マインドブラスト

 ハンスとコーマックの件がとりあえず今後、スムーズに転がっていくようだとダレンは確認して、やはり幸せとはいいものだなどと、年に不相応な――見た目の年には更に不相応な――感想を抱き、

「なあ、やっぱり幸せっていいよな」

 と、隣りに座るエブラに身を寄せる。

 エブラはうん、と頷いて急にそんなことを言い出すダレンの顔を覗き込む。ダレンは大きな目でエブラをじっと見つめ返す。大抵、そうするとエブラは恥ずかしがって目を逸らしてしまう。

 ダレンの目線は強い。それは、攻撃的なきつさではなく、感情を素直に篭めて見つめるからだろうとエブラは想像する。ダレンの目に見つめられると、自分の身には余るほどの「大好きだよ」という気持ちが一挙に目に飛び込んでくるような気がする。焦がされてしまいそうで。もちろん、同量の気持ちを自分が持っていることは確かなのだが、自分はどうも、照れがあるからいけない。

「買い物行くけど、エブラ、何か欲しいものある?」

 ダレンは、見つめたことなど何でもないと言うように身軽に立ち上がり、エブラを見下ろした。エブラは少し考えて、躊躇うように、答えた。

「……おれも久しぶりに、街出ようかなあ……」

 ダレンの反応をうかがうように、上目遣いで。ダレンはあっさりと、

「いいんじゃない? ぼくもたまにはエブラと一緒に街歩きたいしね」

 とエブラの腕を引っ張って、立ち上がらせた。

 

 

 

 

 普通の人間ではない。エブラが外に出るとなると、それ相応の支度が必要になる。エブラ自身に気にすることはないのだが、同性愛者であるということ以上に要らぬ注目を浴びたくない思いは共通してあるので、変装とは言わぬまでも、色の濃い眼鏡を駆け、鼻の辺りまでマフラーで隠し、手袋をし――

 ダレンより頭一つ大きいエブラは、知らない人間から見たら不審者に間違えられるかもしれない。しかし、顔を出したならば、一目で不審者に間違えられるだろう。エブラはそう言った間違い方をされるのはもう慣れっこだが、しかし面倒なことは嫌だし、ダレンとのデートを邪魔されたくも無い。正直、窮屈ではあるが、ガマンして歩く。

 ダレンはエブラの手を握り、嬉しそうに、

「前々回のクリスマスがこんな感じだったね」

 と言う。エブラは少しくぐもった声で、

「あのころはまだ、おまえとこんな風に手を繋げる日が来るなんて、思いもしなかったよ」

「ぼくは考えもしなかったなあ。お尻の穴は出口だけだと思ってたけど」

「……」

 直截的な物言いに、やや心を乱されながら、エブラはダレンを見る。ダレンは悪戯っぽく微笑む。その顔はただエブラにとって、天使のようにも悪魔のようにも思え、結論から言えば本当に可愛い。女の子のようにはあまり見えない、きっと肉体が成長したら、相当にカッコいい部類に入るに違いないと、エブラは贔屓目もあるが、確信している。だから「可愛い」というのはやや的外れであるはずだが、単純にエブラにとってのみ、ダレンは可愛いのである。

 そんな「可愛い」子が、さっきのようなことを言うものだから。

 そして、言葉以上に、すごいことをしたりするのだから。

 エブラはすぐに鱗の下で赤くなる。

 そもそも、ダレンがまず向かったのはドラッグストアである。何を買うのかと問われれば、一つしかない。確か先日買ったばかりのコンドームが、あっという間にどこかへ消えてしまったのだ。二箱もあったはず、なのだが。本当に何処へやってしまったのか。

「いらっしゃ……」

 前回コーマックが失神させた例の黒人の店員が、ダレンと、ダレンの隣りを歩くエブラを視界に捉えて言葉を切る。ダレンが何の衒いも無く、レジカウンターにコンドームを四箱乗せて、紙幣を出すと、憮然とした表情で釣りを渡す。

