレンは、また俯いた。
「忘れてよ」
 そう言って、首を振る。もう一度、
「忘れてよ」
 言った。
「どうして?」
 肩をすくめてエブラは聴く。
「おれは、本当にダレンのことが好きだよ?」
「いいよ。そんなの」
「なにがいいの?」
「おまえをぼくのわがままに付き合わせたくないんだよ」
 投げやりな口調で、突き放した。エブラは一瞬笑顔を引きつらせて、しかし裸になった強さだろうか、剥き出しのまま、
「うん、おれもおまえをわがままに付き合わせたいとは思わないよ」
「だったら」
「でもおれとおまえのわがままの望むところが一緒だったらいいじゃないか。おれは、ダレン、自分で言うのもすごく恥ずかしいし、だけどもう、おれが黙ってるより言っちゃいたいし、言った方がいまは楽だって判るから言うけど、ダレン、なあ、ダレン、おまえのことが、好きだ」
 ダレンは黙ったまま、自分の足の指先を見つめている。
「別に、おまえの言ったこと忘れたって、おれはいいよ。でも、それとは関係ないところで、ちゃんとおれの気持ちは残ってるだろ? おれはね、おまえのことがずっと好きだった。初めて会ってしばらくくらい、おまえと友だちになってしばらくくらいからずっとね。ほらもう、一年以上おまえのこと好きでいて、だけどおまえに嫌われたくないからずっと黙ってたんだ。辛かったよ。いろんな気持ち隠しとおして、だけどおまえの一番そばにいたんだから」
 エブラは言いながら、手が震えて、いつのまにか心臓も早く打っていることに気付いた。ダレンには全てお見通しだろう。顔も熱い。しかしこれら全てが、本気の証明だと自分で決めて、俯いたままのダレンの、すぐ目の前に座った。
「おれは、ねえ、信じてダレン、本当に、好きなんだよ」
 鱗が熔けそう。
 ダレンは、顔を、のろのろと上げて、うすぼんやりとエブラの顔を見た。
 また、熱が出てしまっただろうか。
 まず最初にそう考える自分が、エブラは好きだった。
「どうして?」
「ん?」
「どうしておれのことが好きなの?」
 ダレンの問いに、エブラは苦笑いした。
「ダレン、自分で判らないか? おまえがどんなにおれに欠かせない、優しい、唯一の存在だってこと。……おまえはおれのことをいつだって救ってくれるし、大事にしてくれるじゃない。それだけで理由に足りるだろ? 足りないって言うなら、おまえと一緒に過ごしてたこれまで、それとこれからが、おれにとっては人生で最高に輝いてる時間だからって、おれは自信持っておまえに言うよ」
 ダレンの白い表情に、なかなか色が入らない。焦れながらも、エブラは根気良く待った。もう、待つことなど慣れっこだ。
「ぼくは何もしてない」
「そんなことないさ」
 エブラはにっこりと微笑んだ。
「おれが辛いときに、お前は助けてくれただろ? マーロックのときも、あいつのせいでおれが怖い夢見たときも、おまえは誰よりも一番におれを助けてくれた。おれはおまえに、本当に心から感謝してるんだよ」
 どくん、どくん、どくん、どくん、命が巡る音が聞こえる。エブラの耳には届かないが、あるいはダレンも同じような感じかもしれない、そんな途方も無い期待を持つ。
「ダレン……、こないだの晩、おまえがおれのこと好きって判って、おれ、ほんとうに、飛び上がりたいくらい嬉しかったよ。ちょっと、ちょっとだけ、悩んじゃったけど、でも、やっぱり幸せだって事に気付いた。おれ、ダレンの側にいられるだけずうっといたいんだ。ダレンがそれをOKしてくれるんなら、おれにとってそれ以上幸せなことなんてないんだ。大好きなおまえに求められるなんてね。おれみたいなやつでも、好きな人に好きになってもらえるんだって、思って、本当に嬉しかった」
 両手を伸ばして、ダレンの手を取った。
