キルスティンガー

 国道をキャンピングカーがトレーラーが、連なって何台も走る、その隙間を北風がびゅうびゅう吹きぬける。牽引されるトレーラーの室内で並んで座る彼らは、彼らのしていることが、あの少年二人がしていたことと、全く同じ線路に乗っていることであることをもちろん知らない。二十代も後半、しかしやっていることは十代半ばの少年たちと変わらないということを彼らが知ったとき、どういった感慨を受けるだろうか。恐らく表面上は不快感を催したような顔をするに違いない。だがそれは、そうでもしないと大人の沽券に関わるとでも思っているからで、自分たちのまだティーンエイジャー的であることを喜ぶ気持ちの存在は否定しがたい。

 鞠が転がるスムーズさで、コーマックはハンスを抱きしめる、ハンスは両腕をだらりと体のサイドに垂らして、その抱擁を受ける。キスを受ける。愛撫を受け、口淫を受ける。望まれればコーマックに同じことをしよう。共に思ったとおり達したならば、時間は夜遅くであるから、もう眠るだけ。

コーマックは近頃頻繁にハンスを抱きたいと願うようになっていた。しかし叶う形はといえば、いわゆる「抱く」ではなくて、既に記したようなやり方に限られる。最も、それでもいいからと思うから、それに満足もする。可愛げの、ちっともないハンスが、これほどまでに可愛いと思えるのはこの世界でおれだけしかいないんだと、内心でダレンやエブラやミスター・トールやクレプスリーに、自慢してやるのは、愉快な行為だった。

しかしハンスは透明に見える。どんな色にも染まらないように見える。そして自分にとってのみ重いその存在は、実は空気のように軽いように感じられる。自分が言ったことを、素直に受け止めることは少なくて、いつも活発に抗って、勝手に不機嫌になって、そのたびコーマックを怖がらせる。コーマックのその恐怖心が、ハンスの透明感を生み出していることは、コーマック自身気付いている。自分はハンスのことを捉えきれないのではなくて、捉えてはいけないと思い込んでいるのだということを、もう判っている。そして、そんな感情は、恋人同士という関係において恐らくはこれ以上ない障害になるであろうことも。自分たちは尊重しあっているつもりでも、間違いない上下関係が形成されている。その上下関係こそが、自分たちを相対的に位置付ける最大の要因になりえていることは確かだが、恐らくそれは恋人同士の形ではない。

それでも、おれはハンスに虐げられるのが歓びだ。これ以上ない歓びだ。ハンスにならどんな風に言われたって平気だ。実際には平気じゃない、ハンスがおれに酷いことを言ってくれるのは、怖い、けれど、おれにとってはそれは、間違いのない歓びなのだ。だからおれは、ハンスが大好き、ハンスの隣りに、いつもいたい。

 そして出来るならば繋がりあいたいとコーマックは思う。しかし、たった今、キスをしようとして、

「煙草吸おうとしてるのが判らないのかよ」

 と嫌な顔をされただけで、コーマックは再起不可能なほどに凹んでいる。こんな二人だ。

 実際、ハンスはコーマックの感情の上下左右を全て掌握している。その事を大いに自覚しているから、傍若無人な態度をとることが出来る。コーマックに対してはほとんど何の遠慮も無い。邪魔だと思えば「邪魔だ」と言うし、話し掛けて欲しくないときには「話し掛けるな」と言って憚らない。優しさを見せるのはベッドの上、コーマックの言うことはなるべく聞いてやるようにしているが、その際のコーマックというのは決して冷静な状態ではないから、ハンスの細やかな優しさについての記憶は曖昧だろう。ただ、それを以っておれは謙虚だと言うつもりもハンスにはなくて、このままコーマックに我儘ばかり言いつづけて、いつかコーマックに嫌われるような日が来た暁には、自分はそれこそ誰にも愛されないような男になっているであろうという確信もあった。治すべきかも知れないと考えないことも無い。しかし、コーマックを見ていると、どうしても我儘を言いたい気になる。サディスティックな人間の多くは甘えん坊なのではないだろうかと、ハンスは最近思うようになってきた。コーマックが自分を嫌いになるかもしれないなんて考えながら、あのような我儘を言える筈がない。

