恋することを面倒だとはさすがにハンスは思っていなかったが、賢明なそれが大変であることを予想していた。そして、予想以上で、本当はやはり面倒だったことに苛立つが、かといって水に流そうとは言えないような男でもある。少女趣味にも同じ布団で眠る自分たちは、滑稽だが、笑う気になれないし、笑われたらきっと本気で怒るだろうと思う、そうまで鑢を掛けられた自分が滑稽だが、自分で笑う気にはどうしてもなれないし、笑われたとしたら絶対に怒る。
少女趣味にも一緒に寝ているうちに何となく身を寄せてしまっている自分がいる。それにコーマックが気付かないはずがないのだが、言うような男と仮にも付き合っているつもりはない。そんな男になら、愛されたいとも思わないし、愛したいとも思わない。
コーマックはそんな風に思うハンスが最近少し、判るようになってきた。
恋人同士じゃないのかも、相変わらず女々しく後ろ向きに、そう考えはする。それでも一緒に煙草を吸うときも、並んで夕食を食べるときも、同じ布団で眠るときも、ハンスの一番側で自分の生活をしているということを思うと、それだけで顔が綻ぶのだ。ハンスの心が自分を排除せず、許してくれているのが、よく判る。だから、自分の熱に擦り寄って眠ってしまったことを気まずく悔しく思っているらしい朝に見せる不機嫌さもいとおしい。
「楽をしよう」、そう思って実行することは意外と楽ではない。例えば結婚生活は多くの場合苦楽両方を同量ずつ含んでいるものだ。だから、友だち同士も夫婦も家族も恋人だって上手く行かなくなるときがある。だけど少なくとも自分たちは青っぽい恋人のようにいつでもうまくやっていこうと思う。そのために「楽をするために苦労する」シーンといっぱいぶつかるのは過去の経験からもう判っている。だから、だけど、今度は、おまえとは。
「あ……」
「何だよ」
「きれた。……戻って取って来る」
「……いいよ、これ……やるよ」
吸い差しを突き出す。一瞬の躊躇い、コーマックはしかし微笑んで、
「悪いな」
と受け取る。
こんな風な二人に触り、騒ぐ必要も無いとエブラとダレンは最近はお互い愛し合うことに熱中している。大人も子供もさして変わらぬ恋愛作法、時代を国境を文化を世界を越え同じように悩み喜ぶ恋人たちの姿。しかし恋愛の喜びのハードルは低い。水面に月が映っただけで幸せになる人のいる国もある、それくらい、恋愛の喜びに人は敏感だ。これに文化発展の先進途上は無関係である。
「……なんだよ……」
足先が触れて、びくりと身体を強張らせるハンスに、コーマックは「ごめん」と呟いて、少し身を引く。翌朝になれば明らかに領域侵犯したハンスの足は、コーマックの膝の上に載っているのだ。それでいて、コーマックの方が先に起きるのだ。
二人のはじめてのキスは夜だった。夜だったからよくなかったのかなとハンスは今そう思い返す。
意外なことだが、人間は朝の起き抜けが最も理性的に頭が働く。「寝ぼけている」という表現から、われわれは誤解しがちだが、低血圧な人間でも遅刻ぎりぎりラインの朝寝の時には、時間を気にしながら眠り、幾度も目覚ましをセットしなおす。最も、「覚醒」と「理性」は違うらしく、日常ではありえぬミスをしでかすのもまた人間であるが。
半面、夜になればなるほど、人間と言うのは理性的ではなくなっていく。夜にテレビのロードショウをやるのは、もちろん一般的社会人の生活リズムに合わせているからだが、深夜の映画はさぞかし泣く者が多かろう、需要も多かろう。
夜という、非理性的な時間にしてしまったのが、多分、いや絶対、よくなかったのだと思う。そうして、色いろな条件が沢山揃ってしまっていたのも。……あれはコーマックの陰謀だったのか……、と、疑うのはナンセンス、条件の半分を揃えたのは自分だ、仕向けたのも自分だ。単純に自分の意志薄弱さと軽率さを呪うべきであって、しかし呪う気にもならない。