「こないだ買ったの、もうなくなっちゃったんです。だから、また買いに来たんだ」

 聞かれてもいないのに、ダレンは言う。

「兄さんたちに一箱、ぼくが二箱」

 無邪気な少年の笑顔でそういう事を言うのは、ある種のグロテスクさを伴うものだなあと、隣りに立つエブラは何となく思った。最も、そのグロテスクが自分にとっては心地よいのであるが。

 女性店員は汚らわしいと言った風に顔を顰めた。

「ぼくとエブラで、たくさん楽しむための……、ねえ、エブラ?」

 エブラはふっと笑って、マフラーをずらし、緑の口元から赤い、長い舌を、べろりと出して見せた。唖然とする女性店員の前で、自分の舌を一番長く伸ばし、挑発するように女性店員の目先でちろちろ揺らして見せた。

 女性店員は呆気なく昏倒した。ダレンは大笑いしながら店を出る。エブラもつられて笑う。正直、たちの悪い悪戯ではあるが、ダレンが面白いと思うならば、自分もいっしょに面白いと思うのが筋だとエブラは信じているのだ。

「次は? 何買うの?」

「いや、買うのはこれだけだよ。あとは……どうしよ、サンポでもしようか?」

「寒くない?」

「ぼくは平気。エブラ寒い?」

「んー、おれもまだ平気だけど」

「じゃあ、ちょっと歩いて、寒くなったらカフェに入ろう」

 エブラの重装備は杞憂に終わった。寒々しい街に人通りは殆ど無く、時折長距離トラックが轟音と共に走り去る。土煙がおさまる頃、静けさと寒さが一層極まる。二人は憚る必要もなく街中でも手を繋いだ。手袋越しの体温はダレンからエブラへと移ってどこかへ無くなる。エブラは頭一つも小さなダレンの感じている、共に在る事への穏やかな幸せが伝染し、もちろん寒いことは変わらないが、安心したような気持ちになっている。

 人通りは極めて少ない。それでも、五分に一度くらいは誰かとすれ違う。その時にも、手を離さない。エブラは一瞬、指先がむず痒くなる。しかしダレンはきゅっと力を篭めて、エブラの手を握り締める。エブラは心の中でわかったよと頷いて、なんでもない顔で手を繋いだまま歩く。少年と手を繋いでいる不審者。そんな風でも、ダレンとセットで考えられ、誰かの頭に留め置かれることは、エブラにとって幸福以外のなにものでもない。

 見るものも少なく、結局カフェにも寄らず、二人のデートは終わった。デートと呼ぶに相応しいかどうか、エブラには判別しかねる。それでも、ダレンと一緒にどこかへ行って帰ってきた、ただそれだけのことであっても、胸に残る。取り留めの無い話しかしていなくとも、それは永遠だ。

「寒かったね、やっぱり」

 トレーラーに入って、インスタントコーヒーを入れる。これなら味に信頼が置けるし、お金もかからない。エブラとダレンはお互いに、一緒に飲めるなら味なんてと信じきっていた。

「うん……、ちょっと堪えた」

「そう? 誘ったのはまずかったかな」

「ううん、ごめんそういう意味じゃない。部屋の中ならダレンとべたべたして暖かくなれるのに、外じゃ無理なのは寂しいなっていうこと」

 ダレンは嬉しそうに笑って、

「別にぼくはいいんだよ、外でだって、どんなことしたって。どうせこの街にそんな長くいる予定は無いんだ。風の吹くまま気の向くままだもん、ぼくたちは」

 コーヒーをふうふう吹いて、エブラも笑う。

「そうか。じゃあ外でしてくればよかったかな」

「何なら、コーヒー飲み終わったらまた出かけようか?」

 もちろん、この企みは実行しなかった。外はやっぱり寒いしね、という建前の理由で。二人とも、ミスター・トールやクレプスリーら、大人たちのことを気にしたのだ。

 このトレーラーの中でなら、鍵さえ閉めてしまえば誰にも悟られない……いや、悟られる危険性はあるが、少なくとも状況証拠だけである。していないと言い張って押し通すことは不可能ではない。鍵をきっちり、カーテンも閉めて、ダレンとエブラは裸になった。