 反省点の豊富な二人。

 だが鉄板なのは、その反省点が一つひとつ治るたびに、彼らが離れる要素が生まれ来るであろうということ。

「おい」

 ハンスは煙草を灰皿に押し付けて消す。その右手を、左手で指差した。

「え……?」

 コーマックは意味が判らず、聞き返す。

「見て判るだろ、煙草を吸い終わったんだ」

「……え……? ……あ」

 ハンスの右肩に、左手を添えて、コーマックは覆い被さるような形で、ハンスにキスをした。煙草の、甘く苦い味がする。嬉しい、美味しい。しかし、あまり長いことしているときっとハンスも苦しいだろうと、コーマックはすぐに顔を離した。ハンスはこれが気に食わない。もう少し長くして欲しかったし、そんな理由ならば尚更だ。だが、自分の威圧が原因でコーマックがそうするのも判っているから、何ということも出来ない。

 自分たちが恋人という関係にしてはぎくしゃくしすぎていることを、二人は十分に認識している。

 安らぎとは遥か遠い場所に自分たちがいることを判っている。

 それでも、この関係の永遠に変わらないことを願うことは、ちっとも可笑しくないと信じきっている。臆病なことを理解している。エブラが長いこと、ダレンを手で満足させることだけに終始し、またそのまま終わってもいいと決め付けていたのと、変わらない。

「まだ着かないのかな」

 ハンスはコーマックの顔が離れて、隣りに座るのを待ってから、次の一本を咥えて火を点けた。

「うん、三時間はかかるって言ってたよ」

 その返事に、ハンスは舌打ちをして、面倒臭げにコーマックへ寄りかかった。コーマックの方が緊張するのが判る。緊張すればまた苛立つし、緊張しなかったらそれはそれできっと気分が悪いだろう。

 自分は恋をするには我儘が過ぎるのだ。

 しかしハンスは、コーマックだっておれの我儘が好きだと言い張って憚るまい、そして、事実そうなのである。

 二人は、サディストとマゾヒストの関係であるから。

「退屈だ」

 ハンスは言葉を無責任に擲つ。コーマックは自分の目の前にどさっと落ちた言葉を、どういう風にも掴めないで戸惑う、ハンスは硬い太股からコーマックを見上げる、困惑しきった顔をしている。煙草を吸い込んで、ゆっくり灰が伸びる。コーマックだけが美人だと思うその顔に灰が落ちてしまうと焦って、しかし身動きを取れないでいると、なんでもないようにハンスは煙草を、彼からは死角になっている場所にある灰皿の上で弾く。コーマックははっとして、灰皿を持ち上げて、恋人の容易に届くところへ移動させる。

 ハンスが吐く煙は当然の如く、コーマックの顔面に吹き付けられる。コーマックは真っ白に包まれて、目を潤ませて、そして、咳を無理に堪えて変な音を喉から出した。ハンスはのどの奥でくつくつと笑って、それでもそのまま、また煙を吐きつけた。一連の行為に対してコーマックのとった行動は、全て防御。回避でも反撃でもなくただ防御。事態の打開は望めない。じわじわと不利になって、後が無くなるばかり。そう、判っていながら、コーマックは何も出来ないでいる。

「こうしてるところを、おれたちを知らない誰かが見たらさ」

 ハンスはまだ吸える長さの煙草を消して、コーマックの下腹部を撫でながら笑う。

「おれたちのことを、他の誰とも変わらない恋人同士だって思うだろうなあ」

 コーマックはじっとハンスの横顔を見る。その手が、自分の腹を温めてくれるのが勿体無くて嬉しい。

「……他の誰とも変わらないよ、きっと」

 コーマックは頑張ってそう言った。

「そうかな。十分特殊だとおれは思うけどね」

「そんなことない。それは……、多分、おれたちが一番見えてるのはおれたちだけで、他のことを見えてないから。エブラとダレンの事だって、十までわかってるわけじゃないだろ、二か三くらいも判ってたら上等だよ。だから……、おれたちは、別に普通に」