 俯いたままのダレンでも構わずに、引き寄せる。抱いたまま仰向けになった。
「忘れないよ。ダレン、おまえがおれのことを抱いてくれようとしたこと、おれを好きだって言ってくれたこと。忘れたりなんかするもんか。……だから。だからって交換条件出したくないけど、でも、……おれもおまえのこと好きだって事、忘れないで」
 ダレンの髪が、エブラの右耳を、ひっそりと擽った。
「っ……うっ……、う……」
 歯を食いしばって泣き始めた恋人の背中を、エブラはしっかりと抱きしめて、残った余計な熱もおれの冷たい身体でどこか言ってしまえばいい。そうしたら、今夜からは同じ部屋、そして同じ布団で寝たって何の問題も無いはずだと、思った。




 夕方近くになって、ダレンは起き上がって「ごめんね」と小さな声で謝った。赤い目が辛くて、エブラはあまり見ないようにして頷いた。恋人の泣き顔なんて見たいはずが無い。
「おれが泣くとき、ダレンが抱いてくれただろ。お礼だから」
「……ありがとう」
 久しぶりにダレンの笑顔を見たような気がして、嬉しい。
 ダレンは溜め息を一つ吐いて、のろのろと言葉を切り出した。
「ぼくは、エブラのことが好きだ。でも、なんで好きかって聞かれたら、うまく答えられない。単純にエブラが、ぼくのことを優しくしてくれるからだと思う。ぼくはただそれが、ぼくにとって幸せだから、おまえのことが、好きなんだと思う。だから……」
「おれにとっては、それでもう、十分嬉しいんだよダレン」
 掻き消すようにエブラは言って頷いた。
「うん、おれは、ダレンがおれのこと、どんなんでもいいから好きでいてくれるっていう、それだけですごく嬉しいんだ。ほんとうだよ?」
 一つ、微笑んで、溜め息を吐いて。
「でも……、正直なところ、ダレンがゲイだとは思わなかったな」
 言うと、ダレンは少し機嫌を損ねた。
「そんなつもりは……」
「でも、おれのこと好きでいてくれるんだろ?」
「……」
 口を尖らせて何か言いかけて、ばつの悪そうな表情になって、こっくりと頷いた。
「でも、ぼくはべつに、同性愛者だっていう自覚は無いんだ。現に……」
「うん、デビーもトラスカもな」
「……まあ、うん」
「でも今は、おれのことを好きでいてくれる?」
「……まあ、……ああ、うん」
「そうか」
 エブラは嬉しい気持ちでいっぱいになって、生まれてからこれまでで自身最高の笑顔になった。本当に、いままでのもどかしい気持ちが全て流れて行くような、そんな感覚。もう、どんなことだって怖くは無いと自信を持って胸を張って言える。おれはもう、さみしくて泣いたりすることは無いだろうって。
 ただ、ここで一つ、表情を曇らせる。
「あー……、あのさ、……ダレンはおれのことを……、その、セックスで、あの、抱いてみたいって、言ったんだったよな」
「……う、うん」
 そうだ、だから熱を出して寝ているところを襲われたのであって。やはり自分たち二人の関係からそれを差し引いて考えるわけには行かない。
「あの、おれみたいなヘビもどきを見てさ、ダレンはどうしてそんなこと、思ったの?」
「え?」
「いや、さ、ほら、おれがダレンにその、えーと、ダレンの身体を見て、あの、……よ、欲情するのは、わりと、あの自然だとおれ思うんだけど、その逆って言うのは、おれは自分でも自分の身体、へんてこだと思うし、なのになんでかなって」
 ダレンは顔を赤くした。
 答え難い質問だろうと質問者本人も自覚がある。そして、問い辛い質問だとも思う。
「まず……、あの、おれはね」
 ダレンはぼそぼそと答えた。
「……別にエブラの身体、へんだとは思ってないし、エブラのことを、他の誰とも同じ、ぼくと同じ、人間だって思ってるから……」