「買ってきたよ」
「ご苦労」
それにかかる費用の半分を出したのは間違いなくハンスだった。だからこそ、ハンスには反省点がある。もしも全てコーマックが賄ったのだったら、それをネタに責任逃れをし、またコーマックのことを責めることも出来たものを。
床に置かれたウイスキーの瓶にロックアイスに、不ぞろいのグラス。ロックアイスは外に置いておけば溶けないような寒い寒い寒い冬の夜、冬の夜だったから、温かいものが欲しかったのかもしれないと今はそう思う。そう、夏だったら、温かいものなんて少しもいらない。トレーラーにクーラーが無いことをぶつぶつ言って済ませることが出来たはずだし、飲む酒もウイスキーではなくてビールになっていたはずだろう。
そんなこと大した差ではないことは判っている。
酒を言い訳にするなんて最悪だとも思う。
単に好きだからしたんだ、それ以外にない。判っている。コーマックだって、「酔っ払ってたから」なんて言わなかった。
「……なに、マジで? ……ほんとうに?」
トレーラーの中には面倒臭がって外に逃げない煙が充満して何となく白っぽい。これもまた、理性を減退させる一要因ではあっただろう。
「本当だよ、おれ見たもん。……馬鹿だよあいつら」
手のひらに載せたグラスの中で氷がくるりくるりと回り、ぬらぬらとゆっくり溶けていく。
「うーん……、確かにそれはちょっと……、馬鹿かもしれないな」
時間も理性も同じように、だと思う。
二人はダレンとエブラの話をしていた。ダレンはこのところタートルネックをよく着る。寒いから、それはよく判るが、同じものを何日も続けて着ている。さすがにクレプスリーに言われたのか、今日は違うセーターを着ていた、が、その首筋に赤い点の二つ三つ散らばるのを、ハンスが見たと言って笑っているのだ。その笑いの空虚なことを、二人は判っていながら、可笑しくてしょうがないという風に笑っていた。
「若いよなあ」
コーマックは羨んでなどいないように言って笑った。
ハンスも頷く。
「首筋になんてしなきゃいいんだよ。おれだったら怒るね、おまえに首筋され……た……ら」
言って急激に薄ら寒くなって、空虚な笑いをまた一つ。コーマックもつられるように笑った。笑えば冗談になった。
「……いやでも、実際さ、あいつら、恥知らずって言うかさ……、ハンスもそう思うだろ?」
ハンスもぎこちなく笑い、そうだねと頷く。
同じタイミングでグラスを持ち上げ、氷をからんからんと言わせるそのわざとらしさと間の悪さを破るために、言葉を発したのが、
「あのさ」
「ねえ」
同じタイミングでもう、二人は終わらない。
はじめてしまった「二人」なのだから、中途半端なところで終わらせてはいけないのだという自覚が互いにあって――特にハンスのほうに強くあって――コーマックは言葉を飲み込み、
「なに?」
ハンスに譲った。
きっとおれたちは今後もこういうバランスで行くんだろうな。
そう、二人は同じように思った。
「……うん、いや。あいつら……、あの、さあ、してるんだよね、セックス」
「……う? うん、してるよ」
「下世話な話だけどさ……、あの、どっちが上とかっていうの? あの……」
「エブラが上だよ」
「……ああ。ああ、そうなんだ」
「でも見た感じ、ダレンの方が上みたいだよな。エブラ、臆病って訳じゃないけど、気は弱いほうだし」
「ああ、……それはそうだよな。……どうしてああいう形なんだろ」
「かたち?」
「エブラが上、ダレンが下っていう」
このまま歩いていったらそこには核心があるという確信をハンスはしつつ、聞いていた。コーマックと一緒に飲むウイスキーが美味しくて、コーマックと一緒にする話が面白くて、コーマックと一緒にいるのがとても楽しい。ということは、コーマックと一緒にする性行為が辛く苦しいものであるとは思いがたいのだ。