「恋人か?」

「……そう、だよ」

「そうかな」

「そうだよ……、他に何があるって言うんだ」

 追い込まれてぎりぎりにならないとちゃんと言えないようなことを、追い込まれてぎりぎりになったから、コーマックは言った。

 ハンスは愉快そうに笑って、

「じゃあ何でおれたちはセックスをしないんだろうな?」

 聞いた。

 コーマックはあきらかに身に緊張を走らせた。

「そうだろ? 普通の恋人、どこの誰と誰とも変わらない恋人だって言うんなら、セックスしたっていいじゃないか。エブラたちはあの年でアホかってくらいやりまくってるんだ。おれたちがやらないのは逆におかしいよな?」

 コーマックは下腹から突き上げるような言葉に喉をごくりと言わせて、

「……それは……、別に、何がおかしいってもんじゃないだろ、別に、さあ、しない形がおかしい、するのが普通、そういうことは言えないだろ」

 ハンスはコーマックのそう言うことを見上げながら聞いて、しばらくその表情をサディスティックに見つめていた、見つめることが十分な苛めであることは、判っていた。判っていてそうした。そうするのが関係の中で礼儀になると思ったからだ。

「……確認しておこうか、コーマック=リムズ」

 ジッパーを下ろしながらハンスは言う。

「おれはおまえとセックスをしたくないなんて、一度も言っていない」

 哀れに縮こまった男性器を、ハンスは自分の目の前で揺らしてみる。まだ柔らかい、しかし、段々とそれは熱を帯びる。

「これの使い方は一種類だけか?」

 横を向いたまま、舌を這わせる。

 二人の底を揺らす震動。がたん、がたん、石に乗り上げたか、二度三度大きく弾んだ。しかし、走りつづける車。ハンスは体勢を整えて、コーマックを舐める。

「何の為に生えてるんだ。おまえやおれのこれは、生殖器ですらないだろう。そうじゃないだろう、もっと、違う、いい使い道があるんだ。違うか?」

 ハンスは口から出して、びしょびしょに濡らした男性器を扱く。

 コーマックは苦しげな顔で、ハンスの顔を見るのがやっとだ。

「……おれはおまえとセックスをして、もっとおまえのことを苛めてやれるアイディアが見つけられるような気がするんだけどな。おまえがそれを望まないんならしょうがないよ、おれが強制できる問題じゃないし」

 全てのことを強制し、今またここで強制しながら、ハンスはそんなことを言う。

 コーマックの声が泳いだ。

「セックスしたいよ」

 泳いで、溺れた。

「ハンスとセックスしたい」

 それは殆ど泣き声と言ってよかった、悲鳴と言ってよかった。

「誰がそれを拒んだ?」

 コーマックの硬化したペニスの裏側を、舌でなぞる。

「誰が嫌だって言ったんだ? コーマック、え? おれはそんなこと言ったつもりは全然無いぞ」

「だって……」

「おまえが臆病なだけだろう、一人で勝手に脅えてるだけだろう、違うか? おまえの勝手なんだよ。それを、人のせいにするなよな、おれは何にも言ってない、嫌だなんて言ってない。おれはどっちでもいいんだよコーマック。したけりゃすればいいじゃねえか」

 最高に無責任で失礼な科白を、ハンスは痛快な気持ちで並べた。コーマックという名を呼ぶときの唇の接触ひとつで重い罪になるような気がした。

 しかし、それらも全て、次に言うむず痒い科白のためだった。

「なあ……、恋人同士なら……したっていいじゃないか……」

 言い切って、悔しくて、辛くて、頭に来て腹が立って、コーマックにしゃぶりついた。もう、コーマックがどんなことを言おうと聞く耳は持たなかった。ただ、口の中で限界容積に達したコーマックを容赦なく舐って、吸いとるようにその精液を飲み込むだけだった。

「恋人同士なんだから……」

 粗っぽく、息を吐いてハンスは捨てた。

「精液飲んだっていいじゃねえかよ……、不味くなくなるんじゃねえかよ」

 


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