「……ああ、そう」
 気まずいような沈黙がしばらく流れて、エブラの心に去来したのは、こんな感じなんだろうか友だちの先にあるものって、これからどうすればいいんだろう、どうするのが正解なんだろう、そんな、戸惑い。誰かを好きになったこともあれば、その先に行った事もある。しかし、本気でここまで突っ走って、ここまで派手に転んだのは、少なくとも十七歳にして始めての出来事であって。
「……、っ、ダレン」
「エブラ」
 同じタイミングで顔を合わせて、言葉を譲り合って、結局ダレンが唾を一つ飲み込んで、切り出すこととなった。
「ぼくたちこれから、どうしたらいいんだろう?」
 照れくさそうでいて、また途方にくれたようにも見える笑顔。
 エブラも、つられて同じ表情になって、
「それは、おれも知りたい」
 首を振った。
「ダレンが知ってると思ったら、おまえも知らないんじゃしょうがないな……」
 恋人になったからには、ダレンの想いを全て受領する事だってOKになるわけで、例えばダレンが抱きたいと言うのであれば抱かせてあげればいいのだが、しかし、そこまで行く踏ん切りはなかなか、高いハードルの向こうにあるように感じられる。こんな風な幸せな悩みが、同じように照れくさいからこんな笑顔になってしまうのだ。
「とっ……」
「と?」
「とりあえず、さ」
 ダレンは、照れくさくて仕方がないと言う表情で、切り出した。
「……とりあえず……、ね、あの……、恥ずかしいんだけどさ、こんなこと、言うの」
「うん……? うん」
「……ぼくと」
 俯いて、右の頬を右手で抑えた。上下にニ往復、撫でて、首を一つ振って、溜め息をして、つばを飲んで、唇を舐めて。それほどの言い難い科白を、
「キスして」
 ダレンは言ったから、エブラの胸は、「ときめく」なんて抽象的な言葉ではカバー出来ないような状況に。少なくとも、心臓と肺が強制配置転換をしたかのような大騒ぎで。顔色の出にくい緑の顔が、赤くなるほどに。
「……」
「……、いや、あの、……キスって、ほら……、今までだって、してたじゃないか。同じだよ、やり方はいっしょだから……」
 しかし、「本気のキスがどうのこうの」とエブラに自慢していたのは、ほかならぬダレン自身だから、エブラとしては困惑の度を深めるばかりだ。心の中の幸福はとっくに危険水域に達していて。
「いい、だろ?」
 ここまで来たら、エブラの行動を左右するのは、ただ一つだけ。即ち、ダレンのことが好きだからダレンの好きなようにさせてあげたいそれこそがおれの喜び、いっそ爽快な行動基準のみ。
 もちろん、それが嬉しくて、自分の幸せを呼ぶからだ。
「うん」
 泣きそうな微笑、口の中には塩辛い味。
「こんながさがさでよければ、どうぞ」
 二秒後、温かい唇と冷たい唇は、同じように湿った。十秒後、離れた唇に、二人は途方も無く寂しい気持ちを味わい、たまらずにもう一度、キスをして、恋人になったと自覚する。
 接吻一つが恋人の証になるはずもないのだが、ただ遊びでしていたそれとは、明らかに味がまったく違うもの。舌の裏から、甘くとろとろした唾液が分泌されたような気分。
「ずっと、隠してたから。ぼく、おまえのことが好きだった」
「隠さなくっても良かったのに」
「言ったら嫌われるかなって不安だった」
 心臓がどきどき言う音が聞こえる。いつも自分の音ばかり丸聞こえなのは知っているけれど、ダレンの音がちゃんと聞こえる。少し、震えている。
「おれだって、どんなに辛かったか。でも、こんな風になれるって知ってたなら、もっと早くおれも、言ってたのに」
「辛かった?」
「うん。おまえの……、その、あれ、ひとりでしてるところ、いつもすぐ側、となりで、いたから。おれも、したかった。いっしょに」
