イルストーム

 二人が二人でいることを、習慣、日常、平々凡々、そう書いて幸せそう読んで、一切差し支えの無い今日この頃で、コーマックの視線の先には常にハンスが居、それをハンスは大いに意識しつつ毒を吐き、或いは無視をする。風の噂語るところによれば週に二回、一回二個程度ずつラバーを消費し、それを捨てるときには例えばチップスの袋に例えばウイスキーの瓶の中に詰め込んでと色々工夫を凝らしてはいるらしい。

 そしてそんな彼らの日々のバランスを一定の距離を置き、それでもかなりの意識を傾けて相も変わらずエブラとダレンは見詰めている。それは十五歳の視点というよりは神のもの。エブラはコーマックの元恋人として、ダレンはエブラの恋人として、多少の主観交え、コーマックとハンスの結ばれた事実をついつい物語にしてしまうけれど、それも許される気がするほど、彼らは甘く思える。

 例えばだ。

 コーマックもハンスも煙草を吸う。確か、二人は違う銘柄だったはずで。しかし何故か今は同じ赤い箱をポケットに覗かせている。ハンスにあわせてコーマックが変えたのだ。理由は問うまでもない。ハンスの煙草が切れたとき自分のものを吸わせてやればいいという愛情からだ。

 あるいは。

 煙草はテント集落から離れたところで二人で吸うのが常。遠くからでも一センチ以上の距離があるのがベーシックな二人、時に思いついたようにぴったりと互いの腕の外側をくっ付けて煙草を吸っている。

 ハンスのプライドの為だろうが、彼らはすごく友だちらしい。要するに恋人らしくはない。一定以上の距離感を保とうとする。あまりべたつくとハンスが怒るからと、コーマックも一歩引いたスタンス。二人きりになったならば、おどおどしながら触れたがるコーマックに舌打ちを繰り返し、十分立っても何のアクションも無かったなら「おまえは最高につまらない男だな」、多少なりともイルなスタイルでいる彼ら、そんな毒っぽい言葉も意思伝達には欠かせない。

 触れって言ってんだよ糞野郎。それくらいの勢いテンション。

「男の身体に息の根上げてんじゃないよ」

 自分の身体を歩く男の息がかかる、しっかりとその金髪に手をかけて、それでも上手に毒づいてみせる。何よりそのプライドを少しも失わない自分の姿勢こそがかけがえのないことで。身体の奥底、自我を閉じる場所、

「おまえ……きれいだ」

 誰が?

「興奮して当たり前だよ……、すごく、きれいだ」

 ハンスは醜い自分の身体にそう声をかけ、舐めて歩く、そういうことに喜びを見出す、そういう存在のことを「恋人」と呼ぶことをようやく学んだ。三十になる前にそれが判ってまあよかった。なんて顔でなんてことを。同性の性器を愛しげに撫ぜ舐め咥え、その顔を見ていると舌の快感以上に幸福を覚える。

これがおれの恋人。

もうちょっと素直に認められればいいんだけどねと彼は思う。しかしそうなったらそれはそれで、おしまいだとも同時に思う。在り方を変えたり忘れたりしたらそれは即ち死も同じ。

「ハンス」

 返答せずにおいたらきっと永遠に、舌が渇き口が動かなくなるまで、

「好きだよ」

 そう言いつづけるに決まっている。そういう男を「恋人」にしておくには、粗暴に過ぎる自分と知っている。

 まるで処女を扱うように自分を扱うコーマックの手が好きだった。本当に大切にしているのだということが、言葉にしなくても判るのは不思議でも何でもなく、ハンスもまた恋人のことを、許されるなら自慢してやりたいと思うほどの感情を持った上で毒を吐いているからだ。

 そういう、色にすれば紫とか緑とかとにかく有害物質を含むスプレーを顔面目掛けて、公的にも私的にも記録的には「恋人」とされる相手に思い切り人差し指に力入れて噴き掛けるのもまた愛情と言うのも可能。

 そしていつかそれに懲り、萎えた死体を揺すって起こそうとするのが自分というのは容易につく予想。

 おれはもっとこのゲームを正攻法で楽しむ気持ちを持たなきゃダメだ、でないと負けて終わって後悔する。

 この国はこの星は、広くとも、同じように弾かれて、一つの場所で出会えたなら、もっとその偶然に感謝しなければ。

「来いよ」

 同じように裸なら同じように感じられる同じように感じている同じ病気持ちは同じ気持ちでイル理解し合える繋がり合える、紡ぐ、物語騙る。

「来ないならこっちからいってやろうか」

「うわああ」

 真空管の心臓が爆ぜる。そういう精神音声を出す、かなりのヴォリュームで、飛ばす。ええ?わかってんのか、おまえのこと好きだって言ってやってんだよありがたく思いやがれ。そして、大好きです、ずっと側にいさせてください、醜いぼくだけれど。

 繋がることで生ずる痛みがせめて自分に与えられる罪とハンスは考える。しかしそれにしては気持ちよかったら相殺、冠婚葬祭一度に来たような歓び万歳、人生に伴う借金完済、この気持ち良さは実際犯罪、尻の穴突かれてとてもイイ塩梅、性欲絡めば狭き心酷く寛大、これ抜きの付き合いはやや難題、そして幸せに届いてしまうのが問題、どんなもんだい。厭味なくらい韻踏んでゴウイング、真空管ボーイ、ボーイングより速く高くさ。

「ハンス……、いった……?」

 シーツをぎゅうと握り締めて、鼻の頭は枕の中だ。ああ、うるせえ。そう毒づきたいのに、声が混じるような息で「うるせえ」と言ったところでこの阿呆はもっと盛るに決まっている。

 優しく腰を引く。

「……ハンス……、大丈夫?」

「なに、……抜いてやがる」

 確かにもうとっくにいっていることを隠すつもりも無く、ハンスはただ、自分の身体が役立たずであることに憤る。クソが。そういう汚い言葉で手前の顔を思い切り傷つけそうになる。その背をコーマックが抱き締める。

 おまえが大丈夫になるまで少し待つよ……そんな気遣いはいらないんだ糞野郎。

 

 

 

 

 語るべきことの少ない日々の繰り返しはそのまま、二人の生活が退屈かつ幸福であることの証明。安定するリズムは鼓動よりも遅いテンポで、口ずさめば口に馴染む。時間が重なっている。床に寝そべったコーマックの上に、ハンスが重なって、寝煙草吸いながら本を読んでいる。重たいとも苦しいとも言わないで、ただ腹の上で交差する体の存在だけを認識すれば十分だと、コーマックは額に汗を浮かべながら黙って天井を見上げている。それを語ろうか。或いは、情景描写だけで十分か。

 あと五分もすれば、至極曖昧なそのアプローチに反応しないコーマックに腹を立ててハンスがコーマックの指を千切る。そして憎々しげに、

「下らん野郎だな」

 そう言い捨てて、世界がまた一つ狭くなる。