「それは……、何だろうな。……エブラはどっちでもよかったみたいなこと、言ってたよ。ただ、最初は自分がその、上のつもりでさ。でも、ダレンが上でも全然構わなくって……、ただ、まあ……、何て言うか、ダレンの方が痛みに強いっていうか。エブラ、泣き虫だし……」
「痛いんだ?」
「……痛くなくはないと思う」
「……ふうん。なのに、よくする気になるよな。エブラにしろダレンにしろ」
「まあ……、それは、……セックス、だからなあ。何て言うか……、それこそ、女性だって最初の時は痛いばっかりだって聞くし……、慣れてないから痛い、んじゃない、のかなあ? うん……、慣れてくれば気持ちよくなる……んだと思う。でなきゃダレンだって最初の一回で嫌がるはずだろうし」
同じタイミングでまたグラスに口をつける。
「……あれだよな使うのって……ケツの穴だよな」
「……そうでなくても……だから、入れなくても、口でとか……、手だけでとか……、そうすれば、するときにどっちが上って事はないよな」
「ああそうか……、まあ、うん、それはそうだよな」
一歩手前まで来たかな、という気がする。この期に及ぶと、ここに来るまでの道程は余りにも短かったように思われてならない。もっとたくさんの経験をするべきだったのかもしれない。
しかし、はじまったばかりで終りは見えていない、これから先如何云う風にしていくかは自分たち次第だと思えば、それもまた「あり」だと思う。
「……コーマック。コーマック=リムズ」
「はい」
ハンスはグラスを置いた。
心臓がばくばくいっている。
自分が馬鹿みたいだ。
ほんとうに馬鹿みたいだ。
「……おまえ、おれをエブラと同一視しないで、なおかつ、エブラにしてたのと同じ事をするつもりか?」
コーマックは、目を逸らして聞いたハンスに、震えたり揺れたりすることは少しもなく、答えた。
「してもいいとおまえが言ってくれるならな」
ああ、それはずるい。ハンスは内心でしたつもりの舌打ちを本当にしてしまって、煙草の火をつけるコーマックを見た。コーマックはハンスの顔をじっと見ていた。その表情は穏和で静かで珍しくあの微笑ではなく、無表情だった。
つかみどころがいっぱいありそうで、実は一つもない。
半面、曝け出してしまったおれは、どんなにわかりやすいことだろう。
「おれに決めさせるのか。おまえは……、自分のしたいことも自分で決められないのか」
「決めてるさ、おれは。単純におれはおまえが好きだからな。おまえとすることは何でもおまえの決めたことがおれにとっての正解だ」
コーマックは、少し微笑んだ。
「まあ……、こういうおれの考え方を、卑怯と感じるかもしれないけどな。ただおれは、今はおまえといることが望みで、その望みが叶うんなら、それ以上何か頼んだり願ったりするのは贅沢かなって思うから」
ハンスは、ぼうっとその顔を見た。
鍵を渡された。開けるのは他でもないこのおれだ。
「卑怯者」
口をついて出た言葉に、自分も臆病なのだと言うことを知り、恥ずかしくなる。その鍵を開けるのが怖いのだ。
きっと幸せの方が多い日々が扉の向こうにはあると、定かでなくても信じている。信じていたい。どんな幸せだって完璧はありえない、清濁併せ呑んで受け止めることが必要なのだ。
「……痛い思いなら……、したくないなら、しないでもおれは構わないし」
コーマックは、話題がそこに至ると少し歯切れが悪くなった。
「……さっき言ったみたいなやり方でも、おれはあの、まあ……、構わないし。いや、っていうか、しないでもいい。しなくても全然平気だよほらもう、そんな性欲すごいあるエブラやダレンとはおれ違うし、大人だし、な?」
空気がぎこちなくなってから二十分は経っただろうか。
二人同時に立ち上がる。
「……どうした」
「いや……おまえは?」
「……便所」
「……」