 きっとコーマックとハンスよりも自分たちの方が余っ程垢抜けている、そんな生意気と自覚できることを考えながら、キスをする。長い舌をエブラが控えめに出し、それをダレンが舐める、ダレンが精一杯舌を伸ばし、エブラが穏やかにそれに答える。そこからはじまる二人の行為は、確かに大人びてはいたが、それでも十代の少年しか持ち得ないし、成し得ない、不確定要素を幾つも孕んだ危ういものであることも間違いなかった。そんな不確定要素があるからこそ、二人の身体も心も愛に焦がれることを、二人は気付いていない、全ては無意識に行なわれることだから。

「……好きだ……」

 そういった類の言葉を、零れるままに零しておく。零して、互いの身体を濡らし、そのままにしておく。自分が好きなものとは何だろうと、真剣に問われても二人はきっと答えられないだろう。そういう自覚が二人にはあって、しかし、仮にこの行為自体を「好き」と言い切ったとしても、一人ではどうしたって出来ない。自分の趣味嗜好を十分に理解した上で、自分の欲しいものが手に入らなければ、それは「好き」なものではなくなる。行為を「好き」と言えるものにしている者の存在だって、やはり「好き」なのだ。

 こんな青臭いロジックを立てて得意げに抱きしめあう二人だから、やはり物理的な土壌は危ういと言わざるを得ない。然しながら、互いを尊重しあう気持ちが性行為の中には在る。無ければ、子供も出来ないのだし何の意味も持たない。自分と相手がこの世界で、自分と相手によって寵愛されているということを肉体で感じる行為なのだ。

 キスも、セックスも。好きではない相手としたことのない二人だが、好きでもない相手としたいなどとは思わない。自分の心の中で一定の水準を設け、其処よりも上に存在する者、つまりは非常な寡少数に属する者としか、したいとは思わないだろう。二人の場合、今はそこに、お互いしか存在しない。いつか増えるかもしれない、やがていなくなるかもしれない。しかし、若い二人には今が本当、今以上のものは無く、そして今が永続的なものだと信じるほかは無い。信頼で紡がれている行為なのである。

 理性的に考えたなら、嫌悪感の強い可能性は否定できない。自分たちは呪われた行為に没しているのかもしれないとも思う。汚い、臭い、痛い、恥ずかしい、マイナスのはずの感情が、しかし二人ですることによって呆気なくプラスに転じてしまう。それは、当に滑稽としか言いようがない転換だが、安易に笑うことは出来ない。寧ろ、極点から極点へと反転させる瞬間生じる力へ畏怖の念を抱くくらいがようやく妥当だろう。無論、興奮状態にある接合中にそのようなことを論理的に考える余地はないが、「汚い、臭い、痛い、恥ずかしい」行為を進んでしたがる動機、そしてその動機を生み出す欲求の理由を訊かれたならば、「だからこそ」と言い切ることへの迷いのない二人の若さは、何よりも神秘的で、其処にある力のことを偉大と称しても何ら問題はあるまい。

 エブラもダレンも、まだ酒を、煙草を、それらの本当の愉しみを知らない。ゆえに、今は接合することこそがこの世で味わえる至上の悦楽であると信じて疑わない。

 射精した二人は身体を拭いて、まだ服を着ずにベッドに横たわる。二種類の手を繋ぎ、身を重ね、ゆっくりゆっくり納まり行く心臓のスピードを聞いて、この上なく安らかな気持ちになる。自分たちは今誰よりも綺麗だろうと途方も無い自己陶酔。時折、せずにはいられないというようにきっかけも無くキスを交わし、それを長く続けたかと思うと、ふたたび胸の上に額を乗せる。そして忘れた頃にまた、口付ける。

 夕方を通り越して夜になった。

「……おなかすいた?」

 エブラの腹の音を聞いて、ダレンが微笑んで顔を上げる。

「ダレンもすいただろ?」

「うん……、そろそろ行こうか」

「そうだね……、あ、ちょっと待って」

「ん?」

 ダレンの冷えた肩を、温かくも無い手で包んで、

「もう一回だけ、キスしよう」

 他のどのキスとも変わりはない、わかっていながら、身から滲み出る青さが互いを求めてやまない。長い長いキスをして、ようやく二人、立ち上がる。


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