「してくれればよかったのに」
「そういうわけにもさ。やっぱり、ダレンはおれのことなんか好きじゃないって思ってたから」
「ぼくは……、エブラにしてほしい気持ち、あったよ。こんな考え方、やらしいけどさ。ぼくがいっつもすぐ側でしてて、エブラはそれを嫌がらなかったから、……ひょっとしたら、もしかしたら、エブラ、お願いしたらしてくれるかもって……」
「うん、百パーセントしてただろうね」
「でも、言う勇気は無かったから。だから、こうして隣りでしてたら、エブラ、ぼくにしてくれるんじゃないか、って」
「誘ってたんだ?」
「うん。誘ってた。やらしいよね、考え方が」
「いや、おれは別に構わないけどね。おれも、もうちょっとされてたら、わかんなかったよ、してたかもしれない」
「そうなの?」
「おまえが寝た後、何度おれ、藪の中行ったか」
「いまはもうそんな必要も無い」
「これからはね」
「ぼくにはエブラがいてくれること解かったから。エブラが……エブラも、ぼくのこと好きでいてくれるって事、解かったから」
「うん、おれも、こんどダレンが隣りでし出したら、おれもいっしょにする」
「……っていうかさ」
 胸の中から、ダレンが顔を上げた。
「……あの、ほんとうにいいの?」
「ん?」
「……エブラを、あの、……して、も、いい、の?」
 エブラは、小さく苦笑を漏らした。
 そうして、柔らかい髪をくしゃくしゃ、撫でて、まだ少し緊張しながら、キスを落として。
 抱きしめる。
「おまえがおれのこと好きでしてくれるんなら、おれはむしろそれを、嬉しく思うけど?」




 まだちょっと熱があるからと、一人でそっと寝かせてから、訪れた午後九時、コーマック=リムズの部屋。傍観者であり、アドバイザーでもあるコーマックも、もう自分には何も出来ないよと、直接エブラに伝えた。あとは、おまえたち二人でなんとかすることだ、おれの手は届かないよと。
 エブラは頷くだけだ。
「しょうがないよ。幸せなことだよ。我慢するよ」
「うん、まあ、でもさ……。いいかいエブラ、おまえは、おまえがされて痛いな、嫌だなって思うことを、あの子にするつもりだったんだぜ?」
「うん、それはわかってる。わかってるから、おれも我慢できる。がんばるよ」
 そう言って、微笑んだエブラを、コーマックは心をこめて撫でた。
「おまえ、痛がりだからな」
 そう言うコーマックの微笑みも、痛みを感じたものだった。
「泣き虫だし……。ダレンは初めてなんだろ? じゃあ、勝手もわかんないだろうし……、心配だよ」
 コーマックのほうが痛そうな顔をして、エブラをじっと見つめる。それから、衝動的にエブラを抱きしめた。
「なー、まったく、……なー……」
 意味も無くコーマックはそんな言葉を並べて、溜め息混じりの声で、
「心配だよ」
 と。
「……おれ、ダレンがおまえ泣かせたら、ダレンのこと怒るだろうな」
 苦しげな声で言う。だからおまえは、そっとその胸を手で押して、
「いいよ、怒っても」
 気丈に笑って言った。
「平気、我慢するよ、大丈夫」
 痛みを堪えるようなコーマックの頷き方に、エブラは胸が痛くなった。
「まあ、おれ、うまくいくこと、祈ってるからさ。頑張れよ、エブラ」
 コーマックは、もう一度エブラの頭を、最大級の親愛の情を以って優しく撫でた。
 優しいコーマックの手のひらが撫でた髪は、くしゃくしゃ、これは寝癖、ダレンに添い寝をしていたから。もともと跳ね易い髪質なのだ。コーマックが言うには、ちゃんと「なんとか」すれば何とかなると言っていたが、コーマックが言った「なんとか」が何だったかは、興味が無かったもので思い出せない。
「頑張んなよ」
「……どっち?」
「……両方だよ」


top