ぎりと奥歯を噛んで、ハンスは先にトレーラーを出た。彼も同じく、尿意を催したのである。
冷たい空気に触れてアルコールを多少なりとも排出して戻ってきて、少しは頭が冴えて理性の戻ることを期待していたが、殆ど変わることなどなかった。ハンスは頼まれたわけではないのだが、再びコーマックの隣りに座った。
「寒かったな」
「雪降るんだろ」
「……そろそろ寝るか」
「……うん」
今、こういう状況で寝たらどうなるか、お互いに、判っている。
判っていて、それをやろうとしているのは、恐らくは互いの内面にそれを求める気持ちがあるからだろう。
布団の中は冷たくて、嫌でも身を重ねたくなる。それもよくなかった。
そもそも冬がよくなかった。
「……もっと、くっつけ。寒い」
ハンスのほうからそんな風に言い出す始末だ。コーマックの抱擁に、
「……ん」
納得したように頷いて、もういいと顔を上げる。コーマックの、眠そうな、少し赤い顔がある。こう間近に見てみると、細かい毛とか、かすかな傷とか、唇の割れていることとかが気になってくる。人の顔と言うのは少し離れたところから見るべきなのかもしれないとハンスは思い至るが、コーマックの顔に関してはどんな距離からでも見たっておれの勝手だとも思う。見ていてやることで、おれはありがたく思われる理由がある、そう考えるハンスである。コーマックは少し居心地悪そうに目を閉じた。唇が乾いて割れている。
ハンスは、そうっと、其処に、髪を上げて額を近づけた。
ハンスを抱きしめるコーマックの身体に電流が走ったようにびくりと震えた。
「なんだよ」
不機嫌な声を出したのはハンス。
コーマックは、目を見開いて、ハンスに何か言いかけたが、やめた。そのかわり、ハンスの頭を右手で抱えて、その額に、キスをした。
「おれは許してないぞ、まだ」
ハンスは額に唇を受けながら不機嫌な声でそう言った。
「……許してもらったさ」
コーマックはそう囁いて、もう一度キスをする。
「許してなんか、いない」
いや、許してしまっていたに違いない。
「……温かいだろ? こうしてると、くっついてると」
どうせなけなしの勇気を振り絞ってこういうことをしているのだという想像をハンスはしていた。コーマックの胸がどきどき言っているのを感じ取ることができる。しかしそれ以上のスピードで自分の胸が脈動していることは感じていない。感じたくないものは感じないのだ。感じたくないのだ、ほんとうに。
「おまえはこういうのイヤかい? いやならやめる」
こうしてまた、導火線に火のついた爆弾をハンスに投げ渡す。ハンスはそれを手にしたまま、呆然と立ち尽くす。手を繋いだまま入った底なし沼にもうウエストの辺りまではまっていて、だけどすぐそばの岸辺に掴まればまだ助かるのに互いに両手で繋がりあって離そうともしない。最後の列車が行き過ぎるのを突っ立ったまま歩くのも億劫な気持ちで二人して見送る。縦しんば乗ったとしても降りるべき駅をとうに過ぎているのに立ち上がる気になれない。
「コーマック……」
嫌な声だとハンスは自分の声を生まれてはじめて蔑んだ。親に失礼だと思いながらもこんな声ではイヤだと今だけは思って構わないはずと思った。
父さん母さんごめんなさい、大切な人が出来たんです。
「……コーマック……」
「ん?」
酔っ払っているのだと今はそう理由付けられる行為も、そうではないとこの瞬間否定していたハンスだ。温かい、温かい、温かい。理性を蕩尽した今の状態ではこの温もりは余りにも魅力的過ぎた。
「……イヤじゃねえよ、全然……、平気だ」
コーマックはハンスの茶色くくすんだ髪を撫でていて、ずっとずっと撫でていて、ハンスはまるでずっとずっと前からこうして撫でられていたような気がした。そしてこれからもずっと続くのだと錯覚した。死なないとすら思って決め付けて。
「……おまえ、あったかい」
コーマックの声は冷静になって聞けば、半分は酩酊したものだと気付くはずだ。同様に、理性も半分は欠けているものだったのだと。その言葉の内容も。しかし、何よりコーマック自身があとあと「嘘じゃないよ」と言っていたし(言った内容を覚えていたかどうかは不明だが)、何よりハンス自身がそう信じたいのだ。
「エブラよりもか?」
「……あいつ、ヘビだからね。……それに、こんな風に抱き合って寝たことなんてほとんどないよ……、同じ布団で……、する最中だけね、一緒だったけど、そのあとは別の布団で」
だからその言葉が本当だ。
「……ハンス? ……どこ触ってるんだよ……」
「自分のもんなんだから言わなくたって判んだろ」
「判りすぎるくらい判るよ」
「触ってみたかったから触ってるだけだ。……どういうのがついてるのか知りたかっただけだ」
ハンスは笑った。
「……なんで笑う」
「いや……。……おまえ、おれの触りたい?」
「触りたいね」
「……じゃあ、いいよ、触りなよ」
ハンスはコーマックの腕の中から少し上へと移動し、顔を真っ向から合わせる。
手のひらで包まれた異様な感触に、ハンスは耳の後が痒くなる。しかし、アルコールが入っているから其処が敏感に反応するということはなかった。ただ、自分の手の中のコーマックがいつまでも柔らかいままなのは、なんだか寂しく、気に入らなかった。
けれど、十分に温かかくて。
「……こういうのって……、順番とか在るよな普通」
ハンスはそう呟いた。
「……守らなくていいよ、そんなの……。関係ない」
コーマックは苦笑して答える。
「順番気にするなんて、おまえらしくもない……」
「……そうかな。……そうかもしれないけどな」
「……じゃあ……、順番、守るかい?」
優しく微笑んでコーマックがハンスの髪を撫で、唇にキスをした。
「これでいいか?」
もちろん、二人がするはじめてのキスだ。唇には生々しい感触が残る。酔っていながら、しかし、感触は永久に残るとハンスが胸を張って言い張れるくらいに鮮烈だった。しかし二人とも、まるでその行為が慣れ親しんだごく当たり前の行為だと言うように、顔色を変えない。
「ああ……、順番どおりだ」
「もう一回する?」
「……うん」
今度は、少し口を開いて。どちらが言い出したわけではないのに、互いの口から舌を出し、重ね合わせる。他の何を舐めても感じることの出来ないぬめりが舌先に齎される。
互いの手に伝わる熱が変わった。先に変わったのはどちらだったか知れない。片方の変化に、もう片方が安心したのは事実だ。変わっていいのだと、許されたような気になる。
朝剃った顎の下の髭が少し伸びているコーマックの顔も、「いとおしい」などと無愛想な自分に一番似合わない感想を抱く。
「……いつ以来?」
「何が」
「ディープキスするの。……ハンス、そういうのどれくらいしてない?」
本当は二年半のところを、
「……この間、旅先で、店の女と」
誤魔化した。二年半前の相手が店の女だったことは嘘ではない。
「そうなんだ。……おれもだいぶしてなかった。おまえと出来て嬉しいよ」
「そうか。おれもまあ、嬉しい」
ということにしておいてもいい。
「……で?」
「あ?」
「どうしようか……。もう寝る? 寝られる? ……おれは寝たくないけど、もっとおまえとこういうことしてたいけど、おまえが寝たいなら、寝てもいい。おまえに任せるよ」
ハンスは考えもせず、
「いいよ……、寝ないでも。今何時だよ」
「……二時か二時半か、とにかくそれくらいのはずだよ」
「そっか……。クレプスリーが起きてるかな」
「多分ね。でもあのひと鈍いからね。エブラたちのことだって気付いてるのかどうか」
「じゃあ……、いいよ寝ないでも……寝なくてもいい」
ハンスは堕落の道を選んだ。コーマックによって道を狭められた挙句、「選ばせられた」という言い方は、したくなかった。